デビッド・ブラナシ79年のフランス・ライブ盤。ジョリー・ライワンガとのセットで聞ける唯一のCDで、ブラナシのサウンドも生き生きとしたスピーディーかつタイトな演奏。
■北オーストラリアの歌と踊り(Jennifer IsaacsとAnthony Wallisの共著)
■ライナーの翻訳と解説
■アボリジナルの楽器と音楽(Jill Stubington博士)
■Festival des Arts Traditionnels
■DAVID BLANASI ディスコグラフィ
1979年にフランスで行われた「Festival des Arts Traditionnnels」でのパフォーマンンスの録音。ディジュリドゥ・マスター「DAVID BLANASI」の初のライヴ録音です。元々はLPで発売され、後にCD化されるが廃盤となる。しかしなんと長らく廃盤と思われていたCDがジャケット違いで奇跡の入荷!!
言わずと知れたディジュリドゥ・マスター「David Blanasi」とソングマン「Djoli Laiwanga」によるベスト・コンビに映画俳優としても有名なDavid
Gulpililと、Beswickの名ダンサーでありディジュリドゥ奏者でもあるDick Plummerのダンスという夢の共演です。偉大なるソングマンDjoli
Laiwangaの歌を聞ける現行のCDはこのアルバムと『Arnhem Land Popular Classics』(CD-R
from LP 1961-62 : Wattle Ethnic Series)に2曲だけです。
Songman : Djoli Laiwanga
Didjeridu : David Blanasi
Dancers : Dick Plummer & David Gulpilil
通常Beswick周辺の地域では、激しく地面を蹴り上げたり、踏み付けたりして踊るのだが、フェスティバル会場では板の床だったらしく、ダンサーが踏み付ける度にドシッドシッという音がなるのがつらいと思いきや、ディジュリドゥのリズムと踊りがどう組み合わさっているのかが非常にわかりやすく、興味深い。
またこのCDのライナーの各曲解説は、民族学者Jennifer IsaacsとAnthony Wallisによって書かれており、ブラナシ関連のアルバムの中では最も詳しく曲の解説がされていて、曲そのものがどのようなイメージで演奏されているのかを知るきっかけになるだろう。
ブラナシは30年代生まれとされているので、当時40代という事で、油ののった余裕のあるイキイキとしたパワーのあるサウンドを聞くことができる。また全体的にテンポが速めの演奏なのだが、それを完璧にフォローしている。全20曲収録。
下記はブックレットに掲載されている英文の翻訳に加えて、「上記はライナーの翻訳」という文章ではじまる段落には、音の響きから感じた聴感上の主観的な感想と、各曲に特徴的な音楽的構造などのレビューが掲載されています。レビューの部分で書かれている内容はライナーとは全く関係がありません。レビュー部分でなされている言及は推測の域を超えるものではないという事をご了承下さい。
■北オーストラリアの歌と踊り(Jennifer IsaacsとAnthony Wallisの共著)
社会的発展が休みなく続く西洋文明と密接に触れあっているにもかかわらず、オーストラリアのアボリジナルの人々は、それでも自分達の環境、生活様式、そして神話への深い愛着を守り続けている。彼等の宗教は「トーテミズム」で、自然と、そこに生きる存在と、人間との永遠の一体感がそこにある。
これに関連して、伝統的な踊りはたんなる娯楽ではなく、トーテムの生き物、自然、そして人間の間にある関係を象徴の力を借りて表わした、生き生きと、そしてのびのびとした表現手段なのである。このような踊りは、特にその踊りが自然環境とつながっている時には、激しさと意味をもって踊りが変化するので、見物人にとって非常に印象的である。ダンサーは、それぞれ動物や植物など自分の役を具現化した踊りを踊る。アボリジナルの人々は、もしそのような踊りがなかったら、地上の生命は自分自身を再生するのをやめてしまい、生命が続いていかないと考えている。
このような踊りは、クラン(父方血縁のグループ、もしくは言語グループ)によって異なる。娯楽のためのダンスは、一般的に調和のとれた模倣の踊りだと特徴ずける人もおり、その踊りは動物の動きや人間の行動を思い起こさせる。その役割には、物語の踊り、ある地域から別の地域へと伝えれる知らせ、通過儀礼の踊り、悪事をただす、もしくは避けるヒーリング・ダンス、トーテムの踊り(バッファロー、魚、カラスの踊りなど....)がある。
通常、個人の踊りにおいては男性が秀でており、女性はグループでの踊りを好む。ダンサーはしばしば参加者達にとって大きな娯楽であるすばらしい模倣者、もしくは道化になる。
■ライナーの翻訳と解説
