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Contemporary Master Series 1 : GOBULU
Contemporary Master Series 1 : GOBULU
NO GARMA001
Artist/Collecter Galarrwuy Yunupingu(Songman) & Malngay Yunupingu(Didjeridu)
Media Type CD
Area 北東アーネム・ランド
Recorded Year 2001年
Label Yothu Yindi Foundation
Total Time 59:56
Price 廃盤
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北東アーネム・ランドYirrkalaの長老Galarrwuyと若きイダキ・マエストロMalngayによるGumatjiクラン・ソング。Galarrwuyのはりのある声とMalngayの安定した演奏がすばらしい。

■Galarrwuy Yunupinguのプロフィール
■Gobuluソング・サイクルの歴史
■Gobuluとは
■ライナーの翻訳と解説

Galarwuy Yunupinguは北東アーネム・ランドのGumatjiクラン(Yirritja半族)の長老で、Yothu Yindi基金のチェアマンである。『SONGS FROM THE NORTHERN TERRITORY 4』(CD 1962-63/1996 : AIATSIS)のトラック6(b)には当時15歳だったGalarrwuyが歌うDjatpangarriを収録、『THE LAND OF THE MORNING STAR』(LP 年代不明 : His Master Voice)にも少年期のGalarrwuyの透き通るような声が収録されており、少年時代からそのソングマンとしての才能を発揮していた。

アルバム・タイトルのGoburuとは墓、もしくは墓の上に盛られた砂を意味する言葉で、亡くなった人のためにすばらしい墓を作る事をさす。Yidaki(ディジュリドゥ)はMalngay Yunupinguで、安定した演奏と滑らかなトゥーツへの移動と粒のそろった倍音からは、ウマサを感じさせる。EとDあたりの音程のイダキ2本を使用しており、速いプレイでも低音が効いた音がすばらしい。特筆すべき点はトゥーツとドローンの行き来が非常にスムーズで、それが演奏に安定感を与えているという点と、全体として音に派手さはないが一番美しい音の状態にボリュームや圧を抑えたサウンドのコントロール感覚だろう。ロック・バンドYothu Yindiを輩出したGumatjiクランの長老と同じクランの若きイダキ・マエストロによる北東アーネム・ランドらしい洗練された音楽です。

■Galarrwuy Yunupinguのプロフィール
Galarrwuy Yunupingu AMは、北東アーネム・ランドに数多くあるヨォルングのクランの一つであるYirritja半族のGumatjクランの長老であり、儀式的リーダーである。彼は1978年の「Australian of the Year」にその名を上げられた。また彼はNorthern Land Council(北部土地評議会)の最初の議長であり、このCDのリリース時にもその座についている。彼はヨス・インディ基金の創設責任者でもあった。

■Gobuluソング・サイクルの歴史
Gurrumuruとは大きな川とその土地をつなぐ奥地にある土地で、「Ngarali(タバコ)」と「柱」そして「旗」のストーリーに基づいているが、それらがどのようにもたらされたのかということにはあまり重要性は無い。たいていそのような概念は、5〜600年前に我々と交易をしはじめた「Macassan」と呼ばれるインドネシアのスラウェシ島からのナマコ商人に関連しているが、この場合は「Macassan」がGurrumuruへ行ったという証拠は無い。

そこには一人の精霊的創造主、あるいは英雄が、実在するある熱帯雨林の森に住んでいるとかたく信じられており、その精霊的存在は「Birrinydji」と呼ばれている。「Birrinydji」はいまだ語られ、歌われる、生きた神である。その神はGurrumuru一帯の全てについての非常に神聖かつ重要なストーリーとソング・サイクルを持っている。これらの歌の全てはそのソング・サイクルに基づいている。そのストーリーとその重要性は14世紀におけるMacassanの到来によって変わる事がなかった。つまり、いまだ我々が歌う、この特有なストーリーと歴史のソング・サイクルを作ったMacassan以外の別の人々が存在したに違い無い。

それはMacassanよりはるか前に、Dhanayaやその他の沿岸部に辿り着いた「Bayini」の人々の時代までさかのぼる。Macassanの人々はこのソング・サイクルの延長線上に含まれる、というのもどちらかを見分けるだけのいかなる証拠や動きもそのソング・サイクルは表わしていないからである。しかし、このアルバムで語られているストーリーの歴史には明確な裂け目がある。

このアルバム全体は私自身の作曲として発表されていない。ここに収録されている歌は伝えられてきたストーリーの作曲であり、全く同じストーリーをそのソング・サイクルを通して次の世代へと伝えるために、私はこれらの歌を歌う責任がある。

歌は全てオリジナルで、私はその歌を作曲することを許されている。誰もがある一つの歌を違ったリズムで作曲してもいいのだが、歌詞は全て同じにとどめなければいけない。それは同じ土地、同じソング・サイクルに基づいている。それが何であれ、最初の作曲から外れて作られえない。旗はそのままに、柱はそのままに、このような同じ言葉が基になっており、変えることはできない。

著作権はその土地に帰する。私の歌は私のもとにとどまらない。なぜなら皆のものだからだ。自分が作曲したのだから、自分のものにしたいが、私自身もいまだ(それを歌う)許可を得なければいけない。全ての著作権はこのソングサイクルを産んだ最初の人々の元へと寄せられるのだ。

