なぜかれらは「ディジュリドゥをうたう」のか?その答を知るには伝統楽器というものが必然的にはらむ本質と、ディジュリドゥが演奏される環境をひもとく必要がある。
世界各国どの地域でも伝統楽器の演奏のされ方というのは、何世代にもわたる人々の演奏技術・演奏体験の長きにわたる蓄積によって醸成されていく。そして楽器の演奏はより効率的に、より機能的に、洗練されて無駄のない方向へと時間に研磨されながら移行していくんじゃないだろうか?
ディジュリドゥが現地でどのように使われるかを見てみよう。ディジュリドゥは、主に葬儀や割礼などのオープンな儀礼の中で唄と踊りの伴奏として演奏される。葬儀は朝からはじまって日が沈んでも断続的に行われることもあり、亡くなった人によっては長期にわたることもあるという。長時間演奏する、ということに耐えうる演奏感が必要になってくるのは状況的にあきらかで、それは同時に身体にとって楽な演奏方法が採用されるということだと思う。
自分の体験からも、息をリズミックに使うフリースタイルにおいては演奏感はかなりスポーティーだと感じる。そして息はつねに抜けていくのでそれを最小限にとどめようと意識しながら演奏することになる。
ハミングはこういった状況を大幅に変える、伝統奏法の根幹的な機能を果たしているようにおもえる。空気だけの振動よりも声が入った方が振動は増幅される=太くなる。それによって軽い力で演奏ができるようになる。個人的にこの感覚を「ディジュリドゥが浮く」とよんでいて、より浮かんだ方がより楽に、より深く鳴らすことができると感じる。つまり「ハミングをうたう」ということが上記にあげた「伝統楽器がはらむ本質」と「ディジュリドゥが演奏される環境」にぴったりと符合するリアリティにおもえる。
ハミングがうまくなるということはディジュリドゥの演奏の自由度とサウンドを一気に引き上げることになる。その部分に特化した楽器がMago/Kenbiで、見た目は非常にシンプルでトゥーツを鳴らすことが難しい楽器なのでMandapulにくらべて一見おとる楽器のように映ってしまうかもしれないが、ハミングという伝統奏法の根っこを深く追求することができる楽器なのだ。
下記は実験的にMagoとMandapulそれぞれで3種類の演奏スタイルをメドレーで演奏してみたサンプル・サウンド。同じ楽器で同じテンポで演奏されているので、3種類のマウスサウンドによる変化のニュアンスがわかる。
コールとトゥーツがドローンの中で入りまじる華やかなMandapulの演奏に心ひかれる人が多いけれど、気持ちを落ち着けてディジュリドゥが浮かぶ感覚を丁寧に追求していけば感覚的にもサウンド的にも心地いい境地へとたどりつくと想う。
Djalu' Gurruwiwiはバランダ(ノン・アボリジナル)に教えるときに必ず言う
・「ライク・トーキング」-------しゃべってるみたいに演奏する
・「ライク・ランニング」-------走ってる時みたいに息をすう
・「ライク・ドライヴィング」-------車を運転する時みたいにギアチェンジをしたり、エンジンブレーキをかけるようにしてイダキをあやつる(運転中はエンジンがボ ボ ボ ボ と決して止まらないということを示唆してイダキを車の運転になぞらえていると思われる)
伝統奏法の骨子をシンプルにあらわした珠玉の言葉だなぁと思う。しゃべるように、唄うようにディジュリドゥを演奏してみるとめちゃくちゃ楽しくなる!.......はずです!
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