現在Wadeyeコミュニティの儀礼の場で演奏されるWANGGAがこのWalakandha(ゴースト)WANGGA。このWANGGA全集シリーズ唯一の2枚組。作曲者ではなく一つのジャンルに絞って集めら、歴史的考察をふまえた全39曲2枚組の壮大な内容。
■前置き
■Walakandha WANGGA
■ライナーの翻訳
■草創期:Stan Mullumbukのレパートリー
■草創期から黄金時代への過渡期
■Walakandha WANNGAの黄金期
■1996年から2006年までの10年間におけるWalakandha WANGGA
■雑録集(トラック38-39)
「Walakandha」はMarri Tjavin語でゴースト(死者の霊)を意味する言葉で、Walakandha WANGGAは1960年代にStan Mullumbukが創始したダンスソングです。
現在、Wadeyeコミュニティの葬儀における三大ダンスソングは、ディジュリドゥの伴奏をともなうWANGGAとLIRRGA、そしてクラップスティックだけで唄われるDjanbaです。
そのWANGGAの中でも現在のWadeyeの儀式で演奏されているのがこのWalakandha WANGGAです。Walakandha WANGGAの収集された音源を年代順にまとめて早創期、過渡期、黄金時代、近代と4つの時間枠で区切って2枚のCDに分けて収録されています。
BelyuenコミュニティとWadeye(Port Keats)コミュニティというWANGGAが演奏される二大コミュニティの内、Wadeyeで演奏されるWANGGAの中心がWalakandha WANGGAであることの重要性を加味して、唯一2枚組となっており、ブックレットの内容も長大で濃厚で、読み応えがあるものとなっていて、WANGGA全集を作るにあたってAllan Marettが最も重要視していることがわかります。
Belyuenコミュニティのメロディー豊かで恋慕と郷愁に満ちた音楽観とはまた違って、Wadeyeコミュニティの中心的なWalakandha WANGGAはなぜか不思議と全体的に宗教的な呪術的な要素を感じさせる。
儀式の場で演奏されるDJANBAとLIRRGAというWANGGAとトリムルティになった他のダンスソングからの影響もあるのかもしれません。
Marri Tjavin語の人々のWANGGAソングが、いつしかWadeyeコミュニティ周辺の他の言語集団の葬儀や割礼といった儀式でも中心的な役割を果たすようになった、という点においてもWalakandha WANGGAの重要さは他に類をみない。一体なぜこのWANGGAソングがこの時代にWadeye周辺を席巻することとなったのか、その歴史的経緯もふまえてじっくり聞き込みたい内容です。
※1. このディスクは出版元ではCDと表記されていますが実際はCD-Rです。お手元でバックアップを取っておくことをおすすめします。
※2. このCDは8枚組(7セットで1つは2枚組)の「Wangga Complete CD set」の一部です。単体での販売はしていません。
■前置き
WANGGAはオーストラリア北西にあるDaly川の河口の北と南に位置するDaly地域に根ざすパブリックなダンスソングのジャンルの一つです。このCDは生涯50年以上WANGGAを作曲し演奏してきたソングマンたちに焦点をあてたシリーズのうちの一つです。さらなる情報については書籍「For the sake of a song」(Marett, Barwick, and Ford, 2013)をご覧下さい。
WANGGAソングは、Marri Tjavin語でいうところのWalakandhaと呼ばれる唄を授けてくれるゴーストが、ソングマンの夢見の中でソングマンに唄いかけてくる唄声によって生まれる。けれど、ソングマンが今命ある人間である聞き手のためにWalakandhaが彼に教え伝えたことを再生しなおす時、ソングマンの唄はWalakandhaの言葉であると同時にソングマンの言葉でもあるのだ。この両義性がWANGGAソングを生者の世界と死者の世界をつなぐ掛け橋にしているのだ。
このCDは最も重要なWANGGAのレパートリーの一つを幅広く収録しています。よく知られたWalakandhaソングを少なくともそれぞれ1曲づつ収録し、最も古い1970年代の音源、そしてMarettが初めてWadeyeコミュニティを訪れた黄金時代の1980年代から2000年代初頭までを年代順にグループ分けしてあります。唄に複数のバージョンがある場合(たとえば異なる音楽的背景があるなど)は、それぞれのバージョンを収録しています。録音されることのなかった曲が他にもあるに違いない(とりわけ1970年代と1980年代初頭は)。ここに収録されている34曲は、本当に実のある重要な集大成であると言えるでしょう。
それぞれの曲について、書き起した歌詞とその翻訳、曲の背景となる情報が記されています。2005年に出版されたMarettの書籍「Songs, Dreamings and Ghosts」にはWalakandhaソングのレパートリーについて広範な論議が行われており、さらなる情報はその第8章にて書かれています。
■Walakandha WANGGA
ここ40年ほどの間、Wadeyeコミュニティ在住のMarri Tjavin語話者のソングマンたちによって作曲されたレパートリーであるWalakandha WANGGAは、当地で演じられるレパートリーの中でも最も卓越したWANGGAです。Walakandha WANGGAはWadyeyで1960年代中頃から後半にかけてStan Mullumbuk(1937-1980)によって創始され、Walakandha WANGGAのレパートリーはWadeyeの儀式的生活を体系づける三つの儀式システムの一翼をになうようになった。三つの儀式システムとはWalakandha WANGGAと姉妹的に互いに補足しあう儀式的関係であるDjanbaとMuyil Lirrgaです。この三種類の楽曲は、翻訳することができない霊の言葉であることとは対照的に、普通の人間の話す言葉で記述された高度に均整のとれた歌詞で唄われる。
