Bobby LaneことLambudjuのCD「Rak Badjalarr」に6曲追加した全29曲。彼のメンターBenmele(59年録音)、彼の継承者のWorumbuとYarrowin(2008年録音)まで歴史的に網羅したWANGGAの不朽の名作。
■前置き
■Lambudju's WANGGA
■ライナーの翻訳
Lambudjuと言うと耳新しいですがBobby Laneと言えばピンと来る人もいるのではないでしょうか?WANGGAのCDの代名詞的なアルバム「Rak Badjalarr」のソングマンがBobby Lane Lambudjuなのです。
2001年にリリースされたCD「Rak Badjalarr」は、メインKenbi(ディジュリドゥ)奏者が故Nicky Jorrockで、彼の演奏がとにかくカッコいいのもあり、Lambudjuの唄のバリエーションの豊富さ、ソングマンとしての技量、そしてフィールドレコーディングならではのダンサーの声や風景音もあいまって至極のアルバムでした。
しかし、初版はブックレットとCDの内容が一致しているのに再プレス版からはなぜかCDのトラックが変更されていてブックレットとマッチしない、一度廃盤になるなどの過程をへて少し残念なアルバムになっていました。
このCD「Lambudju's Wangga」ではCD「Rak Badjalarr」に収録されている23曲に6曲が追加された合計29曲が収録されている。その6曲の内の2曲は2008年の最近のものになっています。この2枚のCDがどう違うのか、音源そのものの内容は6曲増えただけとも言えます。ブックレットの内容はかなり違っています。
1993年に亡くなったBobby Lane Lambudjuというソングマンだけにフォーカスしたのが「Rak Badjalarr」であれば、このCD「Lambudju's Wangga」にはさらに歴史的考察を加えてあるという、異なる視点で音源を再編集、追加してブックレットの内容を別物と考えてもいいほど刷新しています。
Lambudjuの父親とその兄弟達「Alalk、Tjulatj、Aguk Malvak」の3人の偉大なソングマンは、若いLambudjuの前にRusty Benmele Moreenに自分たちの唄を託し、LambudjuはBenmeleと活動を共にしながら彼から学び、Benmeleが亡くなった後は夢に現れる彼から唄を授かったという。そしてLambudjuの唄はColin Worumbu FergusonとRoger Yarrowinへと引き継がれて行く。
このCDはその歴史的過程を感じさせる内容となっており、断続的ではあるものの時系列で唄の経緯を解き明かし、90年代のBelyuenにおける最も偉大なるソングマンLambudjuの唄をコンパイルした名作です。
※1. このディスクは出版元ではCDと表記されていますが実際はCD-Rです。お手元でバックアップを取っておくことをおすすめします。
※2. このCDは8枚組(7セットで1つは2枚組)の「Wangga Complete CD set」の一部です。単体での販売はしていません。
■前置き
WANGGAはオーストラリア北西にあるDaly川の河口の北と南に位置するDaly地域に根ざすパブリックなダンスソングのジャンルの一つです。このCDは生涯50年以上WANGGAを作曲し演奏してきたソングマンたちに焦点をあてたシリーズのうちの一つです。さらなる情報については書籍「For the sake of a song」(Marett, Barwick, and Ford, 2013)をご覧下さい。
唄を与えてくれるゴースト(Lambudjuの母語Batjamalh語で「wunymalang」)が、ソングマンの夢見の中でそのソングマンに歌いかけてくることでWANGGAソングは生まれる。けれど、そこで唄われる言葉はゴーストの言葉であると同時にソングマンの言葉でもある。それはゴーストがソングマンに教え伝えたことをソングマンが聞き手のために唄うことで今に再生させているからだ。このことは、葬儀において生者の世界から死者の世界へと故人の葬送の手助けをするために、ソングマンが二つの世界の間にある空間を作り出す。
Lambudjuは比較的短命だったので、現存する彼の録音物はそれほど多くはない。「Rak Badjalarr」は1961年から2008年の間にLambudjuとその他のシンガーたちによって唄われた6つのバージョン(トラック1-6)が収録してあり、その歴史的深みが興味深く描き出されています。このCDの残りの部分は、1986年と1991年にMarettが録音したLambudjuの二つのセッションで構成されています。Alice Moyleが1959年から1962年の間に行なった初期の録音(トラック7-24)、そしてにはLambudjuの音楽的後継者Colin Worumbu FergusonとRoger Yarrowinによる最近の録音(MarettとBarwickによる1997年、Treloynによる2008年)がそれに続く(トラック24-29)。それぞれの曲について、書き起した歌詞とその翻訳、曲の背景となる情報が記されています。さらなる情報は我々が出版した本の第7章に書かれています。このCDに収録されている中の23曲が先にリリースされたCD「Rak Badjalarr」(AIATSIS, 2001)に収録されています。2005年に出版された書籍「Songs, Dreamings, and Ghosts」ではさらに後半にLambudjuの唄のレパートリーについて議論されています。
■Lambudju's WANGGA
