White Cockatoo Performing Group
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1. David Blanasiとの出会い

David Blanasiの事をはじめて知ったのはDavid名義のアルバム「Didjeridu Master」を聞いた時だった。「なんかわからんけど何やこの音!ディジュリドゥってこんな音で鳴るんやなぁ」と妙に納得した記憶がある。逆に当時は全部の曲が同じに聞こえて、「これがディジュリドゥ・マスターの演奏なのか?」 という素朴な疑問を持った事も事実だ。その後、彼に会って実際に音を聞いてみたくてオーストラリアを訪れたのだった。

そして、アーネム・ランド最南西部にあるコミュニティBarunga(旧名Bamyili)で毎年開かれている「Barunga Festival」に参加するためにKatherineのココズ・バックパッカーズに滞在していた時だった。オーナーのココさんが「おいGori、セレモニーをやってるぞ」と言ってコミュニティまで連れて行ってくれた。なぜ彼がそんな情報を知っているかというと、Katherine周辺地域で最も有名なソングマンでペインターのPaddy Fordhamが、ココさん所有のディジュリドゥを借りに来ていたからだ。それは彼が儀式のたびにいつも決まって使用しているものだった。

儀式の場所に着くと、50〜60人の集団がいるのだが男性と女性が完全に別れて座っている。その場は外部の人間が入れるような雰囲気ではなく、猛烈にきまずい空気をヒシヒシと感じる。その中、数曲が演奏される。Paddyが唄い、スレンダーな小柄な白髪の老人がディジュリドゥを吹いている。ふとPaddyがこっちに歩いてきて「さぁ、もう帰りなさい」と僕らに声をかけた。とてつもない緊張感のある場に放り込まれて、気が気ではなかった僕らは丁寧にPaddyに挨拶してその場を立ち去った。

あれは間違いなく葬儀の最中だった!「ココさん、ノリだけでなんつー所に連れて行くねん!」と正直びっくりした。そして宿にもどった時に「おいGori見たか?あれがDavidだぜ」とココさんがバチンと猛烈なウインクとともに僕の耳元でささやいた。「おいおいオッサンそういう重要なことは早よ言えよ!」 

葬儀の場では、どんな状況であれディジュリドゥの音だけはバッチリ聞いて帰ろうと努力していたが、正直、極度の緊張のため何がなんだかよくわからなかった。結局、David Blanasiの音はCDを聞いた時に感じた「なんかしら、すすすすげぇ!」のままで、僕の頭の上に浮かんでいた「?マーク」が解消される事はなかった。

2. 音源に残るディジュリドゥ・マスターの倍音のきらめき

その後、僕の中のモヤモヤはドンドンふくらむ一方だった。唯一の手がかりであるアルバム「Didjeridu Master」を録音したのは1998年。Davidが1930年代生まれとされているので、録音当時少なくとも60代である事は間違いない。すでにオールドマンのサウンドという事だ。30代〜40代くらいのいわゆる「アブラのノリ切った時代」の彼の音ってどんなだったんだろうか?

そこでDavid Blanasiの経歴と、彼の音源が他にも無いか調べに調べた。そして意外とも思えるほど過去の様々な音源に出会う事ができた。中でもDavidの音が聞ける最古の音源として名高い名盤「Arnhem Land Popular Classics」を聞いた時はブッ飛んだ!そのコンピレーションでDavidが演奏している3曲を聞けば、「同一人物?」と耳を疑いたくなるほど猛烈に演奏にキレがあり、スムーズだ。何より倍音のきらめきの美しさは際立っている!録音されたのは1961-62年でDavidが30代の頃だ。

Darwinから海をはさんで西側のCox半島にあるBelyuenコミュニティのディジュリドゥ・マスター「Nicky Jorrock」と車のドライブ中にこのCDをかけた時、他の曲の時は「これ、俺できるよ」といったコメントだったのに、Davidの曲がかかるたびに「ん?このバンブーマン(ディジュリドゥ奏者)はいい!」とコメントしていたというエピソードがある。アボリジナルのディジュリドゥ奏者が認めるバンブーマンであるからこそ「ディジュリドゥ・マスター」と呼ばれるのだろう。

その後、ソングマンDjoli Laiwanga初のアルバムとしてLPとカセットで発売された「BAMYILI CORROBOREE -Songs of Djoli Laiwanga」(1976年)では、往年のDavidの演奏の原型になったと思われるダイナミズムが彼の演奏スタイルに付加されている。1967年に初めてイギリスに渡航してTV番組に出演したのを皮切りに、この頃のDavidはDjoli Laiwangaと共にひっきりなしに海外公演で飛び回っていた。そういった経験からかよりパフォーマンス性の強い演奏スタイルへと変化していったのかもしれない。激しく、渦巻き、うねるDavidのサウンドがここに極まっている。

