2. Top Endの伝統音楽とディジュリドゥ-目次- - - - - - - - -
2-4. Top Endのソング・タイプ ここで紹介されているのは簡単な概論であるということに御注意下さい。 歌の構造と歌詞の理解、そしてより深い見識を得るためには、 参考文献のページ(別ウィンドゥで開く)のリストに掲載されているKeen, 1994(※1.)のような文献を読み調べることをお勧めいたします。 【Top Endの3つのソング・カテゴリー(Alice M. Moyle)】 Top Endの歌は変化に富み、その内容は著しく対照的である。Moyle博士は3つの歌のカテゴリーを分類し、位置付けている。それは「Cult Song(カルト・ソング : 儀式や儀礼の歌)」、「Clan Song(クラン・ソング : 同一の言語グループ、あるいは父方血縁グループの歌)」、「Indivudually-owned Song(個人が所有する歌)」の3つである。
Music in ceremony - form and content... / 儀式における音楽ーその形式と内容... 上述したように、内密な性格を持つ歌が存在し、それはその内容が秘儀的な性質をもっており、特定の社会的 / 宗教的な地位にある人々に制限されている。Top Endでみられるこのような歌のカテゴリー間の境界線は、常にはっきりと定義付けられているわけではなく、ある時には「外部」にむけて演奏されてもよいものが、後に「内部」だけのものになるということもあるかもしれない。この点に関して、(演奏が行われる)背景が重要な構成要素であり、演奏内容を決定する時にそれが大きな役割を果たすのである。 しかしながら、この世の常とおなじでこの問題は複雑である。儀式の内容と形式は、グループ間の違いの確立と維持の境界を定める、あるいは共通の祖先の要素を共有するグループ間の違いを否定するのに役立つ[Keen,1994]。 同一の歌が「内部」の儀式と「外部」の儀式の両方で演奏される事があるかもしれないが、主題的な事柄、名称、そして基本的な構造が明らかに同じであったとしても、実際にはそれぞれの歌の内容は、この両方の演奏間では異なっているのかもしれない。その曲の適正を反映させるために、あるいは心に留める特定の意図をその曲に加えるために、特定の歌詞が変えられるということがありうる。 Ian Keen博士は、東アーネム・ランドのクラン・ソングのすばらしい例を紹介している : 「その曲は何の歌だったのですか? それは(クランが)所有している歌、それとも共有している歌? いったい何がその演奏を黒いガチョウの歌ではなく、蜜蜂の歌であるとしているのかを特定しようとする事は、難しい仕事だろう。しかし簡潔に言えば、それが共有されてようとなかろうと、(その曲が)他のグループと同じであろうと区別されていようと、グループの歌のある特性は、比較的変わりにくい ; それには、曲の音調、クラップスティックのリズム、トピック、歌詞のレパートリー、シンガーが歌うメロディ、曲固有の名称が含まれる。しかしながら、曲を刷新し、即興演奏する個々人の能力は、新しい形式の発生を予感させる。 儀式は、即興的に前後の関係上決定されるのだが、ヨォルングの人々は伝統と最近の祖先とWangarr(トーテムである祖先)の両方の慣例に従う(dhudakthun)必要性を重要視していた。さらに、ヨォルングの人々は個人の自主性とグループの共同作業の間、そしてグループの同一性とグループ内の協調の間にすばらしい中間地点を見い出していた。Garma(Public : おおやけの)ソングの共同演奏者達は、ユニゾンしてクラップスティックをたたき、メイン・シンガーと同じメロディ・ラインをおおざっぱに追って歌う、あるいは適切な表現を「頭の中にある演奏の百科事典」から引き出して即興されるのだが、そのバリエーションを歌う。 クラップスティックのリズムと、同一のメロディを共有する異なるグループのメンバー達が、他のソング・シリーズのために別れて座って自分達が共有している歌の部分を共に歌う、もしくは互いの曲の断片を歌う。言い換えれば、ある言語を話すシンガー達は、自分達と異なる言語を話すシンガーがその人の持つ同じソング・シリーズのパートを挿入するまで、待っていたのかもしれない。この点で、歌の類似性は、共通の名前(言語ごとに翻訳されている)、あるいは(ナマズの種類のように)歌われる事と同等の名称を持っているのと同じ事なのだ。」 -Ian Keen- 西アーネム・ランドでは、歌は長く継続して歌われる傾向があるが、歌詞の内容は全く異なっている ; 「たいてい、西アーネム・ランドでは歌の中で使われる歌詞は非常に短く、意味をもったカギを与える4つか5つの言葉で構成されている、あるいはむしろ歌詞の意味合いは独特かつ潜在的であるのかもしれない。」 [Elkin, 1979, p291] The Songman Goyulanクラン・ソングについて書かれているClunies Ross & Mundrugmundrug, 1988(※7.)の文章の中で、アーネム・ランドの歌におけるソングマンの役割について簡潔な表現をしているので、その文章をここで引用しています。 「.....オーストラリアのこの地域では、すべての年齢層の中でもごく少数の男性だけが認められた歌い手になる。こういった歌い手はその道のスペシャリストである。 