Bobby Lane Lambudju(1941-1993)は、Belyuenコミュニティにおいて1980年代と1990年代初頭に活躍した二人の一流のソングマンの一人です(もう一人はBarrtjap。CD2参照)。Barrtjapの唄のレパートリーとくらべて、Lambudjuの唄はより多彩です。彼の唄の歌詞には豊富な種類の形式と語彙が用いられ、Batjamalh語とEmi-Mendhe語の二つの言語をミックスし、彼の唄のメロディーは多様でずらりと並べんだ異なるモードを用いている。楽器だけの間奏部分では、膨大な(意味に関係なく音の構成としてみた)単語を使うのもLambudjuのもう一つの際立った特徴でしょう。
Marettの書籍「Songs, Dreamings, and Ghosts」ですでに議論されているように、Lambudjuの唄のレパートリーは様々な出所からの来ているいう事実が、彼の唄の多様性の鍵でしょう。Lambudjuが自分で作曲するという点をのぞいても、二人のWadjiginyの父親Aguk MalvakとAlakから唄を引き継ぎ、彼のEmmiyangal語の養父Mun.giから唄を引き継ぎ、他の家族からも同様に唄を引き継いでいる。
Aguk Malvak、Alalk、Tjulatjiの3人のLambudjuのお父さんの兄弟たちは、20世紀前半の主要なソングマンでした。Lambudjuは当時若かったので彼らが亡くなる前に彼らの唄を学ぶことはできず、彼のお父さんのJack Lambudjuが自分の妹の娘のEmmiyangal語の夫Nym Mun.giに、Lambudjuがある年齢に達っするまで全ての唄を託した。それぞれ1959年と1962年の最初期に録音された2つの録音では、当時間違いなく熟練したソングマンだったMun.giの息子Rusty Benmele Moreenと一緒に唄う、とても若いLambudjuの唄声を聞くことができます。しかしながら、Benmeleは若くして亡くなり、MarettがBelyuenにはじめてやってきた1986年には、Lambudjuは彼自身が作曲したたくさんの唄と上の世代から引き継いだ唄を唄うこの伝統におけるマスターだった。
Lambudjuの唄の歌詞の多くは、Daly川の北にある彼の土地と、特にBelyuenコミュニティの人々が亡くなった時にもどる場所であるRak Badjalarr(北Peron島)に関するものです。「Rak Badjalarr(トラック1-6)」、「Bandawarra-ngalgin(トラック7-9)、「Karra balhak Malvak(トラック10)」、「Karra-ve kanya-verver(トラック11-12)」など彼の唄の多くは、ゴースト「wunymalang」の言葉を含んでいる。彼らがRak Badjalarrとその周辺の土地に戻っていくように唄っている。例えば「Benmale(トラック13」、「Tjerrender(トラック15)」、「Tjendabalhhatj(トラッック16」といった他の唄は、特定の人物について唄ったものです。例えば「Bangany nye-bindja-ng(トラック17)」は唄い踊る行為そのmのを唄ったものです。「Lima rak-pe(トラック24)」、「Bende ribene(トラック28」、「Limila karrawala(トラック29)」は全部があるいはほとんどがゴーストの言語で書かれている。
■ライナーの翻訳
1.Rak Badjalarr|
2.Rak Badjalarr|
3.Rak Badjalarr|
4.Rak Badjalarr|
5.Rak Badjalarr|
6.Rak Badjalarr|
7.Bandawaarra-ngalgin|
8.Bandawaarra-ngalgin|
9.Bandawaarra-ngalgin|
10.Karra balhak malvak|
11.Karra-ve kanya-verver|
12.Karra-ve kanya-verver|
13.Benmele|
14.Winmedje|
15.Tjerrendet|
16.Tjendabalhatj|
17.Bangany nye-bindja-ng|
18.Walingave|
19.Walingave|
20.Djappana<br>
21.Djappana|
22.Djappana|
23.Karra balhak-ve|
24.Lima rak-pe|
25.Munbagandi|
26.Munbagandi|
27.Munbagandi|
28.Bende ribene|
29.Limila karrawala|
※曲名をクリックするとその曲の解説へ飛びます。
トラック1
Song 1 : Rak Badjalarr
rak badjalarr-maka bangany-nyung [repeated]
ii winmedje ngan-dji-nyene
[I am singing] for the sake of a song for my ancestral country, Badjalarr
I am [singing] eating oysters
Badjalarrとは、Lambudjuが彼の父親たちから引き継いだ先祖代々の「rak(土地)」北Paron島です。そこはDaly川の下降の北に位置する。伝統的にその土地の所有者である古参の者たちと、彼らにきちんとその土地に連れて来られた人以外にとっては危険な場所だと考えられているが、Wadjiginyの人々とBelyuenコミュニティに住む他の人たちにとっては(自分たちが亡くなった時に帰る)死者の島です。そこにはゴーストwunymalangが住んでいて、BadjalarrからBelyuenまでソングマンに唄を授けにやってくる。歌詞のリズム的な節付けにこういったこの唄の危険な一面が反映されています。