「Bamyili Corroboree」は廃盤のため現在では入手が非常に困難だが、1979年のフランスでのライブ音源が残っており、Djoli Laiwangaが唄いDavid Blanasiがディジュリドゥを演奏するというセットで聞ける唯一のアルバムとなっている。タイトかつスピーディーで海外でのパフォーマンスという緊張をまったく感じさせない、自由でのびのびとした演奏を聞くことができる。

このようにして若い頃〜往年のDavidの音源を聞くことで、今度は逆に後期のアルバム「Didjeridu Master」のすばらしさがわかるようになった。アーネム・ランドを旅するとディジュリドゥが若者の楽器だという事がわかる。かつてディジュリドゥを演奏していた年長者たちがみなソングマンへと転向していく中、60代になってもいまだディジュリドゥを演奏し、若者のだれもが模倣しえない孤高のサウンドを紡ぎ出す。この姿こそがDavidがディジュリドゥ・マスターと呼ばれるゆえんだ。

3. 盟友Djoli Laiwangaの西部アーネム・ランド屈指のダンス・グループ

前章でのべたように、1967年、DavidはイギリスのショウマンRolf HarrisにつれられてRolfのTV番組に出演してディジュリドゥを演奏した。その後、ソングマンであるDjoli Laiwangaのダンスグループのディジュリドゥ奏者としてDjoliと共に世界を席巻することとなる。1974年にはなんと来日も果たしている!つまり、Djoli Laiwangaのグループこそが世界中にアボリジナル・ミュージックを広め、David Blanasiがディジュリドゥという楽器の存在を世界に知らしめたのだ。

ディジュリドゥ・マスターとしてDavidは有名だが、意外にDjoli Laiwangaについては知られていない。Djoliこそが「Bunggalin-Bunggalin」と呼ばれるGunborrkソングを多数作曲し、彼が亡くなった後もそれは一族に引き継がれ、演奏され続けている。現在White Cockatoo Performing Groupで演奏される曲目の大半が、Djoliの作曲した唄だ。

つまり、Muk Muk(フクロウ)の精霊から夢見の中でインスピレーションを与え続けられたと言われているDjoli Laiwangaの異能者とも思える溢れんばかりの才能があってこそ、ディジュリドゥ・マスターDavid Blanasiや、現在映画俳優としても活躍する名ダンサーDavid Gulpililをダンス・リーダーとして集結し、西部アーネム・ランド屈指のダンス・グループを形作ることができたと言える。

Wugularr(旧Beswick)に滞在していたある晩、眠っていると、風にのってどこからともなくうっすらと聞こえるディジュリドゥらしきサウンド。その場にいた人全員でかけつけると、缶ビールを手に深夜のCorroboreeが行われていた。Wugularrのランドオーナーである長老Victorは中央アーネム・ランドの「Mularra」ソングサイクルを唄い、若いMajorはDjoli Laiwangaの「Bunggalin-Bunggalin」を我れ先にと交互に唄っていた。

「Mularra」は中央アーネム・ランドで聞かれるソング・サイクルで、ディジュリドゥの伴奏にトゥーツと呼ばれるホーン・サウンドが曲中で使われる。「Bunggalin-Bunggalin」は、Gunborrkソングの一つで、ディジュリドゥの伴奏はドローン(持続低音)のみで構成されている。

酒宴の場とはいえ、Djoliの曲が若い世代の歌い手に受け継がれているんだという事がわかった出来事だった。

4. 伝説はブッシュの中へ

僕は以前偶然にも葬儀でディジュリドゥを演奏するDavidに会う事ができた。だが実際に言葉を交わしたわけではなく、いつかゆっくりと彼の話に耳をかたむけたいと想っていた。そんな中、2001年の秋ごろダーウィンでディジュリドゥを作っている白人の友達からDavidが亡くなったと聞いた。いや、正確にはディジュリドゥを作るためにブッシュにユーカリを切りにでかけ、そのまま行方不明になったという。

翌年の春、北東アーネム・ランドのイダキ・マスターDjalu Gurruwiwiの所を訪ねていた時、あるヨォルングが「アーネム・ハイウェイでDavid Blanasiを見た」といっていた。うわさがうわさを呼び、「有名人であるDavidを使ってお金もうけをしようとする人が多く、それが嫌で姿を消しただけでいまだ存命だ」とか、「長年ブッシュの中で生きてきた彼がブッシュで迷うわけがない。」とか、様々な憶測がまことしやかに流れていた。

実際には彼が行方不明になったという事だけが事実で、それ以外は全て謎に包まれている。だが、ディジュリドゥを作りにブッシュに入って、そのままいなくなるなんてディジュリドゥ・マスターらしいストーリーだ。なんとなく彼がまだどこかで生きているような気がしてならない。伝説のディジュリドゥ・マスターは世界中にディジュリドゥの倍音という種を残し、「Bo Bo(グッバイ)!」と言ってブッシュに消えていったのかもしれない・・。

-GORI 2006.4.1-
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