最初に、シンガーは30程ある歌のテーマについての慣習的な歌詞と、メロディのフレーズを覚えなければいけない。そして、ジャズ・シンガーがするように慣習的にあるフレーズのコンビーネーションを短い曲構造の中で即興で歌いながら、かなり長い時間の間、人前でそれを歌うことができなければいけない。シンガーは他にも、それぞれの歌の主題を伴奏するためにシンガー自身がたたく一対の硬い木でできたクラップスティックによる継続的に変化するリズム・パターン習得し、そしてシンガーが指揮するディジュリドゥ奏者と協力し合わなければいけない。 ディジュリドゥ奏者はシンガーに正確なドローン(持続低音)とプーというOvertone(上音・倍音)を供給する。最終的に、シンガーはダンサーのグループを指揮し、協力しあい、クラン・ソングに伴う儀式の全てのレパートリーについての知識を持っていないといけない。」 -Clunies Ross & Mundrugmundrug(1988)- The UVT 北東アーネム・ランドの歌で特徴的なのが、Unaccompanied Vocal Termination(UVT : 楽器の伴奏をともなわずにボーカルだけで曲を終えること)である。これは、スティックとディジュリドゥの演奏が停止した後に続いて、リード・ソングマンが長くのばした歌い方でその歌を終わらせることについてMoyle博士が使った言葉である。 Jones博士(1956)は、この事については「楽器の伴奏を伴わないレチタティーボ(叙唱部 : オペラの語るような歌い方で歌われる部分)」と表現し、Elkin教授(1979, pp.291, 292)は、「最後のレチタティーボ」あるいは「曲を終えるレチタティーボ」と表現している。このUVTのすばらしい例が、Moyle博士の録音した『Songs from the Northern Territory Vol. 3』トラック11と、『Songs from the Northern TerritoryVol. 4』のトラック1で聞くことができる。 【注釈】
※1. Ian. Keen 1994 『Knowledge and Secrecy in an Aboriginal Religion: Yolngu
of North-East Arnhem Land』参照
著者:I. Keen (1994) 出版:Oxford Uni. Press 品番:ISBN 0 19 550752 5 >>戻る ※2. Makassan Makassan(マカッサン)は、西はキンバリーから東はCarpentaria湾のはるかMornington島までアボリジナルの人々(Cawte,
1996)と交易をするために、インドネシアのSulawesi島の南西端Ujung Pandangから可能性としては3世紀から6世紀に渡って北部オーストラリアの沿岸を船である季節だけ訪れていた人々。 >>戻る
※3. Djatpangarri 北東アーネム・ランドのBunggul形式の伝統的なソング・スタイル。GumatjクランのDhambidjawaが最初の作曲者だと言われている。このような北東アーネム・ランドの大衆的な歌の多くは、日々の出来事に関したものが多い。(ヨォルング語) >>戻る
※4. Gumatj Clansman GumatjクランのDambidjawaを指している。『Songs
from the Northern Territory Vol. 4』( Alice M. Molye) トラック6(b)では Djatpangarriの「Bonda(蝶)」と「Cora」ソングを2曲収録。シンガーはGumatjクラン[Y]のGalarrwuyである。トラック6(d)では、現在すでに亡くなっているGumatjクランのDambidjawaがこの曲を作曲し、Yirrkalaに着く船が遅れているのを憂いて作ったのだと説明されている(Yirrkala,
1963年)。 >>戻る
※5. UVT 北東アーネム・ランドの歌で特徴的なのが、Unaccompanied Vocal Termination(UVT
: 楽器の伴奏をともなわずにボーカルだけで曲を終えること)である。これは、スティックとディジュリドゥの演奏が停止した後に続いて、リード・ソングマンが長くのばした歌い方でその歌を終わらせることについてMoyle博士が使った言葉である。
>>戻る
※6. A.P. Alkin 1979 『The Australian Aborigines(改訂版)』参照
著者:A.P. Elkin(1979) 出版:Angus & Robertson, Sydney 品番:ISBN ISBN 0 207 1 3733 (紙表紙)、ISBN 0 207 1 3863 X (ハードカバー) 初版:1938年 >>戻る ※7. M. Clunies Ross & J. Mundrugmundrug 1988 『Goyulan the Morning Star: An Aboriginal Clan Song Series
from North Central Arnhem Land』参照
著者: M. Clunies Ross & J. Mundrugmundrug(1988) 出版:AIAS 品番: ISBN 0 85575 206 8 >>戻る |ページのトップへ|
|