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Research 林 Jeremy Loop Roots
大八木 一秀 / イダキ奏者
レッド・センター 砂漠のアボリジナルと住む

【朝は賛美歌。夜は・・・】

「うーん、よく寝た」

時計を見ると朝の10時を少しまわっていた。昨日に飲んだカンガルーの血のせいなのか、なかなか寝付くことができず、昨夜はついつい夜更かしをしてしまった。

砂漠のコミュニティの教会
外壁は全面トタン張りで、僕が想像していた教会の外観のイメージとはかけ離れている。しかし、室内は祭壇に長いす、イエス・キリストの絵が置かれていて僕のイメージしていた教会だった。ただ、ステンド・グラスはなかったなぁ。

洗面所で顔を洗い、「さて、今日は何をしようか?」ボンヤリ考えていると、眠気を覚ますほどの大音量でスピーカーの音が外から聞こえてきた。「いったい何をしているんやろ?」

さっそく服を着替えておもてに出ると、ストアーの裏側から音が聞こえてくる。ストアーの横の道をつっきり教会の前の広場に出た。すると教会の正面口の前にキーボードやスピーカーが置かれ、その前に5人ぐらいのアボリジナル女性が横一列に並び、マイクスタンドに向かってなにやら歌をうたっていた。

教会の前のスペースはテニスコートを一面分取れるぐらいの広さがある。男女10人ぐらいのグループが広場に点在して座り、うたっている女性たちの方を見ていた。広場の中心部に歩いていくと、一人のアボリジナル女性が僕に向かって手招きをしている。そしてなにかを叫んでいるのだが、スピーカーの音が邪魔をして何を言っているのか全く聞き取れない。その女性の所に行き、

「おはよう!みんな何をしてんの?」

「みんなで賛美歌を唄っているからカズも座って聞きなさい」

彼女はベティおばあちゃんの3人娘のうちの一人でPetra Nampitijinpa(以下ペトラ)だ。ペトラは老人介護施設のアボリジナル・スタッフの一人で、調理や洗濯、掃除を手伝ってくれる。

といっても毎日働きにくることはなく、たまにやってきては僕の作っているスープとかの味を確かめにきて「Palya!Palya!(おいしい!おいしい!)」と言ってはどこかに消えていく。作り終えるまでに何度も味見をしに来るので「お腹が減っているからつまみにきているだけやん!」とあきれてしまうが、ベティおばちゃんと同様に笑顔がいいのでどこか憎めないキャラなのだ。

Watiyawanuで暮らしたぼくの部屋
老人介護施設のキッチンで働くペトラとフェイ。普段はあまり手伝ってくれないペトラだが、自分の大好物のご飯のときはよく手伝ってくれる。

しばらくペトラの隣に座って賛美歌らしき歌を聞いていたが次第につまらなくなってきた。しかもLuritja語でうたわれているのでまったく意味が分からない。ペトラはかなり真剣な表情で歌を聞いたので抜け出すタイミングがないままに30分ぐらいが過ぎ、ようやく歌が終わった。みんなが解散しはじめたので、ペトラに

「なんでみんな賛美歌をうたっていたの?」

「私たちはクリスチャンだからよ」

「そうなんや。よくこんな集会を開いたりしているの?」

「だいたいの日曜日はみんなで集まって牧師さんの話を聞いたり、賛美歌をうたったりしているわね」

ペトラから話を聞くかぎり、かなり熱心なクリスチャンのように感じた。けれどもなにか納得できない自分がいた。それはWatiyawanuに来る前から抱いていた僕の勝手な想像の中で、ここWatiyawanuで暮らすアボリジナルは、もっと自分たちの伝統的な風習や文化を大事にしているんじゃないかと思っていたからだ。ペトラは僕との話しを終えるとその場を離れ、僕もあてもなくコミュニティ内を散歩した後に家へ帰った。

昼食を食べ終え、ペトラとの会話を思い出しながらWatiyawanuで暮らすアボリジナルの宗教観について考えていた。彼らは、白人がオーストラリアに入植する以前は独自の文化を築いてきた。白人入植後は、ミッションと呼ばれる宣教師たちがキリスト教の布教に努めていたことはよく知られている。砂漠地帯に白人が入植してきたのが1900年前後で、Watiyawanuコミュニティが設立されたのが1978年だ。当時の宣教師たちがどのように布教活動をしていたのかはよく知らないが、Watiyawanuではおよそ30年足らずでキリスト教が広まったことになる。宣教師の活動がすごいのか、アボリジナルの考え方が柔軟なのかどっちなんだろうか。

そろそろ夕飯の準備をしようかと思っていたときだった。再び教会の方から大音量の音が聞こえてきた。どうやら今回は男性たちがうたっているみたいだ。さらに歌声の他に、ドラムやギターの音まで聞こえてくる。朝に聞いた賛美歌のような曲ではなく、ロック調の歌をうたっているようだ。夕飯の準備はひとまず中断し教会に行くと、10人ぐらいのアボリジナル男性が、朝の雰囲気とはうってかわってはしゃぎまくっていた。だいぶ日が落ちていたので、誰がいるのかよく見えない。とりあえずステージらしき所に近づいていくと、

「オー、カズー!オレの演奏を聞いていけよ!ギャギャーン♪」

と、ギターを演奏していた一人のアボリジナル男性が声をかけてきた。バスケットボールの選手が着ていそうなランニング・シャツにダボダボの半パン。まぶかにつばつきの帽子をかぶった姿は、ヒップ・ホップ好きな若者といったファッションだ。他のメンバーも彼と同じようなファッションで、みんな20代前半ぐらいといったところか。

僕もそれぐらいのときは彼らが演奏しているようなロックが好きだったので、「みんなも同じなんやなぁ」と、自分の若かりし頃の姿と重ねるように彼らの演奏を聞いていた。ヴォーカルはお世辞にも上手いとは言えないが演奏はすばらしく、かなり練習しているように感じた。みんなの盛り上がり方は、娯楽施設の乏しいコミュニティ生活でのありあまるエネルギーを発散させるかのようにイキイキとしている。でも、「教会でロックってすごい組み合わせやなぁ」と彼らの無節操ぶりには驚かされる。

家に戻り、夕飯を作っているときに、ふとWatiyawanuに来る前にメルボルンで会ったグアンさん(コラム【君はBunngul派?それともGunborrk派?】を参照して下さい)から聞いた言葉を思い出した。

「彼らの伝統的な文化は少しずつ失われてきてはいるよね‥‥。」

グアンさんの言葉は、今日の出来事を見ていると事実を物語っていた言葉だったと思う。でも、現在の環境でアボリジナルと一緒に暮らす僕にとって、それが今を生きるアボリジナルの風景なのである。夕飯を食べ終えテレビを見ていると、家のゲートの開く音が聞こえてきた。どうやらグラニスとティムが町から戻ってきたようだ。しばらくして、両手いっぱいに荷物を抱えたグラニスが、

「カズ、まだ車に荷物があるからちょっと手伝って。カズの大好きなうどんとそばをいっぱい買ってきたわよ!」

と、週末を町で充分に楽しんできたかのような笑みで僕に話かけてきた。彼女の僕に対する気遣いと、はちきれないばかりの笑顔を見たとき、グアンさんの言葉は僕の頭からスッと消え去っていった。グラニスに急かされて車の荷物を下ろしに行くと、車内にはパンパンに膨らんだショッピング袋が山のように積まれていた。

「ハ・・・ハハ、この人の買い方はアボリジナルよりスゴイやん・・・」

こうして僕の週末の家事リストに「冷蔵庫の整理」が加えられることになったのだった。

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