WANGGAの中で最も有名な曲「バッファローソング」こと「Puliki」の作曲者Jimmy MullukにフォーカスしたMulluk全集的CD。ソングマンとしての技芸の極みとはこういうことなのか、と感じさせるほどのうまさ、聞かせる歌声、自由で即興的な唄い回しを余すことなく堪能できる。。
■前置き
■Mulluk's WANGGA
■ライナーの翻訳
Jimmy Mullukが創った(夢の中でゴーストから授かった)数ある唄の中でも、彼を一躍有名にしたのは「Puliki」こと「バッファローソング」でしょう。アボリジナルの間でポピュラーになったこの曲は、当時Belyuenコミュニティの人々が観光客のために定期的に行なっていたカラバリー(アボリジナルの唄と踊り)の中で披露される一番人気のある唄でした。
また「Songs from the Northern Territory vol.1(LP/CD」のラストトラックに収録されたことで、多方面で知れ渡ることになり、一部のアボリジナルの伝統的なディジュリドゥ演奏を学ぶ人たちにとっては不朽の名作として認識されるまでに至っています。
実は「Songs from the Northern Territory」に収録されているのは、Mulluk自身による演奏ではなく、彼の唄を引き継いだソングマンたちによる演奏と、彼らが子供たちに教えている演奏の2バージョンなんです。
このCDにはMulluk自身が唄うオリジナル・バージョンの「Puliki(バッファロー)」が収録されており、唄の歌詞は2倍の量があり、曲展開も前述の2バージョンとはまったく違っています!Mulukのバージョンでは、クラップスティックがなく、ディジュリドゥは長く長くのばして演奏され、無拍子とも思える伴奏の中で高らかに歌い上げている(全部4バージョンが収録)。
ブックレットにも「Mulukの唄を聞けば、ほかのソングマンがMulukの音楽における妙技にまさることなどないほどのWANGGAのソングマンの技芸における極みを感じることができるでしょう。」と紹介されているようにMulukの唄は彼のソングマンの技芸に裏付けられていることがこのCDを聞くとわかります。
※1. このディスクは出版元ではCDと表記されていますが実際はCD-Rです。お手元でバックアップを取っておくことをおすすめします。
※2. このCDは8枚組(7セットで1つは2枚組)の「Wangga Complete CD set」の一部です。単体での販売はしていません。
■前置き
WANGGAはオーストラリア北西部に位置するDalyエリアのパブリックなダンスソングの1ジャンルです。その唄はDaly Riverの北と南の河口に横たわる土地に根ざす。このCDは50年以上WANGGAを作曲し、演奏してきたソングマンたちにフォーカスしたシリーズの一つです。さらなる情報は、私たちの本「For the Sake of a Song」(Marett, Barwick and Ford, 2013)とウェブサイトwangga.library.usyd.edu.au.で閲覧できます。
「唄を与えてくれるゴースト(Mulukの話すMendhe語で「ngutj」)」が、ソングマンの夢見の中でそのソングマンに歌いかけてくることでWANGGAソングは生まれる。けれど、そこで唄われる言葉はゴーストの言葉であると同時にソングマンの言葉でもある。それはゴーストがソングマンに教え伝えたことをソングマンが聞き手のために唄うことで今に再生させているからだ。このことは、葬儀において生者の世界から死者の世界へと故人の葬送の手助けをするために、ソングマンが二つの世界の間にある空間を作り出す。
我々のチームがはじめてBelyuenコミュニティを訪れた頃には、Mulukはすでに亡くなっていたため、この才気あふれる作曲家の音源は限られており、残された音源はおそらく彼の唄のレパートリーのほんの断片と思われる。我々はAlice Moyleが1960年代のいろんな機会に記録保存したMulukの9種類の歌の音源と、それらの唄を受け継いだ者たちによる彼の没後35〜40年後の同じ唄の録音とを並べ比べることで、Mulukの芸術家としての手腕とその影響力に光を当ててきた。
トラック1〜8は1968年のMuluk自身の演奏をもとに、比較として60年代と90年代の他の者の演奏を収録。トラック9〜20には1962年にBagotコミュニティでの葬儀での唄と、その比較としてMarettとFurlanによる現地録音を収録しました。唄を文字起しした原文とその翻訳が、それぞれの曲毎にその文化的背景と共に説明されています。さらなる情報と分析は前述の書籍の第5章で知ることができます。
■Muluk's WANGGA
Jimmy Mulukは1925年生まれ1986以前没とされる偉大なソングマンの一人。Mulukの唄を聞けば、ほかのソングマンがMulukの音楽における妙技にまさることなどないほどのWANGGAのソングマンの技芸における極みを感じることができるでしょう。Mendheyangal語を話すMulukが伝統的に関わりのある土地はDaly Riverの河口の南のCape Fordというエリア付近にありますが、人生の大半をCox半島のBelyuenコミュニティ付近で過ごした。MulukはMicaビーチ、のちにMandorah(共にダーウィン湾の南岸に位置するCox半島にある)で観光客のために演奏するダンスの一座を長年率いてきた。若い世代の唄い手たちの育成にも尽力し、観光客向けのコロボリー(唄と踊り)やダーウィン音楽祭にMulukと共に参加した。90年代にMarettとBarwickが訪れた際に、成熟したソングマンになった当時若い唄い手だった彼らの唄を録音することできたことは、知識を世代を超えて伝えるというMulukの戦略の成功の一つの証明でしょう。