1. Dingo|2. Birruck(Rock Wallaby)|3. Lumbuk(Ground Dove)|4. Djetberdi(Rifle Fish)|5. Galkan(Eagle Hawk) I 6. The Green Woodpecker|7. The White Cockatoo|8. Kookaburra|9. Miparra|10. Laitj Laitj|11. Bidjurrdu(Wily-Wily/Wind of the Dry Season)|12. Old Traditional song from the Center of Arnhem|13. The Creation of the Land|14. Budbal(Water Lily)|15. Karrbarde(Long Yam)|16. Brolga|17. Mook Mook(Owl)|18. Dance of the Shadow|19. The Mimi Spirit Dance|20. Didgeridoo
※曲名をクリックするとその曲の解説へ飛びます。
1. Dingo(Wild Dog)
オーストラリアの野生の犬。ディンゴが吠え、そして遠吠えするのを模倣して、デビッド・ブラナシは自分の楽器の全ての手段を使って、ディジュリドゥの名手的なすばらしい演奏をしている。
上記はライナーの翻訳。デビッド・ブラナシによるディジュリドゥ・ソロ。ディジュリドゥをステレオマイクにむけて左右に振っているせいかフランジングしている。ブレスの音まできっちり入っていて非常に参考になる。全てのアルバムに収録されている「Djamu(Dingo)」のソロで、この録音のディンゴのコールは『Didjeridu
Master』の頃よりも高い声で、力強く行われている。
2. Birruck(Rock Wallaby)
ロック・ワラビーは、アーネム・ランドの岩の丘にある穴や洞窟に住んでいる。この歌は、一匹の小さなワラビーがどうやって地面にたくさんの実をまき散らす、熟した果実が実ったプラムの木を見つけたのかということについて伝えている。
「Mi jaja Mi jaja Nganay」(私は岩を飛び越え、座り、私の周りを全て見渡す)
「Mebaruk Mebaruk Nganay」(私はプラムを見た。そして座ってその実を食べた)
上記はライナーの翻訳。ダンサー達が(多少でかすぎるが)足を踏みつける音と掛け声がはっきり入るため、曲の展開を理解しやすい。最初にわかりやすい3拍子でソングマンを待ち、歌が入ってから4+2の割りになっている6拍子になる。ブレイク部分は、22拍で構成された定形のものになっている。ブラナシが演奏している6拍子のリズムの4拍目の喉の動きがすごい。このアルバムのみに収録されている曲。
3. Lumbuk(Ground Dove)
Ground Dove(スズメバト)の歌。スズメバトは雨季のはじめには、再びたくさんの食べ物にありつけると知っているので、喜んで踊りを踊る。
上記はライナーの翻訳。すばらしいメロディとリズム。ガッチリとユニゾンしているブレイクが決まっていて、ソングマン、ディジュリドゥ奏者ともに非常にタイトな演奏をしている。5拍子(3+2)の曲で、ブレイク部分はトラック2の「Birruck(Rock
Wallaby)」と全く同じものが使われている。『Songs of Bamyili』のトラック1と3に同じ曲が収録されており、トラック1は珍しい「Lumbuk(ハト)」のディジュリドゥ・ソロを聞くことができる。踊りは踊られていないのか、足音や掛け声は聞かれない。
4. Djetberdi(Rifle-Fish)
Rifle-fish(別名Archer Fish、和名テッポウウオ)。雨季には、小川や河川の水位が上がり、キャンプファイヤーのまわりに座っている男達は、銛でテッポウウオを捕まえに行かなくてはいけないと言う(テッポウウオは水面ギリギリまで近付き、口から素早く水を発射して、低い枝にとまっている昆虫を水に落として、捕まえる)。
上記はライナーの翻訳。『Bamyili Corroboree』にも収録されている。4/4拍子の音楽的構造が明確な曲で、メロディー感豊かなリード・シンガーの歌の後には決まって、ダンサーの「Oho-」という叫び声が聞かれる、非常にダンサブルな曲である。特徴としては、GUNBORGやWANGAで頻繁に伝統的に使われるリズム「1
2 3 ・」(・は4分休符)と、民族学者A.P. ElkinがGUNBORGの特徴としてあげている「Descending Glide or Slur(一つの音節を切れ目なく滑らかに下げていくアボリジナルの歌唱における特徴の一つ)」が「Oho-」という声で聞かれる。
5. Galkan(Eagle Hawk)