Marri Tjavin語を話す人々の先祖であるWalakandhaは、WANGGAソングを授けてくれる存在であり、今を生きる子孫たちの守護者でもある。そのWalakandhaの活動がWalakandha WANGGAの中心的なテーマです。Marri Tjavinの人々の直接の親族である具体的な人物数人の祖先たちが、作曲と演奏に関係していて、唄の中でその名前について触れられている。死は潮が引いていくこと、あるいは砕ける波に打ち付けられることになぞらえられる。そういうことが儀式の中でおびただしく言及される。
Marri Tjavinの人々の先祖代々の土地への回帰に対する思慕も、共通した唄のテーマの一つです。多くの唄の中で「nidin-ngina(我が貴き土地)」という表現が使われ、具体的な土地の名前があげられている。その土地の中でも最も重要なのが、祖先のWalakandhaたちが帰するというYendiliの丘です。唄の中ではMarri Ammu語の人々の場所Pumurriyiについて言及されることがあり、それはMarri Tjavinの人々が作曲しているのだが、儀式においてはMarri Ammuの人々もMarri Tjavinの人々と共に踊り、一座をなすからだという事実があるからでしょう。
39曲は二つのCDに分かれて収録されています。
■ライナーの翻訳
CD 1
1.Walakandha No.8|
2.Walakandha No.6|
3.Wutjelli No.2|
4.Nginimb-andja|
5.Walakandha No.7|
6.Walakandha No.8a|
7.Walakandha No.8b|
8.Walakandha No.9a|
9.Walakandha No.9b|
10.Yendili No.6|
11.Yenmilhi No.2|
12.Kubuwemi|
13.Yendili No.1|
14.Yendili No.2|
15.Walakandha No.1|
16.Truwu|
17.Truwu|
18.Truwu|
CD 2
19.Nadirri|
20.Yenmilhi No.1|
21.Mirrwana|
22.Wutjelli No.1|
23.Walakandha No.2|
24.Pumurriyi|
25.Thidha nany|
26.Dhembedi-ndjen|
27.Tjagawala|
28.Karra|
29.Yendili No.5|
30.Yendili No.3|
31.Lhambumen|
32.Yendili No.4|
33.Walakandha No.3|
34.Karra Yeri-ngina|
35.Walakandha No.4|
36.Walakandha No.5|
37.Kinyirr|
38.Wedjiwurang|
39.Tjinmel|
※曲名をクリックするとその曲の解説へ飛びます。
CD6-1
■草創期:Stan Mullumbukのレパートリー(トラック1-5)
Stan Mullumbukが最初のWalakandha WANGGAソングを作曲した。最も古い録音が行われたのは1972年Michael Walshによって、そしてLesley Erillyによって1974年に。Frances Kofodは、遅くとも1986年にThomas Kungiungたちが唄うStan Mullumbukの唄(Walakandha No.8)を録音しているが、Thomas Kungiungの唄は1988年までには儀式で唄われなくなっていた。Marettが1999年にAmbrose Piarlumから誘い出した1曲(トラック5)が収録されています。
トラック1
Song i : Walakandha No.8a
karra walakandha kimi-nginanga-wurri kavulh-a
The waalakandha has always sung to me and I can't stop him
ソングマンが常にWalakandha(ゴースト)から唄を授かっているということを強く主張する歌詞であり、招かざるうちにWalakandhaがソングマンの夢に現れるのでソングマンはそれに抗うことができないのだということを主張している。というのも、いったん生あるソングマンが唄の萌芽を授けられると、それを生者が執り行う儀式に適した表現にするためにかなりの文化的な務めを果たすこととなる、という証言が数多くある。晩年のFrank Dumooによると、この曲は最初に創られたWalakandha WANGGAソングだという。最初のWalakandha WANGGAソングを作曲したStan Lullumbuk自身が唄うこの曲の録音は存在せず、このトラックは1986年にFrances Kofodによって録音されたThomus Kungiungたちによるものです。Jimmy Muluk(CD3)をふくむBelyuenコミュニティのソングマンたちの影響が明らかです。トラック6と7でもKungiungによるこの曲の演奏が収録されています。
トラック2
Song ii : Walakandha No.6
aa yene yene