Jimmy Mulukの唄のメインテーマはゴーストとトーテム的存在ですが、ほかのWANGGAソングのレパートリーに比べ、我々のMulukの唄についての理解は限定的と言わざるをえない。Mulukはいくつかの彼の唄について極めて詳細にわたった翻訳文をAlice Moyleに提供しているのだけれど、Mulukの語った言葉は必ずしも彼の唄の意味をより深く導いてくれるものではなかった。その知識は彼と共に消え去ってしまったのだ。残された数少ないEmmi-Mendhe語を話す人たちから、もっとも有名なMulukの唄「Puliki(バッファロー)」について細部を知ることができたが、Muluk自身がした翻訳の説明は現代のEmmi-Mendhe語を話す人たちにとって割に伝わりにくいものでした。
Mulukの唄のレパートリーは他のどんなWANGGAよりもかなり多くの音楽的多様性を持っている。彼の唄を聞けば、同じ曲を変えて唄うことへの愛着と精通した技芸を感じ取ることができる。興味がある方は我々の書籍の第5章の音楽的分析をご覧ください。
■ライナーの翻訳
1.Puliki(Buffalo)|
2.Puliki(Buffalo)|
3.Puliki(Buffalo)|
4.Puliki(Buffalo)|
5.Tjinbarambarra(Seagull)|
6.Tjinbarambarra(Seagull)|
7.Wak(Crow)|
8.Wörörö(Crab)|
9.Pumandjin(Place name : a hill)|
10.Piyamen.ga(Shady Tree)|
11.Piyamen.ga(Shady Tree)|
12.Piyamen.ga(Shady Tree)|
13.Lame fella|
14.Lame fella|
15.Rtadi-thawara(Walking on the mangroves)|
16.Rtadi-thawara(Walking on the mangroves)|
17.Rtadi-thawara(Walking on the mangroves)|
18.Rtadi-thawara(Walking on the mangroves)|
19.Lerri(Happy dance)|
20.Lerri(Happy dance)|
※曲名をクリックするとその曲の解説へ飛びます。
トラック1
Song 1 : Puliki
rimili dje dje raga mele dje [repeated]
rimili dja dja raga daga mele dja
nag-ni-purr-mbele ngayi-no alawa mari-pinindjela
rimili dja dja raga daga mele dja
‘Rimili djd dje raga mele dje
Rimili dja dja raga daga mele dja’
I will always dance for you at Mari-pinindjela [Mica Beach]
Mulukの唄である「Puliki(バッファロー)」は、あらゆるWANGGAソングの中で最もよく知られた曲の一つです。今日では広く唄われるようになり、西キンバリーのMowanjumのようなはるか遠くでも記録された。Alice Moyleは「Songs from the Northern Territory vol.1」にこの唄を2曲収録しています。
この唄はバッファローの姿をしたゴースト(Ngutj)を表しています。バッファローはMandorahビーチの近くにあるお気に入りのキャンプ地であるMatpilから泳いでやってきて、Micaビーチを横切ってダンスを踊る。この唄の歌詞は「ゴーストの言葉」で語られる3行で構成されていて、最初の行はバッファローの姿をしたゴーストはいつもMicaビーチでダンスを舞うつもりだ、とEmmi-Mendhe語(※1.)で語る所からはじまる。最後の行はゴーストの言語で唄われている。歌詞の全てをゴーストの言語のみで唄われるケースもあります。観光客のためのコロボリー(唄と踊り)などよりパブリックなパフォーマンスの際には、唄のより深い意味合いは隠して唄われることがあり、ゴーストのようなバッファローについてではなく、むしろバッファロー・ハンティングについての唄のように解釈して演奏される。
1曲目は1968年にAlice MoyleがMandorahホテルで開かれた観光客のためのコロボリーで録音したMuluk自身の唄声を聞くことができます。(その際に録音されたすべての唄にはなぜか笛を吹く音がまぎれていて気が散りますが、それは同時に収録されていた無声映画を後日録音した音源と同期させるために行われていた。)トラック2〜4ではさらに三つの「Puliki」ソングが収録されています。
