【褪せることのない色】 中央アーネム・ランドに位置するBulmanコミュニティを過ぎると、そこから先は給油ポイントすらないダート・ロードが延々420km続く。ここから先はマンネリ化していく自分の気持ちと、有り余るほどの時間との戦いが始まる 単調な時間に変化を与えてくれるはずの音楽は、シドニーからの長距離ドライブの間にネタが尽きていた。新しいCDを選んだつもりでも、かけてみると何度も聞いた曲が始まってしまう。唯一ゆっくりできる時間であり楽しみであるはずの食事も、クーラーボックスのなかにあるのは、温かくなり始めた水と瑞々しさを失いかけたトマトやキュウリ・・。調理をしようにも束の間の涼を得るための日陰すらない道が続く。 例え調理できたとしても熱く乾燥しきった風と砂煙のなかでは落ち着いて食べることすらできない。車のなかに避難してもそこに待っているのは、結局灼熱地獄だ。容赦なく照りつける日差しは、大地の水分を奪うのと同じように、気持ちすらも乾燥させていくのだということを身をもって感じた。 でもここでふと考え直してみると、求めているものがとても自分本位なことに気付く。本来なら電源のないこの場所で音楽を聴きたければ、自分で歌うしかない。冷蔵庫のないこの場所で、冷たい水を求めるのは無理な話だし、ブッシュで瑞々しいトマトやキュウリを得る方法があろうはずがない。 ここが日本だったなら話は違う。喉が乾けばそこらじゅうに設置された自動販売機で冷たい飲み物がいつでも買える。食べ物がなにもなければ近くにスーパーやコンビニがあり、ほしいものは大抵手に入る。テレビをつければ、求める求めないに関わらず絶え間なく押し寄せる情報の渦。街に繰りだせば、所狭しと並ぶさまざまな店とにぎやかな通りを流れる無数の人の波。
アボリジナルの人々はこのような環境のなかで、実に多様で複雑な文化を育んできた。彼らにとっての豊かさとは自然そのものなんだろう。水や森、岩や砂、空や海、雲や大地、動物や植物、そして自分たちや英雄たちについて歌い、描き、伝えてきた。 「あの雲にも、あの海に浮かぶ小さな島にも、浜辺に咲く花にも、空を渡る鳥にも、ブッシュの木々を揺らす風にも、名前があり物語がある。」 そう考えたとき、目の前のなにげない風景が急に命を与えられ、生き生きと輝きだすような気がした。そしておのずと動き始めた物語は、この厳しい環境のなかでも決して褪せることのない鮮やかな色彩を持っているのだと思う。ただその読み方を知らない僕たちにとって、アーネム・ランドはやっぱり厳しい場所なのかもしれない。 ふと気づくと、数時間前まで澄み切っていた空に、ところどころ雲が浮かぶようになってきた。
ついにアーネム・ランド北東部に突き出たGove半島に入っているのだろうか? そう感じてからしばらくして、急に目の前に続く道が舗装路に変わる。ついに目指す目的地Yirrkalaに到着だ!! |トップへ|
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