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Research 林 Jeremy Loop Roots
RG|ディジュリドゥ奏者
Djambawa Marrawili インタビュー

1. まえがき

Djambawaとの出会いは、今から2005年に北東アーネム・ランドで行われたGarma Festival(※.1)当時すでに1冊のアートブックが出されるほどに著名な画家であり、Madarrpaクラン(※.2)のリーダーということは知っていた。たんに年を重ねた長老ではなく自分たちのクランを率いるリーダーであるDjambawaは、フェスティバル会場の中で見かけても、威厳にあふれ、ただならぬオーラを発しており、遠目に見るだけで声をかけられずにいた。

しかし、ある日突然チャンスが舞い降りる。Garmaではビュッフェスタイルで食事を取るのだが、友人の出口くん(※.3)と一緒に列に並んでいるとDjambawaが近くにいるではないか!思い切って声をかけるものの、無駄に興奮してちんぷんかんぷんな質問をするぼくらを適当にあしらって彼は立ち去ってしまった.......。

その後、ぼくらがYirrkala(※.4)まで乗ってきたランクルを売ろうとしていた時にDjambawaが興味を持ってくれたり、話す機会があったにもかかわらずなかなか腰をすえて話をすることができなかった。しかしDjalu'の所で知り合った友人が今Djambawaの住むコミュニティにいて、訪ねていく許可を取ってくれたのである。2012年、意を決してDjambawaの住むBaniyala(※.5)を目指した。

Road to Baniyala ここでは細かい説明をはぶくが、とんでもない紆余曲折があり、最終的に単独で3時間のダートロードのドライブを二駆の車で敢行した。無事にたどりついたことにプチ奇跡を感じながら、Djambawaの家に向かった。7年越しのラブ・コールはいきなりの自宅訪問である。

案内されてDjambawaの家のひさしをくぐると日陰のなかに上半身はだかの太ったカーリーヘアーのおじさんがいた。Djambawaだ!あの頃よりも太って、穏やかな印象がただよう。

インタビューを終えてみて、自身のクラン以外にも多岐にわたる彼の知識の深さにとにかく驚かされた。それは北東アーネム・ランドにとどまらず、東アーネム・ランドのNumbulwarやGroote Eylandt (※.6)、西南アーネム・ランドのWugularr (※.7)周辺の人々の言語や音楽と儀礼にまで精通しているである。その内容はこれから語られるインタビューの中で解き明かされるのではあるが、若年期に当時のヨォルングとしては多くの数奇な体験を通じて得られたものであることは間違いない。

ヨォルング史上もっとも過酷で濃密な激動の時代の中で、Djambawaと彼の父親Wakuthiはすさまじい変化に飲み込まれながらも、自己のカルチャーの再認識と原点回帰を果たす。その姿に文化というものの薄氷を踏むような壊れやすさとそれを守り抜く難しさを感じずにはいられない。そして同時に、現代でもなお力強く息ずく太古から脈々と語り継がれてきたカルチャーの中に身を置く人間の心の豊かさ、そういうものに身を浸していることによってえられる穏やかさに深く感銘を受けた。

クランを率いるリーダーであり、ANKAAA (※.8)のチェアマンなどアクティビストであり、著名な画家であり、イダキ奏者であり、ダンサー、ソングマン、多岐にわたる才能と重責をになう現代のWandjuk Marika (※.9)的な存在と言っても過言ではないかもしれない。一部ヨォルング語をまじえながら流暢な英語を中心に、Djambawa自身による言葉で語られる彼のライフ・ストーリーをお楽しみください。

 


【注釈】

※. ヨォルング語の表記について

このページではヨォルング・フォントを持っていない人のために、便宜上ヨォルング語の表記を英語表記に変えています。「のばして発音されるA」は「AA」。「テールN」は「NG」と表記されています。ヨォルング語についての詳しい説明は、林 靖典のコラム「ヨォルング語であいさつしよう」をご覧下さい。

※1.Garma Festival

毎年北東アーネム・ランドのGulkraで行われる。毎年キー・フォーラムというテーマがもうけられ、ヨォルング文化にまつわるさまざまな事をヨォルングの長老や研究者たちを招いて話し合われる。夕方になると様々な地域のヨォルングたちのBunggul(唄とイダキと踊り)が繰り広げられる。>>戻る

※2. Madarrpaクラン

北東アーネム・ランドに住むヨォルングの人々の数ある言語グループの一つ。Yirritja半族でホームランドはBaniyala(別名Yilpara)。言語はDhuwaya。>>戻る

※3. 出口くん

関西のディジュリドゥ奏者たちのグループ「Loop Roots」のメンバーの一人。当ウェブサイトでは「ブラブラ日記」を長期連載した。現在では農にまつわる様々なプロジェクト「Organic Crossing」を運営している。>>戻る

※4. Yirrkala

ボーキサイト採掘の街Nhulumbuy(Gove)の近くに位置し、1934年のミッション設立後、北東アーネム・ランドの中心地的なタウンシップとなる。詳しくは「Didjeridu Tracking Map」をご覧ください。 >>戻る

※5. Baniyala

別名Yilpara。Nhulunbuyの町からダートロードを3時間走った先にあるBlue Mud湾に面したコミュニティであり、Madarrpaクランのホームランド。 >>戻る

※6. NumbulwarとGroote Eylandt

NumbulwarはBaniyalaよりも南に位置する東アーネム・ランド最大のコミュニティ。ヨォルング文化圏外でこの地に住む人々はNunggubuyuという言語を話す。Groote Eylandtはカーペンタリア湾に浮かぶ島で、島から西側にあたる本土対岸にNumbulwarがある。互いに密接な関係にあるが、言語や文化は大きく異なる。詳しくは「Didjeridu Tracking Map」をご覧ください。 >>戻る

※7. Wugularr

旧名Beswick。世界的に名高いディジュリドゥ・マスタ−「David Blanasi」を輩出したコミュニティとしても有名。セントラル・アーネム・ハイウェイの南西からの入り口に位置するコミュニティ。詳しくは「Didjeridu Tracking Map」をご覧ください。 >>戻る

※8. ANKAAA

Association of Northern, Kimberley and Arnhem Aboriginal Artistsの略。1987年に組織され2012年に25周年を迎えた。アーネム・ランド、キンバリー、ティウィ、ダーウィン、キャサリンなどのアボリジナル・アートに関する連盟。 >>戻る

※9. Wandjuk Marika

1987年没。Riratjinguクランの長老でヨォルングの土地権運動の中心的人物でアクティビストとして広く知られている。7インチレコード「Wandjuk Marika in Port Moresby」では彼の壮絶なイダキ・ソロが収録されている。儀礼的な重要な地位にもあり、画家としても著名。「Where the Green Ants Dream」という映画にも俳優として出演するなど多岐に渡る才能にあふれた人物。 >>戻る

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