上記はライナーの翻訳。「Songs from the Northern Territory vol.1」に収録されている展開的で短いバージョンとは違って、作曲者自身のMulukが唄うこのバージョンでは繰り返されるメインの歌詞の中にクラップスティックなしで「I will always dance for you at Mari-pinindjela(Mica Beach)」という意味の長い詠唱のようなパートがある。しかも歌詞を7回も繰り返して5分もの間唄われている。Kenbi(ディジュリドゥ)の伴奏は素朴でシンプルですが、この曲の特長でもある長く長くのばすような演奏の際にもブレない安定したクールな伴奏を聞くことができます。WANGGAの至宝の1曲とも言えるBuffalo SongことPulikiのオリジナル・バージョン。
※1. Emmi-Mendhe
Emmiは、Wadjiginy(Wogaitの言語)と伝統的に随伴してきたEmmiyangalの言語で、Daly Riverの河口からMabulhuk(Cape ford)まで南西に広がるエリアで使われている。Emmi語はMendheyangalの言語であるMendhe語と密接に関係していて、Menhdhe語の方言が含まれている。Mendhe語は西ではCpae FordからCape Scottにいたる沿岸部にそったエリア、南にはNandhiwudiで話されている。
Emmi語とMendhe語は西Daly言語群に属している。西Daly言語群には、Marranunggu語、Marri Ammu語とそれに密接なMarri Tjavin語とMarri Ngarr語、そしてMarri Ngarrとその方言であるMagati Ke語がある。Emmi語とMendhe語は音声システムや文法をシェアしていて、ほとんど差が少ないと考えられている。
トラック2
Song 1 : Puliki
Alice Moyleは、Muluk自身が唄う「Puliki」ソングを現地録音していた頃に、Mulukと同時期のソングマンBilly Mandji(このCDシリーズ4枚目を参照)が唄うより長いバージョンも録音していました。Mandjiのバージョンのゴーストの言語で唄われる歌詞は、ほんの少し違っていてEmmi-Mendhe語の歌詞の行では「alawa(ビーチ)」という単語をはぶいている。唄の最初の半分あたりまでの一様なテンポのゆったりとした部分は、バッファローが泳いでいる姿を表していると言われている。残り半分の早いビートの部分はバッファローがビーチで踊っている様子を表している。
上記はライナーの翻訳。ライナーで指摘されているように6分近くある前半はクラップスティックもKenbiもゆったりとしたテンポで演奏されていて、後半はその倍速くらいのテンポで休むことなくクラップスティックをたたき続けながら同じ内容の歌詞を反復している。ここで聞かれるKenbiの演奏は一般的に二拍三連で演奏されると思われているWANGGAの常識をくつがえす、2ビートでの演奏でまるでGUNBORGのような力強いサウンドです。
トラック3
Song 1 : Puliki
Delissaville(Belyuen)の4人の少年Colin Worumbu Ferguson、Robert Gordon、Thomas Gordon、そしてJames Gumbudukによるダーウィン音楽祭での演奏を1968年にAlice Moyleによって録音されたもの。
上記はライナーの翻訳。4人の少年が恥じらい混じりに唄っているのが伝わる初々しい録音。短い中にもしっかりとした展開があって、聞きごたえのある構成で、Kenbiの伴奏もややラフながらしっかりと曲をフォローしている。
トラック4
Song 1 : Puliki
Marettによる1997年Mandorahビーチでの録音。トラック3の少年の内の一人であるColin Worumbu Fergusonによる唄。40才後半の成熟した大人になっている。Worumbuの父の兄弟であるBilly Mandjiの唄うトラック2と、唄う声質と曲構造が似通っている。
上記はライナーの翻訳。枯れた野太い声で力強く唄われるWorumbuのこのバージョンでは一番最近の録音であるにもかかわらず、3行目のEmmi-Mendhe語の歌詞がしっかりと唄われていて、世代間を超えてMulukの唄が伝承されているのがわかる。Kenbiの演奏はきらびやかなサウンドでありながら、楽器そのものがクラックなどでコンディションが悪いのか、沈みがちでキレのないソフトな舌使いを感じるラフめ。
トラック5
Song 2 : Tjinbarambara
aa karra tjinbarambara kala-no dirr
nganggu-ga kaya yawa-ndha
Ah, seagull is closing its beak [going to die]
Our [seagull] is truly always there
