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ARNHEM LAND POPULAR CLASSICS
ARNHEM LAND POPULAR CLASSICS
NO WATTLE D-5
Artist/Collecter LaMont West(Recorder)
Media Type LP/CD-R form LP
Area 北東、北西、中央ア−ネム・ランド、ダーウィン周辺
Recorded Year 1961-2
Label Watthle Recordings
Total Time 52:45
Price 在庫なし
Related Works
BUNGGRIDGE-BUNGGRIDGE DIDJERIDU MASTER DAVID BLANASI TRIBUTE LES ABORIGENE MUSIC OF ABORIGINAL AUSTRALIA THE AUSTRALIAN ABORIGINAL HERITAGE
SONGS FROM BAMYILI World Music Gala Collection 100 世界民族音楽大集成 オセアニアの音楽II DIDJERIDOO -The Australian Aboriginal Music RAK BADJALARR SONGS FROM THE NORTHERN TERRITORY 1  
デビッド・ブラナシの最古の音源(3曲)を含む、西アーネム・ランドBeswick Creekで録音された激烈にすばらしい激レア・レコードを奇跡のオフィシャルCDーR化!

■ディジュリドゥの伴奏をともなったアボリジナルのダンス・ソング(アーネム・ランドの音楽概要)
■ライナーの翻訳と解説

現存する「最も古いデビッド・ブラナシの録音」を含む名盤中の名盤レコードがオフィシャルCD-Rで復活!!!アーネム・ランドの各地域の音源を収録しており、歴史的にも、音楽的にも非常に価値の高い内容です。マスト中のマストな1枚。 1961-62年にBeswick Creekで録音された、現在では非常に見つける事が難しい現存する状態のいいオリジナル盤のレコードからリマスタリングされたCDーRです。ディジュリドゥが全16曲中15曲しっかりした大きな音量で入っており、なおかつすばらしいメロディ豊かな歌を数多く聞くことができる。

GUNBORGスタイルのディジュリドゥ・マスターDavid Blanasiとその偉大なるソングマンDjoli Laiwangaの最古の録音に加え、『RAK BADJALARR』(CD 1959-2000 : AIATSIS)にも収録されている曲、『Bunggridj-bunggridj』(CD1988/1993 : Folkways)で知られるBeswickのWANGGAスタイルのソングマンAlan Maralungの演奏を含む!激レア音源のCDーRが当時のブックレット(表ジャケは違う)そのままに復刻しました。

特にアーネム・ランドの音楽カテゴリーに関する充実したブックレットの内容は興味深く、16Pのライナー・ノーツは猛烈にディープ。アーネム・ランドの音楽スタイルの比較は非常に濃厚で、Alice M. Moyle博士が行った東西アーネム・ランドに見られるAタイプとBタイプという分類で分けない、現在の主流ともいうべきWANGGA、GUNBORG、BUNGGULの3種類のカテゴリー分けは当時画期的な推察だったのではないだろうか。上記3種類で分類したア−ネム・ランドの地図もバックジャケットに掲載されています。

しかもアーネム・ランドの様々な地域のスタイルを収録しています!レコード針のプチっというノイズ箇所があるが、御愛嬌。トラック10ではブラナシがディジュリドゥのリズムを歌っているというかなり貴重な内容です(現存する録音で、ブラナシがマウス・ソングを歌っているのはこのアルバムのみ)。

録音年代、蒼々たる演奏者の顔ぶれ、ディジュリドゥの音量の大きさなどがすばらしいその内容といい、アボリジナル音源のバイブルとも言うべきAlice M. Moyle博士の『Songs from the Northern Territory』(5CD 1962-63 : AIATSIS)に匹敵するCDーRです。

下記はこのアルバムに収録されている音源を録音したLaMont West自身によって「ディジュリドゥの伴奏をともなったアボリジナルのダンス・ソング」という表題で書かれたアーネム・ランドの音楽概要の翻訳が長きに渡って紹介されています。非常に長い文章だが、わかりやすくそれでいて細部に渡って詳しく述べられている多数あるアーネム・ランドの音楽について述べられている文章の中でも優れた考察がなされている。是非一読していただきたい。

■ディジュリドゥの伴奏をともなったアボリジナルのダンス・ソング
Aboriginal Dance Songs with Didjeridu Accompaniment / Collected by L.M. West / 1961-62

アーネム・ランドは北部オーストラリアからArafura海に突き出た半島だが、そこでは3種類の主要なオープン・ソングの伝統的な音楽スタイルが育まれて来た。西のWONGGA-WALAGA、北東のBUNGGUL-MANIGAJ、北部中央のGUNBORG-BOROGである。南アーネム・ランドのBeswick Creekで、それぞれの伝統的演奏スタイルに精通したミュージシャンが出会い、全く異なる音楽スタイルを持つ南と南東地域からの訪問者達をふくめて、互いに音楽的観念を交換しあう。居住地に住む人々は、食べ物と煙草を保証され、音楽的テクニックに磨きをかけるのに一日に何時間も費やし、自分達の歌と踊りに対する愛情を満足させることができた。 ここに収録されている録音を聞くと、ミュージシャン達がダンサーなしで、プライベートな友人と親族のためだけに、のびのびと演奏しているのがわかる。そしてそれぞれの歌は、一つのソング・サイクルに属している何十、何百とある内の一つである。ひとつのソング・サイクルの中にあるそれぞれの曲は、歌詞やメロディ、リズムの構造、ダンスの演出、もしくはその全てにおいて異なっているのかもしれない。そしてそういった相違点は、「Mardag」ソングやトラック10の「Bungalin-Bungalin」ソング・サイクルのGUNBORGなどでは非常にわずかであるかもしれない。東アーネム・ランドでは1度として同じ演奏をしないのに対して、西アーネム・ランドでは、同じ歌を別の機会に演奏する場合、部分的に全く同じである傾向がある。