最初の1行目の「rak badjalarr-maka bangany-nyung(唄のために、わたしの先祖の土地のために、北Peron島)」には省略された部分があります。それはLambudjuが歌詞を説明してくれた時に明らかになりました。歌詞に「nga-bindja-ng(私は唄っている)」という言葉を足すことで、「私は先祖の土地Badjalarrの唄を唄っている」という意味になる。しかも、この歌詞は「wunymalang(ゴースト)」が話している言葉でもあるのだということがわかってはじめて、本当の歌詞の意味が明らかになる。歌詞の「〜のために」は「先祖の土地Badjalarrの唄を[おまえに授ける]ために」となる。しかし儀式の中で唄われる時には、生者であるソングマンが自分の土地の唄を儀式の参加者に伝えるために唄っているんだ、という宣言になる。
BadjalarrはLambudjuの唄の中に出てくるDaly地域にあるいくつかの場所の一つです。口に出すと祖先のゴーストを生者の領域に呼び寄せる恐れがあるため、Badjalarrという言葉は危険で普通は口に出すことができない。「Rak Badjalarr」という言葉を唄う時には「Rakba djala」というリズムで割ってすり替えている点にも、Badjalarrという言葉の危険性が反映されている。「rakba」と唄うことで「rak-pe」のような響きになり、「永遠の土地」という注釈があてられる。Lambudju自身でさえ歌詞を口に出して説明する際には「それは場所の名前、Djalarr」を意味する「Rak badjalarr bangany, bangany-nyung nga-bindja-ng」と偽装していた。
牡蠣を食べているという歌詞の部分は実際Badjalarrに牡蠣が豊富にあって、子孫に食べ物を与えてくれるという事実に基づいている。牡蠣はLambudjuとWadjiginyの人々が住むCox半島でも豊富で、彼らの祖先の土地と今彼らの住む場所とのつながりを表してもいる。ここにも歌詞の省略部分があり、Lambudjuに歌詞の説明を聞いた時には「ngami(わたしは座っている)」という最後の言葉が加えられているが、唄われていない。この唄の重要性はMarettの書籍「Songs, Dreamings, and Ghosts」でより詳細に議論されています。
このCDには6つのバージョンの「Rak Badjalarr」が収録されていて、Lambudju自身が唄う2曲(1962年と1968年)、Lambudjuの養子関係の弟Rusty Benmele Moreenの1曲(1961年)、Lawrence Wurrpenの1曲(1961年)、Colin Wurumbu Fergusonの2曲(1997年と2008年)、Lambudjuの唄を引き継いだシンガーたちです。
このように時をこえて唄がソングマンからソングマンへと手渡されていくにつれて、いかに1つの唄が発展するのかということを見渡すことができます。Lambudjuの血筋から遠いWuppenをのぞいて、すべてのシンガーたちはLambudju自身の演奏によくみられる楽器だけの間奏部分での意味を含まない音声的な歌唱が用いられています。
トラック2
Song 1 : Rak Badjalarr
rak badjalarr bangany nye-bindja-ng [repeated]
ii winmedje ngan-dji-nyene
You sing a song for my ancestral country, Badjalarr
I am [sitting] eating oysters
1962年Alice Moyleによる録音で、これがもっとも古い「Rak Badjalarr」の音源です。オリジナル音源が低い音量で録音されていたため音質は理想には程遠いが、まだ弱冠20才ほどの若者であるLambudjuが唄っているのが聞けるのでこのCDに収録しました。
トラック1の1986年のバージョンとこのバージョンではいくつかの歌詞の違いと音楽的な違いがあります。
トラック3
Song 1 : Rak Badjalarr
rak badjalarr-maka bangany [-nyung] [repeated]
ii winmedje ngan-dji-nyene
[I am singing] [for the sake of] a song for my ancestral country, Badjalarr
I am [sitting] eating oyseters
トラック2が録音される1年前の1961年に言語学者のLaMont WestがBeswick Creek(現Barunga)で録音した演奏です。シンガーはDelissaville(現Belyuen)出身のLawrence Wurrpenで、当時彼は妻の家族が住んでいたBeswick Creekへと引っ越していた。Wurrpenがさまざまな唄のレパートリーをBelyuenから持って来ていたことは明らかで、CD2のトラック17ではTommy Barrtjapの唄を彼が唄うの聞くことができる。
トラック4
Song 1 : Rak Badjalarr
rak badjlarr-maka bangany-nyung [repeated]
ii winmedje ngan-dji-nyene
[I am singing] for the sake of a song for my ancestral country, Badjalarr
I am [sitting] eating oysters
Mun.giの息子で、Lambudjuの養父で先生、(アボリジナルの親族システム的には)Lambudjuの兄にあたるRusty Benmele Moreenが唄っているバージョンです。Benmaleは惜しむらくも1980年代初頭に若くして亡くなったが、ずっとLambudjuの上位のソングマンでした(トラック13の唄「Benmale」参照)。Benmaleが彼のソングマンとしての能力の頂点に達した熟練した唄い手であることが、この音源を聞くとわかる。
