7. ディジュリドゥの演奏を楽しむ2 -即興演奏を聞く- 第5章でWANGGAとKUNBJORRK(GUNBORG)、そしてBUNGGULの3種類のカテゴリーとそれらの即興的要素の大小についての一般論を述べた。その中ではWANGGAとKUNBJORRK(GUNBORG)では即興的要素が少なく、BUNGGULでは即興性が高いう事になるが、詳しく言及すると事はそう単純でもない。前者では曲の構成は確定的で、ディジュリドゥ奏者はその曲構成をしっかりとフォローする必要がある。そのソングマンの所有するそれぞれの曲の構造をしっかりと把握したディジュリドゥ・マエストロは、曲中で伴奏の基本パターンをできるだけ崩さない形でミニマルな即興演奏を心掛ける。さらに言うならばデビッド・ブラナシのような天才的ディジュリドゥ奏者にいたっては、KUNBJORRK(GUNBORG)(KUNBJORRK)の伴奏スタイルであるにもかかわらず、すさまじい即興演奏を行うのである。 BUNGGULのディジュリドゥ奏者の場合は、決まっている部分(Jazzのテーマのような部分)とブレイクやエンディングへの導入部分を把握さえしていれば、その間での即興演奏が聞き手とソングマンの両方から要求されるのである。言い方を変えれば、即興的演奏ができるという事がBUNGGULスタイルのディジュリドゥの伴奏者の「うまさ」を左右している要素の一つなのである。もちろん曲の雰囲気やその曲の基本リズムを離れ過ぎないという事は重要で、ソングマンのその曲に対するアプローチをフォローすることがディジュリドゥの伴奏の「キモ」である事から、即興演奏の幅というのはある程度限られている。しかし、北東アーネム・ランドのディジュリドゥ奏者は子供から老人まで巧みに楽曲の中に即興演奏を盛り込むのである。中でもDjalu Gurruwiwiに代表される老練なマスターの即興演奏には、曲への理解と親しみをふまえた、より高度なリズム感覚が随所に見られる。
また北東アーネム・ランドの例をあげると、Djalu Gurruwiwiの息子のWiniwini(Larry)が裏拍を表拍に感じるようにして曲の導入部分を演奏した時には、まわりにいた若者から「イェ〜、いい入り方だ!」と感嘆の声が聞かれた。 このようにアボリジナルのディジュリドゥ奏者の演奏には、地域差による即興的演奏における視点の差や、それぞれのディジュリドゥ奏者の個性がその即興演奏の中につぶさに見てとれるのである。だからWANGGA、KUNBJORRK(GUNBORG)、BUNGGULいずれの場合においても、すばらしい演奏者の伴奏の中には「ウマイ!」と思わせる瞬間が様々な形で盛り込まれているのである。これはコアなアボリジナル音楽の聞き方になってしまうのかもしれないが、彼等がそういう点に意識を集中して演奏しているのだから、その音楽を十分に楽しむためにもそこにチューンしない手はない。 これはアボリジナル音楽が内包している感覚であり、彼等がそれを演奏する時に思い浮かべるイメージを追えば、よりディープに彼等の音楽にはまりこめるだろう。ただ、ここで書かれた文章はディジュリドゥ奏者を含めた聞き手への提案なので、単にアボリジナル音楽の気持ちよさを楽しむという点においては僕は何も言う言葉を持たない。ただそこにあるものを心を解き放って楽しむことは最上の喜びだと心底思うからである。 【GORI 2004】
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