最後のトラック16の「A Mardag MARAJIN Chant」以外の全ての歌は、ダンス・ソングとして作られているのだが、実際ここに収録されている歌はどちらかと言えば、練習用、もしくは他のクランのミュージシャンに聞かせるためのエンターテイメントとして作曲されている。1961〜62年の間にボディ・ペイントをし、儀式用の正装した本格的なパブリック・ダンスのためにBeswickにいたが、5回の静かな「Neighborhood Dance」とソングマンとディジュリドゥ奏者による15回の演奏しか行われなかった。しかしながら、しばしば女性の数人のグループや、他の誰が参加しても関係なく少し踊っていた。

Elkin教授がTandandjal(Katherineの南東の洞窟)で1949年に録音した『Arnhem Land vol.1』(LP 1949/1957 : His Master's Voice)の完全なダンス・パフォーマンスと比べると、いくつかの重要な相違点が明らかになる。ダンサーがいて、躍動的に踊っている場合、ダンサーやそばで見ている人の掛け声や足踏みの音によって伝染してくる興奮した音色や熱が音楽の中に見られる。一方ダンサーがいないセッションの場合、シンガーとその伴奏者は技術的に完璧な演奏に集中するため、その雰囲気は穏やかでプロフェッショナルな空気が漂う。そうは言っても、この録音の「Da'i BUNGGUL」のような北東アーネム・ランドの二人の名手のジャム・セッションではイキイキとした演奏を聞くことがきる。

ここに収録されているアーティストは、みなセミプロのミュージシャンで、定期的に演奏活動をし、それに対してグループの他の人々からは食べ物や交換した物などでその活動をささえられている。音楽活動だけをしているミュージシャンは今はいないが、Jolly Lajwonga(Djoli Laiwanga), David Bylandji(David Blanasi), Gordon Gulambara, Billy Luganawi, そしてPaddy Fourdomなどの著名なアーティストは、プロのミュージシャンやダンサーとして活動している。Jollyはアシスタント・シンガー、ディジュリドゥ奏者、ダンサーのいるパフォーマンス・グループのリーダーで、平均2日に一度演奏をし、時には近隣の居住地や辺境へと物々交換とライバルのパフォーマンス・グループと演目を交換するための旅行をする契約を結んでいる。もう一人のBeswickのソングマンBarney Alan Mahralungも彼自身の一座をもっているが、Jollyの一座ほど活動的ではない。それぞれの一座は、その一座のリーダーの「Patrilineal Descent Group」(父方の血縁をたどる血縁関係のグループ : 父系血縁集団)に属する若者を中心にメンバーが集められる。

作曲と演出をするソングマンに率いられたダンス・グループの存在と、彼等のプロ気質というのがアーネム・ランド特有のもので、宗教的儀式に重きがおかれ、非宗教音楽はあまり念入りに作られないその他のオーストラリアのアボリジナルとのコントラストは際立っている。

西アーネム・ランドのWONGGAとGUNBORGは、音楽と踊りの両方において全てあらかじめ決まっている音楽スタイルである。ソングマンは夢の中で霊の力をかりて、もしくは自分だけで作曲し、ディジュリドゥの伴奏も詳細にわたって決める。「Big Song」の場合は、花形ダンサーとして自分の妻を、「Small Song」を演奏する場合は、自分の舞踏グループ、もしくはソロのダンスをともなう。公共の場での演奏の場合、リード・シンガーは全ての進行に対して責任があり、関連している全ての儀式でもリードするパートを歌う。 北東アーネム・ランドのBUNGGULは基本的な点でWONGGAやGUNBORGとは違っていて、歌詞はそれぞれの演奏の時々で変わり、シンガーもディジュリドゥ奏者もそのソング・サイクルにおけるそれぞれの歌に伝統的に関連しているリズム・パターン、セットになっているフレーズ、音節などの流動的なレパートリーの上で即興演奏している。歌の構造の中には、自在に曲を長くしたり、短くしたりすることを許すだけのしなやかさがある。歌とダンスは両方共、とても古い原点的なものから題材を得ており、西アーネム・ランドの作曲された歌に比べると変えることができないものとなっている。しかし、実際それぞれの演奏は何度となくアレンジし直されたジャムセッションであり、もしそれが本当の楽曲でなければ、演奏者側にその優先権がある。

公共の場でのダンスにおいては、優れたミュージシャンはすばらしい演奏をするというよりも、むしろ次に何が起こるかを予想できるようにする傾向があり、全体的な創作とそれに関連した儀式の管理は、たいていリード・シンガーよりもリード・ダンサーの手にゆだねられている。

こういった西と東の違いは、それぞれのミュージシャンの技量に対して、聴衆が感じ取る評価にわかりやすく反映している。西のシンガーとディジュリドゥ奏者は、強く、突き刺すような音色、正確に曲を記憶していること、そしてスムーズな転調といった点をほめそやかされ、東のシンガーとディジュリドゥ奏者は、詩的な感覚、シンガーとディジュリドゥ奏者両方にある全体的な音楽的センス、干渉性の高いリズム構造などがほめたたえられている。どちらの地域でもクィーンズランド州にみられる歌の特徴である重く、か細い、声門で発せられる声の音質とGroote Eylandtだけでみられる震えさせた声はあまり評価されていない。西と東両方のアーネム・ランドの人々は通常クリアーで少し喉をしめた力をこめた声で歌う。ある耳の肥えたリスナーは西の歌の名手に対しては「彼はいい喉だ」と評し、東の歌の名手に対しては「彼はいい頭だ」と評価している。