トラック1のバージョンと歌詩、リズム、メロディーともにとても似通っているが、唄にまつわるBenmeleの音楽的センスはより複雑です。より詳細についてはMarettの「Song, Dreamings, and Ghost」で議論されています。
トラック5
Song 1 : Rak Badjalarr
1993年のLambudjuの没後、Colin Worumbu Fergusonが彼の唄を引き継いだ。Worumbuは別の言語グループ(Marri Tjavin語)出身でしたが、彼の一家はBeluenコミュニティに長年住んでいた。そしてWadeyeコミュニティのいくつかの唄もふくめて、今ではもう彼はあらゆるBelyuenの唄のレパートリーを唄う権利を得たのです。
この「Rak Badjalarr」の演奏はLambudjuとBenmaleの二人のソングマンの影響がある。この演奏はWorumbuが当時ディジュリドゥ奏者としての能力の極みにあった故Nicky Jorrockと一緒にある晩Mandorahの浜辺で唄ったものをMarettが録音しました。とても力に満ちた演奏だったので、我々の目の前にLambudjuのゴーストが舞い降りたのかと感じるほどでした。このトラックの一番最後で聞かれる「malh」という儀式的な叫び声は、この演奏のスピリチュアルなパワーを指し示している。
トラック6
Song 1 : Rak Badjalarr
DarwinのLee PointでSally Treloynによる録音。唄はColin Worumbu Fergusonです。この演奏でWorumbuはとても速いクラップスティック、歌詞のいくつかの変化、といった改変をしていてWurrpenの1961年の演奏(トラック3)を彷彿させる(WorumbuはCD「Rak Badjalarr : Wangga Songs for North Peron Island by Bobby Lane」を聞いてそのバージョン知っていた)。Worrumbuは自分がCDを聞いて学んだということを包み隠さず話していた。現代的なテクノロジーがこのような音楽の伝統を維持伝達することに一役買っていることは間違いない。実際、録音物は過去を忠実にトレースすることができるので、Belyuenでは録音物は「maruy(ゴースト)」として格付けされています。
トラック7
Song 2 : Bandawarra-ngalgin
bandawarra-ngalgin ka-dje-mene [repeated]
bandawarra-ngalgin
It [the tide] is coming in at Bandawarra-ngalgin
Bandawara-ngalgin
「Bandawarra-ngalgin」はDaly川の河口と南Peron島の間の海底にある深く危険な穴の名前で、Lambudjの祖先の土地です。
この唄にはおもしろい音楽的特徴がいくつかあって、唄いはじめの部分はすべて音と音を滑らかについないだスラーで唄われている。このようなスラーを使った唄い方は古いWANGGAの音源のいくつかで聞くことができるが、現在では珍しくなっています。
トラック8-9
Song 2 : Bandawarra-ngalgin
bandawarra-ngalgin ka-djen-mene
nya-muy-ang nye-djang-nganggung
bandawarra-ngalgin ka-djen-mene
ngala-viyitj nya-mu-nganggung
It [the tide] is coming in at Bandawarra-ngalgin
Stand up and dance woman, for us both
It [the tide] is coming in at Bandawarra-ngalgin
Sit and clap hands for us both
「bandawarra-ngalgin ka-djen-mene(bandawarra-ngalginに向かって[潮]が流れこんできている)」、「nya-muy-ang nye-djang-nganggung(女性たちよ、立ち上がって我々二人[ソングマンとゴースト]のために踊っておくれ)」、「ngala-viyitj nya-mu-nganggung(座って我々二人[ソングマンとゴースト]のために手を叩いておくれ)」という、3行の歌詞の順番は変わりやすい。この唄の歌詞の中でWANGGAにおけるコミュニティの人々の参加(踊りと手拍子)について触れることで、Belyuenコミュニティの現在の聴衆を、Bandawarra-ngalgin付近にある彼らの祖先のホームランドと同じ背景へと連れていく。
トラック10
Song 3 : Karra Balhak Malvak
karra balhak malvak-karrang-maka ngarn-rdut-mene-ng ka-bara
bandawarra-ngalgin-bende nguk ka-maridje-ng ka-yeve
karra balhak werret-bende mü
ng ya-mara nya-buring
munguyil-malang
ngawardina ngawardina-djene-nung-bende
Brother Malvak has gone and left me behind
At Bandawarra-ngalgin now he is lying with one knee bent over the other
Quick now, brother, catch him up, fast-paddling one!
