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SONGS FROM THE NORTHERN TERRITORY 1 / Western Arnhem Land
SONGS FROM THE NORTHERN TERRITORY 1 / Western Arnhem Land
NO AIAS-1CD
Artist/Collecter Alice M. Moyle(Recorder)
Media Type LP/CD
Area 北西アーネム・ランド、ダーウィン周辺
Recorded Year 1962年
Label AIATSIS
Total Time 44:39
Price 在庫なし
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THE AUSTRALIAN ABORIGINAL HERITAGE ABORIGINAL MUSIC FROM AUSTRALIA ABORIGINAL SOUND INSTRUMENTS ARNHEM LAND POPULAR CLASSICS ARNHEM LAND DIDJERIDOO -The Australian Aboriginal Music
伝統的なアボリジナル音源のバイブル的な5枚組LPをCD化。地域ごとにスタイルをわかりやすく解説、そして何よりも60年代初頭の生き生きとしたサウンドが心を打つ名盤中の名盤!

SONGS FROM THE NORTHERN TERRITORY / Alice M. Moyle
■1. 一般的序論
■2. 儀式の歌、クランの歌、そして個人が所有する歌
■3. 社会組織
■4. 歌のテーマ
■5. 楽器
■6. シンガーの優位性
■7. 謝辞

■西アーネム・ランドの音楽概要
■ライナーの翻訳と解説

Alice Moyle博士によって主に1962-63の間に収集された、いわば「バイブル的なアボリジナルの音源」です。それぞれの地域独自の文化について、また録音した時の状況など詳しい説明がされており、聞きながらブックレットを読むとその当時の状況が目に浮かぶような気さえする、充実の内容です。このシリーズを聞いて、アボリジナルの音楽研究をはじめた民族学者も多い。LPで発売されたものの再発盤CDです。

またそれぞれの地域やコンセプトによって録音が5種類あるアルバムごとにまとめられており、それらを比較して北海道と四国を合せた程の大きさと言われているアーネム・ランドの地域差、文化の違いをはかり知る事ができる。このアルバムVol. 1では西アーネム・ランドの「個人が所有する歌」が集められており、ドローン(持続低音)を繰り返すディジュリドゥにメロディ豊かな歌が特徴的です。

Oenpelliでの録音を中心に、Goulburn島の有名なセレモニアル・リーダーLazarus Lamilami(1913年生まれと言われている)のディジュリドゥ・ソロやWANGGAスタイルで知られるBelyuenコミュニティの偉大なるソングマンBobby Laneの卓越したディジュリドゥ伴奏者Alan Namaのディジュリドゥ・ソロなど多数のディジュリドゥを含んだトラックを収録している。トラック13(b)のJimmy Mulukの「Buffalo」の歌は中でも特に秀逸な感涙ものの名曲である。

デビッド・ブラナシに代表されるGUNBORGスタイルや、CD『Rak Badjalarr』で聞かれるWANGGAスタイルに興味がある人は必聴の60年代録音です!!

下記はこの5枚のCD『Songs from the Northern Territory』シリーズのライナーに共通して書かれている、Alice M. Moyle博士自身によって書かれた、ノーザン・テリトリー州のアボリジナルの人々の音楽を中心にした概要の翻訳である。繰返しになるため、vol.2〜5のページでは下記の文章は割愛されています。ブックレットには各章ごとに番号はふっていませんが、便宜上ここでは上記のようにまとめてあります。またそれぞれのCDごとにその録音地域の特徴を詳しく解説してあるので、このカテゴリーの後につづく、「西アーネム・ランドの音楽概要」も是非参照して下さい。最もディープにアボリジナル音楽を解説しているCDシリーズです。

■1. 一般的序論
このシリーズのそれぞれのCDは、著者が1962〜63年の間にノーザン・テリトリー州の「Top End」のアボリジニのコミュニティを訪問した際に行われたフィールド・コレクションから選出された。

これらの録音は、当時女性の記録者にとって可能な限りの様々な種類のアーネム・ランドの音楽の調査の一部である。同じ調査のために訪ねた他の北方地域の録音は、Australian Institute of Aboriginal and Torres Strait Islanders Studies(AIATSIS)から発売されている3本のカセットに収録されている。クイーンズランド州の『Songs from North Queensland』と『Songs from Yarrabah』(共に1966年録音)、西オーストラリア州の『Songs from the Kimberleys』(1968年録音)の3本である。

アボリジナルの歌の伴奏に使われる楽器は、音楽スタイルとその地域を特定するための重要な指標である。こういった様々なアボリジナルの楽器の音色は、上記の調査の時に収集されたフィールド・レコーディングからの抜粋のコンピレーション『Aboriginal Sound Instruments』(CD / AIATSISから1990年に改訂版が発売)で聞くことができる。ここで収録されている歌は、ダンスの最中にそのダンス・ソングを歌うリード・シンガーの最も近くにマイクを置いて録音されたか、歌を所有する家族の一員である個々のシンガーをそれぞれ録音している。

アボリジナルの人々は全ての伝統文化において文字を持たないので、彼等の歌はシンガーからシンガーへと口承で、世代を超えて伝えられる。ソング・リーダーの喪失と共に、いくつかの歌は必然的に失われて行くのだろう。新しい歌が加えられるということは、つまりそれが彼等の歌のレパートリーになるということなのだ。

■2. 儀式の歌、クランの歌、そして個人が所有する歌
オーストラリアのアボリジナルの伝統音楽は、3つのカテゴリー、「Cult Song(儀式に属する歌)」、「Clan Song(同一の言語グループに属する歌)」、そして「Individually-Owned Song(個人が有する歌)」の3種類にわけられる。「個人が有する歌」をDisc1に、「クランに属する歌」をDisc2と4に、そして「儀式に属する歌」をDisc5に収録している。