Jimmy Muluk自身が唄う「Tjinbarambara(カモメ)」。トラック1の「Puliki」が録音されたのと同じ観光客向けのコロボリーにてAlice Moyleによる1968年録音です。「Puliki」同様にこの曲も今日まで残存している(トラック6参照)。Emmi-Mendhe語の「Tjinbarambara」は、カモメのトーテム的祖先(ドリーミング的存在)に関する唄で、我々の相談人によると「カモメがくちばしを閉じること」がある種の死のイメージと連なっているそうだ。
「Tjinbarambara」は通作歌曲形式(※2.)の二行連句と、曲全体を通じて同じ言語的形式を持っている。しかし、このトラックではMulukは、独特な音楽形式で歌詞の一部を唄っている。2行目「私たちのカモメは本当にいつもそこにいる」という歌詞の間中、一番最後にはほとんど声が聞こえなくなるまで声が徐々に小さくなるように唄っている。おそらくこの歌詞の部分が、カモメがトーテム的な祖先であるということを明確にする意味ありげなものである。トラック6のColin Worumbu Fergusonのバージョンでは普通の音量で唄われている。
上記はライナーの翻訳。WANGGAに関わらずトップエンドのディジュリドゥの伴奏を伴った唄で広く使われる4拍子の一番最後だけクラップスティックを叩かないリズムで全体を演奏されている。激しく唄い上げる「Ahaaaa-!」という階段状に降下していくメロディーが印象的で、ライナーで説明されているようにメロディーがKenbiの音程に近づくほどに声の音量が下がってボソボソとなっていく。以外にテンポが早く、シンプルな「Lidumor」といったマウスサウンドなのにKenbiはわりに忙しそう。
※2. 通作歌曲形式
ひとつの旋律を何度も繰り返して別の歌詞を付けるというようなことをせず、歌詞が進むごとに異なる旋律を付けてゆく形式。それにより歌詞の持つ物語の起伏を明確に示すことができる。
トラック6
Song 2 : Tjinbarambara
1997年Marettによる録音。このバージョンではColin Worumbu Fergusonは、二行目の歌詞を意味ありげな声が徐々に小さくなる唄い方はしておらず、聞き取ることができない歌詞をいくつか加えており、その部分は翻訳されていません。
上記はライナーの翻訳。唄い手によってこれほどまでに唄の印象が変わるのか、と思えるほど雰囲気が違う。Mulukを評してライナーの冒頭部で「Mulukの唄を聞けば、ほかのソングマンがMulukの音楽における妙技にまさることなどないほどのWANGGAのソングマンの技芸における極みを感じることができるでしょう。」とあるのが嘘ではないことを感じさせる。単純なメロディーの降下の仕方が少し違うだけで唄の美しさが変わるのだから不思議です。Kenbiの演奏はトラック4と同じで、きらびやかだが非常にラフ。
トラック7
Song 3 : Wak
aa karra kana-kalkal rtadi nganggu-ga kaya yawa-ndha
aa karra wak kana-kalkal rtadi nganggu-ga kaya yawa-ndha
aa karra wak-ngana-yi
kana-kalkal rtadi nganggu-ga kaya yawa -ndha [repeated]
aa karra wak-ngana-yi
kana-putput rtadi nganggu-ga kaya yawa-ndha [repeated]
Ah, he is always climbing on top of our stuff there
Ah, Crow is always climbing on top of our stuff there
Ah, it was because of Crow
Who is always climbing on top of our stuff there
Ah, it was because of Crow
Who is always walking on top of our stuff there
Jimmy Muluk自身によって演じられている「Wak(カラス)」は、トラック1と5と同じ観光客向けのコロボリーで録音されたものです。 ダンサーたちの「wak」というかけ声(カラスの鳴き声)が歌に混じって聞こえる。歌詞は密接に関連した2つの行から成る。1行目の歌詞はメインの動詞が「-kalkal(登る)」で、「彼(カラス)はいつも私たちがすてた物の上に登っている」という意味です。2行目の歌詞はメインの動詞が「-putput(歩く)」で、「彼はいつもわたしたちがすてた物の上を歩いている」という意味になっている。「-kaya(横たわる)」という副動詞が使われており、ここでのカラスはトーテム的祖先であることが暗示されている。
トラック8
Song 4 : Wõrõrõ
karra ngany-ngana-yi
karra nganya-rtadi-mbele thawara ngayi
karra ngany-ngana-yi
karra nganya-rtadi-mbele thawara ngayi-no
o
This was from me
Let me always walk on top of the mangrove for you
This was from me
I will always walk on top of the mangrove for you
