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Research 林 Jeremy Loop Roots
RG|ディジュリドゥ奏者
M.Mununggurrインタビュー2

2. 幼少期

このインタビューは、2004年の4月にRandy Graves(以下RGと表示)とMarkus Meurer(以下MMと表示)によって、さきほど紹介したM.Mununggurr(以下MILと表示)自身のCD「Hard Tongue Didgeridoo」のリリース元であるBuku Larrngay Mulkaにて行われました。写真はすべてBuku Larrngay Mulkaとアーティストにコピーライトがあります。無断転載は一切禁止です。

RG: まず最初にどうやってイダキを吹きはじめたのか聞かせて下さい。
MIL: たぶん6、7才のころにイダキを吹きはじめたように思うんだけれど、母はいつも5才の頃に吹きはじめたって言うんだよ。僕よりも年をとっているわけだから、母が言ってることが正しいんだろうね。けどね、実は本当のイダキ「Dharpa(木の棒)」で演奏しはじめたというわけじゃないんだよ。最初はパイプでやりはじめたんだ、水道管のパイプ、なんて言ったっけな、あ〜PVCパイプだ。

現在Northern Land Council(※1.)の責任者であり、叔父であるGalarrwuy Yunupingu(※2.)、そして彼の兄弟のMulungといったイダキ奏者を見るということが、僕のイダキの道へのスタートだったんだ。僕に強いイダキへのインスピレーションを与えてくれた人物って、名前を上げれるほど多くなくて、数えるほどなんだ。その後、ちゃんとしたレコーディングじゃなくて、お店で買ったテープ・レコーダーでカセットにとったManikay(唄)、Bunggul(儀式)でのBurrngupurrngu Wunungmurra(※3.)とDjalawuのイダキの演奏を聞いたんだ。

RG: 当時君はYirrkalaに住んでたんですか?
MIL: そうだね。Yirrkalaだよ。
RG: BurrngupurrnguとDjalawuはどこに住んでたの?Yirrkala以外のどこか?
MIL: Gurrumuruだよ。彼らはYirrkalaにBaapuru(葬儀)のためにきていたんだよ。ときにはGurrumuruで録音されたテープをだれかがYirrkalaにきてぼくらにくれることもあったし、家の横をただ歩きすぎようとしていると、だれかがDhalwanguクランの唄を聞いてたり、イダキを演奏しているという事もあったね。そこで足を止め、一緒にその場に座ってそのテープを聞いたりしてたんだ。
ラジオ放送局にて

ラジオ放送に出演したインタビュアーであるRandy Gravesとイダキ奏者M.Mununggurr

RG: その時何才くらいだったの?
MIL: 12才かな。僕の小学生の頃だよ。そうやってイダキの演奏を身につけていったんだと思う。イダキ。思うにそれは......イダキは僕の運命だったんだね。イダキを演奏する運命だったんだ。なぜかはわからないんだけれど、うん。それは若い時にギターをはじめて、大きくなってそのプロになる、そういった事と同じなんじゃないかな。

その後実際にGurrumuruに行き、Djalawuと一緒に暮らし、イダキの作り方と演奏方法を彼に教えてもらったんだ。当然ぼくにとって真新しい彼のスタイルに興味をもった。それが「Hard ngaanarr」スタイル。Hard ngaanarrつまり「ngaanarr-dal」とは、Hard Tongue(力強い舌)で演奏するという事。たとえば、「dit-dhu dit-dhu」というマウスサンドだね。「ngaanarr-dal」、力強い舌で「dit-dhu」だ。その時僕は本気でこのスタイルに惹かれたんだよ。

