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RAK BADJALARR -Wangga Songs for North Peron Island by Bobby Lane
RAK BADJALARR -Wangga Songs for North Peron Island by Bobby Lane
NO ISBN 0-85575-364-1
Artist/Collecter Bobby Lane(Songman)
Media Type CD
Area Belyuen(ダーウィン近郊)
Recorded Year 1959-2000年
Label AIATSIS
Total Time 45:47
Price 在庫なし
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WANGGAスタイルのマエストロNicky Jorrockの頭の芯に響く中高音の倍音のメロディーがトランシー。WANGGAの最も秀逸な録音です。ブックレットの解説も濃厚39ページ!

■WANGGAの解説
■BOBBY LANEのプロフィール
■ソング・クリエーション
■歌のテーマ
■Bobby Laneの歌の音楽的構造
■歌 詞
■録音について
■歌詞の書写の御案内
■ライナーの翻訳と解説
■謝 辞

Songs from the Northern Territory』シリーズ以来、これ程聞き込んだアルバムがあっただろうか! より高音域の倍音がのびるようにきらめく、トランシーなWANGGAスタイルの中でも最高のディジュリドゥの演奏が全19曲収録している。そして何よりもBobby Laneの歌のメロディのすばらしさは抜群だ。

北東アーネム・ランドのヨォルングのイダキが好きな人でもこれを聞くとDaly RiverやPort Keats周辺地域の「Kanbi(この地域でディジュリドゥをさす言葉。Kanbakとも呼ばれている。)」にずっぽりとはまれる内容と39ページの超濃厚な解説付き。どマストな一枚。特にWANGGA(この地域のダンス・ソングのスタイル)の説明は超濃厚で、このBelyuenコミュニティのソングマンBobby Laneの歌についても詳細に渡って解説されており、WANGGAという音楽形態を知るのには最適な文章内容になっている。

ディジュリドゥ奏者は、Alan Nama、John Scroogi、Douglas Rankin、Eric Martin、そして最も異才を放っているNicky Jorrockである。前者4名の割に素直な倍音の出方に比べてNickyの意図的かつコントロールされたメロディックな倍音はすさまじい。またBeswickのディジュリドゥ奏者Dick Linjirbanjiの音も聞くことができる。

偉大なるソングマンBobby Lane(1941-1993)の今までに録音された音源を全て網羅したコンピレーションで、Alice M. Moyleの『Songs from the Northern Territory 1』(CD 1962/1963 : AIATSIS)に収録されているBobby Laneの歌、LaMont Westの『Arnhem Land Popular Classics』(CD-R from LP 1961-62 : Wattle Ethnic Series)に収録されているLawrence Owpanの歌が収録されている。WANGGAの音源としては最高峰の内容を誇る偉大なるソングマンBobby LaneとBelyuenコミュニティの音楽の集大成!! 必聴!!

下記はライナーで詳しく解説されている「WANGGAの解説」、「Bobby Laneのプロフィール」、「ソング・クリエーション」、「歌のテーマ」、「Bobby Laneの歌の音楽的構造」、「歌詞」、「録音について」、「歌詞の書写の御案内」についての解説の翻訳です。その後に各曲解説が紹介されています。

■WANGGAの解説
WANGGAとは北西オーストラリアのアボリジナルの人々が演じるディジュリドゥの伴奏を伴った非宗教的なダンス・ソングの一形式である。北オーストラリアの他の地域でもその演奏に出くわすことがあるかもしれないが、WANGGAスタイルの主な中心地は、Belyuen、Port Keats、Daly River、そしてMoyle RiverとDaly River周辺にあるPeppimenarti、Barunga地域、そして東キンバリーである。

WANGGAソングはたいてい、Wadjiginyの人々の話す言葉「Batjamalh」では「Medjakkarr」と呼ばれるソングマンが夢の中で「Wunymalang(Ghost : 霊)」から授かる。その他の数多くのアボリジナルの歌の形式とは違って、WANGGAソングは、通常、大きな社会的グループよりも、むしろソングマン個人に所有されている。WANGGAは非公式の娯楽用に演奏されるだけではなく、日常的な領域においては2つの主要な儀式的行事で歌われる。一つはBatjamalh語で「Kapuk」と呼ばれる「Ragburning(亡くなった人の衣服などを燃やす儀礼)」で、これは亡くなった人の所有物を焼くことで、その霊を人間社会から切り離す儀式である。二つ目は、おおやけに行われる割礼の儀式(男性、女性そして子供が出席する)で、それにより少年達は社会的に成人になる。Belyuenコミュニティでは、これらの儀式により少年達に重要なトーテムのドリーミング「Dulk」が伝えられる。このような背景には、WANGGAの歌と踊りが、人間とその他の存在の集合との間のチャンネルを開く手助けするということがある。

近年では歌と踊りは、大学の卒業、公共の建物のオープニング、アート・フェスティバルのような準儀式的な行事で演じられる。非儀式的な娯楽の場合でさえも、WANGGAソングが演奏されればダンスの有無にかかわらず、その歌には霊的な力がこもっている。

WANGGAはたいていディジュリドゥの伴奏を伴って、クラップスティックを手にもった歌のスペシャリスト一人か二人のシンガーによって歌われる。Belyuen地域の最高のディジュリドゥ奏者であり、ディジュリドゥの名手のNicky Jorrockを含む数人のディジュリドゥ奏者がこのCD『Rak Badjalarr』で演奏している。多くの演奏においてダンスの初心者から名手まで幅広い能力のダンサー達を見ることができるのだが、ダンスのスペシャリスト達もいた。女性のダンス・スタイル「Muyang's Way」では、足を固定したまま腕と上半身のリズミックな動きをするのに対して、男性のダンサー達は、Batjamalhの言葉で「Mara(キック)」と表現されている壮観な足を踏みならす動きで踊りを踊る

■BOBBY LANEのプロフィール
Bobby Laneは1941年にDarwinの市街地で生まれる。6ヶ月後の1942年2月の日本空軍のDarwin襲撃の後に、彼と彼の両親はその地域の他のアボリジナルの人々と、共に250km南のKatherineの管理キャンプに避難した。1946年にはBobbyと彼の家族は、Darwinから湾をはさんで向こう側のCox半島へと移動し、Darwinの他のアボリジナルの人々と共に政府の管理する居住区に家を建てた。そこが後にDelissavilleとして知られるようになる。その居住区は、コミュニティの周辺にある淡水の泉の名前をとって、1977年にBelyuenへと改名される。

Bobbyは彼の残りの人生の大半をDelissaville/Belyuenで過ごすこととなる。彼は教師として教育され、Delissavilleスクールで教鞭を振るった。彼は熟達したアーティストで、喜んで自分の歌を説明し、英語に翻訳してくれた。彼は英語同様、いくつかのアボリジナルの言語を流暢に話し、アボリジナル、ノン・アボリジナル両方の観点に精通していた。彼が1933年5月に亡くなった時には、彼自身ソングマンとしての創造的な演奏能力の高みにあったと言える。彼はWadjiginyの偉大なるソングマンの一人として人々に記憶されている。

彼の第一言語であるBatjamalhで話す時、Bobby Laneは自分自身の事を「Nganang Wadjiginy(A Wadjiginy Man)」、そして彼のクランの人々を「Wagatj(Beach Dwellers : 浜辺の住人)」と表現する。1874年の最も古いWadjiginyの人々についての記述では、彼等の事を「Waggites」(Batjamalh語の言葉「Wagatj」がアングロ化したもの)と呼んでおり、他にもWaggites、Wogites、Wogaitと様々に綴られる呼び方がある。Cox半島に少なくとも1世紀住んでいるのにもかかわらず、現在でもWadjiginyの人々はPeron島に面したAnson湾の海岸にある彼等の伝統的な土地と強い結びつきを持ち続けている。1867年に設立されたPort Darwinは多くのWadjiginyの人々を含むアボリジナルの人々に対して非常に魅力的であった。彼等は最初の灯台が立てられた1893年までにDarwin港の西端のPoint Charlesに移住した。

Bobbyは、ほとんどの歌をWadjiginy(クラン?)の彼の父親の言語であるBatjamalh語で歌っていたが、トラック2の歌には、Emmyiyangal(クラン?)の彼の母親の言葉Emmi語の歌詞がいくつかある。Emmyiyangalの人々は伝統的にWadjiginyの人々の土地の南の沿岸の細長い土地を所有しており、両方のグループは誰も思い出せない程昔から婚姻関係にある。赤ん坊はこの両方の言語を聞いて育ち、EmmyiyangalもしくはWadjiginyの親を持つ子供達は、Emmi語とBatjamalh語両方で母語の言語に対して消極的な場合にのみ、アボリジナル英語をほとんどの会話で使ってきた。