「Cult Song(儀式に属する歌)」は祖先の神々から持たらされたと信じられており、その神々の名前と彼等の霊的な旅は、ある特定の儀式もしくは一連の宗教的信仰と深く結びついている。そして様々な儀式において、直接的または間接的に、そういった祖先の神々とその旅路をたたえる。「ソング・サイクル」や「ソング・ライン」と呼ばれる祖先が旅して来たことを歌う歌では、正しい道筋、もしくは正しい地理的順番でその場所の名前が歌われることが重要である。

こういった歌は、最初の祖先が旅して来たと信じられている「ドリーミング・トラック」に沿って歌われなければいけない。「ドリーミング・トラック」は、それぞれの存在と名前を最初に祖先からもらった、土地の目印、様々な植物、動物、その他の生き物などに沿った道筋で、それら創造主である神と女神達に授けられた名前は、秘密で守られた特別な儀式の歌の中に記憶されている。 カルト・ソングと儀式は、その多くが成人の儀礼に関連のある種族間の儀式に全体的な焦点がある。アボリジニの女性はこういった儀式での役割があるのだけれども、アーネム・ランドでは彼女達の演奏における役割は、たいてい中心の場所から少し離れた所で踊るという事と、儀式的にむせび泣くという事(Disc 3)に限られている。このような大きな儀式では、成人の儀式を終えた男性だけが参加する特別な歌が歌われるようだ。

最も奥深く、啓示的な彼等の儀式の一部である秘密性のある男性の歌には、アボリジナルの女性や成人の儀礼を受けていない者の面前で歌われることはない。言うまでもなく、この種の歌はこのCDには収録されていない。 クランにはクランが所有する歌があり、クラン・ソング・リーダーと認めれれている男性によって歌われる。こういった歌のいくつかは、ある特有な神話やクランの物語の点で密接に関係しているクラン間で共有されている。儀式の間中、たいてい関係のあるクランの人々が一緒に座っているのが見かけられる。

「Individually-Owned Song(個人が有する歌)」に関して質問したら、彼等が眠っている間に舞い降りてきたと答えるシンガー者もいるし、狩りや採集などで出かけている間に「みつけた」という者もいる。あるシンガーは、夢で得た歌を思い出すということは非常に難しいのだと私に言っていた。

■3. 社会組織 アボリジナルのコミュニティの社会組織は二つの部分からなる「Moiety(半族) System」であり、その二つのグループそれぞれにそれぞれの歌と儀式的手順がある。北東アーネム・ランドでは、この二つの半族をそれぞれDhuwaとYirritjaと呼び、東海岸に位置するNumbulwarではMandhayungとMandirritjaと呼んでいる。Groote EylandtのAnindilyakwa語を話す人々は「Two Sides」と呼び、彼等の半族には特別に名前が無い。1962年に、彼等の歌の内のいくつかは「East Wind Side」と「West Wind Side」に分れて所属していると知らされた。

クラン(父方血縁、あるいは 同一の言語グループ)、もしくは大きくみた家族のグループがそれぞれの半族に属し、一方の半族のクランの人々は、もう一方の半族のクランの人々と結婚する。 東アーネム・ランドではクラン・ソングは父方の筋を通じて継承され、子供達は自分の母方の親戚の男性達が普通自分の父親と同じ歌を歌わない事にすぐに気付くだろう。

■4. 歌のテーマ
アボリジナルの歌のテーマは、世界の創世期にまつわる古代の信仰に関係している。彼等の歌は精霊の場所の創造についての神話と物語に関係し、それらの歌は、植物や動物、鳥、魚、自分達の土地に住むその他の生き物達に対して、人々の敬意を表現している。風、星、ビラボン(三日月湖)、そしてワイルド・ハニー(Sugar Bagとも呼ばれる針を持たないオーストラリアの蜂)、フルーツ、ナッツ、特定の環境で育って来た人々にとってよく知られているその他の物などの食物資源のありかを知るための土地にある目印に関するものがクラン・ソングにある。

彼等自身と同様、その歌のテーマはどちらかの半族に属している。それぞれの半族のシンガー達は、自分達の歌がフォーカスすべきテーマと、歌っている間に使っても良いとされている歌詞を知っていなければならない。 ボート、郵便物を運ぶ飛行機、トラック、防波堤など伝えられたもの、もしくは接触して知ったテーマは、東アーネム・ランドでは通常Yirritja / Mandirritjaの半族の人々によって歌われる。Anguruguにて録音された飛行機の歌(Disc4)は、Groote EylandtでMamarika、もしくはEast Wind Sideと呼ばれる半族によって歌われている。Groote Eylandtのもう一方の半族はBarra、もしくはWest Wind Sideと呼ばれている。

この二つの風は、北オーストラリアの二つの季節を左右するため、アーネム・ランドの人々にとってこの二つの風は大変重要で、西/北西のモンスーンの風は湿気を運び、東/南東の風が乾燥した空気を連れて来る。 1906年以前は、Sulawesi島(以前はCelebes島と呼ばれていた)のMakassarからインドネシアの漁師が北オーストラリアを頻繁に訪れていたが、彼等の船の発着は、この二つの風と共にあった。北西の風がマカサンと呼ばれるインドネシアの人々のアーネム・ランドへの旅路を助け、南東の風がナマコを積んだPrahu(マカサンの船の名前)をアーネム・ランドから旅立つ事を許す。