ディジュリドゥはいわゆる管楽器につきものの指でおさえる穴は無く、白蟻があけた空洞のある木の枝を適度な長さにして作られる。クラック(ひび割れ)がおこると空気がもれてしまい、演奏するのが難しくなるため、日影や水中、濡れた泥の中にいれて保管されている。演奏する前や途中で、ディジュリドゥの空洞にしばしば水を流し、完全に水に濡らす事で、空気を密封し、その楽器がもつ最大のレゾナンスを得ることができる。アーネム・ランドの音楽は一度に一本のディジュリドゥの伴奏をともなうように作曲されており、シンガーの声域と好みの音色に合わせて基本音がその長さによって決定されている。

アーネム・ランドの宗教的音楽の多くは、シークレットで人前、もしくは成人の儀式を受けていない者に聞こえる所では演奏されないようだ。トラック13に収録されている東アーネム・ランドの「Mardag」ソング・サイクルのMARAJIN(Dhuwa半族)セレモニーはその例外で、同じクランもしくは近隣の父方の血族のグループの年寄り達のグループによってアボリジナル居住区のはずれで演奏された。その時のムードは厳粛で神聖であり、4人のシンガー達はそれぞれクラッスティックを打ちながら、それぞれ自分だけの言葉とメロディで歌い、自分のタイミングで歌うのをやめている。その結果、複雑でしばしば多次元的かつ偶発的なポリフォニーを生じることがあるが、意図的に対位法的な構造やハーモニーをつくり出そうという明らかな試みは全くない。また、Dhuwa半族の演奏者の身近な近親Yirritja半族の歌を同時に歌う事でより偶発的な複雑さがあるのかもしれない。「Mardag」ソングは決して「Marajin」ダンスを伴わない歌である。

ライナーの最後に載っている地図を見ると、Groote Eylandtはその土地独自のスタイルを持つのだが、北東アーネム・ランドのBUNGGULスタイルに含まれ、Melville島とBathurst島は北部中央アーネム・ランドのGUNBORGに分類されている。両方の地域において、島とその対岸の内陸部の伝統的な音楽的つながりは、非宗教音楽ではあまり見られず、保守的で内部的な宗教音楽においてよりはっきりとそのつながりがある。GUNBORGにおいては、人気のある北のGUNBORGがその構成要素の一つのソング・サイクル「Malwa」の名前でBorrollolaやBarkly高原地域(東アーネム・ランドの南部よりもさらに南の地域)にまで侵入しているという点が非常に興味深い。しかもそのGUNBORGは、BorrollolaやBarkly高原地域において、そのホーム・エリアではめったにありえないのだが、儀式的な重要性を持つまでに高められている。これは現在オーストラリアの音楽地図上で起こっている無数の変化の内の一つであり、そういった事実がアボリジナルの音楽がいまだ力強く「生きた伝統」だということを劇的に証明している。このようなアボリジナルの力強いインパクトがヨーロッパ人が持ち込んだ現代のオーストラリアの音楽とダンスの中にも感じられる日がくることを期待したい。

下記にはライナーの翻訳の後に、ディジュリドゥの演奏が収録されているトラックを中心に単なる聴感上での筆者の所見が加えられています。「上記はライナーの翻訳」という文章ではじまる段落には、音の響きから感じた聴感上の主観的な感想と、各曲に特徴的な音楽的構造や、楽器の特徴などのレビューが掲載されています。レビューの部分で書かれている内容はライナーとは全く関係がありません。また、レビュー部分でなされている言及は推測の域を超えるものではないという事をご了承下さい。

■ライナーの翻訳と解説
※曲名をクリックするとその曲の解説へ飛びます。
1. A Bungalin-Bungalin GUNBORG2. Three Da'i BUNGGULS3. A Darwin WONGGA4. A Bunggridj-Bunggridji WONGGA5. A Port Keats WONGGA6. A Malwa GUNBORG7. A Goulburn Island GURULA8. Two Da'i BUNGGULS9.Two Da'i BUNGGULS10. Two Bungalin-Bungalin GUNBORG11. Ngarnahru GUNBORG12. A Malwa GUNBORG13. Two WONGGA Drone Patterns14. Darwin WONGGA15. A Bunggridj-Bunggridj WONGGA16. A Mardag MARAJIN chant

1. A Bungalin-Bungalin GUNBORG
「Niida Malarainmanda」というタイトルをつけられた中央アーネム・ランドのGUNBORGスタイルの「Big Dance」ソングの「Bungalin-Bungalin」ソング・サイクルの歌で、Joli Laiwanga(当時36歳 / DalabonとGunej語グループ)によって作曲され、彼自身がたき木の棒をたたいて歌われている。この「たき木のクラップスティック」は、録音レベルのアンバランスを避けるために、普通かん高く鳴る磨かれた硬い木が使われるのだが、その代わりにここで使われている。この点だけが伝統的な演奏とは違う点である。

David "Pa:m Peanut" Bylanadii(当時31歳 / GunejとMajeli語グループ)は、薄い厚みの木製の楽器をクラックを避けるためにビニールテープで巻いディジュリドゥを「引いて(演奏して)」いた。この時演奏に使われたディジュリドゥはデビッド個人のもので、109cmの長さで5cmのマウスピースをワックスで3.8cmにしており、通常のものより少し短いが、非常にレゾナンスがすばらしい。彼のようなディジュリドゥの演奏スタイルはRoper Mission地域ではGUNBORGと呼ばれ、ManingridaのGidjingaliクランのシンガーMurlumbukによると「Di'ama」と呼ばれている。Beswickではこれに伴うダンスはWONGGAスタイルだが、Roper Mission、Oenpelli、Maningridaでは、それにふさわしいオールド・スタイルのGUNBORGのダンスが踊られる(Marie Reay博士、Alice Moyle博士、Les Hiatt博士の研究データの比較から)。その歌詞は全く意味の無い音節、あるいは「Devil Talk」からなる。亡くなったミュージシャンの霊によってメロディー、ドローン・パターンそしてダンスの振り付けを夢の中で作曲者であるソングマンに教えられる。このソング・サイクルの他の歌は同じアーティストによってトラック10で演奏されている。