Eagle Hawk(オナガイヌワシ)。この歌は、外敵から手の届かない所で卵を守るために、樹木の非常に高い位置に巣をつくるオナガイヌワシについて歌っている。空で円を描いて飛び、川を見、水を飲むために急降下し、美しい滝を見上げる。水を飲んだ後、オナガイヌワシは巣へともどって行く。
上記はライナーの翻訳。ディジュリドゥの伴奏は無く。複数のハンド・クラップとリードシンガーによる独唱。
6. The Green Woodpecker
数人の男達が、虚空を眺め、「彼等の」キツツキに気付いて、キャンプファイヤーの周りに座っている、そしてキツツキに歌を歌う。その鳥は、白蟻がかじって作った枝の穴に巣を作る。
ディジュリドゥ、シンガー、ダンサーのみんながステージ上を動きまわりながら演奏しているらしく、音量がアップダウンしている。短い言葉のみを3拍子で繰返すだけという他のアルバムには収録されていない珍しい曲。
7. The White Cockatoos
最近の雨の後に命であふれた大地をホワイト・カカトゥ(白い大きなオウムで、群をなしてギャーギャーと大きな叫び声のような鳴き声で鳴く)の群が飛んで行く。その鳥はパンダ・ナッツという実を貯えておく、そして喜んで踊りを踊る。シンガーが「Oooh」と言う時、一羽のホワイト・カカトゥが実をみつける。この踊りのトントンとしたステップはその鳥の興奮を再現している。
上記はライナーの翻訳。全てのリリースで録音されている名曲「Ngaratj(ホワイト・カカトゥ)」。ディジュリドゥの演奏はここではシンプルな伴奏に徹しているらしく、即興的要素は少なく、「Lidumo
Lebo Lidu-ro」といったリズムを中心に演奏している。歌が抜ける曲間では、ダンサーが特に足をドシドシと踏みしめるソロ・パフォーマンス的な部分が長めに取られているようだ。ブラナシのソロ・アルバム『Didjeridu
Master』(CD 1998 : Big Ban)には、この曲が4バージョンが合計10分以上収録されている。
8. Kookaburra
有名なオーストラリアの鳥ワライカワセミがブッシュの中で繰返して鳴いている声を模倣したディジュリドゥ・ソロ
上記はライナーの翻訳。迫力のディジュリドゥ・ソロ「Goro-Goro(ワライカワセミ)」。Dingo同様ブラナシが必ず演奏するソロ・パフォーマンス。怒号のようなこの強烈なコールは、おそらくワライカワセミの名前「Goro-Goro」を叫んでいるのだろう。このような激しいコールは後期の作品ではもう聞くことはできず、CDでこのような激しいコールが聞けるのは、このアルバムと『TRADITIONAL
ABORIGINAL MUSIC -Sounds from the Bush』(CD 1998 : ARC)だけだろう。後半部分では、はっきりとブレスの音が入っており、細かい音を聞き取れる貴重な録音。
9. Miparra(Eagle : Lorrgon Ceremonial Song)
「Lorrgon」の儀式の歌で、その際には死者の骨が空洞の空いた大きな丸太の中に置かれる。ある期間の後、それは洞窟へ永遠に安置される。ワシはブッシュファイヤーを見て、天高く飛ぶ。草木が炎を上げて燃え、バッタが空中に跳ね、そしてワシはそれを捕まえる。バッタはワシの好物である。
上記はライナーの翻訳。低い音程のディジュリドゥに持ちかえて演奏している。ディジュリドゥのディープでゆったりとした3拍子の伴奏にのせた、シンガー達の悲し気な歌のメロディーは、埋葬の儀式「Lorrgon」の厳粛な独特な空気が流れる。ディジュリドゥの演奏は、まるで歌っているかのようにソングマンの歌をフォローしており、歌の無い部分や、「Oho-」という下がって行くスラーの部分などは特に即興的に様々な演奏をしている。名演奏。
10. Laitj Laitj(Grasshoppers : Lorrgon Ceremonial Song)
バッタに関する別の「Lorrgon」の儀式の歌「Laitj Laitj」は、バッタが空へ向かって飛んで行く方向を表わしている。
上記はライナーの翻訳。ハンド・クラップと歌のみでディジュリドゥの伴奏はない。トラック9と同じ「Lorrgon」の儀式の時に歌われる歌の一つ。
11. Bidjurrdu(Willy-Willy)
Willy-willy、あるいは乾季の風。北オーストラリアの乾季には、広大な平原がカラカラに乾燥する。突然、ある音が聞こえて、砂埃を巻き上げたつむじ風が渦巻き、種とサヤを拾い上げ、あらゆる方向へとそれらをまき散らしているのが見かけられる。次の雨季にはそこで芽を出すのだ。夢を見た後に、ソングマンDjoliが作曲した「喜びの踊りの歌」である。
上記はライナーの翻訳。全ての録音に収録されている名曲だが、このアルバムでのみその詳しい内容が説明されており、その内容は非常に興味深い。途中から客席からの拍手とともに演奏されているためブレイクをいれる事ができずに、この地域ではあまりみられないホーンの音で終わっている!