With a floating log
Lambudjuのお父さんの兄弟Aguk Malvak(c.1895-c.1959)のゴーストに向けて語りかけた唄です。MalvakはLambudjuが多くの唄を引き継いだ数あるソングマンの一人です。Delissavilleの二人のメインソングマンの一人としてMalvakをEwersが1947年に録音したものです。この唄を作曲したのはMalvakの弟、おそらくAlalkかTjulatji(二人ともソングマンだった)だったので、Malvakは歌詞の中で「balhak(兄)」と話かけられているのだ、とLambudjuは話ていた。この唄ではBandawarra-ngalginという場所でMalvakのゴーストが死者がするポーズ(片ひざをまげてもう一方の足の上にのせる、一般的に「数字の4の脚」と呼ばれるポース)で寝転がっている姿が描かれています。そして、すべてのWadjiginyの人々が亡くなった時に帰るとされている死者の島Badjalarrに向かって水をこげと追い立てている。
トラック11
Song 4 : Karra-ve Kanya-verver
karra-ve kanya-verver-rtedi kay [a-ndhi]
karra-ve kak-ung-bende badjalarr
ribene ribene ribene ribene ribene ribene …
ii aa ü karra-ve kanya-verver-rtedi kaya-ndhi
It [a breeze] is forever cooling my back
Away now to Badjalarr forever
It is forever cooling my back
ここでは、ある一人のゴーストがWadjiginyの人々にとっての死者の島Badjalarrへの旅路について唄っている。背中に感じている風はゴーストの存在の兆候です。「風が吹いていてわたしはここで寝転んでいる。わたしは眠りこんで、夢を見て、maruy [wunymalang]スピリットがやってきて、唄を唄った。わたしはその心象をえて、その唄を唄った。」と、Lambudjuは「maruy [wunymalang]」ゴーストからこの唄を授かる様子を語っていた。
この唄に使われている言語はBatjamalh語とEmmi-Mendhe語のミックスです。1行目の「karra-ve kanya-verver-rtedi kay [a-ndhi]」はEmmi-Mendhe語で、2行目の「karra-ve kak-ung-bende badjalarr」はBatjamalh語で書かれています。このような言語のミックスはWANGGAソングでは珍しいですが、Lambudjuは日常会話の中ではよく二つの言語をまぜこぜにしてした。Lambudji自身の祖先の言語(そして彼の唄の大半の言語)はBatjamalh語だけれど、Emmiyangalの一家で育ったせいかもしれません。
トラック12
Song 4 : Karra-ve Kanya-verver
karra-ve kanya-verver-rtedi kaya-ndhi
karra-ve kak-ung-bende badjalarr
ribene ribene ribene ribene ribene ribene …
ii aa ü [repeated]
karra-ve kak-ung-bende badjalarr
ribene ribene ribene ribene
ya ya, ya ya
It [a breeze] is forever cooling my back
Away now to Badjalarr forever
このバージョンの「Karra-ve Kanya-verver」はAlice Moyleが1962年に録音したもので、シンガーはLambudjuとDouglas Rankinです。このバージョンにおけるメロディー、歌詞、テンポ、クラップスティックの叩き方は、1986年のLambujuのバージョン(トラック11)と本質的には同じだが、二人のシンガーは歌詞の行の順番をわずかに変えてうたっている。
トラック13
Song 5 : Benmele
benmele-maka kurratkurratj ka-bindja nü
ng [repeated]
ii aa mm
Benmele! Cuckoo! He sang for him
この曲「Benmele」は、1980年代初頭にRusty Benmele Moreenの死に影響を受けて作曲されました。Benmeleはアボリジナルの養子縁組の関係性においてLambudjuの兄にあたり、当時この地域のWANGGAの伝統における上位のシンガーでした(Benmaleが唄う唄はトラック4で聞くことができます)。彼の死はコミュニティにとって大いなる喪失でした。オオオニカッコウがBenmeleを死から遠ざけるように唄いかけている様子が唄われている。子供や部外者にこの唄を説明する際には、「kurratkurratj」という言葉は、この唄のシリアスな意味を粉飾するためにたいてい「ワライカワセミ」だと伝えられる。
