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DIDJERIDOO -The Australian Aboriginal Music
DIDJERIDOO -The Australian Aboriginal Music
NO PS 65167
Artist/Collecter Dr. Miroslav Prokopec(Recorder)
Media Type CD
Area TIWI、Port Keats、中央/北東アーネム・ランド
Recorded Year 1969年
Label PlayaSound
Total Time 44:40
Price 2,480 yen
Related Works
ABORIGINAL MUSIC FROM AUSTRALIA ABORIGINAL SOUND INSTRUMENTS ARNHEM LAND POPULAR CLASSICS ARNHEM LAND RAK BADJALARR -Wangga Songs for North Peron Island by Bobby Lane SONGS FROM THE NORTHERN TERRITORY 1
SONGS OF THE TIWI -Traditional Aboriginal Music of Australia TRADITIONAL ABORIGINAL MUSIC -Sounds from the Bush        
69年録音という事で音質はおせじにも良くないが、1曲目のPort KeatsのWANGGAのギラギラとした中高音の倍音が特に秀逸なフランス盤CD。

■オーストラリアとその最初の住人
■アーネム・ランド
■アボリジナルの音楽
■ソングマン
■アーネム・ランドの歌と踊りの神話的、象徴的意味
■音楽の種類
■録音の概要
■ライナーの翻訳と解説

Miroslav Prokopec博士による1969年のフィールド録音。珍しいDarwinの南西のPort KeatsのWANGGAスタイル、中央アーネム・ランド(明確な場所は不明)、北東アーネム・ランド(Ramingining付近と思われる)と幅広い録音内容になっている。音質は良くないが、珍しい地域の録音が多く、レアな内容である。

特に、1曲目のダーウィンでの録音と8曲目の北東アーネム・ランドの録音は録音状態、内容ともにすばらしい。1曲目に10分も収録されているダーウィンでの録音は、珍しいPort Keatsのシンガーの録音でWANGGAスタイルのすばらしい例である。5曲目にはBarungaコミュニティのWANGGAスタイルのソングマンAlan Maralungのナンバー1ディジュリドゥ奏者として知られるJack Chadumと思われる人物の歌が収録されている。

『Arnhem Land Popular Classics』(CD-R from LP 1961-62 : Wattle Ethnic Series)に北東アーネム・ランドとして収録されているトラック2と8に非常に似た中央アーネム・ランドのものと思われる録音をトラック5-8に収録しており、この地域の録音は非常に珍しく、このアルバムの中でも最も録音状態とディジュリドゥの音量が良い。

このCDの19ページのブックレットは、フランス語と英語の両方で書かれており、その内英語のページは7Pである。その内容は、オーストラリアの歴史やアーネムランドの説明、アボリジナルの楽器や歌などについての概要で、下記にその翻訳が掲載されています。

■オーストラリアとその最初の住人
オーストラリアは、大平洋とインド洋の間の南半球に位置する地球上最も小さい大陸であり、最も大きい島でもある。オーストラリアは、ヨーロッパ人にとっては初めてイギリス人のJames Cook船長によって1770年に発見された。その大きさはヨーロッパの3/4の大きさで、1,700万人の人口の内、約4万人がその最初のオーストラリアの住人の子孫で、約7万人が白人とのハーフである。植民地時代の最初の200年の間に、農耕と家畜の飼育が広がり、オーストラリアの最初の住人達は、荒れ果てた奥地へと追いやられ、彼等の人口は最初の1/10へと落ち込んでいったのである。

アボリジナルの人々は、氷河期の終わりに南東アジアから陸と海を渡ってやってきたオーストラロイドと呼ばれるタイプの狩猟民族の子孫である。その当時、アジアとオーストラリアの間にある島々は、つながっていたか、もしくは互いに近接していたかのどちらかである。氷河期の氷がとけて海の水位が上がり、のちに農耕と金属製造に精通するようになるオーストラリアより北の国の人々から、その狩猟民は切り離される。

このような最初のオーストラリアの住人達は、その環境のため、石、骨、そして木から作られた道具を使って狩りをし、食料を採集する狩猟採集民にとどまるようになった。彼等の新しい大地には、栽培すべき植物はなく、ディンゴ(おそらく彼等と共にこの地へやってきた半野生の犬)以外では家畜化するような動物はいなかった。彼等は、自分達の新しいホームランドの自然との調和の中に生き残る手段を見い出したのであった。