船の帆が上がる様が、東アーネム・ランドの歌で歌われ、それはマカサンの船が出発する事を意味し、半族の象徴として数多くのクランのグループの記憶に残っている。その帆が上がる様子は現在では旗にとって変わられ、Yirritja半族の儀式では、亡くなった人のあの世への出発を意味するのに使われる。

1960年代以降、アーネム・ランドに住む人々にとって日々様々な変化が訪れた。東アーネム・ランドでは、例えば、Gove半島のNhulunbuyやGroote EylandtのAlyangulaのように、鉱物の採掘とそれによる都市開発がその変化の一つであった。しかしながら、東と北東部分、Groote Eylandtでは、伝統的な儀式的な生き方の多くの側面が広い範囲で今だに息づいている。

一方、西アーネム・ランド、特にダーウィンとその周辺地域ではクランと半族組織が実質的にはなくなってしまい、儀式的活動は比較的少ない、もしくは残存していない。

■5. 楽 器
アボリジナルのシンガーは、シンガーであると同時に、一対のスティックあるいはブーメラン・クラップスティック奏者でもある。ブーメラン・クラップスティックは、アーネム・ランドではある種の歌にだけ使われる(Disc5)。アーネム・ランドのクラン・ソングには、歌にクラップスティックの伴奏というアンサンブル以外にディジュリドゥが加わる。ディジュリドゥ奏者は一度に一人以上で演奏することは決してない。

この竹、もしくは中が空洞になっている木の枝は(ディジュリドゥ)は、当初はノーザン・テリトリー州の以前のアーネム・ランドでいう北西部のオーストラリア本土のグループの間で歌の伴奏に使われていたが、最近は西オーストラリア州北部のKimberley地方まで南西に、そしてノーザン・テリトリー州とクイーンズランド州の境界まで南東にディジュリドゥが使用される地域は広がっている。その境界付近では、西アーネム・ランドのグループにBESTだとみとめられているダンス・ソングのスタイルの伴奏でディジュリドゥが使われている。

クイーンズランド州北部でも19世紀後半に短期間だけディジュリドゥがみられたが、今やこの地域の「Island Style(Torres海峡の島々の人々からオーストラリア本土に伝わった音楽スタイル)」のダンスには欠かせない楽器となったスキン・ドラムの人気に競り合う事はできなかったようだ。

■6. シンガーの優位性
ディジュリドゥにその人気があるが、上位にあるのはスティックを打ち鳴らすシンガーで、アーネム・ランドのリード・シンガーは普通、作曲者であり、曲の所有者である。シンガーはその場に適した歌を選び、ディジュリドゥ奏者が演奏する伴奏のタイプを決め、いつ自分達の演奏が始り、終わるかを決める権利を持っている。

いくつかの言語グループの代表者によって話された歌詞は録音され、その短いサンプルをこのシリーズの中で聞くことができます。演奏者の生年月日は、それぞれの演奏者の名前の後に表記されている。その中でもかなり高齢のシンガーが教えてくれた彼等自身の年齢は正確ではないかもしれないが、少なくともそれにより、ある年齢層であることを推測することができる。

 

歌の名前と演奏者の名前の初期のスペルの多くは変えることなく、そのまま表示されています。録音がされた場所の内のいくつかは、名前が変わってしまっていて、東アーネム・ランドの沿岸にあるRose RiverとRoper Riverのアボリジナルの居住地は、現在ではそれぞれNumbulwarとNgkurrに、Darwinの近くのDelissavilleはBelyuneに、そして中央アーネム・ランドの南部のBeswick Creekコミュニティは、最初にその名前をBamyilliに変え、そして現在ではBarungaと呼ばれている。

 

 

■7. 謝 辞
『Songs from the Northern Territory』のCDでの再発にあたって、これらの音源を収集するために、下記のシンガーと演奏者による多大なる助力があった事をもう一度認識し、彼等の歌が彼等の友人達や関係者、そして彼等の若い子孫達に聞かれ、楽しまれ続けるであろうという想いの中に喜びを感じる。

このアボリジニの音楽の初期のフィールド調査のために必要な研究とその為の旅行を可能にしていただいたAustralian Institute of Aboriginal and Torres Strait Islanders Studies(その前身はAustralian Institute of Aboriginal Studies)にここで謝辞を繰り返します。またManingrida(Disc5)の情報を提供していただいたDavid Glasgow氏へ、私の要望に応じて丁寧に歌詞を書き写し、翻訳していただいたJoy Kinslow Harris氏、Earl Hughes氏、Beulah Lowe氏、Lynette Oates氏、Judith Stokes氏らへ感謝いたします。そして、校正をしていただいたPat Ware氏に多大なる感謝の念を送ります。

 
Alice M. Moyle / Canberra 1991

■西アーネム・ランドの音楽概要

ここで定義づけられている「西アーネム・ランド」とは、単にアーネム・ランド保留地として知られる地域の北方と西方の境界を超えて広がっている地域をさし、北方ではCoburg半島、Crocker島、Goulburn島、そしてLiverpool River地域が含まれ、南方ではKatherineとそのはるか東までが西アーネム・ランドに含まれる。

Disc1に収録されている音源のほとんどが、Kakadu国立公園の北に位置するOenpelliにて録音され、その残りはDarwin近くのBagotにて録音された。

19世紀初頭には、西アーネム・ランド内の孤立した地域にも白人の居住地が作られ、1872年以降急速に増加し、Darwinにオーストラリアの首都とイギリスにつながる電報が開通した。