「Wak」と同じく「Wõrõrõ(カニ)」もドリーミング的存在に関係している曲です。ほとんど同じ二行連句になっている点において、Mulukが最小限の字句の変化を好んでいることが明らかです。Emmi-Mendhe語の原文の一行目と二行目で唯一違う点は、二行目の連句が「-no」で終わっている所だけ。二行連句のいずれのはじまりも、「これ(この唄)はわたしが授けたもの」と唄を与えるゴーストが述べている。この言葉とカニとの連想は二行目の歌詞から来ていて、カニ取りの際に鋭いトゲのあるマングローブの木の上を歩いて渡っている人たちについて唄っている。唄の意味はもはや完全に理解することはできない。他のWANGGAの唄でも同じなのでおそらく登場人物は恋人のためにカニをとっていると思われるが、死に関するより深い意味もある。
1968年のMaondorahでの観光客向けコロボリーで録音された他の曲(トラック1、5、7)にはたくさんの詩歌があり、全部9つ。特に観光客ために踊り付きのパフォーマンスが供される場合、たくさんの数の詩歌が唄われたようです。
トラック9
Song 5 : Pumandjin
ee
karra kana-nga-mu-viye karru viye pumandjin yakarre
ee
karra kama-ngana-yi kana nga-mu-viye
karra kama-ngana-yi kana-nga-mu-viye karru yawa-ndha
ee
She [Numbali] is dancing [making a dliberate movement of her hands above her head] on top of Pumandijin, yakarre!
It [the song] came fro she who is standing dancing on top of Pumandjin, yakarre
It came from she who is standing dancing
It came from she who is standing dancing, truly there
1962年、BagotコミュニティにてAlice Moyleが録音。この唄はJimmy Mulukの亡くなった妹Numbali(唄の中ではっきりと名前が上げられているわけではない)が、Mulukが長く住んだMicaビーチの背後にある丘Pumandjinの頂上で踊っている情景を唄っている。60-70年代にMulukが定期的に観光客向けにパフォーマンスをしていたキャンプ場のある、現在ではTalc Headという名称で知られている場所がある。Jimmy Mulukの祖先の土地ははるか離れたDaly Riverの南にあるが、Mulukは自分が今住むこのローカルな場所に特に強く結びついていた。歌詞はこの唄がMulukの妹である「彼女」に由来していると述べつつ、この地域の女性のダンスの特長である頭上にかかげた手の特有な動きである彼女の踊りの所作について正確に描写している。遊び心の効いた歌詞の変化、メロディー、リズムなど、この唄は典型的なJimmy Mulukの集大成です。
トラック10-12
Song 6 : Piyamen.ga
1962年Bogtコミュニティの葬儀でAlice Moyleが録音した5つの連続した「Piyamen.ga(陰を落とす樹)」(トラック10-12)です。セットになってる5つそれぞれは、いくつかの詩句で構成され、歌詞・テンポ・クラップスティックの叩き方がそれぞれ違うバラエティになっている。
Mulukは3種類の歌詞を用いている。歌詞Aはすべてゴーストの言語で書かれていて、それはすなわち「ngutj(唄を授けてくれるゴースト)」が話す翻訳することのできない言葉で書かれているということです。
karra yenetpi yenetpiwe yenetpirrang
karra yenetpi yenetpiwe yenetpirrang
karra yenetpirrang
歌詞Bは、片足をもう一方の足のひざにクロスするようにのせる「数字の4の脚」で寝転んでる唄を授けてくれるゴーストをEmmi-Mendhe語で表している。その姿勢は唄を授けてくれるゴーストがよくするものであり、ソングマンがゴーストから唄を授かる時にする姿勢でもある。
karra kana-nga-lhumbu kaya yawa-ndha
She [a ngutj] is always lying in number four leg truly there
歌歌詞Cでは、唄を授けてくれるゴーストが(自分が踊る)木陰の地面を足で掃除している彼女自身のことをEmmi-Mendhe語で表現している。この足で地面を掃く動きがこの唄の女性のダンサーたちの動きで使われている。
karra ngany-ngana-yi ngula-pit-kumbu ngiya o
karra piyamen.ga ngani-gurriny
karra ngiya-pit dorr
This song is from me, who always cleans the ground with my foot
Under my shady tree
I always clean the ground