■Gobuluとは
アルバム・タイトルのGoburuとは墓、もしくは墓の上に盛られた砂であるかもしれない。Gurrumuruとは、Dhalwanguクランの人々のホームランド(故地 : 伝統的にアボリジニナルの特定のクランが有する領域)である。その歌はGobuluに基づいており、亡くなった人のためにすばらしい墓を作る事をさす。この特有な歌はその家族によって育てられた一人の娘のため、そしてその子の所有者のために作曲された。この歌はDhalwanguクランの人々に属し、その子は私生児としてGurrumuruにあるBirrinydjiという土地へ埋められた。

上記まではライナーの翻訳部分。ライナーでは、まず最初にGobuluの説明が英語でされており、続いて曲解説については歌のテーマ毎にまとめて簡潔に紹介されている。ここでは、それらの翻訳とそれにひきつづいて 「上記はライナーの翻訳」という文章ではじまる段落には、音の響きから感じた聴感上の主観的な感想と、各曲に特徴的な音楽的構造や、楽器の特徴などのレビューが掲載されています。レビューの部分で書かれている内容はライナーとは全く関係がありません。また、レビュー部分でなされている言及は推測の域を超えるものではないという事をご了承下さい。

■ライナーの翻訳と解説
1-5. Gurrumuru6. Ngarali7-12. Marayarr13. Djoling14-15. Galiku
※曲名をクリックするとその曲の解説へ飛びます。

1-5. Gurrumuru
それぞれの歌の繰返し部分では様々な問題について語られており、旗、けむり、酒、酒を飲み人々が中毒になることについて語られている。また墓を作ること、家を建てること、そして弓矢、銃、ナイフ、カード、ギャンブルに興じる人々についても語られている。これらのソング・サイクルには、現代社会がこのような行為や習慣を産む前の日常に実際起った事も加えられている。

上記はライナーの翻訳。トラック1は非常にゆったりなテンポのバージョン、そしてトラック2/3/4/5のイダキの伴奏ではミドル・テンポの4/4拍子を全て3連で演奏している。ここではヨォルングのイダキの伴奏で最も多用される3連フレーズが数多く即興演奏されている。この曲では全体を通してGlarrwuyの「ReReReReReReRe-」という歌い回しが所々で聞かれ、非常に特徴的。

6. Ngarali
この歌は仕事が終わった後に墓で火をつけられるけむり、あるいはタバコについて歌われており、タバコに火がつけられ、その墓を取り囲む人々はタバコを吸う。

上記はライナーの翻訳。「Ngarali」とはけむり、もしくはタバコを指す言葉。ここでのイダキは、最初の2節がスロー・テンポで演奏され、3〜4節目は非常に短い節だが、テンポは早めの4/4拍子で演奏されている。そして5節目からは少しテンポ・ダウンした4/4拍子になる。このバージョンではブレイクとエンディングのみにユニークなクラップスティックのリズムが採用されている。特に6節目ではGalarrwuyは普通に歌っている声のオクターブ上ではじめ、再度基本の音程に戻し、オクターブ下で歌うという非常に特殊な歌い方をしている点に注目したい。

7-12. Marayarr
最後の歌(トラック12)は、墓の完成を指し示している。「Marayarr(柱)」が立てられ、墓の上にかかげられる。

上記はライナーの翻訳。トラック7のイダキの演奏はゆったりしたテンポで演奏され、トラック8-10では4分弱の長い曲をミドル・テンポの4/4拍子で、ディジュリドゥは、ブレイクとエンディング以外の部分ではトゥーツもコールも使われないリズミックなドローンを演奏し、その間クラップスティックは演奏されない。Galarrwuyがブレイク、もしくはエンディングをうながす定形のフレーズを歌うと、イダキはトゥーツとコールを多用した短い決まったフレーズへと移り、それと同時にピッタリと息を合せてクラップスティックがその時だけ演奏されるという非常にダイナミックな曲構造になっている。

13. Djoling
悲しみを表わしながら「Djoling(ハーモニカ)」を演奏している。その楽器の高い音程のサウンドは涙を流して鳴くことと、悲しみと関連している。

上記はライナーの翻訳。このトラックではイダキを持ちかえて低いDくらいの音程のイダキで演奏している。イダキはミドル・テンポの4/4拍子で2小節周期で演奏しており、この曲でもブレイクとエンディング以外ではクラップスティックは入らない。メインのドローンの部分では、ソングマンGalarrwuyの激しい歌に応じて、イダキの演奏も激しくコールを多用して曲の雰囲気をフォローしている。

14-15. Galiku
このソング・サイクルの最後である「Galiku(Calico : さらさの旗)」があげられる。
 通常、祖先の歌「Flag Manikay(旗の歌)」の終わりには、地面に立てた柱につけた旗を踊らせる東からの風がある。旗はただその重要性をあらわしている。このソング・サイクルを終えるのは東からのそよ風であり、そしてその時には、そのセクションのサイクルを終える「Djapana(日没)」がある。

上記はライナーの翻訳。トラック14では引き続きイダキは低い音程のものが使用されている。曲調はトラック13と似通っているが、ここではソングマンの歌い回しは幾分落ち着いた感じで歌われているが、イダキ奏者は美しくメロディアスなコールを曲中で展開している。トラック15からは高い音程のイダキに変えて演奏されている。