上記はライナーの翻訳。中央ア−ネム・ランドを代表するディジュリドゥの名手のデビッド・ブラナシのディジュリドゥの切れ味は、この当時の方が『Didjeridu Master』(CD 1998 : Big Ban)よりはるかに良いが、ドローンの低音部分で押していくというよりは、全体の倍音がバランス良くなっているという感じ。曲の構成がしっかりしていて、ブラナシが完全にバッキング的に同じフレーズを繰り返す小節と自由に演奏している小節があり、感覚的にソングマンの歌っている状態(言葉数の量やのばしている所など)にできるだけユニゾンするかのように、寄り添って演奏しているのがわかる。高い演奏能力もさることながら、即興演奏的部分が比較的少ないGUNBORGスタイルの中で、自由に演奏する音楽的センスに光るものを感じさせる。ブレイク部分のキメはDjoli Laiwangaの曲らしい複雑な構成。「Pa:m Peanut」 というあだ名と本来は「Bylanadii」という名字だったというのがわかるだけでもスゴイ。

2. Three Da'i BUNGGULS
北東アーネム・ランドの「Da'i」もしくは「Idjdjuwa」ソングサイクルのBUNGGUL。(a)と(b)は「Wana Gana. Wana Gana Godja Jududa」を2回繰り替えし、(c)と(d)は「Da Da Da. Jiri Ganangga Daj-banjdji」を2回繰り替えし、(e)では「Bj Boj Ba」を一度繰り替えしている。

ソングマンBilly Luganawi(36歳 / WylaggyとRembarnnga語)が、自らたき木の棒を胸の高さに持って歌っている。Paddy Wanjburwanga Fourdom(25歳 / Rembarnnga語)は、わずかに円錐形で、中の空洞が狭く、厚みがある150cm程の長さの新しく作られたディジュリドゥを使用している。マウスピースにはビーズワックスがついている。彼はディジュリドゥの伴奏の終わった後に、最後のフレーズを少しBillyとデュエットして歌っている。ManingridaではこのBUNGGULスタイルは「MANIGAJ」と呼ばれている(L. Hiatt教授)。

これはArnhem Bayの南(Ramingining周辺部)の父系血縁グループに特有なYirritja半族のソング・サイクルで、歌詞とダンスはこれらのグループのトーテムの知識に関するテーマを共有している。ソングマンBillyはこの歌をGoyder River地域からBeswickやMainoruコミュニティへやってきたRidjarnnguクラン(おそらくDiakui語を話すYirritja半族のRitarnguクランの別スペル)の訪問者から学んだ。歌詞はいくつかの北東アーネム・ランドの最近の言葉と古代の言葉のミックスである。同じアーティストによる他の歌はトラック8と9にも収録されている。

上記はライナーの翻訳。現在は歯がなくなって演奏することができないが、ペインターとして活躍するPaddy Fourdomの貴重なディジュリドゥの録音。力強く歯切れの良いリズミックな演奏。北東アーネム・ランドとあるが、実際はRaminginingの南部のため、ヨォルング文化圏と中央アーネム・ランドの文化圏のミックスで、どちらかといえば中央アーネム・ランドよりのスタイルと思われる。イントロ部分の舌と息を使った16分(音符)のリズムが印象的。 『DIDJERIDOO The Australian Aboriginal Music』(CD 1969/1996 : PlayaSound)のトラック8に同じRittarungaクランの録音が登録されており、よりヨォルングに近い演奏スタイルでディジュリドゥが演奏されているので聞き比べてみるとその微妙な差がわかるかもしれない。

3. A Darwin WONGGA
北西アーネム・ランドのWONGGAスタイルの「A: Rdanganjej Rangandaj」という歌。ソングマンLawrence Owpan(45歳 / BringgenとWogadj語)は、自分のクラップスティックをリラックスして手にもって演奏している。Lawrenceはまず最初に記憶しているディジュリドゥのドローン・パターンを歌い、ディジュリドゥ奏者のDickに自分の歌の伴奏に必要なリズムを指し示し、彼はその歌を2回歌っている。Dick Linjirbanji(28歳/GunejとJibidji語)は、109cmの長さのデビッド・ブラナシのディジュリドゥを借りて演奏している。数人の若者が側に立ってクラップスティックに合せて手拍子しているが、歌には加わっていない。 ソングマンのLawrenceは歌と歌詞をDelissaville(現在のBelyuen:Darwinの対岸のコミュニティ)のWogadj語(現在ではWogaitと表記されるDaly Riverの河口、Anson Bay周辺を中心とする言葉)を話すDarky Wanggygyに捧げている。歌詞は現代のWogadj語で、繰り返される短い音節に満たされ、偶然おこったある出来事を意識的に追悼している。「南西アーネム・ランドでは同様の音楽とダンスをWALAGAと呼び、OenpelliではDJUNGGARINと呼んでいる(Alice Moyle博士)」。同じアーティストの他の曲は、トラック14でも聞くことができる。

上記はライナーの翻訳。ディジュリドゥのサウンドはWANGGAタイプで、ソングマンによるマウス・サウンド(ディジュリドゥの舌の動きを表現した歌)からスタートしている。『RAK BADJALARR』(CD 1959-2000 : AIATSIS)にもこの同じメンバーによる曲が2曲収録してある。ディジュリドゥ奏者Dickは、ブラナシのディジュリドゥを借りて演奏しており、同じ楽器であってもGUNBORGとWONGGAというスタイルの差によって随分音が違うことを聞き比べて欲しい。ブラナシに比べてより高音域の倍音が強調的に演奏されている。