この地域の部族と言語グループの離散と分裂、そして儀式的な生き方の突発的な途絶にもかかわらず、いくつかのソング・タイプは残存し、その内のいくつかはこのCDで聞くことができる。この地域の壮観なダンスにはディジュリドゥの伴奏がともない、初期のアボリジナル研究者の著述でしばしば感心され、報告されている。ディジュリドゥという名前は、Darwin地域でノン・アボリジナルの人々によって最初に使われはじめたようだ。前述のような歌は、今や少なくなってきているクリエイティヴなミュージシャンによって今だ歌われており、彼等はCorroboree(歌と踊り)が開かれればいつでも、広大な地域に渡ってCorroboree(おそらくニュー・サウス・ウェールズ州の現在はすでに絶えてしまった部族の方言から英語に取り入れられたと思われる一般的にアボリジナルの歌と踊りを指す英語)の演奏に呼ばれる。

西アーネム・ランドのディジュリドゥは、この録音当時、パターン化されたドローン(持続低音)として使われ、歌の種類やシンガーの居住地によってその演奏パターンは変えられる。アボリジナルのディジュリドゥに関する名前は多数存在し、その内のいくつかは、その名前が属する言語同様に現在では通用しなくなっている。ディジュリドゥは、Oenpelli地域では「Magu」、Darwinやその周辺部では「Kanbi」や「Kanbak」と呼ばれている。

ここで収録されているシンガーは、Gunwinggu、Gunbalang、Djatwan言語グループ(Track 1-6)の代表者であり、Yiwadja、そして60年代当時に、集合的にWagatjと呼ばれていたDaly Riverの南の小さな言語グループのいくつか(Track 7-13)の代表者である。

ダンス・ソングの事をGunwingguでは「Borg」もしくは「Gunborg」と呼ばれ、Daly River地方の言葉では「Wongga」もしくは「Wangga」というスペルで呼ばれている。

西アーネム・ランドのシンガーは父親や年長の男性親者から歌を引き継ぐ、もしくは夢の中で歌を「みつける」。夢の中で授かった歌は、亡くなったシンガーの精霊から夢の中で伝えられると信じられている。その歌の由来が何であれ、たいてい近辺の他の歌のスタイルと似通っている。

西アーネム・ランドのダンス・ソングの特徴は、比較的広い声の音域(だいたい7度、12度である場合でさえある)があり、その多くは似通った音階である。

西アーネム・ランドのシンガーは、自分の歌に合うように自分の伴奏に使うディジュリドゥの音程を好んで選ぶ。つまり、ディジュリドゥ奏者は手の届く範囲に一本以上の楽器を置いている必要がある。この地域のダンス・ソングはきまってディジュリドゥのドローンの音で始り、そしてシンガーは自分の歌のメロディをディジュリドゥのドローンに合わせる。

西アーネム・ランドのダンス・ソングのそれぞれの音の構成要素が演奏を始める順番は、通常まず最初にディジュリドゥ、そしてシンガーが打つスティックのビート、最後にシンガーの声の順である。歌の終わりには、スティックの音とダンサー達の掛け声、もしくは叫び声がシンクロする。

この音楽的地域の特徴は、見物人達がシンガーの打つスティックの音と同時に手拍子をうち、曲が終わる時に「Oi ! 」という叫び声を上げて曲に参加するということである。

西アーネム・ランドではメロディー・ラインや音調が部分部分に分れており、それぞれの部分はディジュリドゥのドローンと同じ音程である基本音に向かって下がっていくが、それぞれの部分の中で音調のヴァリエーションがあると思われる。

シンガーは自分が歌っている歌の意味をいつも理解しているというわけではなく、彼等が歌っている言葉の多くは、スラー(一つの音節を切れ目なく滑らかに下げていく歌唱法)のある音節のパターンのようである。しかしながら、このCDにはTrack 6aでGunbalangが歌っているサンプルがあり、その歌詞が書き写され、翻訳されて下記で紹介されている。

■ライナーの翻訳と解説
ABORIGINAL MUSIC FROM WESTERN ARNHEM LAND
Oenpelli 1962
1. Wild Onion corroboree2. Blue Tongue corroboree3. Didjeridu only by Djawida4. Indjalarrgu5. Gananggu speaks6(a). Gunbalang6(b). Didjeridu Solo Gubalang6(c). Bunbalang song words6(d). Maralngurra gives place names at Oenpelli
Oenpelli 1962
7. Djunggurin8. Djambidj
Darwin 1962
9. Gurula from Cape Don10. Two songs from Belyuen11(a). Song from Anson Bay & (b). Didjeirdu only by Alan Nama12. Brinken Fire song13. Buffalo songs
※曲名をクリックするとその曲の解説へ飛びます。

下記は24Pというかなりのページ数のブックレットに解説されている各曲解説の翻訳に加えて、「上記はライナーの翻訳」という文章ではじまる段落には、ディジュリドゥのサウンドを中心に、音の響きからくる聴感上の主観的な感想と各曲に特徴的な音楽的構造や楽器の特徴などのレビューが掲載されています。レビューの部分で書かれている内容はAlice M. Moyle博士が書かれたライナーとは全く関係がありません。ご了承下さい。

Oenpelli 1962
1. Excerpts from Wild Onion corroboree sung by Djimonggur and Nangmandualawogwog with Malaibuma(Didjeridu)
2. Excerpts from Blue Tongue corroboree sung by Yinmalagara and Nalbared with Djawida(Didjeridu)