RG: Gumatjクランのイダキの演奏には「Hard Tongue」的な要素はないの?
MIL: うーん、あるんだけど少しだね、うん。思うにこれはイダキの中における新しい変化だったんじゃないかな。イダキが変わった時代だったんだね。60年代にさかのぼると、60年代.....たぶん70年代初頭かな。イダキに関する全ての事がオールドスタイルから新しいスタイルへと変化したんだ。
MM: その頃、イダキそのものも何か変化したの?
MIL: うんうん。そうだね。イダキも変わったんだ。イダキの形状も変わった。昔のイダキはただまっすぐ、そんな感じさ。
RG: 博物館にあるような長くてまっすぐなやつかい?
MIL: そう、ほんとうにまっすぐなやつだよ。(最近のイダキは)より短くなったし、より速い演奏むきになっているね。それは......
MM: Hard Tongueのために?
MIL: そう。
RG: まとめると、あなたは10代のころにGurrumuruに行った。けれど育ってきたのはここYirrkala。生まれはクランのホームランドのWandawuy?
MIL: ちがうんだ。生まれはここなんだ。じつにこの建物(Buku Larrngay Mulka)で生まれたんだ。ここは昔は病院だったんだ。そうだそうだ。生まれた後は、Gaanganに移動した。あぁ〜Gaanganという場所は本当に懐かしいな。けれど.....
RG: Gaanganにいたのはすごく小さい頃かい?
MIL: そうだね。Dhapi(少年の割礼の儀式)のあとだったね。そう、その後Gaanganにむかったんだ。そこで本当のイダキをもらったんだ。僕のオールドマンが作ってくれたんだ。彼はそのイダキの事をGudurrku(ブロルガ:豪州鶴)と呼んでいた。それが僕のはじめての本物のイダキだったんだ。
RG: そしてそのイダキを吹いて.....
MIL: 四六時中そのイダキを吹いてたよ。Gaanganにいた時は、毎日吹いてたなぁ。ハンティングに出かけた時には、オールドマンについて歩きながらマウスサウンドで「dit-dhirrl dit-dhirrl」と言って練習してた。眠りにつく前に吹き、眠る。次の日、朝食の前にはまずイダキを吹いていた。本当だよ。
Milkay in Ceremony

2006年3月のアデレード・フェスにてM.Mununggurrの演奏。使っているイダキはEarth TubeコレクションのManany Gurruwiwi作のイダキMAG-0701

RG: そして20代にはBunggul(儀礼)でイダキを吹きはじめた?
MIL: いやいや。15才かな?15-16才のころだったと思う。まだ学校にいってた。Bunggulngur、儀礼の場でイダキを吹きはじめた。そうだなぁ、Dhapi(割礼の儀式)の後....ぐらいかな、「Ngarraku ngaanarr(僕の舌)」は変わりはじめたんだ。以前は(舌が)「Yalnggi(やわらか)」だったんだ。
MIL: Soft Tongueの「Yalnggi-nganarr」とHard Tongueの「Dal-ngaanarr」の二つの演奏方法がある。「Yalnggi-nganarr」のマウスサウンドは「djit-dju」で、イダキを習いはじめた頃は「djit-dju djit-dju djit-djit-dju djit-djit-dju」といった感じだ。けれど舌が力強くなると「dit-dhu dit-dit-dhirrl dit-dhu dit-dhu 」となる。これが次のステージ、次のレベルなんだよ。そして最終的な形でもあるんだ。

 


 

【注釈】
※1. Northern Land Council
ノーザン・テリトリー州のトップエンドのアボリジナルの土地権や海の権利に関して、それぞれの土地のランド・オーナーを代表する機関。アボリジナル・ランドに入る許可申請の窓口でもある。オフィシャルサイト→ http://www.nlc.org.au/。>>戻る

※2. Galarrwuy Yunupingu
Yirritja半族Gumatjクランのリーダー。上記のNLCの議長を退職。もともとシンガーとして幼少期から有名でYothu Yindiのアルバムの伝統曲のシンガーとしても活躍。Galarrwuy初のアルバムCD「Gobulu」を2001年にリリース。>>戻る

※3. Burrngupurrngu Wunungmurra
Dhalwanguクランの長老で儀礼の中心的人物として、またイダキ職人として有名。Datjirri#1やM.Mununggurrにイダキを教えたイダキ・マスターとして名高い。DjalawuはBurrngupurrnguの双子の兄弟。>>戻る

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