トラック14
Song 6 : Winmedje
winmedje ngan-dji nyene nga-mi mm
aa ee ü
I am sitting eating oysters
Lambudjuは自分の娘Audrey LippoがBelyuenコミュニティ付近のTwo Fella Creekで牡蠣を食べている夢を見た(後に、アボリジナルの相談役との会話の中で、この曲はLippo自身の作だと聞いた)。Batjamalh語で書かれた1行目の歌詞は「Rak Badjalarr(トラック1-6)」の歌詞の一番最後の行と同じです。すでに前述したように、牡蠣に関することは北Peron島にあるLambudjuの祖先の土地と、Cox半島にある彼と養子関係の土地Belyuenのつながりを表している。
トラック15
Song 7 : Tjerrendet
tjerrendet-maka ka-ngadja tjidja-nde bangany ka-bindja [repeated]
Tjerrendet has gone back, it’s this man’s trun to sing a song
伝統的な腰巻を意味する「Tjerrendet」は、1960年代に活躍したRoy Mardi Bigfootのあだ名です。彼はPeron諸島の対岸にあるBalgalアウトステーションと、Dum-in-Mirrie島の二つの土地の所有者でした。Lambudjuのキャンプを通り過ぎるTjerrendetを見かけたある日、Lambudjuはこの唄を創ったのだと語っていました。
WANGGAダンスソングは唄を授けてくれるゴーストの営みに関係していならば、この唄はTjerrendetのゴーストがソングマンであるLambudjuを実際に訪ねてきたことを表している。そしてLambudjuはそのことを唄にして唄っている。
トラック16
Song 8 : Tjendabalhatj
tjendabalhatj mive-maka nyen-ne-ne kanye-djanga [repeated]
Tjendabalhatj, they saw you standing there
Tjendabalhatjは「オールドElliyong」として知られているCharlie Alliungのアボリジナル・ネームです。Lambudjuはこの唄を次のように説明していました。
「Tjendabalhatj mive-maka nyen-ne-ne kanye-djanga」は、オールドTjendabalhatj、オールドElliyongがこの若者を訪ねて来たという意味だ。「Mive nyenne nanggany kanyedjanga」は、ほぼ毎日彼を訪ねて来ていた、という意味だ。
この簡潔だが含蓄のある説明の背景にはより複雑なストーリーがあるのは明らかです。Tjendabalhatjは「dawarrabü
ak(賢人)」なのだとLambudjuは語っていました。1948年にABC放送のジャーナリストColin SimpsonがDelissaville(現Belyuen)で「kapuk/karaboga(亡くなった人の衣服を燃やす儀式)」を録音しました。その場で唄っていたAlliungも二人の「dawarrabü
ak(賢人)」のうちの一人だと言われていた。
トラック17
Song 9 : Bangany Nye-bindja-ng [two items]
Item 1
bangany nye-bindja-ng nya-mu-ngarrka ya-mara [repeated]
nya-muy-ang nye-djang-nganggung bangany-e ya-mara
ee nya-muy-ang nye-djang-nganggung bangany-e-ya-mara
karra ee
Sit and sing a song for me, dance, man!
Stand up and dance, woman, for us two. Song! Dance, man!
Item 2
bangany nye-bindja-ng nya-mu-ngarrka ya-mara [repeated]
nya-muy-ang nye-djang-nganggung bangany-e ya -mara
ee nya-muy-aug nye-djang-nganggung bangany-e-ya-mara
karra nya-mu nye-djang
Sit and sing a song for me, dance, man!
Stand up and dance, woman, for us two. Song! Dance, man!
Stand up and dance, woman.