最初の2トラックは、録音時に踊られた「Wild Onion」と「Blue Tongue(アオジタトカゲ)」の2つのオープンな、もしくは公開してもいいソング・シリーズからの抜粋である。「Wild Onion」ダンスは、野生の玉葱の旬の6月の時期に演奏された。果実は実り、木々の葉は落ちる。たくさんの短い動きの内の一つでは、ダンサー達が玉葱を掘り出し、Dilly Bag(採集したブッシュ・タッカーをいれるための手さげ袋)に入れている。この種の仕事はアボリジナルの女性の仕事である。この録音の中ではダンサー達は、叫び声や「Ss-w」という声を出したりしている。

「Mandane'(Wild Onion)」のシンガーは、Katherine付近のかなり南の地方出身のNim Djimonggur(1910年生まれ)とFred Nangmandualawogwogの二人のDjawan語を話す男性である。Nimは夢の中でこの歌を見い出したが、それ以前はどんな評判も聞かないシンガーだった。Nimは「Wild Oninon」の夢を見て歌を得たことによって、Oenpelliではソングマン、もしくは自分自身の歌を持つ男という意味の「Arabadba」になった。最後の歌の前に、長く伸ばしたコールがある。

ダンスやCorroboree(アボリジナルの歌と踊りを指す英語)の場所でアシスタント・シンガーとディジュリドゥ奏者が演奏している間中、Nimは「Wild Onion」もしくは「Cheeky Yam(和名 : ニガガシュウ / ヤマノイモ科)」を象徴する物を首からひもにつけてぶら下げていた。七面鳥の羽がついた彼のかぶり物は、ヤムの葉を意味している。

トラック2では、演奏の終結を先に指示する意味のある長く伸ばした声が、「Blue Tongue」ソングの最後の曲で丁度曲が終わる前にふたたび発せられている。ソング・シリーズの終結を確認するこの最後の音はOenpelliでは、「Manbadjan(MotherもしくはBig Oneという意味)」として知られている。シンガーのNalbered(1922年生まれ)とYinmalagaraが二つの別々のスピードでクラップスティックをたたいている。一人は2倍(8分音符)でもう一方が等倍(4分音符)でたたいている。

上記はライナーの翻訳。トラック1は'62年にOenpelliで録音された「Wild Oninon Corroboree」の6分弱に渡る抜粋で、ディジュリドゥはMalaibuma(当時24才)で、ピッチがCくらいと低いせいもあって多少聞き取りにくいのが残念だが、この地域独特のメロディ豊かな歌にダンサーのシャウトなどが入っていてコロボリーの雰囲気が伝わって来る録音。

トラック2も'62年にOenpelliで録音された「Blue Tongue Lizard Corroboree」からの抜粋で6分収録。トラック1よりアッパーな内容でテンポも早い。随所にダンサーの叫び声と「Shi, shi, shi」という声が聞かれ、その盛り上がりが伝わる。Djawida(当時19才)の高いピッチのディジュリドゥのサウンドは舌と喉で生まれる高音域の倍音を多く含み、19才という若さながら高いリズムの分割能力を感じさせる自由な演奏である。

3. Didjeridu only by Djawida
Gunwingguの人々はディジュリドゥを「Magu(Magawと発音する)」と呼ぶ。若いGunwingguのディジュリドゥ奏者Djawida(1943年生まれ)が演奏している「Didjeiru-dideru」という音のパターンは、この楽器がどうしてディジュリドゥという名前でより広く呼ばれるようになったのかを暗示している。

上記はライナーから。この地域特有の高音域の倍音成分を多く含み、かつ低音もアタックの強いドローン(持続低音)が特徴的な恐らくGUNBORGスタイルのディジュリドゥ奏者。舌が一番前に出ている時に生まれる低音のアタック音と同時に聞こえる高い倍音に注目したいすばらしいディジュリドゥ・ソロ。音量もでかい。

4. Indjalarrgu sung by Nambadambal and Nadjalbur with Wandjiwandi(didjeiridu)
Nambadambal(1940年生まれ)とNadjalburによって歌われている「Indjalarrgu(子供もしくは人魚の精霊)」の歌。この歌は南Goulburn島のMaung語のソングマンが夢の中で精霊から授かったものである。受胎と生の誕生に関して、この世に生を受ける前に霊の子供が存在するというアボリジナルの人々の信仰は広く知られている。

この二人のGunwinggu語を話す男性によるIndjalarrguの歌は、ディジュリドゥとクラップスティックの長いフレーズで終わるメロディックな部分に分けられている。歌詞または音節的な音はしばしばスラーし、翻訳できない言葉で歌われている。

上記はライナーの翻訳。62年Oenpelliにて録音。ディジュリドゥはWandi Wandi(当時19才)でCくらいのピッチの低いディジュリドゥによるディープだが、リズミックで、低音がしっかりときいた演奏。ブラナシの演奏に近い響きだが、喉で発生する振動とその時点でのプレッシャーのおしこみが比較的ソフトであるように感じられる。低い音のディジュリドゥのわりに、タイトなリズム・チェンジをフォローしており、後半では結構リズミックになっている。二人の男性シンガーによるゆったりとして叙情的でメロディックな歌声は、かなり間をあけて歌われるため、ディジュリドゥとクラップスティックのみの部分が比較的に多い。『THE LAND OF THE MORNING STAR -Songs from Arnhem Land』(LP 年代不明 : His Master's Voice)のトラック12にも同名の歌が収録されており、南Goulburn島のMaung語のソングマンによって作曲された歌とされている。

5. Gananggu speaks about songs and didjeridu accompaniments in English and Gunwinggu
Frank Ganangguが簡潔にいくつかの歌について英語で話し、ディジュリドゥの伴奏に関してGunwinggu語で話している。下記にGunwinggu語で話された内容の形式にとらわれない翻訳が書かれています。

    In the didjeridu accompaniment for Blue Tongue Lizard songs,
    the player says : didjeramo-rebo, didjeramo-rebo, etc.
    And there is another slower accompaniment in which he says....etc.