Bobbyは自分の母親の兄弟の息子である有名なEmmiyangalのソングマン「Mun.gi」に歌を教えられて育ってきた。Mun.giはBobbyを「Attu(Cross-cousin/Cousin Brother : 交叉いとこ)」と呼んでいた。Bobbyの父親の兄弟(Bobbyは彼等を父と呼んでいた)も有名なWadjiginyのソングマンAguk MalbakとAlalkである。

■ソング・クリエーション
Bobbyが歌を作ることは決して無かった。というよりも彼は様々な「Song-giving Spirits(歌を授けてくれる精霊達)」から夢の中で歌を授り、またその精霊を見聞きすることができても触れることはできなかった。彼はフランク・シナトラやビン・クロスビーが映画の中で歌うのを見るのが好きで、ハリウッドの映画音楽に登場する歌手の全盛期1950年代中頃にBobbyは初めて作曲し始めた。Bobbyが述べた「Song-giving Spirits(歌を授けてくれる精霊達)」には、「Maruy(Conception Spirit : アイデアやイメージを与えてくれる精霊と考えられる)」と「Wunymalang (Ghosts : 死者の霊)」がある。「Maruy」スピリットは、人間として生まれるべくBelyuenコミュニティの周辺の土地のある特定の場所から現れ、死後に霊となりその土地に溶け込む。ともに重要なソングマンであるBobbyの「(実際のではなくアボリジナルの親類関係システム上の)父親」Aguk Malbakと彼の「(同様に親類関係システム上の)いとこ兄弟」のMun.giは、彼等が生きている間だけではなく、彼等の死後もBobbyの夢の中に「Wunymalang(死者の霊)」となって現れ、Bobbyに歌を教えたのである。

BobbyはDaly River地域全体を通じてシンガーとして、また作曲者として広く知られていた。彼の存命中は、Brian Hendaや、Rusty Moreen、そしてLawrence Wurrbenなどの様々なシンガー達が、Bobbyの歌を歌うことを許されていた。Bobby Lane、Braian Henda、Rusty Moreenら若いシンガー達は、皆Mun.giから歌を習った。MarettとBarwick両氏が、Bobby自身が自分の歌を歌うのを録音している時に、Belyuenに住んでいる別のシンガーTommy Barandjukがそれに参加した。Alice Moyle博士の1959年と1962年の録音時には、それぞれRusty MoreenとDouglas Rankinが彼の歌に参加していた。Bobbyの死後、Belyuenに住むたくさんの若者が彼の歌を歌い続けてきており、このCDには、Roger(Rossy) Yarrowinの歌をトラック12に、そしてColin Warrambu Fergusonの歌をトラック19に収録している。女性はおおやけにWANGGAソングを歌うことはないが、Belyuenコミュニティのたくさんの女性達がBobbyの歌を知り、愛している。Marett、Ford、Barwikの3氏がBobbyの歌詞を書き写し、翻訳することができたのはそれらの女性達、特にAgnes Lippo(1926-1994)のおかげである。

■歌のテーマ
Bobbyの歌は実際の出来事や、彼の地元の聴衆なら皆が知ってる実際に存在する人々について作曲されている。歌が歌われる時には、そういった人々の大半はもはや生きていないが、その内の数人は精霊という形でBobbyの夢の中に現れ、彼に歌を授けるのである。

Bobbyの歌の中には、Belyuenコミュニティの良く知られている人について、もしくはBobbyの家族について歌われている歌もある。トラック6でAguk Malback、トラック8でBenmele(Mun.giの息子Rusty Morrenのアボリジナル・ネーム)、トラック5でTjerrendet(Roy Mardi Bigfootのアボリジナル・ネーム)、そしてトラック7でTjendabalhatj(Bobbyがアボリジナルの親類システム上で祖父と呼ぶ年寄りの「Dawarraborak(Clever Man : 賢者)」(Charlie Elliyongのアボリジナル・ネーム)について歌われている。トラック2の歌はBenmele(Rusty Moreen)の姉Agnes Lippoについて歌われており、Benmeleはその歌を作った後に、その歌をBobbyに手渡したのだとBobbyは説明していた。

いくつかの歌では、間接的もしくは直接的にある特定の場所について述べられている。Bobbyの歌で名付けられている場所の多くは、Anson Bayの海岸に近い彼の祖先の大地にある。そういった場所の中には彼の父親の土地「Rak Badjalarr(North Peron島)」についての歌がトラック1と3に、South Peron島とDaly Riverの河口の間の海にある深み「Bandawarrangalgin(Blue Water)」についての歌がトラック4と6に、Wadjiginyの人々の土地にある場所「Walingaba」についての歌がトラック9に、Daly Riverの河口北側にある場所「Tjappana」についての歌がトラック10にそれぞれ収録されている。その他の歌は、Larrakiyaの人々の伝統的な土地の一部であるCox半島にあるBelyuenコミュニティの周辺の土地に関係している。Belyuenコミュニティに住むWadjiginyとEmmiyangalの二つのグループは、その場所で生活を営み、儀式を執り行い、その年の最適な時に火を放つなど、土地の管理をすることによって、Cox半島のLarrakiyaの人々の土地を「世話している」(Povinelli 1993)。トラック1と2は、Darwinからのフェリーが着くMandorahaという場所で起こった出来事に関係しているとBobbyは述べていた。他のBelyuenコミュニティの人々が言うには、トラック8で述べられているChannel-billed Cuckoo(和名 : オオオニカッコウ)が特にCox半島のドリーミングの場所と関連があるそうだ。その他の歌は、Belyuenコミュニティ内で起こった出来事に関係している多くの出来事について歌われている。

歌と踊りというのもBobbyの歌の目立ったテーマの一つである。踊りについてはトラック4と11の2曲で述べられており、「Mara(男性の踊り)」と「Muyang(女性の踊り)」についての言葉はトラック11の様々な表現でやりとりされている。ある場合では「Get up & Dance(立ち上がって踊れ)」と熱心に勧める言葉が本文からはずれて歌われているようだ(トラック7の一つの表現など)。トラック4では普通の聴衆達が歌の伴奏のために拍手の練習をしている様子について述べられている。歌への言及、もしくは歌う事の奨励がトラック1、5、9、11、13に見い出される。

重要な人々、場所、そして出来事についての共有されている記憶に対する魅力同様に、歌と踊りの演奏が行われる時に起こる共同社会的な活動についての言及が歌の中に混入しているという事は、そのような活動、記憶、そして愛着といった社会的に重要な特性が人々を共につなぎ、アイデンティティと伝統の進行的な感覚を創るという事を目立たせている。歌と踊りもまたコミュニティとその土地の健全な状態を維持するために必要である、そしてその大地は、人間の活動によって実り多くなり、活気づけられている。

他のアボリジナルのコミュニティで儀式のための演奏や、有名なMandorahの旅行者のためのCorroboree(アボリジナルの歌と踊りを指す英語)、また「Darwin Eisteddfod(Eisteddfodとは毎年開かれる詩人と音楽家の集まりだが、ここでは北オーストラリアのアボリジナルの音楽フェスティバルを指している様である)」のための演奏など、歌と踊りはBelyuenコミュニティの人々が他の人達に出会って来た一つの手段でもあった。この録音もそういった伝統の一部である。Bobby Lane、彼の親者、そしてBelyuenコミュニティからは、このCD『Rak Badjalarr』とこのライナーノーツのために、惜しみ無い協力と完全な同意をいただいた。このCD作製にかかわった全ての人にとってそれは愛情をもってできる仕事だった。そしてその完成には何年もかかったのだった。我々は皆、偉大なるソングマンとそのすばらしい歌、そしてそれらを育くみ、その歌が響き続けるコミュニティに敬意を表するということを正しく行うことに尽力した。

■Bobby Laneの歌の音楽的構造
他のWANGGAスタイルのシンガー達と同じように、Bobby Laneは、楽器だけの演奏部分を含んだ典型的な2つ〜3つの歌詞の短い繰返し(ヴォーカル部分)で構成されているかなり安定した大きなスケールの枠組みの中で歌を作曲している(Marret & Barwick 1993を参照)。

「Rak Badjalarr」では二つの異なるタイプの全体構造が見られる。ヴォーカル・セクションで見られる「Unmeasured Songs(不定律、つまりリズムがあいまいな歌)」はクラップスティックのサウンドを伴わないが、ヴォーカル・セクションの合間の、楽器だけのインスト・セクションでクラップスティックが演奏されている(トラック4と6)。「Measured Songs(定律、つまり正確なリズムの歌)」では規則的なクラップスティックを打つ音が曲全体を通じて聞かれる。WANGGAスタイルのシンガーのレパートリーには、通常「Measured」ソングと「Unmeasured」ソングの混合が見られる。Bobby Laneの歌はクラップスティックを打つパターンのヴァラエティを利用している。クラップスティックはいつもシンガーが演奏し、傍観者が時々手拍子(男性か女性)か、ひざを叩いて参加する(女性)ことがある。通常、同じ歌詞の歌には同じスティックのパターンの伴奏がされるが、過去の録音を聞けば、同じ歌に異なるスティックのパターンが使われたことがあったという事がわかる。例えば、トラック16と19の「Rak Badjalarr」などが良い例である。