12. Old Traditional Song from the Centre of Arnhem
大昔、我々の祖先が、狩猟を行い、踊り、歌い、神聖なる儀式を執り行いながらこの大地に住んでいた。そこには町というものは無く、彼等はどこでも好きな所にキャンプすることができた。彼等は独自の武器を作り、それを探せばどこでも食料を見つけることができた。これが我々の大地であり、この歌は私達がつらなる人々の歴史を物語っている。
上記はライナーの翻訳。低いピッチのディジュリドゥに持ちかえての演奏。はっきりした曲名は不明だが、二人のソングマンが歌いながら打ち鳴らす音程の違う2対のクラップスティックの織り成すリズムが、この曲にマジカルな響きを与えている。ディジュリドゥ(2+3の割り)と低い音程のクラップスティック(4分)は非常にシンプルな5拍子をきざみ、高い音程のクラップスティックがブレイク部分やエンディングで8分(音符)や2拍3連を使うことで、奇妙な雰囲気をかもしだしている。このアルバムだけで聞かれる歌で、構造的に非常にユニークである。
13. The Creation of the Land
我々の祖先が天空をじっと見つめながらあちこちと放浪していた時、彼等は星が落下したのを見、即座にその落ちた場所に自分達のキャンプ地を作った。それは「Namurtu(流れ星)」だった。彼等は「Brrrrr」という音を聞き、そして地面が震えるのを感じた。「Namurtu」はある池に落ち、その場所は現在では聖地となっている。
上記はライナーの翻訳。再度高い音程のディジュリドゥでの演奏。基本4拍子を途中で同じテンポで3割りにして、後半最後にすさまじいリズムチェンジがある。おそらくクラップスティックが、4分(音符)から急に休符をおりまぜた8分(音符)のリズムと3連を組み合わせた演奏をしていると思われ、卓越したリズム感覚を感じさせる。このアルバムだけで聞かれる歌です。
14. Budbal(Water Lilly)
スイレンの歌。昔々、ある一人の祖先の人が歩いていていた。そしてラグーン(湖礁 : 環礁に囲まれた海面、もしくは潟、潟湖)にやってきて、彼は立ち止まった。スイレンの茎の下にある球根を取り出そうとふと思い、食べた所、それが非常においしい食べ物だということがわかった。
ハンドクラップとクラップスティックに歌の独唱。ディジュリドゥの伴奏はない。
15. Karrbarde(Long Yam)
Long Yam(学名Dioscorea Transversa ヤマイモ科の植物で総称としてはヤムイモと呼ばれている)の歌。太古の昔、古い祖先は大地をくまなく放浪し、彼がやってきたそれぞれの場所で食料を見つけ、彼は「う-ん、これは甘くていい。これにはKarrbardeという名をつけよう。」と言った。その祖先は、スチーム・オーブンを作るために熱した石の上に濡らした葉を置き、そこでヤムイモを焼いて料理した。彼はヤムイモを見つけた時に歌い、彼の歌はいまだアーネム・ランドで演奏されている。シンガーは、ヤムイモを見つけたという事を知らせる「Oooh」とか「Aaah」という声を出す。
上記はライナーの翻訳。再度低い音程のディジュリドゥでの演奏。ツイン・ボーカルにディジュリドゥのゆったりした3/4拍子の曲で、前半ではクラップスティックが4分音符全てに入り、後半ではよりわかりやすい「1 2 ・」というリズムになるが、ブレイクで8分で4割りのフレーズで8拍演奏し、おそらく定型の3連フレーズを演奏して、「1 2 ・」という基本リズムにもどっている。エンディングでは早いテンポに切り替わって曲が終わるという非常に複雑な曲構成である。また2本の音程の違うクラップスティックの低い方の演奏者が随所に単発的に曲を指揮するかのように演奏している。前半部分でのディジュリドゥの演奏には、曲が混乱するのではないかと思える程の即興演奏が行われているのもこの録音の興味深い点だろう。
16. Brolga
トーテムの踊り
上記はライナーの翻訳。低い音程のディジュリドゥでのソロ。リリースされた全ての音源に録音されているが、この「Gordoh(ブロルガ)」では最後にホーンの音で終わっている珍しいバージョンになっている。細かく息を吸う音が聞こえる。同じような低い音程のディジュリドゥで演奏しているが、コール部分が全く違う『Didjeridu Master』のトラック15と聞き比べてほしい。