6.(a)Gunbalang sung by Bilinyarra with Lamilami(didjeridu)
「Gunbalang」と呼ばれる歌を作ったのは、Gunbalang語を話すBob Balirbalirだと言われており、この録音のシンガーBilinyarra(1920年生まれ)の兄弟である。このゴシップ・ソングでは、関係している男女の名前は言わずに、浮気について間接的に述べられている。下記の歌詞とその翻訳を参照して下さい。

Gunbalangというこの曲は、速い3連のリズムとブンブンと音をたてるディジュリドゥの伴奏により、抑圧された興奮という感情を伝えている。

伴奏楽器がヴォーカルなしで演奏している2番目の部分、4番目の部分、そして最後の部分で、かすかに聞き取れる短いブレイクがある。「リズミック・トリップ(リズムの短い移動?)」もしくは「強調されたリズムの変化」は注目すべき点であり、曲の最後に行われている。

傍で見ている人達は手拍子を打ち、最後に「Oi !」という声を上げている。

6.(b)Didjeridu accompaniment to Gubalang played by Lamilami
Gunbalangソングの伴奏用のディジュリドゥのリズムをMaung(Oenpelliの北にあるGoulburn島に住む人々)のディジュリドゥの名手Lamilami(1913年生まれ)が「Didjeramo-rebo」というリズム・パターンが基本となっているリズムを演奏している。

6.(c)Bunbalang song words spoken by Bilinyarra
シンガーBilinyarra自身がGunbalangソングの歌詞を語っている。RM BerndtとCH Berndtの共著『Sexual Behaviour in Western Arnhem Land』(1951,223)に載っている「Sweetheart Song」(No 29)の翻訳とBilinyarraが語った歌詞との間にはかなりの類似点がある。

    Gunbalanソングの歌詞1-2.
      gin-bari/badi/bali gali: gin-dabo:nj gin-dam
      you-get(?) that one you-get water you-out it down
      Give me water. Put it down here.(「bo:」はGunwinggu語で水)
    Gunbalanソングの歌詞3.
      ga-nuanj njagundu garme
      he-to lead (?) he-to carry
      Don't hold my arm we've got trouble already.
    Gunbalanソングの歌詞4.
      bi-nga'ngu bandan wuladud gada-walg gibinj
      he-belongs a fight long ago they-hunt he-?
      Listen (to) the trouble.
    Gunbalanソングの歌詞5.
      unda(or nguda) galmu gi-ljin binungu
      you ear he-eats his/for him
      You've got no ears(woman talking). You've got no shame in you.
    Gunbalanソングの歌詞6.
      ninda noga galmu barrilja
      there that one ear rock
    Gunbalanソングの歌詞7.
      unda(or nguda) gunlji gipun garrme
      you eat you hit he carries
    Gunbalanソングの歌詞8.
      mga-yen-og garrad wuladud ga-warinj ga-ngan-ngunga-
      I-hear-all mother long ago/before he-ill she makes me
      My mother is always growling at me and my ears are sore.
    Gunbalanソングの歌詞9.
      warinj ga-ngan galmu gal(or gali)
      ill it ear get
    (It hurts me ears.) I don't like my mother explaining to me all the time.
    Gunbalanソングの歌詞9.
      warinj ga-ngan galmu gal(or gali)
      ill it ear get
    (It hurts me ears.) I don't like my mother explaining to me all the time.
    Gunbalanソングの歌詞10.
      ngubagonj gi-ngan-ganj-wandalgbu-n
      you yourself you-me-skin-infringe, do wrong
      Girl said: You have made me wrong(you are wrong skin to me).
    Gunbalanソングの歌詞11.
      bolggime nga-njwarrmi bengeg nga-njwagwainj
      today I-ill (ref. privious time) I-not know/not understand
      Girl said: Today I am ill and lose my wind.
LO, JKH

6.(d)Maralngurra gives place names at Oenpelli
Gunwingguの男性Silas MaralngurraがOenpelliの最初の名前(Gunbalanya)を英語で話している。またこの地方の三つの丘の名前もここであげている。

上記はトラック6の(a)〜(d)の解説の翻訳。62年Oenpelliにて録音。6(b)のGoulburn島のLamilami(当時49才)によるFくらいのピッチのディジュリドゥによる伴奏とディジュリドゥ・ソロは、薄く声を入れている場所が個性的で、それによりメロディ感が生まれ、音楽的な響きを与えている。Lamilamiは当時の儀式におけるリーダーの一人で演奏も卓越している。『THE LAND OF THE MORNING STAR -Songs from Arnhem Land』(LP 年代不明 : His Master's Voice)のトラック10-14にもLamilamiとNungolominのダブル・シンガーによるGoulburn島の歌を5種類収録。

Oenpelli 1962
7. Djunggurin sung by Nabadayal with Malaibuma(didjeridu)
Oenpelliの南東の地域のGundangbon(Dangbon)語を話すシンガーLofty Nabadayal(1920年生まれ)は、この歌をBelyuen(Darwinの対岸のコミュニティ)にてWagati言語グループの男性から学んだ。Oenpelliでは「Djunggurin」と呼ばれ、Wagatiの人々には「WONGGA」として知られている。時にダンス・ミュージックの一部分に組み入れられるゆっくりと低く下がっていく声は、当時の西アーネム・ランドの「WONGGA」の特徴で、こういったダンス・ソングは、たいていキャンプでの音楽的娯楽か儀式の間のダンスのどちらかで聞かれた。

