ディジュリドゥ、イダキ、ともにその名称において同じような現象が起っていて、それを受け取る側は複数のスペルが存在することに、単純に「なぜ?」と小首をかしげたくなるような疑問が心に浮かぶ。 ディジュリドゥもイダキも「スペルの違いは、楽器の音を聞いた主観的な聴感上の感覚によって書き言葉にされている」という現実が、この問題に対する心のモヤモヤを解消するのではないだろうか? そして、この問題を「それだったら分かりやすく一つの表記に統一しよう」とする考えも出てくるだろうし、「これはこれで多様性であり、そのままでもオッケー」と思う人もいるだろう。 ぼく個人的な意見としては、この問題にそういう簡潔な解答を出したいとは思わない。ただ、「郷に行っては郷に従え」ではないが、実際に自分が発した言葉が通じなかったり、その発音を聞いた人に不快感を与えないためにも、日本人以外のノン・アボリジナルの人の前では「ディジュ/ディジュリドゥ」とは発音せずに、「ディジェリドゥ」。ヨォルングの前では「Yi」にアクセントをおいてDをそり舌にして「Yidaki」と発音できた方がいいように思う。自分が好きな楽器を正確に発音するということも、一つの楽器への敬愛へのあらわれだと思うから。 【GORI 2011】
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