Mulukはこれらの歌詞を略さずにすべてあらわにしてくれているが、歌詞の要素を分解して再構築しなおしてもいる(それぞれのトラックの歌詞を参照してみてください)。このトラックではMulukの唄のレパートリーのどこにも聞くことができない、改変された歌詞を聞くことができます。
トラック10
Song 6 : Piyamen.ga
Item 1
[Text A repeated 4 times]
karra yenetpi yenetpiwe yenetpirrang
karra yenetpi yenetpiwe yenetpirrang
karra yenetpirrang
Item 2
[Text A repeated]
karra yenetpi yenetpiwe yenetpirrang
karra yenetpi yenetpiwe yenetpirrang
karra yenetpirrang
[Text B with text A fragment]
karra kana-nga-lhumbu kaya yawa-ndha
karra kana-nga-lhumbu kaya yawa-ndha
karra yenetpirrang
[Text A ]
karra yenetpi yenetpiwe yenetpirrang
karra yenetpi yenetpiwe yenetpirrang
karra yenetpirrang
トラック11
Song 6 : Piyamen.ga
Item 3
[Text A/C variant, repeated]
karra yenetpi yenetpiwe ngiya-pit dorr
karra yenetpi yenetpiwe ngiya-pit dorr
karra yenetpi dorr
[Text B repeated with Text C fragment]
karra kana-nga-lhumbu kaya yawa-ndha
karra kana-nga-lhumbu kaya yawa-ndha
karra ngiya-pit dorr
[Text A/C variant, repeated]
karra yenetpi yenetpiwe ngiya-pit dorr
karra yenetpi yenetpiwe ngiya-pit dorr
karra yenetpi dorr
[Text C]
karra ngany-ngana-yi ngula-pit-kumbu-ngiya o
kara piyamen.ga ngani-gurriny
karra ngiya-pit dorr
[Text A/C variant]
karra yenetpi yenetpiwe ngiya-pit dorr
karra yenetpi yenetpiwe ngiya-pit dorr
karra ngiya-pit dorr
トラック12
Song 6 : Piyamen.ga
Item 4
[Text A/C variant]
karra yenetpi yenetpiwe ngiya-pit dorr
karra yenetpi yenetpiwe ngiya-pit dorr
karra ngiya-pit dorr
[Text C]
karra ngany-ngana-yi ngula-pit-kumbu ngiya o
karra piyamen.ga ngani-gurriny
karra ngiya-pit dorr
[The above two verses are repeated]
Item 5
[Text A/C variant, repeated]
karra yenetpi yenetpiwe ngiya-pit dorr
karra yenetpi yenetpiwe ngiya-pit dorr
karra ngiya-pit dorr
[Text C]
karra ngany-ngana-yi ngula-pit-kumbu ngiya o
karra piyamen.ga ngani-gurriny
karra ngiya-pit dorr
トラック13
Song 7 : Lame Fella(slow version)
yele mele delhe [repeated 4 times]
karra kuman-na-dherr pondor kaya yawa-ndha
He is always truly there propping his cheek on his hand with his elbow bent
足が不自由であることは死者を連想させ、男性の踊りには足を引きずるような動きがしばしば見られる。寝転がって片ひじによっかかって頭を手で支える姿勢はゴーストから唄をさずかることを想起させ、儀式では年寄り男性のダンスにこの姿勢が時々見られる。
トラック13-14の二つの「Lame Fella」ソングは、二つの対照的なテンポで演奏されています。このトラックではゆったりとしたテンポで演奏されていて、トラック14では速いビートで演奏されているバージョンを聞くことができます。ゆったりと演奏されているこのトラックのバージョンでは、それぞれの詩句が(翻訳できない)ゴーストの言葉とEmmi-Mendhe語の二つの言語の歌詞で構成されています。