ディジュリドゥは、トラック1の「Wild Onion Corroboree」でディジュリドゥを演奏しているGunwinggu語を話すDavid Malaibuma(1938年生まれ)である。「Djunggurin Song」の彼の伴奏は、リズムの演奏スタイルやテンポにおいて軍隊のマーチで演奏されるドラムとは似つかない演奏です。

録音当時の演奏の間中、ダンサーの踊るステップはディジュリドゥとシンガーの打つスティックのリズム・パターンと同時で、「1-2-3-stop」という動きだった。大きなハンカチ(バランスのためと言われていた)を持ちながら、「Djunggurin Song」のダンサー達は一列になって行きつ戻りつして踊る。踊りの間に聞かれるうなるような叫び声とその他の儀礼的な受け答えは、よく知られた「WONGGA」の特徴である。それに加えて、突然リード・シンガーがスティックを打ち鳴らして挿入してくる「Quick-Tapping(すばやくスティックを打ちならす事)」という「WONGGA」の特徴は、彼の演奏が最後の曲に近付いているということを知らせるために行われる。

上記はライナーの翻訳。62年Oenpelliにて録音。ディジュリドゥはDavid Malaibuma(当時24才)でEくらいのピッチでバランスの良いサウンドで音量も大きめに録音されている。「BelyuenでWONGGAと呼ばれているダンス・ソングがOenpelliではDjunggurinと呼ばれている。」というこの事実から、離れた地域間でも互いに交流があるということがわかり、実際ディジュリドゥの演奏方法はこの二つの地域ではかなり酷似しているが、唇で生まれる低音の厚みやアタックの強さなどがGUNBORGと呼ばれるOenpelliのダンス・ソングの方が強い。『Contemporary Master Series 2 : WALAKA』(CD 2001 : YYF)のトラック17に収録されている「DJONGIRRI」(D********yのスペル・ミスと思われる)は、Goulburn島から吹く西風の歌で、同一の名称のようだ。曲の頭のディジュリドゥの音にフランジングがある。トラック1と同一人物による演奏だが、よりクリアーな録音でその卓越した演奏を聞くことができる。

8. Djambidj sung by Burralang with Bilinyarra(didjeridu)
Burralang(1939年生まれ)による「Djambidj(Morning Star : 夜明けに上がる金星)」と呼ばれる歌。この歌は、北オーストラリアのはるか東のBurera言語グループ(Blyth River周辺と思われる)のシンガー達によってOenpelliに持たらされ、同じ「Djambidj」という名前の葬式や人が亡くなった時に演奏される特別な儀式に属する歌である。ここで聞かれるゴーンゴーンと巨大な鐘を鳴らすかのようなディジュリドゥのゆっくりとしたサウンドとスティックを打つ速い規則的なビートは、北東アーネム・ランドの儀式の歌であることを暗示している。この「Djambidj」ソングは西アーネム・ランドの歌のサンプルの収集という点では場違いだが、この録音から、時に同じ地域内で異なった地域の音楽スタイルの歌が歌われるということが明らかになっている。

上記はライナーから。62年Oenpelliにて録音。ディジュリドゥはCくらいの低いピッチでゆったりしたリズムをBilinyarra(当時24才)がディープに演奏しているが、クラップスティックは早いテンポで演奏されている。2曲収録されており、2曲目の終盤ではトゥーツを合図にブレイクし、クラップスティックが4分(音符)を刻み、ディジュリドゥはよりリズミックな演奏になっている。また北東アーネム・ランドのディジュリドゥの演奏スタイルにかかせないトゥーツ(ホーン・サウンド)の音はこの地域では使用されないが、この曲では使われている。というのもライナーにもあるが、この「Djambidj」ソングはBlyth River周辺の中央アーネム・ランド北部で広く知られるソング・サイクルで、広大なアーネム・ランド内での人の行き来が積極的に行われているという事がわかる一曲である。『DJAMBIDJ -An Aboriginal Song Series from Northern Australia』(Cassette 1981 : AIATSIS)では、この神聖なソング・サイクルをまとめて聞くことができます。

Darwin 1962
Track 9-13

このCDに収録されている残りのトラックには、Darwinから約5kmに当時あったアボリジナル居住地Bagotでの録音が収録されています。その場所柄から、Bagotはアーネム・ランド内外からたくさんの放浪のグループの一時的な住処であった。Bagotで録音をした何人かのシンガーは、Darwin湾の対岸にある別の居住区BelyuenからDarwinにやってきていた。

9. Gurula from Cape Don by Yambitjbitj with Sam(Didjeridu)
トラック9に収録されている歌は、Bagotで「Gurula」という名前で知られるソング・シリーズに属する「海鳥と海」についての歌だと言われている。小家族がキャンプ・ファイヤーの周りに集まって録音された。シンガーBrian Yambitjbitj(1946年生まれ)は、Coburg半島のCape Don出身のYiwadja言語グループの年長の男性Ilarriの管理のもとで歌の練習をしているようだ。

「Gurula」ソング・シリーズはたいてい2対のスティックの伴奏をともない、一方のシンガーが2倍、もう一方が等倍の速度でスティックを打つ(「Blue Tongu」ソングと比較してみて下さい)。カチカチと鳴るスティックの入り組んだサウンドに比べて、二つのかなり近い音色を明らかに使った強調されたサウンド・パターン以外はディジュリドゥだけが割合自由に演奏している。