2曲の「Bangany nye-bindja-ng」がトラック17には収録されていて、曲間には短いブレイクがあるだけです。ある朝Belyuenの水場で録音されたもので、ダンサーたちの力溢れる叫び声と所見を述べる声を聞くことができます。この時にはLambudjuはクラップスティックのかわりに二つの空き缶を使っていました。唄うという行為そのものが、唄を授けてくれるゴースト自身が唄い伝えた指示を全うすることなのだということを強調しつつ、Lambudjuはこの唄を以下のように解説していました。
この精霊はわたしが今歌っていたこと、その唄を繰り返し唄うように告げる。わたしがこの唄を唄う時には時折繰り返し唄わないといけない。精霊は「わたしに唄を唄っておくれ」と言う、そういうもんさ、言ったとおりだろ。bangany nye-bindja-ng nya-mu、同じ言葉を繰り返し続けるだけさ。
この唄の他にも興味深い点は、踊りに加わる男性女性の両方に語りかけていることです。「Ya-mara(逐語的には、おまえは蹴るんだ)」は男性の踊りを指し、「nya-muy-ang(逐語的には、おまえは体を揺り動かせ)」は女性の踊りについて触れている。「-nganggung」という代名詞は「我々二人」を意味し、おそらくソングマンとその伴奏をするディジュリドゥ奏者のことでしょう。この唄のほかの演奏ではLambudjuは誰が踊っているのかによって、こういった言い回しを取り替えて唄っているのかもしれません。このトラックでは2曲収録されていて、言い回しを変えて唄っているのがわかります。曲の最後の楽器だけの部分ではLambudjuは普段は「di di di」と唄うところをたわむれで「di digidi di di」と唄っています。
トラック18
Song 10 : Walingave
walingave-maka bangany nye-bindja-ng [repeated]
ii aa
walingave-maka bangany nye-bindja-ng [repeated]
Sing a song for Walingave
「さぁ、これはWali.Walingaveという場所についての唄だ。Peron島の近くのどこかにある。Wali, Walingaveという古い言葉を繰り返し唄っているんだ」とLambudjuは説明しています。正確にWali(あるいはWalingave)がどこにあるのかは不明です。1979年にBrian Endaがこの唄を次のように説明していました。
Port Keatsで働いていた時、Wally、それはTOYOTAのことだった。彼らはTOYOTAをWallyと読んでいた。彼はDaly川あたりで事故ったんだ、ほらあそこの川渡り。わたしの(アボリジナルの親族関係の)お父さんのBobby Lane(Lambudju)は、何時になったら彼らは修理してくれるんだとたずねた。お父さんは「wali muvu-maka」って言った(唄った)、何時おまえは動くんだってね。わたしのオールドマンがその唄を創ったんだ、ほら、今唄っている唄がそうだよ。
Brian Endaのこの説明は、いくぶん繊細な事柄ですが、Lambudjuが先祖の土地にあるという彼が行ったことのないかすかに記憶されている場所についてのLambudjuの説明を隠し、より深い本当の意味を覆い隠す出来事を示しているのかもしれません。2008年Colin Worumbu FergusonはBrian Endaの説明は正しいものだと強く力説していました。
この唄のメロディーは「Karra Balhak Malvak(トラック10)」と同じなので、Lambudjuの唄のレパートリーの中でもより古い曲だと思われる。つまり、Peron諸島付近の土地をより深く知っていたであろうLambudjuのお父さんの世代のソングマンのだれかによる作曲だと考えられる。
トラック19-22
Song 11 : Djappana
djappana rdinyale rdinyale djappana [repeated]
ya
Emmi-Mendhe語を話すRuby YarrowinはDjappanaはDaly川の北にある、と語っていた。Lambudjuはトラック19-22の4曲すべてをほぼ等しく唄っています。Lambudjuは次のように解説しています。
わたしはただDjappanaという場所の名前を伝えている。Djappanaは......「tjine rake(あの場所はどこだ?)」、Daly川の河口......、その場所の名前だよ。わたしはただその名前、ずっと同じ言葉を繰り替えしている。
トラック23
Song 12 : Karra Balhak-ve [two items]
karra balhak-ve bangany nga-bindja-ye [repeated]
ii
Older brother I am forever singing a song
この唄は1959年BagotコミュニティにてAlice Moyleが録音したもので、彼女のフィールドノートには「Song for Peron Island」と記されている。この音源はLambudjuの最初期の録音ということだけはなく、彼がRusty Benmele Moreenと共に唄っている貴重な音源でもあります。Lambudjuが作曲した見込みはありません。この唄の短音階のメロディーという特徴から、Aguk Malvak、Alalk、Tjulatjiら、Lambudjuのお父さんの兄弟たちから引き継いだ唄だと考えられる。
唄の中では実際の親族関係を示し、同時にドリーミングに語りかける時に使われる用語でもある「Older brother(兄)」という言葉が使われています。CD「Rak Badjalarr」のブックレットでは、この唄はブロルガ(豪州鶴)についての唄だと誤って判断していました(1962年にAlice Moyleがえた歌詞を後から話て聞いたバージョンを取り違えたからでした)。アボリジナルの相談役と我々自身の耳で聞いて、歌詞の最後から2番目の言葉は「belleny(ブロルガ)」ではなく「bangany(唄)」でした。
トラック24
Song 13 : Lima Rak-pe
Lima rak-pe lima rak-pe [repeated]
ya ya ya ya
Lima eternal country! Lima eternal country!
