3. アボリジナル音楽はわかりにくい? アボリジナルの音楽を聞いた人、特にディジュリドゥ奏者達から聞かれる第一声が「何かすごいのだけれど、よくわからない」という意見を聞くことがある。では一体何故アボリジナル音楽は多くのリスナーに「わかりにくさ」を感じさせるのだろう?その一つの理由として、例外なくほとんど全てのリスナーはディジュリドゥという楽器のサウンドにフォーカスしてその音源を聞いているという事がある。つまり、アボリジナルの音楽の主体はディジュリドゥには無く「歌」にあり、演奏者と聞き手のポイントが最初の段階からずれているのである。 これによく似た事例が、インド音楽にもみられる。北インド古典音楽の世界でも、その主体は声楽、もしくは旋律を奏でるメロディ楽器にある。それゆえに、伴奏楽器として存在している打楽器タブラの位置付けは、必然的にボーカリスト、もしくは主旋律を奏でるシタール、バンスリー(横笛)、サントゥールやシャーナイ(リード付きの縦笛)などのメロディー楽器奏者の伴奏楽器という位置づけになっている。 ここで重要なのは、演奏者達のフォーカスしているポイントである。曲中にあるテーマを即興的に追い求め、それを体現するメロディ楽器奏者の伴奏をするのがタブラである。つまり、タブラ奏者が演奏中に考えるポイントは主奏者の思い浮かべるイメージをどうフォローしていくかという点と、どのように自分の個性をそれに反映させるかにあるだろう。これと全く同じようなことがオーストラリアの先住民アボリジナルの音楽にも見られる。 ディジュリドゥの伴奏をともなったアボリジナルの音楽は、自ら両手にクラップスティック(拍子木)を持った一人もしくは複数のソングマンと、一人のディジュリドゥ奏者、そして複数のダンサーもしくはダンスグループで構成されている。その3種類のパフォーマーは密接に関わり合いながら、その音楽の中にあるテーマやイメージを体現するのである。ある特定の曲にはある特定のリズムと歌詞があり、特定のダンスがある。そのため、音楽だけを聞くという行為は彼等の表している世界観の一部のみを受取っていることになり、ダンスと合わさった音楽を見聞きすることでその全容が明らかになるのである。これもアボリジナル音楽がわかりにくいという印象をリスナーが受ける一つの要因かもしれない。 CDやカセットなどで「アボリジナルの音楽を聞く」という点に絞れば、一番理解しやすい「ダンスを見てそのイメージをつかむ」という事は不可能だ。ましてやアボリジナルの言語で歌われる歌詞を理解することもできないので、ソングマンとディジュリドゥ奏者の関係性や、それぞれの地域における楽曲の特徴などを掘り下げていくことでアボリジナル音楽のツボを探ってみましょう。 |トップへ|
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