このトラックの導入部分ではWadjiginy語のソングマンBrian EndaがAlice Moyle博士に「この唄は足の不自由な男の唄だ」と説明しているのが録音されています。
トラック14
Song 7 : Lame Fella(fast version)
yele mele dagaldja yawa-ndha mele dagaldja [repeated three times]
karra kana-ngana-yi kaya yawa-ndha
yele mele degaldja yawa-ndja mele dagaldja
Yele mele degaldja truly there mele degaldja
This [song] was from him who si always truly walking there
このトラックはファスト・バージョンでトラック13のスロー・バージョンと音程も題目も同じです。歌詞はEmmi-Mendhe語で書かれていて「この唄は本当にいつもそこに歩いていた彼(Lame Fella : 足の不自由な男)から授かった」と伝えている。「本当にいつもそこに歩いていた」というフレーズを用いることでゴーストである「Lame Fella(足の不自由な男)」がある種のトーテム的な祖先であるという考え方を裏付けている。
スロー・バージョンの歌詞は横になったゴーストについて唄われているのに対して、ファスト・バージョンではゴーストが歩いている様子が描かれているのは特筆すべきポイントでしょう。以前にも祖先の霊の行いの変化を表すためにテンポ・チェンジを使うという手法に出くわしていて、Billy Mandjiのバージョンの「Puliki(トラック2)」ではスロー・バージョンで霊的なバッファローが泳いでいる様子が、ファスト・バージョンではMicaビーチで踊る姿に関連づけられている。
トラック15-17 概略紹介
Song 8 : Rtadi-thawara
「彼はいつもマングローブの森の上を歩いている」というEmmi-Mendhe語の歌詞そのもの以上のこの唄の意味について、我々はあまり聞き出すことができませんでした。思うにここでの「彼」はある種のトーテム的祖先、おそらく蟹(トラック8)でしょう。いつものように、唄い手自身が唄の解説役ができない場合、ゴーストの言語を翻訳するのは幾分難しい。
トラック10-12の「Piyamen.ga」のように、この唄は同じ歌詞のいくつかの項目(item)で構成されています。「karra kana-kumbu kaya rtadi thawara yawa-ndha(彼はいつもマングローブの森の上を歩いている)」というEmmi-Mendhe語の歌詞は、基本的に変えることなく唄われる。この一行の歌詞は(意味に関係のない音声としての)単語の歌詞をいくつかのやり方で組み合わせて唄われている。具体的には翻訳することのできない「rrene」、「degele」、「ee」という単語を異なる5つの順序で組み合わせています。
[A] rrene rrene rrene dagele dagele rrene
[B} rrene rrene degele degele degele rrene
[C] Ee
[D} rrene rrene rrene degele rrene
[E] rrene rrene yelende dagele dagele rrene
トラック15ではこういった単語の組み合わせを使った一行の歌詞をA-B-Cと使っていて、トラック16ではD-E、トラック17ではEのみを使っている。3つのトラックすべてにおいて時折Emmi-Mendheの歌詞も使われています。トラック13-14の「Lame Fella」でも見られたように、それぞれのバージョンでことなるテンポとクラップスティックのパターンが使われています。ここではトラック15をスローで、トラック16でファスト、トラック17でベリーファストで演奏されています。
Jimmy Mulukの孫Kenny Burrenjuckがトラック18のファスト・バージョンを演奏しています。
トラック15
Song 8 : Rtadi-thawara (slow version)
Item 1
[ABAB plus Emmi-Mendhe text]
rrene rrene rrene dagele dagele rrene
rrene rrene degele degele degele rrene
rrene rrene rrene dagele dagele rrene
rrene rrene degele degele degele rrene
karra kana-kumbu kaya rtadi thawara
[ABCB]
rrene rrene rrene dagele dagele rrene
rrene rrene degele degele degele rrene
ee
rrene rrene degele degele degele rrene
[AB]
rrene rrene rrene dagele dagele rrene