彼等は一見、乏しい物質的状況で実際歩いて旅をするという事実にもかかわらず、独特な文化、見事な神話、そして複雑な社会的血縁関係システムを築きあげた。社会的血縁関係を管理し、厳しい環境に生きる人々を助ける部族の全ての法律を知る年長の経験豊かな男達が、部族のリーダー的な一員である。少年期から壮年期にかけての変化には、部族の法、そしてさもなければ秘密のままになる複雑な神話への扉を開く試練とイニシエーション(通過儀礼)が関係している。歌と踊りの音楽は、アボリジナルの人々にとって日常と文化的生活の不可欠な要素である。「CORROBOREE」と呼ばれるものがキャンプで部族の祭の時とその他の時に演じられる。

    注:Corroboree : (a). オーストラリアのアボリジナルの人々の踊り。月明かり、もしくはキャンプファイヤーの中で夜に行われ、祭りもしくは戦闘的な性質のどちらかである。(b). そのような踊りの時に行われる歌もしくは詠唱

■アーネム・ランド
アーネム・ランドは、Van Demen湾から南東へはCarpentaria湾、そしてGroote Eylandtに広がる約95,900平方kmのノーザン・テリトリー州北東にある半島である。そこにはRoper川とVictoria川の間に位置する広大な熱帯の大地がある。アーネム・ランドという名前は現在では、1931年に元来そこに住むアボリジナルの人々に対するヨーロッパ人による好ましくない圧力を避けるために、その広大な半島の東の部分に設けられた約80,000平方kmのアボリジナル居留区という意味で主に使われている。1623年にオランダの探検家Jan Cartenszがその北東沿岸部を訪れ、彼がそこを離れる時にアーネムと名付けた。アーネム・ランドは、その他の全ての土地から追い出されたアボリジナルの人々の最後の避難所だった。

彼等は、伝道所の影響、軍隊の歩哨、そしてナマコを探して定期的に訪れていたMacassarの人々の存在以外は第二次世界大戦まで、基本的に外の影響から触れられることもなく過ごして来た。彼等は、Macassarの人々から金属製のナイフ、斧や先の尖った道具の使い方、そして丸木舟の作り方を習った。1942年に日本軍のDarwin爆撃の後、50万の兵士が北方の空港へ、DarwinからAlice SpringへとつづくStuart Highwayを建設し、多くのアボリジナルの人々が雇用労働者としてその建設を助けた。彼等はヨーロッパ人との接触の良い面と悪い面の両方を知ることとなり、それは伝統的な暮しを急速に衰退させる結果となったのである。彼等の多くがヨーロッパ人の持つ病気にかかり、多くの人が一つの所に集中したためにその伝染はより悪化した。患者には長期間の治療が必要で、子供の学校教育も継続的に行う必要があり、彼等の子供は移動学校に参加しはじめた。政府による住居がアボリジナル居住地へ建てられ、そこには住居の維持と建設のために必要な技術同様、農業生産と家畜飼育の基礎を学ぶために農学校と畜牛飼育牧場があった。数人のアボリジナルは、当時牧夫として畜牛飼育牧場で終身的な仕事を得ていた。

現在、アーネム・ランドの大半のアボリジナルの人々の生活様式は、彼等の最初の伝統的生活とヨーロッパ式の生活の間である。彼等の伝統はそれでもやはり、いまだ深く根付いている。

アーネム・ランドは、植生と地形そのものの特徴を変化させる幅広い季節的な湿度変化をともなった、暑く、未開な場所で、その中央部分は岩がゴツゴツとした地域である。岩の多い大地や、峡谷の丘の斜面における風化し、崩れた岩は、無数の裂け目、洞窟、そして岩棚をつくりあげる。それは時に滑らかな壁と水平の天井になっていることがある。そういったものの多くは、雨季や儀式の集会の時には隠れ家として使われる。ししばしば、人々、動物、そして神話上の神々の絵がその壁に描かれる。

■アボリジナルの楽器

アーネム・ランドの典型的な楽器と言えば、約150cmの長さで、白蟻が食べて穴の空いた長いユーカリの木の枝から作られる木製の管楽器「Didgeridoo」である。木の厚みは約1cmほどで、蜜鑞かユーカリのゴムの輪が、空洞の狭い方の端(直径5-7cm)に当てられ、空洞が広い方の端(直径10-15cm)は、演奏する時にはたいてい伸ばした足のつま先にのせる。演奏者の喉によって作り出されるサウンドを反響させなければいけないので、管にヒビがはいっていないという事が重要である。ディジュリドゥ奏者は、楽器を「Play(演奏)」するのではなく、「Draw(引く)」のであり、これは演奏者が息を吸う時のわずかな時間以外は、空気の流れが途絶えるとこなく振動するのできわめて現実的な表現である。ディジュリドゥのサウンドは、オルガンやハルモニアムの音に似た、ポリフォニー(多音)である。ディジュリドゥは儀礼においても重要な役割を果たしており、例えば雨乞いの儀礼や、創造母神の子宮を象徴している「Kunapipi」儀式など。