17. Mook Mook(Owl)
フクロウ。伝統的にあることだが、死体は枝の寝台に吊るされて来た。フクロウはその枝にとまり、自分達の新しい仲間についてあれこれ考えている。リーダーのフクロウは、彼が見てきた事を仲間の生き物達に知らせながら、枝から枝へとひらひらと飛ぶ。「Mook Mook」というその叫び声を聞く時、人は死の事を思い起こす。
上記はライナーの翻訳。フクロウの歌。正確には「Muk Muk」とスペルするようだ。高い音程のディジュリドゥに持ちかえての演奏。音量が小さい部分があるのが残念だが、ブレイクの時にきざむその速さは目を見張る。速いテンポでの演奏。『David
Blanasi Tribute Album』のトラック17、『Music of Aboriginal Australia』のトラック1、『世界民族音楽大集成
オセアニアの音楽II』のトラック16でも同じ曲が収録されている。
余談だが、ソングマンDjoli Laiwangaは墓場のある場所で眠り、Mook Mookのスピリットから霊感を受けて、夢見の中で曲を得ていたと言われている。
18. Dance of the Shadows
影もまた死の精霊を思い起こさせる。この歌は、彼を迎えいれてくれる他の死者の精霊達の家へと死者が旅立つ時に、その亡くなった人の霊の良い旅を願って歌われる葬式の歌である。彼は彼の土地へと返って来たのだ。
上記はライナーの翻訳。歌のメロディーが葬式の時の歌。カセット『Songs of
Bamyili』のトラック5の「Waiyara(The Shadow)」と同じ曲。ディジュリドゥは2ビートが基本になっているが、クラップスティックが抜けた後のディジュリドゥと歌だけの部分では、歌とディジュリドゥともに4分(音符)で4つ打ちのような展開になっていて渋い。
19. Mimi Spirit Dance
「Mimi」は、岩場の穴ぼこに住む弱い精霊で、彼等は風がない夜にだけ見かけられることがある。もし強い風にあたれば、彼等の首は折れてしまう。この歌はブッシュの中をさまよう二つの「Mimi」のグループの冒険について歌っており、彼等は互いにおびえ、相互に知り合いになろうとする時には、自分達が同じ家族に属しているのだということを知らせ、友達になる。ダンサー達はその二つのグループのアプローチを再演している。
上記はライナーの翻訳。『BAMYILI CORROBOREE -Songs of
Djoli Laiwanga』(LP)のトラック9にも録音されている。リズムのジャンプ感がすばらしい曲だが、フェスティバルでのパフォーマンスという事もあって、ダンサーによるミミのいたずらな雰囲気をパフォーマンスしている様子が足音と掛け声で伝わってくる。それでもブラナシのディジュリドゥは変わらずクールな演奏をしている。ディジュリドゥの音量が小さいのが残念。歌とディジュリドゥだけのブレイク部分が終わり、クラップスティックが入る直前にリード・シンガーの踊り手への掛け声と思われる「Ma!」という声が聞かれる。
20. Didgeridoo
デビッド・ブラナシのディジュリドゥの演奏
上記はライナーの翻訳。おそらくトラック19のMimi Spiritをソロでやっていると思われるが、クラップスティックの音がないため、ブレイクでどうジャンプしているのかが不明。ブロルガ、ディンゴ、ワライカワセミ以外でディジュリドゥ・ソロを演奏しているのは非常にめずらしく、『Songs
of Bamyili』のトラック1で「Lumbak(ハト)」のソロ以外では、ここで収録されている曲のみである。この当時のきっちりとコントロールされたタイトな演奏はすさまじい。晩年の録音『Didjeridu
Master』(CD 1998 : Big Ban)と音のキレを聞き比べてみてほしい。
下記はライナーの末尾に添えられているJill Stubington博士による文章とこのライヴ音源が収録されたフランスのフェスティバル「Festival des Arts Traditionnels」のディレクターによる文章の翻訳です。
■アボリジナルの楽器と音楽(Jill Stubington著)
