【家族の時間】 一通りの挨拶を終え、彼らが敷いてくれた布の上に座ってやっと一息ついた。 ゆったりと体を休め、彼らの時間に合わせるように気持ちを開いていく・・。 するとフワリと肌を撫でるように吹き抜ける海からの風を感じた。 足元に目をやると白い砂に映った葉の陰がサワサワと揺れている。 強い日差しを避けるように、木陰に点々と敷かれた色鮮やかな布。 その上で女性陣はたまにタバコをくゆらしながら、雑談したり、ディリーバッグを編んだり、子供をあやしたり、それぞれ好きなことを好きなようにしている。 僕の隣では数匹の犬が暑さに参っているのかゴロゴロと寝そべっていた。
これがDjaluの家族とともに過ごす「感じ」なのだ。 Djaluは世界的に有名なYidaki Masterであり、Yolnguの文化の一端を担うGalpu言語グループの長老として、セレモニーがあればYidaki片手に駆けつける仕事人である。そして70歳を超えてなお世界にYolnguそしてYidakiのスピリットを伝え続けている偉大な人である。そしてYidakiを学ぶため、世界中から訪れるノン・アボリジナルの人々を寛容な心で受け入れ、その知識を、経験を、惜しみなく分け与え続けている。 DjaluとYidakiは切ってもきれない関係にあるのは確かだ。しかし・・と僕は思う。家族と過ごしているときの彼は、家族の時間を大切にし、彼らを温かく見守る「おじいちゃん」なのだ。時に自分達の伝統文化の存続を節に願い、酒に溺れる若者の未来を憂う「おじいちゃん」なのだ。僕はDjaluをYidakiの側面からだけ捉えるのではなく、家族の一員として付き合いたいと思う。 あるときDjaluがこんなことを僕達に話してくれた。 「日本人はYolnguのやり方をリスペクト(尊重)してくれている。」 「だから私たちも日本人をリスペクトするよ」 時に欧米からのビジターのYidakiに対する過度な要求に疲れきるのだという彼は、日本人はアボリジナルのやり方を大切にしてくれるのだと言ってくれた。 僕達はSki Beachに滞在している間、彼らのほうから誘ってくれる、またはDjaluが自らYidakiを持ち出さない限りYidakiを吹くことはまったくと言っていいほどない。それは僕達なりの彼らとYidakiに対する敬意だと思っているからだ。
「あ〜GORIくん、出口くんたち着いてたの??おつかれさま?。」 それはGarma Festivalに参加するためYirrkalaに到着していた東京の上野さん達の一行だった。ついに2005年のGarma Festivalが始まる!! |トップへ|
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