4. A Bunggridj-Bunggridji WONGGA
中央アーネム・ランドのWONGGA。Bunggridj-Bunggridjソング・サイクルの「A: Njaran ja- jaga-njaja」という歌。ソングマンBarney Alan Mahralung(36歳 / DjawanjとDalabon語)は、硬い木で作られた高い音でなるクラップスティックをリラックスして手に持ち、力強く演奏しながら、彼が夢見の中で作曲し、夢で得た意味のない歌詞の歌を歌っている。ディジュリドゥはOscar Ngunjinji(30歳 / DjawanjとMajeli語)で、5cmの木のマウスピースをジョイントし、ボトムが13cmほどのフレアになっていて、厚みが薄く、よく反響するディジュリドゥを使用しており、これはソングマンBarney個人の私物で、このソング・サイクルの演奏の時だけ使われる。歌、歌詞、ディジュリドゥのドローン・パターン、ダンス、そして白蟻が幹を食べたパンダナスの木(ここで使用されている楽器はこの木から作られた)の場所、これら全ては、すでに亡くなっている音楽の助言者が夢に現れてBarneyに教えてくれたのだと彼は主張している。

実際は、踊りの振り付けは舞踏一座の協力を得てBarneyのリード・ダンサーによって伝統に従って行われる。演奏の最後の辺りでは、ディジュリドゥの伴奏の音量が明らかに大きくなったり、小さくなったりしている。これは、座っているディジュリドゥ奏者が、自分の左手前腕にのせたディジュリドゥを支える曲げた左膝を左右にリズミックに振り、ディジュリドゥの一番端のベルの部分をマイクの前で振っているために起っている。これは西アーネム・ランドのディジュリドゥ奏者が好む姿勢で、これは横にねじることで窮屈になっている背中の筋肉をほぐすために行っている。立った姿勢では、左肘は左の尻前の位置をおすように支えられ、それは左手でディジュリドゥをささえている時に、前椀を左右に振る事ができるようにするためである。同じ演奏者によるこのソング・サイクルの別の歌がトラック15に収録されている。

上記はライナーの翻訳。『Bunggridj-bunggridj:Wanga Songs by alan Maralung』(CD1988-93 : Folkways)と同じソングマンAlan Maralungの歌。彼は解説部分で紹介されていたように、当時Beswickコミュニティの偉大なソングマンDjoli Laiwangaと双璧をなすソングマンだった。Oscar Ngunjinjiが演奏しているディジュリドゥのサウンドはディープで音量が大きく、その素材がパンダナスの木という点が非常に珍しい!Barneyの曲を集めた前述のCDよりもこの録音の方がディジュリドゥの音量もでかく、録音内容がすばらしい。喉の使い方と声の入れ方がミニマルで他にあまり類をみないWANGGAスタイルのリズムを淡々と演奏している。

5. A Port Keats WONGGA
ソングマンGordon Gulambara(31歳 / Djawanj語)は、たき木の棒を手にもち、「Mamungg Nawodaji. Mamungg Wind-jani」というタイトルの西アーネム・ランドのWONGGAスタイルの歌を歌っている。ディジュリドゥはHenry Roper(22歳 / NgalaganとMara語)で、湾曲し、息がもれやすく、重くつまった、厚みがあり、わずかに円錐形になっていて、112cm程の長さで、マウスピースにビーズ・ワックスがついた、全体的にあまりよくないディジュリドゥを使用している。というのも、ソングマンの声に合う唯一のディジュリドゥだったからで、空気もれをしているようだったので、頻繁に水を注いでそれを防ぐ必要があった。ソングマンのGordonはこの曲を最近亡くなった父親から習い、その父親はいまだ存命の作曲者Mick Ronnie(当時60歳 / Bringgen語)に習ったらしい。歌詞は、現代の言葉とGordonが都合上曲の最後に繰り返して歌っている短い単なる音のフレーズのコンビネーションで、トラックの最後にはGordonとHenryの二人が、WONGGAスタイルのディジュリドゥのリズムを歌っている。トラック13ではGordonがWONGGAスタイルのディジュリドゥ・ソロを演奏している。

上記はライナーの翻訳。Port Keatsはキンバリー地方とDarwinの間、Darwinの南西の北部沿岸部に位置する。WANGGAスタイルのディジュリドゥの演奏としてはかなりパワフルな演奏で、舌がカールバックした時に常にリズミックに声を入れていることで、はねたようなリズムになっていてスピード感を感じさせる。曲の最後でソングマンとディジュリドゥ奏者の二人がディジュリドゥのリズムを歌っており、それを聞くと聴感上は「Lidoro-tere Lidoro-」のように聞こえる。その「Tere(もしくはKere)」といったサウンドの時に声を少し入れているようだ。ディジュリドゥ奏者のマウス・サウンドにかなりの倍音成分がふくまれている点も興味深い。Port Keatsのプレーヤーの録音は非常に少なく、この他には『Didjeridu-The Australian Aboriginal Music』(CD 1969/1996 : PlayaSound)のトラック1でもこの地域のすばらしい演奏を聞くことができる。