「Unmeasured Songs(不定律、つまりリズムがあいまいな歌)」の楽器だけのインスト・セクションでの継続的なスティックのパターンは、その曲の最後のインスト・セクションでは基本のスピードの2倍で打ち鳴らされる。二人のシンガーがいる場合には、彼等は楽器だけのインスト・セクションで複雑に重なり合ったリズム・パターンを演奏する。2番手のシンガーがわずかにフレーズから外れた通常の速度のスティックをたたき、リード・シンガー(Bobby)は2倍の速度のスティックをたたく(トラック6)。「Measured Songs(定律、つまり正確なリズムの歌)」では、様々な速度で連続的にスティックを打つだけではなく、休符を含んだ数多くのスティック・パターンが使われる。

スティックの演奏の最後では、特別な(曲を)終わらせる形式が用いられる。それはスティックのパターンによって異なっている。ディジュリドゥ奏者とダンサー達にとって、このような曲のエンディング・パターンは、合図として機能しているようで、WANGGAが演奏される地域を通じて広く使われている。「Unmeasured Songs(不定律、つまりリズムがあいまいな歌)」では、スティックを打つインスト・セクションで二つの異なるエンディングの決まったパターンが普通の速度で使われている。トラック4では、それぞれの「楽器だけのインスト部分」では特別なスティック・パターンが特徴的であるのに対して、トラック6ではそのエンディング部分ではヴォーカルのきっかけが合図になっている。トラック4と6の両方で2倍の速度でたたかれるスティックが聞かれる最後のインスト部分では、特別なスティック・パターンで曲が終わっている。「Measured Songs(定律、つまり正確なリズムの歌)」のエンディング形式は、スティックを一回叩く音が、続く残りの部分で構成されている(休符が入ったパターンでは、通常のリズム・パターンの中にある休符の後に、一回スティックを叩いて曲が終わる)。Bobby Laneの歌のレパートリーでは、ほとんどの場合、スティックを打つパターンよりもむしろ言葉的、視覚的、もしくはメロディー的な手段によってディジュリドゥ奏者やダンサー達に合図を送っている。いくつかの歌の前には、Bobby Laneがその曲のディジュリドゥの伴奏で使われるリズムを前もってディジュリドゥ奏者に「Mouth Sound(ディジュリドゥで演奏されるリズムの歌)」で教えているのが聞かれる。

■歌 詞
ボーカル・セクションで使われる歌の歌詞は、たいていほんのわずかな歌詞(日常使う言葉では全く意味を持たない決まった語彙的な項目)と単語(意味のない音節)を伴って、反復進行の中に留められており、Batjamalha語(まれにEmmi語)での文法的な文章形式をとる。この点に関しては、Bobbyの歌はその他のDaly地域のWANGGAスタイルの作曲者の歌と似通っており、その歌がもっぱら作られた歌詞と単語の文章になっているAlan MaralungのようなDaly地域ではないWANGGAスタイルの作曲者の歌とは対照的である。死者の霊が夢の中でソングマンに歌いかける時、彼等は霊の言語で歌うのだとBelyuenコミュニティのシンガー達は説明している。霊の言語がわかるソングマンは、いくつかの言葉は理解できない霊の言葉のままにして、その霊の言語をBatjamalh語のような人間の理解できる言葉に翻訳、もしくはこじつけているのだろう。Bobbyの歌の大半の言葉は日常会話で使うBatjamalh語に翻訳されて歌われているという事実にもかかわらず、おそらくその特定の言及はかなり謎めいており、彼の歌のいくつかには明らかに矛盾しているストーリーがBelyuenコミュニティに存在している。歌詞の意味の多様な解釈はアボリジナル文化の典型である(Merlan 1987年参照)。

「Karra」(トラック3、6、12、13)、「Ribene」(トラック3)、「Rdinyale」(トラック10)と、Bobbyはたったこれだけの歌詞だけを自分の歌の主要な文章で使っている。母音の音、もしくは鼻歌のような音が主要な歌詞の中に含まれている歌がたくさんあり、それはそれぞれのヴォーカル・セクションのメロディ部分を補うために絶えず使われる。我々の翻訳ではそのような例は「Wordless Melody(歌詞の無いメロディ。WMと短縮して表記される。)」と呼んでいる。

ボーカル・セクションの合間のブレイク部分では、Bobbyは頻繁に「Ya ya」、「Di di di...」のような単語や鼻歌のような音で歌い、ディジュリドゥ奏者やダンサー達に合図を送るために様々な方法で歌っている。また、彼は「Karra」という歌詞をブレイク部分で使ったり(トラック3、4、11)、例えば「karra nyamuyang nyedjang(-nganggung) : オー、立ち上がって踊っておくれよ、女性達!」(トラック11)のように、時には日常使う言語での叫び声が歌に含まれる。このような母音化された音はさまざまな方法で本文から見分けられる。同じ曲の演奏の間にかなりの流動性があり、使われる音程は非常に低い(一般的に主音の1オクターヴ下)、そしてボーカルの音質に変化をともなうなどの特徴がある。

■録音について
Bobby Laneの歌はMarettにより3回に渡って録音された。1986年6月と1991年11月に2度の計3回であるが、一度も完全なレパートリーを彼が歌うことはなかった。レコーディングは全てBelyuenと言う名で知られる水場でおこなわれ、その場所の名からコミュニティの名前がつけられた。最初の11トラックには、当時のBobbyのレパートリーの中で、それぞれの歌の使える録音の中でも最善のものをこのCDに集めている。さまざまな録音から抜粋されているので、トラック間でディジュリドゥの音程に違いがあるのは避けられない。

Bobbyの死から4年後の1997年に、Marett、Barwick、そしてFordの3氏はBobbyが作曲した他の歌があると伝えられる。その歌は、Roger(Rossy) Yarrowinによって4曲トラック12で歌われている。

Alice Moyleが1959年と1962年にBagot(Darwin)で行った録音と、LaMont WestがKatherine付近のBeswick Creek居住区で1961年に行った録音がトラック13〜18に収録されることによって、このCD『Rak Badjalarr』に歴史的深みが加わっている。そういった資料的録音の最初の2曲はトラック13と14に収録され、Bobby Lane本人が歌っており、Marett氏がBobbyに会った1986年には彼の歌は全曲で14曲だという事で、Bobbyはもはやそれらの歌を歌わなくなっていたようだ。トラック16〜19はタイトルになっている「Rak Badjalarr」の別バージョンで、まず最初にBobby自身が歌っている1962年録音にはじまり、Belyuenコミュニティの二人のシンガーRusty MoreenとLawrence Wurrbenによる60年代初頭の録音が続く。このCDの最後を飾るトラックでは、Colin Warrambu Fergusonが歌った1997年録音の「Rak Badjalarr」が収録されている。

■歌詞の書写の御案内
ここに紹介されている歌詞とその翻訳は、言語学者Lysbeth Fordの協力のもとで、BarwickとMarettが収集してきたものである。Bobbyの存命中、ほとんど全ての歌に対する英語での自分自身のコメントの録音と自分の歌の歌詞の文書の作成にBobbyは積極的に参加していた。特にAgnes Lippo、Audrey Lippo、Esther Barandjuk、Ruby Yarrowin、そしてMarjorie BilbilなどのBelyuenコミュニティの多くの年長の女性達が、Bobbyの歌詞の書写と翻訳の作業に参加した。Bobbyの死後、彼の子供であるLorraineとDaniel Laneが度重なる翻訳の会合に立ち会った。

Bobby自身が語った歌の紹介がある場合は、それぞれのトラックの冒頭にその翻訳がのせてあります。Bobbyの語った歌の紹介の次には、歌詞、その翻訳、メインの歌詞のリズムの紹介といった追加的かつ前後関係上の情報が続く。最初の一節か二節の歌詞の翻訳に続いて、太字で書かれている「Main Text」が、太字の斜体で書かれている歌詞と単語(歌詞の無いメロディ部分)と共に紹介されている。シンガーのハッキリと聞き取れないMain Textの一部は[ ]の括弧でくくられている。ボーカル・セクションの間に見られる言葉の素材は斜体で書かれている。