ya ya ya ya
1962年にAlice Moyleが録音したこの曲では、再度Rusty Benmele Moreenと共に唄うLambudjuの唄を聞くことができます。Lambudjuの初期の録音ということと短音階のメロディーの印象から、この曲もLambudjuの「父親たち」のだれかによる作曲だと考えられます。
我々の相談役たちはこの唄の歌詞には意味がなく、「唄のためだけの歌詞」だと言っていたが、「rak-pe」という表現は他の唄では「永遠の土地」と訳されていて(Barrtjapの3曲 : CD2)、ここではその翻訳を採用してあります。Barrtjapの唄「Nyerre-nye Bangany Nyaye(CD2 トラック12)」では、「lima rak-pe (lima rak-pe ngadja ngaye)」という同じフレーズが使われています。
トラック25
Song 14 : Mubagandi
a karra mugabandi ye-me-ngadja-nganggung-bende mm
karra ye-me-ngadja-nganggung mm
ye-me-ngadja-nganggung
ye-me-ngadja-nganggung-bende mm
karra ye-me-ngadja-nganggung mm
Ah poor bugger, tell him to come back for you and me now
Ah, tell him to come back for you and me
Tell him to come back for you and me
Tell him to come back for you and me now
Ah, tell him to come back for you and me
Lambudjuの没後すぐの1997に録音された演奏です。Emmiyangal語のシンガーRoger Yarrowinはこの唄はLambudjuによる作曲で、彼が亡くなる前にYarrowinに渡されたのだとMarettとBarwickに語っていました。一般的に、シンガーは最近亡くなった親族に向かって戻ってきてくれるよう訴えかけて唄を唄っているようです。トラック26ではたくさんの儀式的な叫び声「malh」を聞くことができます。それはLambudjuのゴーストへの呼びかけなのだと彼らは語っていました。トラック27の2番目の詩句では、Yarrowinはクラップスティックを一時的に止めており、パワフルですがめずらしい趣向です。
歌詞の中には様々な言語的な誤りがあるので、我々の相談役のなかには、Yarrowin自身が唄を作曲した、つまりLambudjuの没後夢見の中でLambudjuから唄を授かったにちがいないとほのめかす者もいましたし、Lambudju自身が唄っているのを聞いたことがある、と言い張る人もいました。このバージョンにおける文法的な間違いがあるということは、もしかしたらLambudjuの歌詞を不完全な形でYarrowinが覚えてるということかもしれません。
この唄においてさらに指摘すべきYarrowinによる創造的なアプローチは、1オクターブ低い声で唄っている歌詞の部分がある、という珍しいメロディーの組み立て方です。Lambudjuの場合は、詩句と詩句の間のブレイクの間だけ1オクターブ低い声で唄う、というのが彼の典型的な手法でした。Lambudjuのお父さんたちの世代の古い唄「Karra Balhak Malvak(トラック10)」でも1オクターブ低い声で歌われる歌詞の部分があります。
トラック28
Song 15 : Bende Ribene
bende ribene ribe [repeated]
yakerre balhak malvak-maka ka-bindja-ng ka-mi
Yakerre! He is singing for brother Malvak
この唄はLambudjuの作曲ですが、彼がこの唄を唄っている音源は残っていません。MarettがこのCDシリーズの草案のコピーとCDをColin Worumbu Fergusonに渡した2008年に録音しました。この音源は彼が自分の文化を保護し、完全なものにしようとしている印象的な一例です。
トラック29
Song 16 : Limila Karrawala
この唄もLambudju作曲で、以前には録音できていなかったか、あるいは記録保管した録音物の中に見出せなかった曲です。トラック27と同様に、Lambudjuの唄のレパートリーの記録を完結させるために2008年にColin Worumbu Fergusonが唄ったものです。「Rak Badjalarr」と同じメロディーラインで、この曲の歌詞の翻訳は得られていませんが、「karrawala」という言葉が「丘」を意味するということは確かです。
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