6. A Malwa GUNBORG
北中央アーネム・ランドのGUNBORG。Malwaソング・サイクルの「Randimala Jama Jama」という曲。ソングマンはTommy Wugi-Wugi(38歳 / Majeli語)、Copper Marnbudji(46歳 / Dalabon語)、そしてMimwohring Namarndul(38歳 / Majeli語)の3人。Henry Djurum(27歳 / Dalabon語)が118cmのディジュリドゥを演奏し、数人の男達が静かにそばに座り、それぞれ太ももを手の平をコの字にしてクラップスティックに合せてたたいている。 伝えられるところによると、Oenpelliの老人Balir-Balirが夢見の中で得た曲とされているが、この曲の語幹(言葉の変化しない部分)のプロトタイプはGoulburn島からきているという証拠がある。この曲はGoulburn島、Oenpelli、Maningrida、Roper Mission、Rose River Mission、Borroloola、そしてBarkly高原で知られ歌われているが、Maningridaでは単にBOROGという名前のソング・スタイルの一般的なスタイルとして知られ、Borroloolaでは他のGUNBORGスタイルのバラエティの一つの「MALWA」という名前のソング・サイクルとして知られている。これら全ての地域とBeswickでは、MALWAは「OLD GUNBORG」スタイルで正確に踊られる。同じアーティストによるこのソング・サイクルの別の歌がトラック11に収録している。

上記はライナーの翻訳。かなりディープでリズムはゆったりしてる。『Didjeridu Master』(CD 1998 : Big Ban)の頃のブラナシに近い感じのサウンドだが、ブラナシ程自由に即興演奏はしておらず、曲をしっかりとフォローしているわかりやすい演奏である。ライナーでは北中央アーネム・ランドのGUNBORGとされているが、演奏者の言語がDalabon語(Blyth RiverとRose Riverの中間程の地域)とMajeli語(Borroloolaよりかなり南部のQueens Land州)なので南東アーネム・ランドもしくはBarkly高原内ということになるようだが不明。GUNBORGスタイルが広く演奏されていることの証明でもある。

7. A Goulburn Island GURULA
GURULAソング・サイクルの「Ranja-nja:ranja」というGoulburn島のGUNBORGのような曲。ソングマンJack Gala-Gala(32歳 / Rembarnga, Gunej, とJibidji語)は、たき木の棒を手に意味のない言葉で歌っている。David Bylandadji(31歳)はマウスピース付近を右手の人さし指でクラップスティックに合せてはじきながら、自分自身の109cmのディジュリドゥを演奏している。数人の若者が一緒に手拍子をしているが、歌には参加していない。最初にソングマンのJackは自分が記憶しているディジュリドゥの伴奏用のリズムをブラナシに伝え、終盤の演奏では通常GURULAソング・サイクルはゆったりしたリズム・パターンで演奏されるのだが、「Bungalin-Bungalin」ソングサイクルの「Small Dance」ソングの伴奏で使われるような、より複雑なリズム・パターンになっている。BeswickのGURULAソング・サイクルのダンスは、MalwaなどのOLD GUNBORGとは違ってWONGGAの特徴にかなり似た踊りが踊られる。Jackが最後に言った「Bonj!」は「Well-done(よくやった)!」という意味。

上記はライナーの翻訳。さえわたるブラナシの演奏。ガンガンに吹いているというより、リラックスした感じ。曲の展開はかなり複雑で、自由に即興演奏をしているのがよくわかる。中央アーネム・ランドの北部に浮かぶ島Goulburn島の歌は非常にメロディックなのが特徴的で、現存する録音が少なく、他には民族学者Ronard M. Berndtによって収集された多数の曲を収録しているカセット『Songs of Aboriginal Australia』(Cassette 1961-64/1988 : AIATSIS)と貴重なLazarus Lamilamiの録音が収録されているLP『THE LAND OF THE MORNING STAR Songs and Music of Arnhem Land』(LP 年代不明 : His Master's Voice)と2LP『AUSTRALIAN ABORIGINAL HERITAGE』(2LP 1973 : Australian Society for Education Trough the Arts)などがある。アーネム・ランドの南西部にあるBamyiliに住むディジュリドゥ・マスターのデビッド・ブラナシがはるか北のGoulburn島の歌の伴奏をしているという点が非常に興味深いが、ソングマンが実際にGoulburn島出身かどうかはライナーからは不明。

8. Two Da'i BUNGGULS
北東アーネム・ランドの「Da'i」もしくは「Idjdjuwa」ソングサイクルのBUNGGUL。(a)では「Gana-wara...Ngababa」をブレイクなしで繰り替えし、(b)では「Rdabo Rdabo; Rdabo Rdabo Rdabo Rdabo.」という題をつけられている。ソングマンBilly Luganawi(36歳)/ディジュリドゥPaddy Fourdom(25歳)。2曲目の歌は伝えられる所によると子供のお遊戯のために演奏される。この歌は小鳥の歌で、草むらに人が足を踏み入れると小鳥が飛び上がって、人を驚かせ、近くの木にとまって尾をふって人をほほえませるという内容になっている。

上記はライナーの翻訳。カットアップしたようなPaddy Fourdamのディジュリドゥの演奏が変わっている。通常どんなにリズミックに演奏してもドローン部分はつながって聞こえるように演奏するが、ここでの演奏ではかなりこまぎれにして演奏されているパートがある。非常にリズミックで、他ではあまり聞くことができないディジュリドゥのサウンドである。トラック2と9も同じ人物による演奏。

9.Two Da'i BUNGGULS
北東アーネム・ランドの「Da'i」もしくは「Idjdjuwa」ソングサイクルのBUNGGUL。(a)では「Ja: Nguri」を2回繰り替えし、(b)では「Ja: Jubu-dudida」という題をつけられている。2曲目、8曲目と同じ人物による演奏。

10. Two Bungalin-Bungalin GUNBORG
「Bungalin-Bungalin」ソング・サイクルの「Malanbalanj Bagama」(small song)と「Njida Langara Langara Ma」(big song)の2曲の中央アーネム・ランドのGUNBORGを収録。ディジュリドゥ・マスターDavid Bylanadii(当時31歳)とJoli Laiwanga(当時36歳)による演奏。1曲目が終わった後にブラナシが演奏したリズムのマウス・ソングが入っている。2曲目の終わりにはディジュリドゥと共に歌った同じ歌をジョリー自身がクラップスティックをたたきながら歌っている。

