White Cockatoo Performing Group
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Darryl Dikarrna Brown〜The New Gunborrk Master〜
西アーネムランドにおけるもっとも重要なディジュリドゥ・プレーヤー!
インタビュー:Lars Wallin 翻訳:出口 晴久

何千年にも及ぶアボリジナルの伝統は、世代から世代へ受け継がれてきた。60,000年以上途切れることなく続いていると言われるディジュリドゥの伝統。現在はDarrylが自分たちの地域の伝統を引き継ぎ、その伝統に新たな息吹を吹き込んでいる。

Gunborrkスタイル(※. 注1)とは、ディジュリドゥから繰り出される継続的なドローン(持続低音)が、ソングマンとピッタリとシンコペーションしたリズムをきざむ演奏スタイルのこと。

2000年の7月、David Blanasi & The White Cockatoo Performing Groupがヨーロッパをツアーしていた。Darrylに初めて会ったのはその時だった。公演の間、Blanasiと Darrylはディジュリドゥを代わる代わる演奏していた。以来、私はオーストラリアとヨーロッパの両方でDarrylと会っている。

残念なことに、2001年の8月ディジュリドゥ・マスター「David Blanasi」は、彼が住んでいたWugularrコミュニティから姿を消した。彼がいなくなった原因は謎のままだ。それ以来Darrylは彼の名前を口にすることはなくなり、代わりにオールド・マンと呼んでいる。そしてこのことは同時にDarrylがThe White Cockatoo Performing Groupでディジュリドゥの演奏を担当する責任を負ったということを意味している。また彼はアーネム・ランドで行われる葬式やイニシエーション(※. 注2)などの大きなカラバリー(アボリジナルの歌と踊り)でも演奏している。

私はWhite Cockatoo Performing Groupのパフォーマンスをたぶん25回ほど見ているが、回を重ねるたびにDarrylの演奏はどんどん力強くなってきている。アボリジナルの人々の「スキン・ネーム(※. 注3)」による親族システムによると、Darrylは私の祖父にあたるそうだ。ツアーがあれば、たびたび私の家に滞在し、私はオーストラリアの彼らの家を訪れている。

2002年7月、アーネムランドのBarunga コミュニティでDavid Blanasiのための大きなトリビュート・フェスティバルが行われた。約4,500人の観客の前で行われたWhite Cockatoo Performing Groupの演奏はすばらしいものだった。その演奏のあと、キャンプファイアーのそばに座り、彼にディジュリドゥについてすこし教えてもらえないだろうか?と尋ねてみた。彼は快く「もちろん!」と答えてくれた。

インタビュー

 
Lars:君の「Skin name」はなに?
Darryl: Gojakだよ。

Lars: 君はどのクラン(※. 注4)に属しているの?
Darryl:Mialili言語グループさ。

Lars:君はどこに住んでいるんだい?
Darryl:ノーザン・テリトリー、アーネム・ランドの中のManingridaコミュニティだよ。

Lars:家族は?
Darryl: 妻とまだ幼い娘Katherinaがひとり。

Lars:年はいくつ?
Darryl:うーん・・21歳だと思うけど・・(パスポートには1965年生まれと記載されている)

Lars:いつからディジュリドゥをはじめたんだい?
Darryl:子供のころから。僕が六歳の時に父親からディジュリドゥをもらったんだ。

Lars:ずっとディジュリドゥ奏者だった?
Darryl: 僕はDavid Gulpulillのグループでディジュリドゥを始めたんだ。Djoli Laiwongaとオールド・マンDavid Blanasiのグループではダンサーでもあった。カカドゥ国立公園のガイドもしていて、イタリア語をすこし学んだよ・・'andiamo'

Lars:いつからDavid Blanasiに師事するようになった?
Darryl:ああ、もうずいぶん前になるよ。たぶん10年から15年ぐらい前からかな。

Lars:どうやってディジュリドゥのリズムを学んだんだい?
Darryl: オールド・マンはこう教えてくれたよ。「何度も聞け(耳で学ぶんだ)!」ってね。

Lars:もし誰かがオールド・マンの遺体を発見したらどういうことが起きる?
Darryl:僕は追悼のためと師匠に敬意をはらって一年か二年演奏することはないだろう。

Lars:Mialili言語グループではディジュリドゥはなんと呼ばれている?
Darryl:Margoさっ!

Lars:ディジュリドゥのピッチで好みはある?
Darryl:?????Fかな?でもソングマンに合っているのが1番だね。

Lars:白人のように演奏することはない?
Darryl:エアープレーン・スタイル!いやいや聞くの楽しいけどね。Charlie McMahonとMark Hoffmanが好きかな。

Lars:ところで、Mialili言語グループでは白人はなんて呼ばれてる?
Darryl:Mooniga。

Lars:ディジュリドゥをヒーリングのために使うことはある?
Darryl:??ないよ!

Lars:女性がディジュリドゥを演奏することは許されている?
Darryl:僕たちの文化ではディジュリドゥは男性の楽器だから女性は演奏を許されていない。

Lars:お気に入りの楽器はもっている?
Darryl:ノルウェーの友達であるOrgen Carlson(Bigbear)が作ったものがあるね。それはすごくいいよ。軽くて音が力強いんだ。

Lars:君はこの楽器をManingridaでも使っている?
Darryl:もちろん。

Lars:ツアーで海外を回ることは好きかい?
Darryl: 大好きさ。行った事のない国にもいけるし、僕たちの文化を広めることもできる。事実、僕はストックホルムに住居を持ちたいと思っているんだ。気候が好きなんだ。暑くないだろ。

Lars: すでにリリースされているアルバムはあるの?
Darryl: 新しいCD、The White Cockatoo Performing Group Tribute Album 1988-2001が販売されたばかりだよ。僕たちのホームサイトからも注文が可能だ よ。

Lars:ストックホルムでディジュリドゥが盗まれたらしいけど・・・こういうことはツアーではよく起こるの?
Darryl:ときどきね・・。アムステルダムでは一本壊されたし・・。Caseyは僕たちから何枚かCDを取り上げた。 そのお金が支払われることはないだろう・・。

Lars:それはとても悲しいことだね。OK、とにかくWhite Cockatooの世界での活躍におめでとう。
Darryl:ありがとう・・次はスウェーデンで会おう。

※1. Gunborrkスタイル
他にもKunborrk、Gunborgなどとつづられる。アーネム・ランドのかなりの広範囲で聞かれるアボリジナルのダンス・ソングの一種。主にWugularr/Barunga周辺の西南アーネム・ランドから中央アーネム・ランドにかけてがその中心地のようだ。唄の総称として、またその唄の伴奏をするディジュリドゥ の演奏スタイルとしても使われる。

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※2. イニシエーション
割礼などに代表される通過儀礼。成人になる段階で様々な儀礼があるようだが、その多くは秘密性が高く、ここで触れられる内容ではない。

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※3. スキン・ネーム
オーストラリアのアボリジナルに独特な親族組織を大別する名前で、固有名以外にそれぞれがスキン・ネームを持っている。男女それぞれ8種類の合計16種類のスキン・ネームがあり(Arnhem Landの場合)、生まれた時点でそのスキンは両親との関係から決定されている。それによってまだ全ての人間関係がつながっている。

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※4. クラン
直訳すると言語グループ。アーネム・ランドのアボリジナルはDhuwaとYirritjaという半族と呼ばれる二つのグループにまず別れる。そして独自の言語を話すグループ(クラン)が数多くあり、父親の系譜をたどって同一のグループを組織している。

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