その他のアボリジナルの楽器は、Murinbatan(Maribata)語では「Manok」という名前で知られている、アイアン・ウッド(学名 : Erythrophleum chlorostachys)から作られる一対のクラップスティックである。それは水に浮かぶことがない非常に重い木である。二つのスティックの内の大きい方は、共鳴板で長さ約50cmで、紡錘形をなし中心部で7cm、両端は3cmほどである。打つ方のスティックは両端が丸く、長さ約30cmで3cmの厚みである。その金属のようなサウンドは、夜には何kmも先でも聞くことができ、その音は鉄床を打つハンマーの音に似ている。

■ソングマン

リード・シンガーはすばらしい声はもちろん、自分の父親、もしくは叔父との長い見習い期間を経た、幅広い音楽的教養がなくてはならない。時には一人のシンガーが自分の祖先のシンガー達の名前を20ほどもあげることがある。彼はそのような祖先の歌を引き継いだ伝承者であり、また自分が作曲した歌の所有者でもある。それらの歌を使いたいと願う人は誰でも、彼に支払わなければいけない、それは通常ある特定の恩恵に値いするものという意味である。そのようなソングマンは人気があり、彼が望むなら自分の芸術で生計をたてることができるのである。

キャンプでは、火が高く燃え立ち、歌が聞こえ、ダンサー達の足が砂ぼこりを巻き上げ、彼等の叫び声は夜のそよ風にのって運ばれる。ソングマンは自分のクラップスティックでメトロノームのようにリズムを伝える。もし他にシンガーがいれば、彼等も演奏に参加するが、常にそのソングマンが曲を終わらせる。民族学者のAlice Moyleがアボリジナルにどうやって作曲するのかを尋ねた時、歌が夢の中に舞い降りる、あるいは狩りに出ている時、もしくは牛とともにブッシュにいる時に作るのだと答えている。リード・ダンサーやディジュリドゥ奏者も同じ方法でインスピレーションを得ているのだろうと思われる。

 

■アーネム・ランドの歌と踊りの神話的、象徴的意味
秘密であると考えられている歌は、女性、子供、そしてイニシエーション(通過儀礼)を経ていない男性の前では歌われることはない。アボリジナルの人々は、儀礼的な歌はドリーミングから生じている、あるいは精霊からもたらされると信じている。神聖かつ神話的意味を含有するCorroboree(アボリジナルの歌と踊り)は、常に同じ構造である(例えば、Waranggan、Djarada、Molongoなど)。しかし、日常の出来事に基づくCorroboreeもあり、そういった歌はその時人気があるのだが、たいてい新しい作曲にとって代わられるか、忘れられてしまう。

アボリジナルの神話は、太陽、星々、月、山、峡谷、川、海、動物、そして地球上のその他あらゆるものの起源を説明している。アボリジナルの人々は文字を持たないので、そのストーリーは、ドリーミングの時代からの祖先について伝えられている歌と語りによって何世代にも渡って語り継がれて来た。彼等の歌は、膨大な量がある。つまり、よりすぐれたパワーと強さを持つが、それらはまるで人々のようで、人と同じような運命を持っていた。神話は複雑な儀礼において重要な役割を果たし、儀式の間中、ダンサー達は神話上の神々の役を演じる。神話とその象徴には密接な関係があり、ボディ・ペインティング、壁画、樹皮画、そして装飾品などで表現されている。物質主義的な観点から見れば、彼等の文化が非常に進んだものだと人は言わないかもしれないが、それでも彼等独自の観点においてはかなり難解で複雑なのである。