上記はライナーの翻訳。1曲目は同じテンポだが、通常部分が「Lidorodo- Lebo- Lido-」といった4/4で進み、ブレイク部分のみ基本を3/4にして9小節をかなり複雑なリズム割りをしており(リズムの割り:3+4+5+5+4+4+2 )、しかもクラップスティックは別の割りで進んでいる。クラップスティックの割りをフォローしており、これは完全にキメだとしてもむちゃくちゃに難しい。往年のブラナシの演奏と比較すると曲のフォロー感が格段に良い。またブラナシが口でディジュリドゥのリズムを歌っている珍しい音源でもある。彼のマウス・サウンドを聞くと、言葉ははっきりと発音するというよりは、曖昧にそれぞれの音節がはっきりとならないようになめらかに歌っているのがわかる。ブラナシのスタイルをやりたい人には最高かつ最高の難易度の教材といえる。
2曲目は、1曲目よりも少しシンプルなディジュリドゥの伴奏になっていて、ソングマンDjoliの歌はよりメロディックになっている。

11. Ngarnahru GUNBORG
「...Lanjmanda 'e::」という題の中央アーネム・ランドの「Ngarnahru」ソング・サイクルのGUNBORG。ソングマンはWilliam Na-Jinung(34歳 / Majeli語-Majali語と思われる。Rembarunga語グループの一つとされ、Blyth, Mann, Wilton River周辺地域で話される言語)、Henry Djurum(27歳 / Dalabon語-Rose River上流とBoyder上流のあたり。Raminginingの南東の地域で話される言語)、そしてPaddy Mimwohring Na-Marndul(38歳 / Majeli語)の3人で、ディジュリドゥは116cmのこの録音の時に唯一演奏可能な貧弱なものが使われ、Billy Gamarang(17歳 / DjawanjとMajeli語)は、マウスピース近くを人さし指ではじきながら演奏している。数人の男性が近くに座り、手をコの字型にして内腿をたたいているが、歌には参加していない。歌詞は伝えられるところによると、Oenpelliの方言の内の一つで非常に意味深な内容だが、Beswickコミュニティの人達は正確に訳すことができなかった。この曲以外3曲でも名があげられているOenpelliの老人Balir-Balirに捧げられている。

ほとんど同一の歌がGoulburn島とOenpelliそしてManingridaでは「BOROG」という名前で録音されてきた(Lester Hiatt)、そしてBorroloolaでは特有のソング・サイクル「MALWA」という名前で知られている(M. Reay)。Beswickでは「Ngarnahru」ソング・サイクルのGUNBORGに関する踊りは、高度に修正されたWONGGAタイプであるが、他のコミュニティでは「OLD GUNBORG」として踊られる。演奏の後には、William Na-Jinungが記憶しているドローン・パターンの繰返しと、歌の骨格的なバージョンをスティックの伴奏とともに歌っている。

上記はライナーの翻訳。この曲は中央アーネム・ランドのGUNBORGスタイルの中でも最もクールな曲展開を利用した構成で、3:4のリズムになっている。ブレイク部分では、シンコペーションしていたディジュリドゥが一発だけ表に入ったのを合図に歌もディジュリドゥも両方完璧にズバっと変わる。それによって非常に躍動感溢れる雰囲気を作っている。
A+B/A+Break+A+B/A+Break+A+Endingという構成で、大きくわけると3部構成だがそれぞれが違っているという点でも、GUNBORGスタイルでは曲そのものをきっちりと記憶しておく必要があることがわかる。パターンA/Bともディジュリドゥはシンプルなリズムだが、AからBへ移行する所で裏から頭にもどる所がないと非常に難しくなってしまう。この歌のメロディはGoulburn島のGUNBORGを思わせる非常にメロディックなものとなっており、このCDに収録されている曲の中でも一番ポップで難解かつクールな名曲である。歌詞を完全に理解してないことでナーララとか鼻歌気分で適当に歌っている所がさらにこの曲の心地よさを加速させている。

トラックの最後にはディジュリドゥのリズムと歌のメロディを伴奏なしで歌っている。最高!ディジュリドゥもブラナシに匹敵するうまさ。

12. A Malwa GUNBORG
北中央アーネム・ランドのMalwaソング・サイクルの「Njidamala Jamergama, Jamergala Ja:mej」という曲のGUNBORG。トラック6と同じ人物による演奏で、ディジュリドゥはトラック11で使われたのと同じもので、空気もれを防ぐために何度も水を管の中に注ぎながら演奏された。記憶しているドローン・パターンの繰返し、クラップスティックをともなった骨格的な歌の繰返し、そして歌詞の暗唱がTommy Wugi-Wugiによって演奏の後に行われている。

上記はライナーの翻訳。ディジュリドゥの演奏者が変わると音がこんなにも変わるのかと思う程、倍音成分が豊かでディープなサウンド。かなりスロー・テンポな曲で、ディジュリドゥはGUNBORGスタイルの基本的なリズムをひたすら繰り返しているため、このスタイルを演奏したい人が最初に演奏しはじめるのに適しているかもしれない。ここでは舌をカールバックさせ、最後に喉を開くというのではなく、舌が前にでて下がる時には同時に喉を開いていて、それを2ビートのように繰り返しているような印象を受ける。また「Lidn Mo-, Lidn Mo-」と曲の最後にディジュリドゥのリズムを歌っているので、この地域独自の舌の動きがディジュリドゥを通ってどういう音になっているのかわかりやすい。

