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Maningrida Music GUNBORRK
Baratjarr
NO No Number
Artist/Collecter Kunwinjku Musicians
Media Type Casstte
Area 北部中央アーネム・ランド
Released Year 1980年代
Label Maningrida Art
Total Time  
Price 非売品
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Unknown Tracks
ディジュリドゥの名手David Blanasiで知られる中央アーネム・ランドのGunborrk(Kunbjorrk)。なんとG#というハイッピッチのMagoによる珍しい音源。

ソングマンCrusoe Kurddal(Kuninjku語 / 1961年生まれ)とディジュリドゥ奏者Owen Yalandja(Kuninjku語Dangkorloクラン/ 1962年生まれ)によるGunborrk(Kunbjorrk)ソング。二人は兄弟で共にManingridaを代表する有名な芸術家であり、Mimiスピリットなどの彫像の製作者としてオーストラリア国内外で広く知られている。

このカセットテープで聞かれる張り上げるような力強いGunborrkソングの伴奏には、G#〜AというハイピッチのMago(Kuninjku語でのディジュリドゥの名称)が使われている。ギャーンという高い音程の倍音が響く中、きっちりと喉で生まれるこすれるような低音が聞かれ、全体的にルーズな唇で演奏されているような印象を受ける。ブレイク部分で変化したり、止まったりするGunborrkらしい曲構成をきっちりとタイトにフォローしている。このような高いピッチの楽器の演奏の仕方というのがよくわかる。

ディジュリドゥのリズムとしては中央アーネム・ランドのKunbjorrkで多く使われる「Lidu-mo Lebo- Lida-ro」といった4ビートや、シンプルな短い「Lidumo-」というフレーズだけが使われたりする中、ブレイクやリズム・チェンジの際には即興的なフレーズを自由に入れており、ディジュリドゥ奏者Owen Yalandjaの卓越した演奏能力を感じさせる。曲の雰囲気はDavid Blanasiが伴奏をつとめたソングマンDjoli Laiwangaの曲に非常に似ている。

中でも7曲目にアーネム・ランドのアボリジナルの曲としては長い3分ほどの曲があり、ソングマンの「Ma!」というかけ声を合図に何度もリズム・チェンジをしている。

基本は一人のソングマンに一人のディジュリドゥ奏者というセットで演奏されており、時に2人のソングマンになったり、子供のダンサー達がかけ声と共に参加しているスマイリーなトラックも収録されている。ノイズの量と音量の低さ、そしてトラック割りがめちゃくちゃな所は聞き手としてつらい所だが、演奏そのものは好内容である。
Gunborrkは現在ではKunbjorrkとつづられるのが一般的になりつつある、中央アーネム・ランドのソング・タイプとして広く知られている。これは様々な言語によって呼び方が少しづつ異なるためだと思われる。他にもBorg、Gunborgなどとつづられることがある。Kunbjorrkのディジュリドゥ奏者としては、かの有名なDavid Blanasi氏やその後継者Darryl Dikarrna Brownなどが知られている。

下記はKunbjorrkについての民族学者のリサーチからの抜粋です。

GUNBORGタイプの歌は元来、OenpelliやGoulburn島などのAlligator River周辺地域の西アーネム・ランドで生まれたとされ、この録音のソングマンはAlligator River周辺地域の少し南の出身である。GUNBORGで歌われるテーマはゴシップで、ソングマンは過去に起こった情事などの社会的な出来事から歌詞を作るが、トラブルを避けるために直接的な言い回しはしない。加えて、その歌詞は単に無害で独特の意味合いがあるだけではなく、暗に含んだ意味あいを含んでおり、たいていそれは性的な意味合いである事が多い。
-A.P. Elkin 『Tribal Music of Australia』ライナーノーツより抜粋-

「1958〜60年の間、私と妻は北アーネム・ランドのLiverpool Riverの河口付近にある政府が設立したアボリジナル居住地であるManingridaに20ヶ月滞在した。Maningridaに居住していた主なグループは、Gunavidji、Nagara、そしてBuraraで、Gunbalang、Gunwinggu、Gungoragoni、Janjango、そしてDjinangも居住していた。これらの部族の以前の分布状態は付属の地図に示されています。」
-Lester Hiatt 『Songs of Arnhem Land』ライナーノーツより抜粋-

「一般的にBORG、もしくはGUNBORGは、それを歌う人個人の作曲であると言われている。たいてい「BORG(GUNBORG)」のシンガーは、夢見の最中に死者の霊から歌を習ったと説明する。そして歌の言葉の内容にはあまり意味が無い。シンガーは一人で歌を歌い、同じディジュリドゥ奏者とクラップスティック奏者を伴奏に従えている。」
-Lester Hiatt 『Songs of Arnhem Land』ライナーノーツより抜粋-