歌と儀式の秘密性は何が歌われているかという事よりもむしろ何が行われているかという事に関係している。しかし、Corroboreeの時に歌われるいくつかの歌には、イニシエーション(通過儀礼)を受けた者だけがわかる秘密の意味のある言葉が含まれている。民族学者Elkin教授は、「Kunapipi」の祝祭の伴奏で歌われる歌や、「Waranggan」という名で知られる彼が初めて見たCorroboreeに深い感銘を受けている。その創造母神「Kunapipi」は、自分の戦士達と女達を引き連れてMcArthur川付近からVictoria川とRoper川にそって旅をし、彼女の軌跡のあちこちに自分の子供の精霊達を残していった。それら彼女の子供達が、現在の部族の祖先になったのである。彼女にまつわる儀礼は、全ての生き物の繁栄を願うものであった。「Kunapipi」の儀礼が死者の魂のために行われれば、その儀式には母神の子宮にもどる儀式と死後の生命を手にいれる再生の儀式が含まれる。

■音楽の種類
WONGGAは、「aaa」、「laaa」、「naaa」という音節で構成されており、割礼の儀式や、あまり形式的ではない場合に歌われる。そのメロディーは、まるでその声が割れるかのような高い音程で始められ、低くなり、そして止まる。しばらくして、ディジュリドゥとクラップスティックの音が聞かれ、20秒程後に歌のメロディーが同じパターンに従って始る。

GUNBORGではある特定の言葉が使われる。物々交換や結婚の準備の時に、アーネム・ランドの南の地域で歌われる。

BUNGGALは理解可能な歌詞を使って、サイクルという形で、歌われる。この形式は、音楽が最も豊かな北東アーネム・ランドの典型である。西アーネム・ランドでは、4〜5つの言葉で構成される非常に短い歌が普及している。歌詞には秘密の意味合いへの鍵が含まれている。

GINBIRは典型的な中央アーネム・ランドのCorroboreeである。歌に使われるリズムは、その歌のトーテムの、もしくは神話的な内容によって異なる。もしダンサー達が参加すれば、より良い効果を作り出すために叫ぶことがある。

UHARNGURLMAKは、中央アーネム・ランドの秘密で神聖な歌である。その歌は高い音程で歌われ、「aaa」、「ga」、「la」という音節で始り、そして単調でむしろ演説的な形式で、長い歌詞が続く。最後の節は、「Kunapipi」儀礼におけるディジュリドゥの象徴的意味を暗示している「didgeri-bom」という言葉で終わっている。

■録音の概要
この録音は1969年にCzechoslovakのチームによるオーストラリアの科学調査の際に集められた。その目的は、Cat山の近くのBulman給水所の近隣にあるアーネム・ランドの中心にその領域があるRembarranga族に会うためであった。アボリジナルの人々と毎日を共に過ごす4ヶ月の間に、キャンプ・カラバリーに参加する機会、あるいは彼等と共にたき火のそばに座り、彼等が歌い、踊るのを見ることが何度かあった。

このCDのブックレットでは各曲解説は、曲によってその詳細はまちまちで、トラック1-3と5には解説があるが、それ以外には演奏者の名前や録音地域の情報も掲載されていない。ライナーに情報があるトラックに関しては、「下記はライナーの翻訳」という文章ではじまる段落から、それ以外は全てが、聴感上の音や楽曲の構造などについてのレビューが掲載されています。レビューの部分で書かれている内容はライナーとは全く関係がありません。また、レビュー部分でなされている言及は推測の域を超えるものではないという事をご了承下さい。

■ライナーの翻訳と解説
1.The Chant of the Port Keats Men2.Marigata Aborigine Language3.Chants of the Old Man from Bathurst Island4.Chants from Mainor5.Jack Chadum Sing with his Brother Ronnie Bamyili I 6.Music from Korobori7.Chants of the Rembaranka Tribe8.Chants of the Rittarunga Tribe
※曲名をクリックするとその曲の解説へ飛びます。

1.The Chant of the Port Keats Men
a). Kukumbara(Kookaburra)
b). Playing fish
c). Kangaroo
d). A Kangaroo Dance

ダーウィンの西20kmにあるHoward Springにて1969年に録音。ノーザン・テリトリーの州境の西海岸にあるPort Keatsの歌。Aloisis、Joe Ngunbuk、Henry Ngulavun、Stanley、Gregory Bunbawa、Felix Yum-Bunyi、Laurence Biellum、そしてAmbrose Alitjがディジュリドゥの演奏と歌を交代で行っていた。Alosisは演奏の後に、Murinbatan語(Port Keats沿岸部から内陸20kmまでの地域に住む人々の言語)で「Manok」と呼ばれるクラップスティックを私にくれた。彼等は音楽に合せて踊っていた。