ここで歌われている歌のメロディーはあまり他で聞かれる事のないこぶしの聞いたメロディアスで、どこかメランコリックな旋律である。後でソングマンが1人でディジュリドゥの伴奏なしで歌っているフレーズが最も美しい。トラック6も同じような曲なので是非聞いていただきたい。

13. Two WONGGA Drone Patterns
トラック3でディジュリドゥを演奏しているGordon Gulambaraによる西アーネム・ランドのWONGGAスタイルのディジュリドゥ・ソロを2曲収録。トラック5では歌を歌っているGordonが、同じトラック5で使用しているディジュリドゥをここでも使用している。実演されたパターン(a)は単純なリズムで、(b)は複雑なリズムになっており、2曲ともそれぞれ演奏の後に、Gordon自身が同じドローン・パターンに対して記憶している繰り返しを詠唱している。

上記はライナーの翻訳。中央アーネムランドのGUNBORGスタイルと、西アーネム・ランドのWANGGAスタイルは酷似している部分が多いが、やはりこのWANGGAスタイルのディジュリドゥ・ソロでは、舌のタッチがもっとやわらかく、唇もルーズで、より高音域の倍音成分を多く感じさせる舌の動きをしているようだ。またGUNBORGスタイルに比べて舌があまりカール・バックせず、前の方で常に動いているという印象を受ける。マウス・サウンドを聞けば、ホーメイのような倍音成分をたっぷりと含んいるので注意深くその差を聞きわけたい。

14. Darwin WONGGA
西アーネム・ランドのWONGGAスタイルの「Bajanddala Da:ba-daba:」と「Bajganda:na Bajganda:na」いうタイトルの2曲を収録。トラック3と同一人物ソングマンLawrence Owpan(45歳 / BringgenとWogadj語)/ディジュリドゥDick Linjirbanji(28歳/GunejとJibidji語)による演奏。(a)の「Bajanddala Da:ba-daba:」ではLawrenceがディジュリドゥ奏者に自分の歌に必要なリズムを指し示すためにドローン・パターンが歌われている。

(b)の「Bajganda:na Bajganda:na」ではまずLawrenceが歌の後に、クラップスティックの伴奏をともなった歌の骨格的な部分の繰返しを歌い、Dickがドローン・パターンを2回繰り替えして歌っている。このようなディジュリドゥ奏者への指示、あるいは実際に演奏の時に行われるドローン・パターンをともなった記憶している歌の比較では、わずかだが、興味深い構造の違いを産んでいる。

上記はライナーの翻訳。特に2曲目のディジュリドゥのリズムは2ビートで繰り返されているリズムのように感じられるが、微妙に後半の伸ばす部分を変えて倍音の高低ができてリズムがゆっくりとスウィングするように演奏している。典型的なWONGGAスタイルのディジュリドゥの伴奏では、北東アーネム・ランドのイダキ程すばやいカール・バックを多用しないが、ここでは軽いタッチのカール・バックと喉の動きを使うことで高い倍音をしっかりとひきだしているようだ。このトラックでは何よりもLawrence Owpanの歌う歌のメロディの美しさが耳をついて離れない。つい鼻歌で歌ってしまうようなポップ感がある。

15. A Bunggridj-Bunggridj WONGGA
「Bunggridj-Bunggridj 」ソング・サイクルの「Aja Ngagaba Jajaja」というタイトルの中央アーネム・ランドのWONNGGA。トラック12と同じ人物による演奏。

上記はライナーの翻訳。ライナーではトラック12と同じとされているが、実際はトラック4の間違い。ソングマンBarney Alan Mahralung(36歳 / DjawanjとDalabon語)とディジュリドゥはOscar Ngunjinji(30歳 / DjawanjとMajeli語)。トラック4に酷似した曲で、展開はこちらの方が豊かだが、トラック4の方がディジュリドゥの音はうまくとれている。

16. A Mardag MARAJIN chant
東中央アーネム・ランドのMardagソング・サイクルのMARAJIN(Dhuwa半族)の儀式。Bronco Wa'-Wa'(42歳 / Rembarnga語)、Long Jack Gurjedjun Na-Gandjera(80歳 / Dalabon と Rembarnnga語)、Old Shaky Jack Ngarndal(60歳 / RembarnngaとDjinba語)、Victor Djaganimba(30歳 / Rembarnnga語)の4人の男性それぞれがクラップスティックを手に演奏しながら、歌っている。「O: Nabuwa mila Kardirdi djangardo-nardo」という歌詞は、ロングトムというダツの仲間の魚のこっけいな行動を表わしており、ManingridaとYirrkallaの間のアーネム・ランドの北岸の広がりに関係している。Mardagソング・サイクルは東アーネム・ランドのすべてのDhuwa半族の父系血縁の人々に共有されているが、それぞれのグループが自分達の領域と神話の歴史に特有なソング・サイクルをもっている。Broncoはこの演奏でのリード・シンガーで、曲を終わらせる最後になるという事と最後の「A Jungga..」という歌詞より前にそれぞれの歌の繰返しをクラップスティックでたたくという権利を心ゆくままに行っている。3回の繰返しが演奏されている。

    (a). 早いクラップスティックの通常のグループ演奏
    (b). Broncoによる同じ歌のソロ演奏
    (c). 同じ歌を遅いクラップスティックで演奏しているもう一つの通常のグループ演奏

結果として、リハーサルや練習のセッションの最中には良くソロで演奏されるが、おおやけの場での演奏ではディジュリドゥ奏者もソングマンもソロを演じることはないという事は注目すべき点である。/L. M. West / Sydney 1962

上記はライナーの翻訳。このトラックにはディジュリドゥの演奏は含まれていないため、解説はありません。