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Research 林 Jeremy Loop Roots
大八木 一秀 / イダキ奏者
レッド・センター 砂漠のアボリジナルと住む

【ごちそう?】

Makuが棲みかにしている木
Makuが棲みかにしている木。一本の木から、多い時で4〜5匹のMakuが獲れる。
Maku(英名Witchetty Grub : 蛾の幼虫)は、特定の植物の根っこの中を棲みかにしている。そしてMakuが潜んでいると思われる木には、あるサインがあるらしい。それは、木の根元にMakuが土中に潜る際に掘った穴だ。それを頼りにモリーン達は木々の間を練り歩く。やがて、Makuが潜んでいると思わしき木の根元に、モリーンはどっかりと座り込み、Kurupaを器用に使いどんどん木の根っこに向けて掘り進めていった。30cmぐらい掘り進めた所で、Kurupaを動かす手が慎重になってきた。穴を覗くと、木の根っこがむき出しになっている。

モリーンが土中に広がっている一番太い根っこにめがけてKurupaを突き下ろした。そして切断された木の根っこを取り出し、中の空洞を見る。するとニヤニヤした顔つきで僕の方に振り返り、「これがMakuよ」と木の根っこごと僕に手渡してくれた。その中を覗いて見ると、確かに中で白い物体がうごめいている。

それを見た瞬間僕が幼少の頃、昆虫採集に行った時のカブトムシの幼虫を思い出した。もちろんその当時は、幼虫を食べたいから捕まえに行ったのではなく、飼育しようとして捕まえたのは言うまでも無い。それが20数年後には食べ物として僕の手のひらでクネクネと動いている。人生何が起こるか本当に分からない。

僕の周りで子供達が、Makuを喜々として口に含んでいる。「生まれ育った環境が違えば、こうも物事の捉え方が違ってくるんだな」と思いながら子供達を眺めていると、彼らが笑顔で「食べないの?」と急かしてくる。子供は無邪気にして残酷と改めて痛感する。トカゲの時は、調理されている事もあってためらう事無く食べる事が出来た。しかし、動いているMakuを食べるには…、さすがに少し気が引ける。見れば見るほどMakuは生々しく、幼少の頃の記憶が蘇る。気分はまさに「Dead or Alive」といった感じだ。そんな僕の思いを断ち切ってくれたのが目の前にある、リアルなアボリジナル文化。「これ程までにアボリジナル文化を直に触れられる機会なんてないやん!」と思った瞬間に、Makuの頭を掴んで、お尻の方から口の中に入れた。

Makuの表面は思いのほか弾力があり、なかなか噛み切れない。まるでゴムの風船を噛んでいるかの様な感触だ。そこで、歯でこすり切るように下あごに力を入れた。すると僅かな裂け目からMakuの汁というか内容物が、とろっと口の中に広がってきた。一番近い味は卵の黄身だろう。けれども卵の黄身よりなめらかで、凄く上品な味の様に思えた。Makuを裏ごしにしてソース状にすれば、フランス料理のメインディッシュに添えるソースとしても充分に使えそうなコクがある。正直、「なんでこれが蛾の幼虫なんやろ?」と首を傾げたくなる程の美味だ。 Maku / Witchety Grub
乳白色に輝くMakuは、さながら「砂漠のミルク」といった感じなのかもしれない。栄養価もかなり高いらしく、4〜5匹分で成人の一日の必要な摂取カロリーを満たすらしい。

あまりのおいしさに、蛾の幼虫を食べているという気がしないままに、一匹まるまる食べ終えていた。すると、なにやらモリーン達がクスクスと笑っている。「なんでだろう?」といぶかしんでいると、モリーンが「本来Makuは焼いて食べるものなのよ」と教えてくれた(といっても生で食べても問題は無いらしい)。けれども僕はこの時、不思議とだまされたという感覚は起こらなかった。大自然の中に分け入り、獲れたばかりの野生の食べ物をありのままに食べる。僕が今まで生きてきた中での食文化とはかなり異なるが、何千年とこの地で暮らすアボリジナルが育んできた食文化だ。それは大自然の恵みであり、生きる為の糧には間違い無い。そして紛れも無くMakuは僕にとって「砂漠のごちそう」だった。

アリス・スプリングスの街並
アボリジナル女性が狩りに行く時には、子供達を連れて行く事が多い。子供達はこういった機会に狩猟採集の方法や、土地にまつわる物語等を学んでいくのだ。 
モリーン達の「歓迎の宴」と言えば少しありきたりなストーリーで、美化しすぎている様に聞こえるかもしれない。しかし、トカゲやMakuを食べ終え、笑いながら彼女達と過ごした時間はとても楽しく、心安らぐひとときだった。同じ釜のメシを食べると、なぜか気持ちが通じ合う様な気がするからなんとも不思議だ。残念ながら日が傾き始め、そろそろコミュニティ帰らなくてはいけない。焼いたMakuは次回のお楽しみだ。

帰りの車中、運転しながら僕の頭にある考えが浮かんできた。それは「Watiyawanuで楽しく暮らせるんやろな」という事だ。自分の中に、アボリジナル文化とのギャップは確かにある。それは言語や習慣、考え方といった全ての事において言えるだろう。けれども「人間が生きていく為の一番大事な部分である、食文化に対しての隔たりが無ければなんとかやっていけるだろう」と思うのだ。その証拠に、モリーンや子供達との距離が狩りに行く前に比べて数段近くなっている気がする。砂漠の夕日を浴びながら、意気揚々と「今度狩りに連れて行ってくれる時の獲物はなんだろう?」と考えていると、突然モリーンが。

「Yaka!(Oh my god!)」と叫んだ。

何事かと思いモリーンの方を振り返ると、

「タイヤ…、パンクしてるわよ。」

これまで、なんのトラブルもなく順調やったのに…。僕はひとりつぶやき、顔をひきつらせながらも様々な経験を与えてくれた砂漠の大地に感謝をするのだった。

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