ボーカル・セクションのメロディー構造もまた、書写部分で説明されている。構成の中でも最も重要な演奏部分は、ほぼ一番高い音程で始って、主音で終わる反復進行のあるメロディック・セクションである(この部分は、それぞれの曲の写しが書かれている四角い枠の中に囲まれている)。メロディック・セクションは、I、II、IIIなどと番号がふられたメロディック・サブセクションに分けられていることもあり、それぞれが音程が継続的に下がっていく反復進行からなる。それぞれのメロディック・サブセクションが含んでいる範囲の指標が与えられており、下記の音程名称が使われている。1-7(Tonic Octave : 主音からオクタープ上まで)、8-15(Octave above the Tonic : オクターブ上から上の主音まで)、I-VII(Octave below the Tonic : 主音から下のオクターブ)。メロディの幅の指標は、単に聞くときの案内として与えられている。Bobbyの歌では、たくさんの異なる音階が使われているが、その分析はここでは行っていません。その唯一の例外がトラック3で、メロディック・サブセクションI は、主音のメジャー3度上(E)の音で終わり、メロディック・サブセクションIIIは、主音のマイナー3度上(D#)で始っている。この場合、我々は3度の二つの形式をそれぞれM3とm3と区別している。

下記にはそれぞれの曲について詳しく解説されているライナーの翻訳に加えて、「上記はライナーの翻訳」という文章ではじまる段落にはディジュリドゥの音や演奏スタイル、曲構造についてのレビューが掲載されており、このレビュー部分は、学術的に詳しく解説されているライナーとは無関係の、単にサウンドからの印象がのべられています。レビュー部分でなされている言及は推測の域を超えるものではないという事をご了承下さい。

■ライナーの翻訳と解説
1. Rak Badjalarr2. Winmedjem Ngandjinyene Ngami3. Karra-fe kanya Ferfer Tedi4. Bandawarra-Ngalgin Kadjenmene5. Tjerrendet-Maka Kangadje6. Karra Balhak Malbak-Karrang-Maka7. Tjendabalhatj Mibe-Maka Nyennene Kanyedjanga8. Benmele-Maka kurratjkurratj Kabindje-Nong9. Walingaba-Maka Bangany Ngabindjang10. Tjappana Rdinyale11. Bangany Nyebindjang Nyamu-Ngarrka Yamara12. Karra Mobagandi13. Karra Balhak-fe Belleny Nyebindjange14. Limarakpa Limarakpa15. Karra-fe Kanya Ferfer Tedi16. Rak Badjalarr17. Rak Badjalarr18. Rak Badjalarr19. Rak Badjalarr
※曲名をクリックするとその曲の解説へ飛びます。

1. Rak Badjalarr(1 item)
'86年4月録音。Bobby Laneの歌とクラップスティックにNicky Jorrockのディジュリドゥの伴奏。2番手のシンガーはTommy Barandjukである。「それは場所の名前Badjalarr。それは君が歌おうとしている場所である」という歌詞が歌われている。この歌は、Audrey LippoがMandoraha(今ではホテルと波止場があるBelyuenコミュニティの人々にとって重要な場所)のある岩場の近くに座って牡蠣を食べているというビジョンをBobbyが1956年に見たことに関する歌だと1933年にBobby自身が語っていた。この出来事によりBobbyはRak Badjalarr(Bobbyの父親の土地であり、Audreyが生まれた場所であるNorth Peron島)の事を考えるようになった。この歌はその場所を思い忍ぶ歌の一つである(トラック2のBobbyのコメントを参照)。 トラック16〜19では、この歌の違う演奏が収録されています。

    rak Badjalarr maka banganyung
    [I am going to sing] a song for the sake of my father's country, North Peron Island.
    winmedje ngandjinyene [ngami]
    I am sitting eating oysters.

上記はライナーの翻訳。Belyuenコミュニティで最も優れたディジュリドゥ奏者と言われているNicky Jorrockの演奏は、ディープでのびのある独特の高い倍音がメロディックに聞こえる。恐らく2拍3連でスタートしたディジュリドゥが一瞬で3拍子(1+2+休)のクラップスティックに合わせて曲がスタートしていると思われる。また曲の最後にディジュリドゥとクラップスティックになった時にのみ、激しく即興的な演奏をしていてたまらない。この特徴的なディジュリドゥのサウンドは主にやわらかな舌の動き、そして喉の開放やわずかなボイシングによって生まれているようだ。デビッド・ブラナシにているようだが、まさにWANGGAらしいここでの演奏ではダイナミズムよりも、よりきめこまやかな倍音がすばらしい。アルバム中でも最もすばらしい録音状態です。アルバム・タイトルにもなっている名曲で違う年代の録音や、その他のBelyuenコミュニティのシンガー達が歌っている別バージョンも収録してあります。

2. Winmedjem Ngandjinyene Ngami(1 item)
'86年4月録音。Bobby Laneの歌とNicky Jorrockのディジュリドゥの伴奏。「私は今牡蠣を食べていて、鼻歌を歌っている。何度も何度もその同じ歌詞を繰返し歌い続けている」という意味のタイトルがついている。この歌はAudrey Lippoによって作曲され、BobbyはAudreyのいる前で、この歌の作曲にBobby自身とAndreyの兄弟Benmele(Rusty Moreen)がかかわったと私達に伝えていた。

「ある時期、わしらはキャンプの外で座っていた。わしとAudrey、そしてここにいるこのAudreyを見つめながら座っておった。彼女はある岩の所にたたずんでいた。牡蠣の事をよく知っていたんだ。彼女の兄弟がこのWinmedjemソングを作ったんだ。Winmedjemは岩についてる牡蠣という意味で、彼女は大声でその歌を歌っていたものだ。Audreyが彼女のためにこの歌を作り、そしてわしがそれを聞き覚えて演奏した。わしがその歌を形にしたんだ。そしてわしらはここにいる女性Audreyについてこの歌を作ったんだよ。」(Interviewed by Marett & Ford 4/2/1993)

    winmedjem ngandjinyene ngami mm
    I am sitting eating oysters.

上記はライナーの翻訳。WANGGAとGUNBORGの両方で一般的に広く聞かれるリズム4/4拍子(1+2+3+休)のクラップスティックで、伴奏のディジュリドゥは3連ベースのリズムになっている。ディジュリドゥの演奏には即興的要素は少なく、曲の展開も非常にシンプルなため、WANGGAスタイルのディジュリドゥの伴奏の入門的な録音といえるかもしれない。WANGGAスタイルの卓越した演奏技術を持つNicky Jorrockのこのトラックでのサウンド的な特徴としては、「Litumo-」などと表現されるWANGGAのマウス・サウンドの「Li」という部分で聞かれるホワッという音を注意して聞いてもらいたい(トラック6ではさらに明確に聞き取ることができる)。

3. Karra-fe Kanya Ferfer Tedi(1 item)
'86年4月録音。Bobby Laneの歌とNicky Jorrockのディジュリドゥの伴奏。タイトルの意味は「オォ、風が吹いている」で、「Peron島と呼ばれる場所に向かっている」という歌詞が続く。トラック1の歌に似た美しいこの歌では、Badjalarr(North Peron島)に対する心からの思慕が表現されており、Bobbyが夢の中で「Maruy」スピリットから授かった歌である。彼は、さわやかな風が吹くその島に寝そべっている自分を想像していた。

「さわやかな風が吹き、わしはここに寝そべっている。わしは眠り、夢を見、Murayスピリットがやってきて、歌を歌ったんだ。わしはそのイメージを得て、その歌を歌ったんだ。」(Lys Ford フィールド・ノート 3/2/93)。 歌詞は部分的にBatjamalh語で、部分的にEmmi語で歌われている。Alice MoyleはBobbyが歌うこの歌を1962年にDarwinで録音した(トラック15参照)。

    karra-fe kanya ferfer tedi ka[yanthi]
    Oh [a breeze] is blowing this way on my back
    karra-fe kakkung-bende Badjalarr
    Oh [I'm going] to Peron Island now
    ribene ribene ribene ribene
    [song words]

上記はライナーの翻訳。トラック1の「Rak Badjalarr」同様、ディジュリドゥの演奏には3/4拍子(1+2+休)のクラップスティックに合せて、基本的なリズムの雰囲気を崩さない細かい即興部分、もしくは基本リズムのバリエーションが見られる。特に歌が入るまでのディジュリドゥとクラップスティックだけの部分での早い舌の動きを使ったバリエーションからはNicky Jorrockの高い演奏能力を感じる。

4. Bandawarra-ngalgin Kadjenmene(3 items)
'86年4月録音。Bobby Laneの歌とNicky Jorrockのディジュリドゥの伴奏。「Bandawarra-ngalgin」は「はるか向こう、海の真ん中から離れ、潮が満ちて来ている」という意味で、「Kadjenmene Kabarambarra; Ngalefiyiti」は「そこに座って手拍子をしなさい」という意味、「Kakkungbende Ngappuring Badjalarr」は「私はPeron島と呼ばれる場所に向かっている」という意味の歌詞である。

