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Research 林 Jeremy Loop Roots
ヤス(カラキ ヤスオ)|在豪イダキ奏者
ブラブラ日記 2 -リアル・ヨォルング・ライフ編 7-

【さよならアーネム・ランド!】

そしてついにお別れの時がやってきた。

荷物をまとめ、ずっと同じ場所に張っていたテントを黙々と片付けていく。

家族のみんなはいつものように木陰に敷いた布の上に座りくつろいでいた。

そしてすべての荷物を詰め終え、最後の挨拶をしようとした時。

Djaluをはじめ家族のみんながゆっくりと集まってきた。そして僕たちを取り囲むと、目を閉じ、静かに祈りの言葉をかけてくれたのだ。Djaluがヨォルング語のDhanguで祈りの言葉を言い、それを少し遅れて妹のDhanngalが全て英語訳して言い直してくれた。この突然の出来事に最初はすこしビックリしたけれど、家族の真剣な表情、そして祈りの言葉に込められた気持ちの深さが伝わってきて僕も一緒に目を閉じた。

思い返してみるとアボリジナル・カルチャーへの入り口はディジュリドゥの地を這うような力強い響きだった。その音を聞いた次の日、近所で竹を調達して自作のディジュリドゥを作っていた。最初はYirrkalaという場所も、ヨォルングと呼ばれる人々も、彼らがディジュリドゥを「イダキ」と呼んでいることも、なにも本当になにも知らなかった。 そんなとき出会ったDjalu GurruwiwiやDavid Blanasi、Nicky Jorrokら現役のDidjeridu Masterたちの音源。さらにGORI君から紹介された1960年代の音源はあまりにも衝撃的だった。そして訪れたオーストラリア、ダーウィンの街。 ディジュリドゥの音を求めて彷徨ったアーネム・ランド各地のフェスティバル。 そしてついに訪れることができたイダキ・マスターDjaluの住むYirrkala、Ski Beach。 最初にDjaluに挨拶した時のことはいまでも鮮明に脳裏に焼きついている。

白い砂浜におかれた少し小さなディレクターチェアにドッカリと腰を降ろした青のアロハに黒いサングラスという出で立ちの老人。海から吹く強い風に、白髪混じりの髪がなびいていた。空港からSki Beachに向かう車の中で練習した「Ngarra yaku Haru!(僕の名前はハルです!)」というヨォルング語の挨拶が通じたかどうかはわからなかったけど、すこしだけニヤリと口元を上げて「Manymak」と答えてくれた。 それからはじまった家族の関係。次から次へと巻き起こるハプニングに右往左往した日々が、いまではすこし懐かしい。

そして経験した何もない広大なブッシュでのロールオーバー(横転)事故。 ベッドに体中ガンジガラメにされて飛行機で搬送されたのは事故よりもつらい経験だった。 しかしその3日後、事故にあった全員でもう一度アーネム・ランドに向かっていた自分達の根性にあきれた。

そしてランドクルーザーまで購入して自力でたどり着いた今回のYirrkala。 僕たちの思いも、僕たちを迎えてくれたDjalu家族にとっても特別な日々だったのかもしれない。彼らは去年僕たちが大事故を起こしたことを知っていて、二度とそんなことが起きないようにと僕たちの旅の安全を祈ってくれたのだ。その思いがスウっと体に染み込んできて、心が熱くなるのを感じた。

Djalu、Dhanggal、Dhopiyaをはじめ、お世話になった家族たちの顔を1人ずつ見ながら「ありがとう!」「必ず無事にキャサリンまでたどり着きます。」と挨拶してまわる。そして子供達に「また来るからね!」と約束してランドクルーザーのエンジンをかけた。

「道の途中でヨォルングに出会っても、決して止まってはいけないよ。」

最後にもう一度Djaluがこう警告してくれた。この言葉に僕たちは改めて気持ちを引き締めなおした。

走り始めた車を追いかけて、キャッキャ、キャッキャとはしゃぎまわりながら大きく手を 振る子供達と、優しい笑顔を浮かべながらゆったりとした動作で小さく手を振る大人たち。

「ほんとうにありがとう!また戻ってきます!!」

僕たちは彼らが見えなくなるまで開けた窓から手を振った。

「ついに終わったなあ・・。」

寂しいような嬉しいような、やりとげたような、まだ心残りがあるような複雑な気持ち。 メンバーそれぞれが思い思いのことを考える時間が少し。僕はシドニーからのドタバタ旅を思い返しながら、ここまで無事にたどり着けたことを誰にあてるでもなく感謝していた。

しばらくすると、キャサリンに帰れるのだという喜びからか、メンバーの顔からふっきれたような笑顔が飛び出していた。Yirrkalaでのキャンプ生活は毎日さまざまなことが起こって面白いし、不便さは感じないものの、生活スタイルや時間感覚の違いからやはり精神的にも体力的にもツライ部分があったのかもしれない。Raminginingへ行くことは叶わなかったものの、帰れるのだという喜びがフツフツと沸き上がって来た。そして僕たちは久しぶりに携帯電話を取り出すと、キャサリンに滞在しているカズ君に電話をかけた。

「もしも〜し、あ〜カズ君?まいどまいどっ。」
「あっ?えええっ?デグチさんですか?いまどこにいはるんですか??」

「いまYirrkala。」
「えっ?えっ??Yirrkalaからですか??」

「僕たちいまから帰るから。夕方にはキャサリン着くわ。」
「はっ?へっ?今から帰るって・・ええっ??」

「ところで今日の夜、めっちゃうまい飯作っといてやぁ!!!あっ、もちろんビールも忘れずに!!」
「はああああああっ????」

Yirrkalaからの突然の電話に、まったく状況の飲み込めないカズ君の絶叫を全員で笑いながら、僕たちは再びアーネム・ハイウェイへと飛び出していった。目指すは750km先に待つ街、キャサリン。自分たちが巻き上げた砂煙が空に消えていくのをガラス越しに眺めながら、僕はこう心のなかでつぶやいていた。

「さよならYirrkala!さよならアーネム・ランド!!また戻ってくるでえええ。」

- 完 -

誠に勝手ながら、我が家に子供が生まれるため、しばらくの間ブラブラ日記をお休みさせていただきます。なお、一部のイダキヘッズから子供の名前として推薦された「抱希(イダキ)」は、丁重にお断りさせていただきます(笑)。

次回ブラブラ日記は伝統的なディジュリドゥの演奏スタイルの一つ「WANGGA」を追い求めて訪れたWadeyeコミュニティの旅を描く予定です。お楽しみに!

2007年2月22日 出口 晴久

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