上記はライナーの翻訳。62年Darwin/Bagotにて録音。ディジュリドゥの演奏はSamで、多少聞き取りにくい録音だが、低音域での明確なグルーブと喉の開け閉めでできる倍音がすばらしい演奏。歌の伴奏部分ではかなり伴奏に徹した反復したリズムを繰り返し、曲中ディジュリドゥ・ソロのようになる部分があり、ディジュリドゥのみで曲が展開するあたりがクールな曲構成になっている。GUNBORG的なサウンド。

10. Two songs from Belyuen by Bobby Lane with John Scroggi(didjeridu)
トラック10では、Wagatj言語グループのソングマンBobby Lane(1940年生れ)によって2つのBeyuenコミュニティの歌が歌われており、それぞれの曲の最後にソングマン自身による歌詞が知らされている。その英訳は提供されていない。

上記はライナーの翻訳。62年Darwin/Beluyenにて録音。Kanbi(ディジュリドゥ)はJohn Scroggiで音量が大きく聞き取りやすい。偉大なるソングマンBobby Lane(Wagatj語)による最も古い録音の一つ。ディジュリドゥの演奏はこの地域特有のかなり高音域の倍音が前に出て来るWONGGAスタイルのすばらしい、また声を随所に薄く入れているのもその特徴の一つである。『RAK BADJALARR -Wangga Songs for North Peron Island by Bobby Lane』(CD 1962-2000 : AIATSIS)には、ソングマンBobby Laneのこのトラックを含む全ての録音が集められている。他には『Arnhem Land Popular Classics』(CD-R from LP 1961-62 : Wattle Ethnic Series)にも同じ地域のシンガーの歌がトラック3と14に収録されている。

11.(a)Song from Anson Bay by Bill Manji with Alan Nama(Didjeridu)
(b)Didjeirdu only by Alan Nama

トラック11aのBrinken Wagatj言語グループの若いシンガーBilly Manji(1934年生まれ)の突き刺すような声はAnson Bay地域で顕著な特徴である。「a、ey、i」の母音のサウンドと、繰り返し句として規則的に発せられる「di-di-di」のような分離したサウンドが発せられている。トラック11bでは、こういった種類の「WONGGA」スタイルの伴奏において練習を積んだディジュリドゥ奏者Alan Namaによって演奏されており、ディジュリドゥが一旦止まる部分が特徴的である。

上記はライナーの翻訳。62年Darwin/Belyuenにて録音。Billy Manji(Brinken-Wagatj語 / 当時28才)の歌。Kanbi(ディジュリドゥ)はソングマンBobby Laneの伴奏で知られるディジュリドゥ・マエストロAlan Nama(当時28才)。トラック11(b)にはAlan Namaによるディジュリドゥ・ソロが収録されており、高い技術に裏付けられた美しいドローン・サウンドを聞くことができる。また同じBelyuenの演奏者でもトラック10のJohn Scroggiが声を使った演奏スタイルであるのに比べて、Alan Namaは声を全く使っておらず、喉の開け閉めもダイナミックには行っていないように思われる。上記のCD『Rak Badjalarr』にも彼の演奏が収録されている。WANGGAのディジュリドゥ・ソロは非常に珍しい。

12. Brinken Fire song sung by Wuniya with Bultja
Peter Wuniya(1920年生まれ)が歌うBrinken言語グループの「WONGGA」で、ブッシュ・ファイヤーについて歌われている。歌詞は「彼等は火を見て、(水場へと)駆け出す」という意味。

上記はライナーの翻訳。62年Darwinにて録音。ディジュリドゥはBultjaによる演奏で、かなりの大音量で録音されており、聞きやすい。同じリズムをずーと繰り返すトランシーかつミニマルなWONGGAスタイルの曲。このディジュリドゥの演奏を聞いていると滑舌の悪さが逆にWANGGAスタイルのディジュリドゥの演奏には必要なのかもしれないと感じさせる。

13. Buffalo sung by
(a)boys from Belyuen with James(didjeridu player, twelve years)
(b)Muluk, 'Prince of Wales', Mudbul with Tommy(didjeridu)

バッファロー狩りについての「WONGGA」。トラック13aはBelyuen居住区の学校に通う少年達のグループによって歌われている。ディジュリドゥ奏者は当時12才のJamesで、Manda-Wagatj言語グループの歌の所有者であるJimmy Muluk(1925年生まれ)が少年達の歌を指導しており、トラック13bでは彼が大人の演奏を率いている。

上記はライナーの翻訳。'62年Darwin/Belyuenにて録音。トラック13(a)では、12才の少年Jamesのディジュリドゥの伴奏に、歌の所有者Jimmyが子供達と共に歌っている。はにかみながらおそるおそると歌っている子供の声とそれをやさしく導くようなJimmyの声がのんびりとした雰囲気をかもしだしている。

トラック13(b)では、上記の曲を大人達で演奏。クラップスティックの演奏がエモーショナルに歌とディジュリドゥにマッチングしており、曲に高揚感を与えている。メロディックで叙情的な名曲!!!特に、Tommyの吹く安定したハイプレッシャーなディジュリドゥの演奏は圧巻!このアルバムの中で最も秀逸な録音内容になっている。名曲!!

このWANGGAソングは西キンバリー地域のDarbyから約10km程のMowanjumコミュニティで録音された『BUSHFIRE-Traditional Aboriginal Music』(CD 1991: ARC)のトラック13にも収録されており、ディジュリドゥの演奏スタイルに地域差そして個人差があるため、同じ曲でも随分違った雰囲気で聞こえる。是非聞き比べて欲しい。