オーストラリアで伝統的にディジュリドゥを演奏してきたアーネム・ランドを中心としたエリアでは、かなりおおまかに分類すると三つの楽器がある。北東アーネム・ランドのYidaki(※.1)、そして西部アーネム・ランドのMago/Makoと呼ばれるディジュリドゥ、Daly Riverエリア(※.2)のKenbi/Kanbiと呼ばれる楽器だ。それぞれの演奏方法は独特で楽器の違いを裏付けるサウンドと演奏技術が存在している ( 詳しくはコラム「音楽的異能者/伝統的音楽の継承者としてのソングマン」をご覧ください )。
一般的に、ドラムをたたく、ピアノを弾く、笛を吹くなど、それぞれの楽器にはその楽器を演奏する動作によって動詞があたえられている。「ディジュリドゥを演奏する」と言うとき、北東アーネム・ランドでは「しゃべる(Wanga)」という動詞が使われ、西部アーネム・ランドでは英語で表現するときには「引く(Pull)」という言葉が選ばれる ( Darryl Dikarrna "Mago Masterclass"のライナーより ) ことがある。 楽器を演奏する動作がその楽器に対して使われる動詞として選ばれるのだから、ディジュリドゥを演奏するということは、現地の人たちにとって「しゃべったり」、「引いたり」する感覚でやっているということなのだ。
主にブレスと唇の変化を中心に基本のドローン・サウンドが形成されるフリースタイル(※.3)のディジュリドゥ演奏とちがって、伝統奏法ではディジュリドゥを演奏するフレーズはマウスサウンド(※.4)と呼ばれる言葉によって表現され、マウスピースをとおしてディジュリドゥの中でマウスサウンドをとなえて音が作られている。
実際に北東アーネム・ランドのマウスサウンドを聞くと、リズムは複雑で子音的で滑舌が良く、コマ切れになっていて「しゃべる」という感覚に近いように思える (下のディジュリドゥの画像をクリックするとそれぞれの音を聞くことができます )。
西部アーネム・ランドのマウスサウンドは長くのばした部分が多く、そののびた部分が母音的な印象を強めていて、しゃべるというより唄うように演奏しているんじゃないかと感じる。そこに「引く」という感覚がひそんでいるように個人的にはおもう。行進するイメージにたとえられるほど2ビート感のあるMagoの演奏ではマウスサウンドは、「Ditu / Mor」という2ビートで表現されるため、押し引きは1:1になる。それによって独特のスゥイング感が生まれ、躍動的な印象を強めている。
Magoとほぼ同じ楽器としてとらえられることの多いKenbi/Kanbiのマウスサウンドは、2拍3連を中心にしたものが多く、Magoよりももっと間のびした「Lita- / Mor / - -」というマウスサウンドになる。3連なので押し引きの関係性は1:2となり、引いた部分(押してない時間)が長くなる。そうなるとディジュリドゥをより浮かせることが必要になってくる。それによってハミングと呼ばれる演奏技術がKenbiにおいて重要になってくるんじゃないか?と推測される。
オーストラリア北部にはほかにもことなる楽器とマウスサウンドが存在しているが、わかりやすくするために3種類の楽器にしぼって話をすすめてきました。MandapulとMago/Kenbiの差は歴然としているものの、MagoとKenbiの違いは人によっては微妙な差としてしかとらえられないかもしれない。それは津軽三味線と沖縄の三線は日本人にとってはまったくと言っていいほど違って響くが、海外の人からしたら微妙な差にうつるのかもしれない、ということと同じような現象なのだとおもう。こういう差の中に独自性と特殊性を見いだしていくことが文化的なリスペクトであり、同時にディジュリドゥの演奏感を深めるんじゃないだろうか。
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