BobbyとつながりがあるPeron島に関するこの歌は、南Peron島とDaly River河口の間にある海底にある深い穴「Bandawarra-ngalgin」と呼ばれる場所について歌われている。

Bobbyの(アボリジナルの親類関係上の)「いとこ兄弟」のMun.giがハリウッド映画の歌手ビン・クロスビーやフランク・シナトラのように彼の夢の中に現れ、この歌を授けた。「わしはサッと眠ってしまって、目は開いているのだが、聞くことができた。わしは聞くことができたんだ.....スピリットがやって来てわしに歌を歌った。次の日、どこに行こうともその歌を練習し続け、そしてこの歌を自分のものにしたんだよ。」(Interview, Marett and Ford, 4/2/1993)

「Unmeasured Songs(不定律、つまりリズムがあいまいな歌)」のリズムの書写を読むことができます。個人の特徴において、リズム感覚はここで紹介されているものと異なることがある。特に長い音に関してはそうである。

    Bandawarra-ngalgin kadjenmene
    the sea at Bandawarra is coming in
    nyamuyang nyedjang-nganggung
    stand up and dance, woman, for us both
    ngala-fiyitj nyamu-nganggung
    sit and clap hands for us both

2行目の「nyamuyang nyedjang-nganggung(わしら二人のために立って踊っておくれ、女性達)」という熱心に勧める声が、トラック7のヴォーカル部分の間のブレイクで聞かれ、「nyamuyang nyedjang-ngarrka(わしのために立って踊っておくれご婦人)」というバリエーションがトラック11の歌詞の中に見られる。2番目の曲まで完全な歌詞が存在しないので、この歌の最初の2曲はここで書き写されている。

上記はライナーの翻訳。ライナーにもある通り、この曲はクラップスティックの伴奏なしのパートと、伴奏有りのパートに別れている。3曲収録しており、1曲目と3曲目のブレイクに入る直前のクラップスティックのリズム・パターンはかなりシンプルでわかりやすくも、特徴的でクールなリズムである。ディジュリドゥの演奏は3曲目が最もダイナミックな演奏をしている。

5. Tjerrendet-maka kangadje(1 item)
'86年4月録音。Bobby Laneの歌とNicky Jorrockのディジュリドゥの伴奏。「Tjerrendetというのはある人の名前を意味してるようで、わしはその人について歌っているんだ。budjebudje yangbangga nitj [わしは繰り替えし彼の名前を呼んだ]という歌詞を毎回繰り替えし、kudja kabararrang bangany kabindje [彼は歌を繰返し歌いながら、向こうへよく行っていたものだ]、tjidjende bangany kabindje [この男は歌を歌っている]、kabindjeng kabara [彼が行く時には彼は歌う]、それは彼は出かけて、いつもその歌を繰返し歌っている、自分自身に歌っているという意味である。」 Tjerrendet(Emmi語で、横でしばった伝統的な腰布を意味する名前)は、かつてBelyuenに住んでいた。車の衝突事故で手足が不自由なEmmiyangalの年老いた男性Roy Mardi Bigfootのアボリジナル・ネームである。随分昔のある日、BobbyはRoyが彼のキャンプを歩いて通り過ぎるのを見た。

    Tjerrendet-maka kangadje / tjidjende bangany kabindje
    Tjerrendetは戻ってしまった / この男がこの歌を歌っている

上記はライナーの翻訳。「Lidro- Lidu Lidro-, Lidro- Lidu Lidro-」というソングマンBobbyによるディジュリドゥのマウス・サウンドから曲が始っている。ディジュリドゥの演奏はフラクタルでいながら、きっちり歌をフォローしている。4/4拍子の曲で、曲中の即興的な演奏が多く見られる。この曲では、なぜかディジュリドゥの低音が大きく録音されており、多少こもった感じに聞こえる。

6. Karra balhak Malbak-karrang-maka(1 item)
'86年4月録音。Bobby Laneの歌とクラップスティックにNicky Jorrockのディジュリドゥの伴奏。2番手のシンガーはTommy Barandjukである。「Bandawarra-ngalgin」とは「海の沖、そこにはこの老人がいる」という意味、「kabanbiyang kaya」は「彼は眠っている」で、「nguk kamariyang kaya」は「彼は足を交差させて横になっている」、「wagatj-pene」は「島の上、砂の上」という意味である。

歌詞の一行目の「Malbak」という名前は、Mun.giの養子関係の父であり、Bobbyの父親の兄弟である有名なソングマンAguk Malbakの事である。Bobbyによれば、この歌は最初にAgukの兄弟によって作られ、偶然Mun.giからBobbyが手渡されたという。「Mun.giが.....これらの事を教えてくれたんだ.....それで今わしがその歌に命を吹き込み続けているんだ」とBobbyが述べていた。(Interview, Marett and Ford 4/2/1993)

    karra balhak Malbak-karrang-maka ngan-rdutmeneng kabara
    hey older brother Malbak has gone leaving me behind
    Bandawarra-ngalgin-bende nguk kamariyang kayefe
    at Bandawarra-ngalgin now, he is lying with one knee bent over the other
    karra balhak werret mong yamara nyaburing munguyil-malang
    hey older brother quickly go catch him up, paddle like mad!
    ngawardina ngawardina-djene-nung-bende
    use a piece of driftwood [as a boat], a piece of driftwood now

上記はライナーの翻訳。このアルバムの中でも最もすばらしい演奏の一つで、ディジュリドゥはしっかりした音量で収録されており、トラック2でも聞かれる「Li」というマウス・サウンドの時に聞かれるホワっというサウンドをはっきりと聞き取ることができる。「クラップスティックの伴奏無しの演奏+クラップスティック付きの演奏」が曲中で2回繰り替えされが、2回目のみクラップスティックはBobbyとTommyが交互に8分(音符)で叩き、1回目の2倍のスピードになっている。また、ディジュリドゥはクラップスティックが入っていない部分では、歌詞の言葉の切れ目に合わせるかのように非常に自由に複雑な即興演奏し、クラップスティックが入ると同時に、決まったリズムを繰り返すように演奏している。Nicky Jorrockの演奏するディジュリドゥは自由に、そしてガッチリと曲をフォローしている。

7. Tjendabalhatj mibe-maka nyennene kanyedjanga(1 item)
'86年4月録音。Bobby Laneの歌とクラップスティックにNicky Jorrockのディジュリドゥの伴奏。2番手のシンガーはTommy Barandjukである。「Tjendabalhatj mibe-maka nyennene kanyedjanga」は「この年老いたTjendebalhatj、年老いたElliyongはこの若い人を訪ねて出かけた」という意味である。「Mibe nyenne nanggany kanyedjanga」は「彼はほとんど毎日その人を訪ねて出かける」という意味である。

Tjendabalhatj(白人の名前はOld Charlie Elliyong)は年老いた男性で、以前は若い人のような動きだったが、手足が不自由になってしまった。Bobbyは彼を「祖父」と呼んでいた。彼は「Dawarraborak(呪術師、もしくは賢者)」だった。

1991年に若者のダンスのためにこの曲が演奏された時には、この1986年の録音で聞かれる「Aaaa」という声の代わりに、「nyamuyang nyedjang-nganggung(わしら二人のために立って踊っておくれよ、女性達)」という熱心に勧める声がボーカル・セクションの間のブレイクで聞かれる。このフレーズはトラック4でも聞かれ、「nyamuyang nyedjang-ngarrka(わしのために立って踊っておくれご婦人)」という違うバリエーションがトラック11の歌詞の中に見られる。

    Tjendabalhatj mibe-maka nyennene kanyedjanga
    Tjendabalhatj you saw me while you were standing there staring

上記はライナーの翻訳。トラック2と同じ4/4拍子のクラップスティックのリズム(1+2+3+休)で、曲の頭ではBobbyが伴奏してほしいリズムをNickyにマウス・サウンドで伝えているのが聞かれる。この曲ではよりタイトなディジュリドゥの演奏をしており、喉の動きがすさまじい。中でも常に5度上あたりに聞こえる倍音と、2度上、1度上、5度上とメロディックに移動する高い倍音の美しさはこのプレーヤーの特筆すべき点である。WANGGAスタイルの不世出のプレイヤーNicky Jorrockの壮絶な倍音コントロール感覚のエッセンスがつまった録音です。一番上の高い倍音がトランシーに常に聞こえる。