北オーストラリアのアボリジナルの人々が楽器を作る時には、自然の素材を用いる。もし適切な素材が手に入らなければ、彼等は何か別のものでの製作を試みる。彼等の使用する楽器のほとんどが、Idiophone(イディオフォーン : シンバルやクラップスティック、木琴など単一の物質からなる打楽器の総称)に分類される、パーカッシブな音色をえるために叩かれる二つのパーツからなる。
シンガーそれぞれが、一対の木製のスティックを両方の手にそれぞれ一本ずつ持つ。アーネム・ランドでは、このようなスティックは硬質な木から作られ、非常にはっきりとした、ほとんど金属の響きの音が鳴る。その一方は、長く、薄く、平坦で、真ん中がふくらんでおり、平らに持つ。もう一方は、比較的丸い棒で、どちらか片方の端を持ち、もう一方の平らな方をたたく。その形状はかなり様々で、Cape Yorkでは長方形、最も一般的なそれ以外の地域では葉巻き型である。オーストラリア大陸の中央地域では、ガチャガチャという音を出すブーメラン・クラップスティックが使われることがある。片方の手でもう一方の手を打つ拍手、あるいは様々な身体の場所を手でたたくという行為は、男性、女性の両方のシンガーが行う。
気鳴楽器にはディジュリドゥがあり、ターマイトと呼ばれる白蟻が食べて自然に空洞になった木の枝から作られる。アボリジナルの人々は、この枝を適切な長さに切り、ときどきマウス・ピース(吹き口)にゴムをつけて滑らかにし、両端をすこし彫りえぐる。樹皮をむき、ペインティングを施して、楽器は完成する。楽器につけた唇からの振動が基本音を鳴らし、その複雑な倍音は非常に豊かである。空気圧は、「空気のためる場所」として働いている演奏者の頬と、息を吐いているのと同時に鼻から吸い込む息つぎによってその空気圧の一定のレベルが保たれている。ディジュリドゥを演奏するにはかなりの活力が必要で、若者だけが演奏をする。アーネムランドの東では、素早いエネルギッシュなリズム・パターンを創り出す、バラエティに富んだ唇の動き、舌と呼吸の技術が見られる。アーネムランドの西では、吹いてつくった連結部分でのハミングしたような演奏方法がよりゆったりとした、けだるいような音を作り出している。多くの地域において、ディジュリドゥは、歌とのセットとソロのどちらででも、特別な効果を創り出すために鳥や動物の鳴き声を模倣している。儀式の最中では、シューっという音を出したり、吹いたり、素早い呼気、舌の動きなどの技術を使って、基本音の繰返しから倍音を鳴らしながら何時間も続けざまに演奏される。
参照 : 『Australian Aboriginal Music』
Jennifer Isaacs編集、1979年Aboriginal Artist Agency出版
このCDに収録されているグループは、中央/東アーネム・ランドのMaiale族(Rembarunga言語地域における集合的な名前)とMandalbingu族出身である。
■Festival des Arts Traditionnels
「Festival des Arts Traditionnels」は、1974年にCherif Khaznadarによって創設され、西フランス文化センターのディレクターは、世界中の文化からもたらされる、音楽、歌、踊り、劇、物語、人形劇、影絵、視覚芸術などの形態で、プロ・アマ両方のたくさんのアーティストを約2週間という非常に短い期間に呼び集めるという事を目標としていた。
その演奏者それぞれの日常生活に深く根ざした文化的独自性の象徴であるこれらの表現は、一般的な文化における考え方の踏み台になり、そして個人もしくは集団の伝承された本物の表現である。この観念において、そのそれぞれの年にフェスティバルで過ごす何百時間は、イメージ、サウンド、考え、そして出会いにおいて豊かな、わきたつような興奮の中で過ごされ、それは再評価の意義がある。現在を反映し、過去におけるその源に近付きながら、「伝統芸術祭」はそれらを探し求めて、同時にそれぞれの文化の未来に対して多様で、独自なヴィジョンになる。-Francoise Grund/「伝統芸術祭」の芸術ディレクター
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