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Research 林 Jeremy Loop Roots
ヤス(カラキ ヤスオ)|在豪イダキ奏者
ブラブラ日記 2 -Gamraのディープな楽しみ方 後編 4-

【Garmaフェスティバルの意義】

あたりはすでに闇に包まれ、空には星が瞬き始めていた。

Yolngu Dancers

ブングルはやっぱり夜が一番似合う。スポットライトに照らされた会場はとても幻想的な雰囲気。。

会場に設置された数基のスポットライトが、地面に敷かれた白い砂が作る柔らかな曲線を浮き彫りにする。そのゆらめきの中に一箇所だけ、空に向かって立ちあがるログコフィン。足元から長く、一直線に伸びる影は、次第にブッシュを包む闇の中へと消えていく。

その先に意識を集中し耳を澄ますと、かすかに聞こえるざわめき、歓声、そしてディジュリドゥの響き。しばらくすると闇のなかから集団が一列に並ぶようにして姿を現した。

彼らの全身を包む色鮮やかな装飾の数々。手に持っているのは風に翻る赤い旗。マカサンの人々との交流を表現するその完成されたパフォーマンスと洗練されたダンスで各地のフェスティバルを渡り歩くパフォーマンス・グループ「Red Flag Dancers」の人たちだ!

会場の中心付近まで静かに練り歩いてきた彼らは、そこから堰を切ったように躍動的な動きへと移行していく。ダンス・リーダーの合図に合わせ数人の男達が奇声を上げながら中央へと飛び出してくる。そしてクラップスティックを握り、朗々と唄う長老たちに合わせ円を描くように、滑るように踊る。その動きは俊敏で正確。横に移動したかと思えば突然、砂煙が柱のように巻き上がる。彼らの踊りの特徴である足を蹴り上げる動作が生み出すこの光景が、スポットライトに照らされて光と影が交錯する不思議な空間を生み出す。この4次元的な空間こそがRed Flag Dancersの真髄だと僕は思う。 もうひとつの彼らの見どころは、かなりの頻度で大人に混じって中央に駆け出してくる子供たちの存在だ。子供たちが披露するダンスは大人顔負け、いやそれどころか場合によっては大人を凌駕するほどに素晴らしい。まだ線の細い体が作り出す、柔らかく流れるような軌跡は、ガッチリとした体格の大人では到底作りだすことができないだろう。この世代を超えたダンスのレベルの高さにはいつも驚かされてばかりだ。そしてダンサー達の渾身のフィニッシュが決まり、2005年のGarmaフェスティバルのすべてのブングルが終了したことを告げるアナウンスが会場に流れた。そして2004年からはじまったベストダンスパフォーマンスの結果発表が続く。

「今年の優勝者は・・・Red Flag Dancers!」

「わーーーっ」

と沸き起こる温かい拍手、ダンサー達の爽やかな笑顔、そしてすべてが終わったという安堵感にも似た空気が会場全体を包みこんでいた。

雨から始まった2005年のGamraフェスティバルも、このRed Flag Dancersのブングルでついにクライマックスを迎えた。今年は、驚きや感動の連続だった初参加の去年と比べ、冷静で客観な視点からGarmaフェスティバルを楽しむことができたと思う。研究者たちのフォーラムや、各言語グループの長老たちの対談会への参加は、よりコアな部分への興味を喚起してくれた。またより多くの言語グループの人々との交流は次の展開へと繋がる目に見えないなにかを僕達に与えてくれた。 一方で海外からの注目度を象徴するように、回を重ねるごとに雪だるまのように膨れ上がっていく高額な参加費、それに対してアボリジナルの人たちの間での金銭的トラブルは絶えず、主催者側に対する批判も大きいという。事実Djaluの口からも2005年を最後にイダキ・マスタークラスは引き受けないという言葉が漏れていた(先日開催された2006年では主催者から頼みこまれて参加したそうだ) 。膨らむ期待に答えようとフェスティバルを形式化すればするほど、その本来の意義は薄れ輝きを失っていく。しかしこれほど多くの言語グループがアーネム・ランド中から集まるイベントは他に類をみない。そして外国からの訪問者にとっては、彼らの唄を、踊りを、身近に体験できる貴重な機会のひとつであることは間違いない。数少ないアボリジナル主催のフェスティバルとして、Garmaフェスティバルが素晴らしいものであり続けることを願っている。

そしてGarmaフェスティバルが終わったことで、僕達のシドニーからここまでの気の遠くなるような道のりと、今回の旅の大きな節目の1つがいま幕を閉じた。ただ僕達の旅はここで終了したわけではない。ここからまた新たな旅のスタートが切られようとしていた。

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