8. Benmele-maka kurratjkurratj kabindje-nong(1 item)
'86年4月録音。Bobby Laneの歌とクラップスティックにNicky Jorrockのディジュリドゥの伴奏。2番手のシンガーはTommy Barandjukである。「Benmele-maka kurratjkurratj kabindje-nong」は「あぁ、こいつが呼んだ」という意味で「Benmele, kurratjkurratj」は「ワライカワセミ」を意味し、「kabindjang kami-nyong」は「このワライカワセミという鳥はBenmeleにずっと歌を歌ってきた」という意味である。

Benmeleは、Rusty Moreenの兄弟Audrey Lippoのアボリジナル・ネームである。Bobbyが最初にワライカワセミと訳していた「Kurratjkurratj」は「Channel-billed Cuckoo/Storm Bird(オオオニカッコウ)」である。この歌の意味について様々な解釈があり、Belyuenコミュニティの人々は現在ではその全てが正しいと認めている。

歌の言語的構造は多義的で、Bobbyは動詞で終わる歌詞の様々な変形を数多く歌っているようだ。その全てが同じリズムである。最も頻繁に歌われていた歌詞は下記の通りである。

    Benmele-maka kurratjkurratj kabindje-nong
    「Benmeleのためにカッコウが歌った」か「Benmeleはカッコウのために歌った」のどちらともとれる。 その他の時々使われる変化は
    Benmele-maka kurratjkurratj kabindje(n)
    「Benmeleはカッコウ(の歌)を歌った」か「カッコウはBenmeleのために歌っている」のどちらともとれる
    Benmele-maka kurratjkurratj kabindjene(m)
    「Benmeleはカッコウを木につるした」と訳されてきた(Batjamalh語の[歌う]と[つなぐ]を意味する動詞は、ほぼ同一である)

Agnes LippoとAudrey Lippoは、その歌詞では「Benmeleがその鳥のために歌っている」という事が歌われているんだと繰返し主張していたが、Bobbyは、「鳥がBenmeleに歌を歌っているんだ」と我々に述べていた。1995年にAudrey LippoとEsther Barandjukが1991年のBobbyの録音を聞いた時の最新の解釈では、「Benmeleはカッコウを木につるした」というものだった。「Benmeleは鳥の死体を見つけ、木につるしたんだ」と説明していた(人間の亡きがらを木にかけて埋葬する方法がこの地域の伝統的な埋葬手段であった)。Bobbyは後に、鳥がBenmeleに歌を歌い、その歌をBenmeleに教えているのを夢で見た。オオオニカッコウはある精霊と関連があり、病気の人達が眠っている間にその霊を呼び出すことができる。そしてCox半島のある場所には、この鳥と特に関係がある一本の木がある。

上記はライナーの翻訳。トラック7以上に速いテンポの演奏で、WANGGAスタイルの伴奏としては、かなり速い舌の動きをしている曲であるにもかかわらず、非常にタイトに演奏している。息を細かく吸っているのがわかる。聞かれる倍音は美しく、この地域のディジュリドゥの演奏に特徴的な声帯で生まれていると思われるにごった倍音をリズミックに、そして他の倍音に溶け込ませるかのように演奏している。

9. Walingaba-maka bangany ngabindjang(1 item)
'91年4月録音。Bobby Laneの歌にIan Bilbilのディジュリドゥの伴奏。

「さて、この歌はWali、Walingabaと呼ばれる場所について歌っている。それはPeron島の近く、その辺りでわしは古い言葉Wali、Walingabaをただ繰返し歌っている。」

Walingabaが正確にどこに位置しているのかはわからない。WadjiginyのBrian Hendaというシンガーが同じ歌をAdrienne Haritos McConvellのために歌った1979年のこの歌には別の解釈がある。Hendaが「父」と呼ぶBobbyから彼は歌を習った。BrianはAdrienne Haritos McConvellに次のように語っている。

「Wallyっていうのは私がPort Keatsで働いていた時にPort KeatsにあったTOYOTA(トヨタのランドクルーザーを指していると思われる)の名前だよ。そこの人達はそのTOYOTAをWallyって呼んでたんだ。WallyはDaly Riverの近くのどこか、ほらあの交差点でね、事故にあったんだ。私の父Bobby Laneが、彼等はいったいいつWallyを修理するのかとたずねた。私の父は「wali muvu maka(いつになったらおまえは動き出すんだい?)」と言った[歌った]。いいかい、彼はガレージにいたんだ。えっと私のオールド・マンは「wali muvu makayi bangany nyebindja(いつおまえはまた動きはじめるんだい?)」と言った[歌った]。Bobbyがその歌を作ったんだ。今歌っていたのがそれさ。」(Interview recorded by Adrienne Haritos, 18/5/1979)

このように同じ歌の歌詞の意見が異なる解釈は多くのアボリジナルの歌の伝統においては全く普通の事のようだ。その歌詞についての説明とそれを討論する権利はしばしば無関係に広まるというのがアボリジナルの歌の伝統にある。

    Walingaba-maka bangany nyebindjang
    For the sake of the place Walingaba sing a song

上記はライナーの翻訳。この曲ではIan Bilbilがディジュリドゥを演奏している。楽器のせいかもしれないが、常に一定の音量のドローンを安定した唇と圧で聞かせるNicky Jorrockの演奏に比べて、より息でリズムができてしまっている感がある。まるで話しをしているかのようにドローンにメロディーの抑揚がついている。

10. Tjappana Rdinyale
'91年5月録音。Bobby Laneの歌にEric Martinのディジュリドゥの伴奏。「わしはTjappanaというのがただ場所の名前だと前に言った。Tjappanaはどこだったか?..Daly Riverの河口の近く、それがTjappanaだ、その場所の名前だよ。わしはただ同じ名前をずっと繰返して(歌い)続けているんだ。」
Belyuenコミュニティに住むEmmi語を話すRuby Yarrowinは、TjappanaはDaly Riverの北岸にある場所だと述べている。

    Tjappana rdinyale rdinyale Tjappana
    the place Tjappana [song word] [song word] the place Tjappana

上記はライナーの翻訳。ディジュリドゥはEric Martinで、個性的なディジュリドゥの演奏が聞かれる。1曲目では2/4拍子の単純なリズムの反復で、猛烈にミニマルながら、唇でつぶしたようなルーズなドローンの低音と、高音の倍音成分がやばい。Nicky Jorrockの場合おそらく喉で作っていると思われるメロディックに変化する倍音が非常に目立つが、Eric Martinの演奏では、ドローンの基音が比較的ダイナミックで目立ち、舌でできると思われる一定の音程の倍音成分が豊かである。主観的な観点からみるとどちらかと言えばGUNBORG的なサウンドに近いと感じさせる渋い演奏である。

11. Bangany nyebindjang namu-ngarrka yamara(3 items)
'91年3月録音。Bobby Laneの歌にNicky Jorrockのディジュリドゥの伴奏。青年の踊りの掛け声とステップの音が聞かれる。パーカッション楽器はビールの缶である。

「この精霊は、わしが今歌っていた事、その歌を繰返し歌うようにわしに言った。時々わしが歌う時にはその歌を繰返し歌わなければいけなかった。その精霊はわしに歌を歌ってくれと言い、わしがさっき言ったように、そういう理由で同じ[bangany nyebindjang nyamu]という言葉をただ繰返し続けているんだ。」

1991年のある時には、この歌には青年達の踊りがよく伴われ、1991年3月に録音されたこの演奏とその2日後の1991年4月に録音された演奏の間には、いくつかの歌詞に流動性が見られる。1991年3月の踊りには、女性はだれも参加していなかったにもかかわらず、女性の踊りのための言葉「Nyamuyang」が使われていた。1993年4月の録音(ダンスは行なわれていない)では、「Nyamuyang」の代わりに男性の踊りのための言葉「Yamara」が使われていた。

    bangany nyebindjang nyamu-ngarrka ya-ma-ra
    keep singing a song for me; dance, man
    bangany nyebindjang nyamu-ngarrka ya-ma-ra
    keep singing a song for me: dance, man
    namuyang nyedjang-ngarrka bangany ya-ma-ra
    stand up and dance the song for me, woman; dance, man
    yama-ra nyedjang-ngarrka bangany(ung) ya-ma-ra
    stand up and dance, man, for me and the song, dance,man
    bangany nyebindjang nyamu
    keep singing a song

「nyamuyang nyedjang-ngarrka」という熱心に(ダンスを)勧める声が、「nyamuyang nyedjang-nganggung(わしら二人のために立って踊っておくれよ、女性達)」という違うバリエーションと共にトラック4とトラック7でも聞くことができる。