rrene rrene degele degele degele rrene
トラック16
Song 8 : Rtadi-thawara (fast version)
Item 2
[DEDE plus Emmi-Mendhe text]
rrene rrene rrene degele rrene
rrene rrene yelende dagele dagele rrene
rrene rrene rrene degele rrene
rrene rrene yelende dagele dagele rrene
karra kana-kumbu kaya rtadi thawara yawa-ndha
[DE plus Emmi-Mendhe text]
rrene rrene rrene degele rrene
rrene rrene yelende dagele dagele rrene
karra kana-kumbu kaya rtadi thawara yawa-ndha
Item 3
[DE plus Emmi-Mendhe text]
rrene rrene rrene degele rrene
rrene rrene yelende dagele dagele rrene
karra kana-kumbu kaya rtadi thawara yawa-ndha
[verse repeated]
トラック17
Song 8 : Rtadi-thawara (very fast version)
Item 4
[EEEE]
rrene rrene yelende dagele dagele rrene
rrene rrene yelende dagele dagele rrene
rrene rrene yelende dagele dagele rrene
rrene rrene yelende dagele dagele rrene
[EE plus Emmi-Mendhe text]
rrene rrene yelende dagele dagele rrene
rrene rrene yelende dagele dagele rrene
karra kana-kumbu kaya rtadi thawara yawa-ndha
[EE]
rrene rrene yelende dagele dagele rrene
rrene rrene yelende dagele dagele rrene
Item 5
[EE]
rrene rrene yelende dagele dagele rrene
rrene rrene yelende dagele dagele rrene
[verse repeated]
トラック18
Song 8 : Rtadi-thawara (fast version)
ノーザンテリトリー州が基金を拠出しLinda Barwickが設立した「BelyuenコミュニティBangany WANGGAアーカイブ」のオープニングと、CD「Rak Badjalarr」の発売という二つの出来事を記念したセレモニーで、Jimmy Mulukの孫Kenny Burrenjuckが唄ったのがこのバージョンです。Barwickはそのセレモニーの前にJimmy Mulukの唄う「Rtadi-thawara」の音源をBurrenjuckに聞かせていせた時、彼は「あぁ、こいつを忘れちまってた」と言っていた。その2時間後、BurrenjuckはMulukの唄うバージョン(トラック16)に似たファスト・バージョンの「Rtadi-thawara」を披露した。けれど、Burrenjuckの演奏はより速いテンポで演奏され、わずかに違う(意味に関係のない音声としての)単語を使われています。この演奏で、地方のデジタルアーカイブが古い唄を記憶し守り続けることを手助けする力があるのだ、ということが証明された。
トラック19-20
Song 9 : Lerri
Item 1,2, and 3
aa noel nye nye noel nye nye
ade kani yelendaga dagane dagane
Aa nyele nye nye nyele nye nye
Ade kani yelendaga dagane dagane
ここでもゴーストの言語で話される歌詞を翻訳することは困難で、ここで言い表されていることがあやふやであることは避けられない。
Mulukは三つの異なるテンポ(スロー、中ぐらい、ファスト)で彼の「lerri(ハッピー)」ソングを演奏している。対照的に、Barrtjap(CD2)とMandji(CD4)の二人のWANGGAのソングマンの「lerri」ソングは常にファスト・バージョンで演奏されている。三人のソングマン全員がこの唄の歌詞に(意味に関係のない音声としての)単語、ゴーストの言語を用いている。
この唄の最初の二曲はトラック19に、3つめのバージョンはトラック20に収録してあります。残念ながらこのトラックの音源はテープスピードの変動でダメージを受けていますが、そのダメージを直すためのあらゆる努力がおしまらず注がれています。
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