EarthTube  
Research 林 Jeremy Loop Roots
ヤス(カラキ ヤスオ)|在豪イダキ奏者
リアルタイム・オーストラリア日記 2

2. 都市部のアボリジニ

ジャーン!前置きがやたら長かったけど、やっと本題。でも、その前に、マシュー・ドイルについてちょっと説明(また横道にそれてゴメンナサイ)。マシューはシドニー在住のアボリジニで、現在のNAISDA(The National Aboriginal & Islander Skills Development Association)に当時最年少で入学を許可され、卒業後はそこで講師もしていた。NAISDAはオーストラリアのアボリジニ、トレス海峡島民のパフォーマーにとっては最高峰の専門学校だ。オーストラリア各地から先住民族の入学希望者が集まり、その中から選考されてやっと入学できるのだ。常任の講師陣のほかに、アーネムランドをはじめ各地から講師を招いている。

3年くらい前、オーストラリア国営放送で、この学校を特集したドキュメンタリー・シリーズをやっていた。それによれば、この学校を卒業してバンガラ・ダンス・シアターに入るのが超エリート・コースのようだった。 で、マシューの話しに戻ると、彼はイルカラ、ティーウィ島、モーニントン島、キンバリー等でも勉強し、それぞれの場所のアボリジニ家族からアドプトされている。だから、ヨォルング語がそこそこ話せるし、他のアボリジニ言語の知識もある。そして、各地のアボリジニの踊りや歌に対する造詣が非常に深い。最近の彼の経歴のハイライトとしてはシドニー・オリンピック開会式の先住民族によるパフォーマンスの構成、ラグビー・ワールド・カップ開会式のアボリジニ・パフォーマンスの構成および主演なんかがある。彼は「自分が培ってきたアボリジニの知識と伝統を後進たちに伝えてゆくのが使命と考えている」と言う。

さてさて、ここからが本当に本題。パースでのコンサートが終わった後、マシューはまだ数日パースにいたんで久々に二人でゆっくりした。色んな話しをしているうち、都市部のアボリジニの文化について話題になった。

林氏とマシューのコンサートでは、パースのアボリジニ・ニュンガー族のディジュリドゥ演奏や踊りもあった。ディジュリドゥは本来パースにあったものじゃないから、その演奏方法はアーネムランド周辺のものとは大きく異なる。ディジュリドゥの知識が浅かったころは、パースを初め他の都市部の奏法も伝統ものの1つだと信じてたもんね。あれから10年、自分も勉強しました。

マシューによれば毎年各地からアボリジニが集まって歌や踊りを見せ合うお祭りがあるそうで、昨年と一昨年の録音を聞かせてくれた。そういえば、家にも2001年のお祭りを録画したビデオがあったっけ。これらの録音を聴いているとうーん、どっかで聞いたことがある節回しの歌だねーと感じてきた。マシューにそう言うと、こんな返答があった。「例えば、シドニーのアボリジニって言うとクーリー族が有名だけど、本当は5部族あるんだ。各部族の文化は完全には残っていないけど、言葉はある程度残ってる。歌なんかは、メロディーを失っていても歌詞が残っていたりするんで、その歌詞に他地域の伝統メロディーをアレンジして創作している。この歌は5部族の言語で挨拶している歌だよ。他にもこんなのがあるよ。」と他の都市部のアボリジニの歌も聞かせてくれた。

ああなるほどね。それでなんとなく砂漠地帯の歌っぽいのやヨォルングの歌っぽいのがあるんだ。録音を一通り聴くと、随所にこうした努力が見られる。踊りなんかも同じだそうだ。マシューはニュンガーの踊りの手の動きはクイーンズランドのどこそこ、すり足のあの運びはノーザンテリトリーのどこそこのものだよ、と解説してくれた。なるほど、そういうことだったのね。都市部のアボリジニは、伝統の残っている地域から学んでいるんだ。都市部のアボリジニのこうした文化のルーツを研究してみるのも面白いかも。

このEARTH TUBEのサイトに来る人なら、これから先に僕が偉そうに書くことはすでにご存知のことだと思うけど、まだ知らない人もいるかもしれないので一応書かせてもらいます。1970年代まで続いたオーストラリア先住民に対する同化政策の影響やその他の理由で、都市部のアボリジニは伝統文化のかなりを失っている。だから、アボリジニとしてのアイデンティティを確立するためにも、かろうじて残っている伝統に、他地域の伝統を採り入れたり、アレンジしたりして、新たな文化を創り出している。伝統のハイブリッドというか、新・伝統とでも言うのかわかんないけど、とりあえずここでは新・伝統と呼んでおきましょうか。

アートの世界では、点描画がそのよい例だ。点描技法は、今では多くの都市部のアボリジニ・アーティストが採り入れているけど、もともとは中央砂漠地帯のものだ。「中央砂漠地帯のパプニアでもともとあった絵の技法を使って、1971年にアクリル絵の具でキャンバスに描いたものが全国的に広まったものだ」というのは業界では有名な話。都市部では、ディジュリドゥにも点描画が描かれたものがたくさんあるけど、これなんか新・伝統の典型じゃないかな。点描画の地域にはもともとディジュリドゥはなかったし、ディジュリドゥがオーストラリア全域のアボリジニに広まったのは比較的最近の話だ。念のため断っておくけど、僕はこうした新・伝統を否定しているのではありません。ディジュリドゥや点描画が、昔から全国のアボリジニ社会全体に存在していたと思っているオーストラリア人も結構多いのが現実だ。

5月26日は、オーストラリアのSORRY DAYだ。でも、祭日ではなく、普通の日だ。この日が日曜に重なった年は大きな話題となったけど、それ以来あまり注目されていない。同化政策から生まれた「失われた世代」に対して、オーストラリア政府は正式な謝罪をいまだにしていない。ソーリー・デーの2日前に、ローマ法王が「オーストラリア政府は謝罪すべきだ」って言っているとの新聞記事があった。オーストラリアの野党は、政権をとった暁には謝罪するといっているけど、そうなったらソーリー・デーは祭日になるんかなあ。パースでは当日イベントがあった。画家・作家としても有名なサリー・モーガンの演説や教会の司教の話とかの他に、地元ニュンガーの人たちの歌・踊りがあった。ニュンガー族の「新・伝統」が、パースでは「伝統」として定着している。たぶん、オーストラリアの他の都市でも同じじゃないかなあ。


(C)2004 Earth Tube All Right Reserved.