上記はライナーの翻訳。ビールの缶をクラップスティック代わりに、数名の若い男性ダンサーと共に録音されているため、ダンサーの足音と叫び声が入っている場の雰囲気が伝わる好録音になっている。曲の前半部分で、恐らくダンサーか、見物人から「Come on」という声と掛け声が多数聞かれ、間奏部分でディジュリドゥと歌がピタリと止まり、再開する部分は絶妙!ダンサーか聴衆の「イェー!」というそのブレイク、もしくはダンサーの動きの妙をほめ讃える声が聞こえる。トラック2、7と同じリズム(1+2+3+休)で広く踊りに使われるリズム。この'91年という比較的新しい録音ではNicky Jorrockはよりルーズな唇で演奏しているようだ。また喉で生まれるメロディックに移行する倍音成分があまりきかれない。

12. Karra mobagandi(4 items)
'97年5月録音。Rossy Yarrowinの歌にNicky Jorrockのディジュリドゥの伴奏。1977年8月にこのCDの出版前の音源とブックレットをBelyuenの人々に見せた時に、若いEmmiyangaiの男性Roger Yarrowin(Rossy)が、Bobbyの他の歌を持っているとBobby Laneの息子Daniel Laneが言っていた。その歌はBobbyの最後の歌だと言われており、Belyuenコミュニティで非常に重要な人だったRossyの父親の死のわずか前に、BobbyがRossyにその歌をあげたのだった。RossyはこのCDに収録するために、Bobbyの子供Danielとその妹Lorraineの前でこの歌を歌うことを承知した。

その演奏は2回の儀式的な叫び声「Malh」で始っている。その叫び声はBobby Laneの霊に大声で呼び掛けているのだと出席していた男性達が説明していた。この歌の注目すべき特徴は、1曲目と3曲目でそれぞれ2節ずつあるが、リード・シンガーのスティックをたたく音が、全て、もしくは2節目の一部で省かれているという事である(他の出席者の手拍子は聞かれる)。

    karra mobagandi
    Oh poor bugger!
    yeme ngadje nganggung-bende mmm
    you tell me for you and me now
    karra yeme ngadje nganggung mmm
    oh you tell me for you and me
    yeme ngadje nganggung
    you tell me for you and me
    yeme ngadje nganggung-bende mmm
    you tell me for you and me now
    karra yeme ngadje nganggung mmm
    you tell me for you and me

上記はライナーの翻訳。A.P. Elkin教授などが定義付けているGUNBORGの特徴である「長く下がっていくスラー」の叫び声が聞かれるWANGGAソング。複数の男性の儀式的な叫び声で曲が始まり、複数のハンドクラップとかけ声が入り、実況性の高い録音だ。ディジュリドゥの音は前半は少しスカスカな感じで録音されているが、後半はしっかりときれいな音で録音されている。ソングマンRossyがダンサーや、サブ・ソングマンなどに曲中に何度も呼び掛けて、場を盛り上げている様子が伝わる秀逸な内容である。

13. Karra balhak-fe belleny nyebindjange(1 item)
'59年Alice Moyleによる録音。Bobby LaneとRusty Moreenの歌にAlan Namaのディジュリドゥ。「Karra balhak-fe belleny nyebindjange」は、「おい兄貴ブロルガについて歌っておくれよ」という意味です。

ブロルガ(豪州ヅル)は北オーストラリアの湿地帯でよく見かけられる灰色の大きな鳥で、その見事な求愛のダンスは有名である。

この歌は1959年にDarwin郊外のBagotにてAlice Moyleによって録音され、彼女のフィールド記録には「Peron島からの歌」と記録されている。シンガーはBobby LaneとRusty Moreenで、ディジュリドゥの伴奏はAlan Namaである。歌詞も音楽的構造もBobbyのスタイルに一致しており、1962年のAlice MoyleによるBagotでの録音ではその歌詞をBobbyが提供しているのだが、この歌がBobbyの作曲によるものかどうかはわからない。1996年にEsther BarandjukとMarjorie Bilbilは、歌詞の3つ目の言葉は「Belleny(ブロルガ)」ではなく、「Bangany(歌)」であると提案した。残念なことに、BarwickとMarett両氏がこの録音を捜し出したのは、Bobbyが亡くなった後だったので、それについてそれ以上の真相を得ることはできなかった。

    karr a balhak-fe belleny nyebindjaye
    hey older borother sing about brolga

上記はライナーの翻訳。『Songs from the Northern Territory』(CD 1962-63/1996 : AIATSIS)などで知られるAlice Moyle博士による'59年Darwin近郊のBagotでの録音。Bobby LaneとRusty Moreenによるダブル・ヴォーカルの歌声が美しい(なんと当時18才!)、音楽的にも完成度の高い演奏で'59年録音とは思えない程の良い音質で聞くことができます。

ディジュリドゥはAlan Namaで、Nicky Jorrockとはまた違う所に倍音メロディの山と谷があり、Nickyの意図的でコントロールされた倍音のメロディーに比べ、より自然な舌と喉の動きでできている倍音という印象を受ける。ディジュリドゥの演奏している「Lidumoro-, Lidumoro Lebo-」といったリズム・パターンの「Li」という音節の部分が力強く演奏されており、ドローンにしっかりとしたアタックがついているのがわかる。また『Songs from the Northern Territory』のトラック11(b)にはAlan Namaのディジュリドゥ・ソロが収録されている。

14. Limarakpa limarakpa(1 item)
'62年Alice Moyleによる録音。Bobby LaneとDouglas Rankinによる歌にJohn Scroggi(Scrubby)のディジュリドゥの伴奏。

Bobbyが歌詞を口述しているが、この歌が彼の作曲かどうかは不明である。Belyuenの人々はこの歌の歌詞は、意味はなく「ただ歌のためだけの言葉」だと述べている。

    limarakpa limarkpa
    [song words]

上記はライナーの翻訳'62年のオープン・リールによるモノラル録音でトラック13よりもかなりノイズが多いが、しっかりとディジュリドゥのサウンドが聞き取れる。John Scroggiの演奏における倍音成分の出方は非常に素直なサウンドであるのに対して、ヨォルングの「Dit」とはまた違うが、舌を歯の間に挟んでいるのか、前面に力強く押し出すように演奏しているのか、「Lit」という部分でドローンにダイナミズムを与えた演奏は特筆すべき特徴だろう。トラック13のAlan Namaのサウンドにも似たようなサウンドが聞かれる。曲の最後に聞かれる舌をカールバックさせた倍音が美しい。

15. Karra-fe kanya ferfer tedi(1 item-version of track 2)
'62年Alice Moyleによる録音。Bobby LaneとDouglas Rankinの歌にJohn Scroggi(Scrubby)のディジュリドゥ。 一つ前のトラック同様のメンバーによる演奏で、1962年Alice MoyleによってBagotにて録音された。我々は幸運な事に最近のこの曲の演奏と、Bobbyがこの曲の作曲者であるということを確認できるBobby自身のコメントを得ている(トラック2参照)。

1986年の録音と比較すれば、この1962年の録音はかなり異なった構造になっている。ボーカル・セクションは基本的に同一の歌詞とメロディからなるが、言葉の無いメロディ(merodic subsection I)が繰返され、merodic subsection IIIは「karra-fe kakkung-bende badjalarr」と「ribendjeli ribene ribene ribe」という部分に下記の配置ではめこまれている。メロディ形式は I、I'、II、I、I、IIIで、歌詞の形式はABCCDDBCという順になっている。この配置はこの曲の進行の中で3回繰り替えされている。

上記はライナーの翻訳。トラック14と同じ録音状況でノイズがひどい。トラック2と同じ曲の別バージョンで、'62年と'86年という24年の差を聞きくらべる事ができる。ディジュリドゥはBobby Laneの2番手のシンガーとしても演奏しているDouglas Rankinで、非常に単純な3拍子を即興部分無しで、ひたすら伴奏に徹した演奏をしている。Nicky Djalugとは違うメロディの美しい倍音が聞かれる。

16. Rak Badjalarr(1 item-version of track 1)
'62年Alice Moyleによる録音。Bobby Laneの歌にDouglas Rankinのディジュリドゥ。Douglas Rankinのディジュリドゥの伴奏をともなったこのBobby Laneの歌は、Alice Moyleが1962年にBagotにて録音した。最初に非常に低い音量で録音されていたので、この録音には重大な技術的な欠点があるのだが、Bobby Laneの歌のレパートリーの中でのその重要性を考慮し、このCDに収録することを決めた。

このバージョンの「Rak Badjalarr」は、1986年にMarettがBobbyに会う時までにBobbyが歌っていたバージョンとは多くの点で異なっている。歌詞のリズムとメロディ構造は同一なのだが、スティックを打つ音と一行目の歌詞の両方が異なっている。最近の録音の方では、クラップスティックの伴奏は繰返される休符のあるパターン(xxo)の形で行なわれているが一方、この録音ではクラップスティックは規則的なビートがとだえずに連続して打ち鳴らされている。歌詞の一行目には「Rak Badjalarr bangany nyebindjang(北Peron島。さぁ歌を歌ってくれ)」という歌詞が、「Rak Badjalarr-maka banganyung(わしの父親の故郷のための歌。北Peron島)」という歌詞の代わりに使われている。