「Kukumbara(ワライカワセミ)」は青い羽をし、まっすぐで大きなくちばしをした、灰茶色の鳥で、カワセミと同じ種族である。この鳥はヨーロッパでカッコーが大衆的であるのと同様に、オーストラリアでのそれがワライカワセミである。その典型的な鳴き声は、笑い声の轟きのようである(ワライカワセミの別名は「笑うロバ」)。Alosisがその歌を歌い、Henryがクラップスティックでリズムをたたき、Ambroseがディジュリドゥを演奏している。まず最初に聞こえるのはディジュリドゥの音で、その後シンガーが入り、最後にクラップスティックが時に2倍の速度で、断続的に演奏される。時折、歌はとまり、鼓動するかのようなディジュリドゥの音によるリズムが続く。ダンサー達はその音楽と踊りの間中、自由に叫ぶ。

「Playing Fish」ソング。最初以外は全てLaurenceが歌い、Gregoryの演奏するディジュリドゥが聞かれ、そしてクラップスティックが入り、最後にはLaurenceの歌声が聞かれる。

「カンガルー」は、狩人が最も好む獲物で、トーテムの動物である。Stanleyが歌い、Henryがディジュリドゥを演奏する時、ダンサー達はカンガルーの動きを模倣して踊る。

「カンガルー・ダンス」。StanleyとGregoryがクラップスティックを演奏しながら歌っている。Ambroseがディジュリドゥの伴奏をしている。少人数の男性グループが踊りを踊っている。

    上記はライナーの翻訳。
     (a). Kookabura(Didjeridu : Ambrose Alitj)
     (b). Playing Fish(Didjeridu : Gregory Bunbaka)
     (c). Kangaroo(Didjeridu : Henry Ngulavun)
     (d). Kangaroo Dance(Didjeridu : Ambrose Alitj)

の4曲を収録した10分程のトラック。歌とディジュリドゥの音量のバランスが良く、ディジュリドゥの音を聞き取りやすい。Darwinより南西部の録音だけあって、Belyuenコミュニティの音源『RAK BADJALARR』(CD 1959-2000 : AIATSIS)に近い、高いピッチのディジュリドゥによる倍音ギラギラのサウンドでホーンの音は入らないWANGGAスタイルらしいディジュリドゥの演奏になっている。WANGGAスタイルのディジュリドゥのドローンの特徴であるのびやかな倍音が気持ちいい。歌もこの地域のWANGGAは非常に洗練されており、メロディー豊かで、ディジュリドゥのサウンドとのマッチングが高い。歌と踊りのカラバリーの現地録音で、聴衆やダンサー達の掛け声や叫び声が入っていて、臨場感のある録音になっている。3曲目のHenry Ngulavunの演奏する「カンガルー」ソングのディジュリドゥの伴奏のみ演奏スタイルが多少異なっており、どちらかと言えば、GUNBORGよりの音である。残念ながら音が少し小さいが、喉を開いた凄まじいスピーディーな演奏で、歌のメロディーもDjoli Laiwangaの歌に似ている。

Port Keatsの録音は珍しく、『Arnhem Land Popular Classics』(CD-R from LP 1961-62 : Wattle Ethnic Series)のトラック5にもPort Keatsの録音が収録されている。このトラックだけでもこのCDを聞く価値はあるだろう。特に4曲目の歌のメロディーの美しさは、WANGGAソングの中でも最も秀逸な曲の一つだろう。

2. Marigata Aborigine Language
Port Keatsの男性Joshup Managan(Madigan)当時35歳は、すばらしい語り手である。ここでは、彼の言語でブッシュの中でカンガルーに出くわした事について話している。はっきりと発音し、話す速度を変え、大声で話したり、やさしく話したりして、そのカンガルーと出くわした出来事を生き生きと表現している。
上記はライナーの翻訳。ナレーションのみで演奏はない。

3. Chants of the Old Man from Bathurst Island
ダーウィン北部のBathurst島とMelville島(TIWI)からの老人達による歌。

上記はライナーの翻訳。ディジュリドゥなしの歌のみ。穏やかでゆったりした呪文をとなえるような歌いまわし。曲ごとに交代しての男性のみの独唱になっている。TIWIの音楽の録音は『Songs of the Tiwi』(EP 1978 : AAA)、『Songs from the Northern Territory 5』(CD 1962-63 : AIATSIS)のトラック7、『Traditional Aboriginal Music Sounds from Bush』(CD 1998 ARC)でも聞くことができる。Darwinの北80kmに位置するTIWIでは、独自の文化が育まれており、ここでは伝統的にディジュリドゥが演奏されることはない。