1962年録音版の「Rak Badjalarr」には1986年にBobbyが提供してくれた口語形式の歌詞に非常に似ている。「Rak Badjalarr bangany.....banganyung nyebindjang」は「それは[Ba]djalarrという場所の名前。それは今あなたが歌おうとしている場所。」という意味である。それはColin Warrambu Fergusonの1997年の演奏(トラック19)でも使われている歌詞で、Colinもここで聞かれるのと同じ途切れる事の無いスティック・ビートを採用している。

    rak Badjalarr bangany nyebindjang
    sing a song of my father's country, North Peron Island
    iiii winme-dje ngandjinyene [ngami]
    [wm] I'm sitting eating oysters

上記はライナーの翻訳。'62年録音で音質は非常に悪く、全体的にホワイト・ノイズがかかってしまったような録音状態だが、なぜかKanbi(ディジュリドゥ)の音はいい感じでとれているのはマスタリング技術者の妙である。何気に渋い演奏で、最後に赤ん坊のギャーという泣き声で終わっているあたりが奇跡的にクール。

17. Rak Badjalarr(1 item-version of track 1)
'61年LaMont Westによる録音。Lawrence Wurrbenの歌にDick Linjirbanjiのディジュリドゥ。ここに収録されているバージョンの「Rak Badjalarr」は、Beswickコミュニティに住んでいるWadjiginyの男性Lawrence WurrbenがDick Linjirbanji(Gunej)のディジュリドゥの伴奏で歌っており、LaMont WestがBeswickにて1961年10月28日に録音したものである。Wurrbenが時々「banganyung (歌のために)」という歌詞の代わりに「bangany(歌)」という歌詞を歌っており、歌詞の2行目では「ngami(私は座っている)」という言葉が欠けているという部分を除けば、歌詞はトラック1に非常に似ている。連続的なスティックを打つ伴奏は、トラック16のBobby Laneの演奏の2倍のスピードで演奏されており、歌詞のリズムは短長調において明確な類似性を維持しながらも、異なったスウィングをして演奏されている。

上記はライナーの翻訳。『Arnhem Land Popular Classics』(CD-R from LP 1961-62 : Wattle Ethnic Series)に収録されているトラック。BeswickコミュニティのDick Linjirbanjiのあきらかにスタイルの違う感じのディジュリドゥのサウンドの違いを他の演奏者と聞き比べてみるとおもしろい。

18. Rak Badjalarr(1 item)
Rusty Moreen(Emmiyangal)とLawrence Wurrben(Wadjiginy)の歌にBilly Brab(Wadjiginy)のディジュリドゥの伴奏。この演奏はLa Mont Westによって1961年11月7日にBeswickにて録音された。トラック17のLawrence Wurrbenのソロのバージョンでは、「ngami(私は座っている)」という言葉が2行目の歌詞から欠けていたが、この録音では、歌詞とメロディ構造は1986年のBobbyが歌っているバージョンとほとんど同じである。

対照的に、クラップスティックの伴奏パターンは全く異なっている。この演奏は4つのヴォーカル・セクションからなり、最初のセクションでは「iii winmedje ngandjinye」という歌詞の直前までクラップスティックがはいらない、この時点で2倍のスピードのスティックが入ってきて、残りの2つのボーカル・セクションまで続く。最後のヴォーカル・セクションでは「xxxxxo」というパターンで普通のスピードでクラップスティックがたたかれる。短長調の音節の同じ調子を少なからず維持しながらも、歌詞のリズムは伴奏パターンにおいてわずかに変わっている。

A399に録音されているWestのコメントによると、この歌は当時Delissaville(Belyuen)に住んでいた年老いたWagadjiginyのシンガーJimmy Bandakによって作曲された。

上記はライナーの翻訳。トラック17同様LaMont Westによる'61年録音。Billy Brabの演奏するディジュリドゥでは、「Ledaro Lidu-mo-」という伴奏リズムの「Li」という部分にわずかな鼻音が聞かれる特徴的な演奏をしている。全体的にしっかりとしたプレッシャーに支えられた、ひきずるようなざらついたドローンのサウンドがすばらしい。

19. Rak Badjalarr(1 item-version of track 1)
Colin Warrambu FergusonがNicky Jorrockのディジュリドゥの伴奏で、1997年11月にMandorahの浜辺にて「Rak Badjalarr」のこのバージョンを録音した(Allan Marettによる録音)。このバージョンには、トラック16に収録されている1962年にBobbyが歌った「Rak Badjalarr」の初期のバージョンとつながる多くの特徴がみられる。Bobbyの初期のバージョンと同様に、Colinは「Rak Badjalarr-maka banganyung(わしの父親の故郷のための歌。北Peron島)」と歌うよりもむしろ「Rak Badjalarr-maka banganyung(北Peron島。さぁ歌を歌ってくれ)」と歌っている。彼は最初の3つのボーカル・セクションでは、Bobbyの最近の演奏で普通に見られるスティック・ビートのパターンを使っている、すなわち繰返される休符がある3連パターン(xxo)で、最後のセクションではColinは1962年録音のヴァージョンと同じ(休符のない)規則的なパターンへと変えている。Colinの演奏のユニークな特徴は、「winmedje ngandjinyene」という行の歌詞の後に「Sotto Voce(ソット・ヴォーチェ:やわらかな声でという音楽用語)」で「Rak Badjalarr bangany nyebindjang」という行を歌っている点である。

この演奏の時には、Bobby Laneの霊が青緑の光と冷たいそよ風という形で現れた。参加者達は演奏中も演奏後もBobbyの霊の存在について述べていた。演奏はその土地とBobbyの霊に対する儀式的な掛け声「Malh」で終わっている。

上記はライナーの翻訳。ここで聞かれるNicky Jorrockのディジュリドゥの演奏は、'86年の録音の時のサウンドとくらべると随分と変化している事に気付く。よりルーズで自由な動きで、圧の出し入れが激しくなっている。また常に若干の低い声をドローンにまぜているように聞こえる喉の開放によるサウンドがすさまじい。老練なオールドマン・スタイルへと変わったことがわかる貴重なトラック。エンディング部分で聞かれる即興演奏と高音域の倍音がすばらしい。

■謝 辞
この記録は、Allan Marett、Lysbeth Ford、そしてLinda Barwickの3氏による最初の研究からLinda Barwickが集めたもので、それにはBobby LaneとBelyuenコミュニティの言語コンサルタントAgnes Lippo、Audrey Lippo、Esther Barandjuk、Ruby Yarrowin、そしてMajorie Bilbilの積極的な参加で行なわれた歌詞の翻訳とインタビューが含まれている。言語学的記述と伝記的な論文は、Lysbeth Fordによって提供されたオリジナルの素材から引き出されている(さらなる歌詞の言語学的論文は1997年Fordによるものに見られる)。音楽的な解釈と分析はLinda BarwickとAllan Marettによるもので、WANGGAに関するMarett(1991, 1992, 1994, 2000)、MarettとBarwick(1993)の以前の研究に基づいている。記録保管的研究は、Linda Barwickによって行なわれた。

歌とその歌詞はLane一家の許可の元にこのCDに収録されています。レコーディングへの参加とその手配に関して特にBobby Laneと彼の親族、そしてBelyuenコミュニティに謝辞を送ります。そしてBobbyの歌の伴奏をしたシンガーとディジュリドゥ奏者達、そして彼の歌を演奏し続けている人達、特にColin Warrmbu Ferguson、Roger Rossy Yarrowin、Nicky Jorrock、そしてIan Bilbilに感謝いたします。

Alice MoyleとLaMont Westの記録保管的録音の使用許可をいただいたAIATSISに感謝いたします。トラック14と15は以前に『Songs from the Northern Territory 1』(Canberra : AIATSIS、AIAS CD1)で紹介されています。親切にも関係研究資料と写真を利用可能にしていただきましたAdrienne Haritos McConvellに感謝いたします。Studio 301ですばらしいマスタリング作業をしていただいたDon Bartley、そして契約書の作成にあたって手伝っていただいたNorthern Land CouncilのPenny Creswellとシドニー大学のJohn Coatesに感謝いたします。

この録音の研究はAustralian Research Council(ARC)、AIATSIS、シドニー大学、そしてResearch Grants Committeeaa(香港)による資金提供にささえられて長年に渡って行われてた。この録音の売上げの著作権使用料はBobby Laneの家族に全額支払われます。