4. Chants from Mainor
ライナーは無く、ミュージシャンの詳細は不明。Mainorは中央南アーネム・ランドに位置するコミュニティでBulmanの近くである。クラップスティックと歌のみ。トラック3と似た雰囲気。後半は女性ボーカル。

5. Jack Chadum Sing with his Brother Ronnie Bamyili
Rembarrango族の人々Old Dick Murray、Judy Farrer、Jack Chadumと彼の兄弟Ronnie Bamyiliによる演奏。

上記はライナーの翻訳。複数のクラップスティックと男性ボーカルとディジュリドゥ。Rembarrangoクラン(正確にはRembarrnga語を話すクランと思われる)の歌。Rembarrnga語を話すクランは主にRoper River周辺地域、Maningridaとその周辺のアウトステーション(アボリジナル居住区から遠く離れた辺境にアボリジナルの人々が集まって作っている集落、主にその部族にとって重要な土地ホームランドにあることが多い)、Katherineなどに住んでいる。ここでソングマンとして紹介されているJack Chadumは『Bunggridj-bunggridj: Wangga Songs by Alan Maralung Northern Australia』(CD 1988/1993 : Smithonian Folkways)のライナーでは、BarungaコミュニティのWANGGAスタイルのソングマン「Alan Maralungのナンバー1ディジュリドゥ奏者」として紹介されている。

ディジュリドゥの音は少しこもりがちで聞き取りにくいが、中央アーネム・ランドのものと思われるこの録音は、ちょうど東と西のスタイルの間と思われるような長いトゥーツと東と西の間くらいの滑舌のドローンになっていて興味深い。『Bolkjam Bungul』(Cassette 1993 : Kakadu Studio)に近いディジュリドゥのサウンド。

6. Music from Korobori
ライナーは無く、ミュージシャンの詳細不明。女性のような高い声で歌う一人のソングマンに、非常にリラックスしたソフトで滑らかなディジュリドゥの伴奏が聞かれる。聴感上は女性の声のように聞こえるが、この地域では女性がディジュリドゥの伴奏を伴って歌を歌うことはない。Rembarrngaクランの人々の音楽と思われるが、ディジュリドゥの伴奏にはトゥーツが使われており、北東アーネム・ランドよりの演奏スタイルだが、ドローンのサウンドはGUNBORGとBUNGGULの間という印象を受ける。

前半は北東アーネム・ランドの「カンガルー」や「エミュー」の歌の伴奏で聞かれるようなディジュリドゥのリズムで、後半では低い音程の楽器に変えて「モーニング・スター」ソングに似た歌を演奏しており、音量も後半に従って大きくなる。

7. Chants of the Rembaranka Tribe
ライナー無し。ボーカルとクラップスティックにディジュリドゥ。トラック6からの引き続いての録音と思われ、「モーニング・スター」ソングに類似点が多い曲で、前半1/3くらいはスローなバージョンが演奏され、その後リズミックでトゥーツを多用したバージョンが演奏され、後半は再度低い音程のディジュリドゥに持ち変えて、スローなバージョンと早いバージョンを交互に演奏している。曲全体はテンポを変えた6拍子でそれぞれのバージョンが演奏されている。

トラック6同様中央アーネム・ランドのRembarunga族の演奏と思われ、ディジュリドゥの演奏にトゥーツが使われているものの、ドローンのサウンド的には北東ア−ネム・ランドのヨォルングと全く同じではなく、どこかGUNBORG的なものを感じる。後半に向かってよりヨォルング的な滑舌の良いタイトなドローンの演奏になっている。

8. Chants of the Rittarunga Tribe
ライナー無し。ボーカルとクラップスティックにディジュリドゥ。このRittarungaはDiakui族の3つのクランのYirritja半族のクランである。北東アーネムランドのヨォルング文化圏のエッジに位置するRaminginingの近くにあるArafura湿地の南部〜Goydar River周辺に住んでいるため、ディジュリドゥの演奏もヨォルングよりのスタイルになっている。

このトラックはF#くらいの高いピッチのディジュリドゥによるキレのある演奏で、トゥーツとの切り返しのスムーズさとドローンのキレ、スピードなど卓越した演奏能力を感じる。オープンリールで録音したのか、曲の途中で回転数が上がったり、下がったりしてるのかピッチの上下がある。