aa karra walakandha ki-nyi-ni venggi-tit-nginanga-wurri
kavulh marzi mungirini
The waalakandha has always sung to me and I can't stop him
この唄もソングマンがWalakandhaから唄を授かっているということについて言及しています。1行目の「yene yene」という歌詞はWalakandhaが(夢の中で)発した声を引用している。似たような言い回しを含んだgo-sutoの言葉による歌詞は、BelyuenのソングマンであるBarrjap(CD2)やMuluk(CD3)やMandji(CD4)らの唄にも聞くことができる。上向きに横になって、右脚を曲げて伸ばした左脚を上にのせる「数字の4の脚」は、唄創りの姿勢であると考えられている。「-wurri」という部分は「話している人に向かって」という意味で、「私に向かって唄っている」、あるいは「わたしに向き合っている」のどちらともとれる。歌詞に出てくるジャングルは、Nadirriアウトステーション付近のTruwuビーチの裏の場所を意味している。この曲は1974年にWadeyeでLesley Reillyによって執り行われた割礼の儀式で録音された3つの曲の最初の曲です。
トラック3
Song iii : Wutjelli No.2
aa yene yene
aa karra walakandha ki-nyi-ni venggi-tit-nginanga-wurri
kavulh marzi mungirini
Wutjelli always manifests himself, lying down with one knee bent over the other and singing to me(or facing me) in the jungle
PhilipとStan Mullumbukの祖父(家系図的には祖父の兄弟)であるWutjelliの名前が、いくつものWalakandha WANGGAソングで述べられている。この曲ではWutjelliは寝そべって「数字の4の脚」をしているWalakandha(ゴースト)として現れる。
この唄の歌詞ではトラック2の歌詞に出てくるWalakandhaという単語をWutjelliに取り替えていることからも、トラック2の曲と深く関係している。原文のテンプレートの範囲で一つの単語が別の単語で代用されることは、新しい唄を生み出す昔ながらの作曲手法で、Walakandha WANGGAのレパートリーではしばしば見受けられる。ここでは原文の類似性があり、まるで新しく採り入れたものをはっきり示しているにもかかわらず、音楽的な扱い方はかなり異なっている。
トラック4
Song iv : Nginimb-andja(two items)
aa yene yene
aa karra nginimb-andja kudinggi meri ngindji-nginanga-wurri kuniny kan-gu
Who are these strangers who keep staring at me and don't recognise me?
この唄では、Walakandhaは見知らぬ人が近づいてくることをいぶかしがっている。死んだ祖先の務めの一つが、生あるかれらの子孫を庇護することであり、きちんとかれらやかれらの土地に引き合わされていないアウトサイダーに対して、Walakandhaは悪意のある敵対心を見せる。侵入者は突然おそわるかもしれないし、思いがけない災難にさいなまれるかもしれない。このトラックでは2つの曲がピッタリとつながっていて、1曲目のクラップスティックが鳴り終わらないうちにディジュリドゥ(Marri Tjavin語でKanbi)が2曲目を始めている。
トラック5
Song v : Walakandha No.7
yene yene yene yene yene yene yene
kara walakhandha
karra
Walakandha
Stan Mullumbuk作曲のこの唄は、1999年にAmbrose Piarlumが最近のヴァージョンであるというよりむしろ歴史的好奇心としてMarettのために唄ったものです。ここには収録されていないが続いて起る演奏においては、数人のソングマンがむしろ物足りない様子で騒がしく、歌詞の2行目に言葉を付け加えようとしていた。Frank Dumooが思いついたあるバージョンでは「karra walakandha kiminy-ga kavulh(Walakandhaはいつもこんな風に唄う)」と正しい言葉の形式になっているが、ここで唄われている形式では省略されています。
■草創期から黄金時代への過渡期(トラック6-11)
1988年、Gemma NgunbeとJohn Dumooの娘がWadeyeスクールで見つけたというテープをMarettに手渡した。そのテープはおそらくWilliam Hoddinottが1982年に行った録音じゃないかとMarettは考えています。ソングマンはThomas Kungiungで、曲のいくつかはStan Mullumbukの初期作品で、それ以外はKungiung自身の初期作品だった。その音源は、Mullumbukが一人群を抜いてそびえ立つソングマンだった草創期から、Kungiungが抜きん出たソングマンとなって出現する黄金時代への過渡期の記録のようだった。
この音源に記録されている曲順をみると、Mullumbukが同じ曲をいくつかの音楽的手法を使って(複数のやり方で)唄っているのに対して、同じ唄を唄うKungiungが首尾一貫して一つのやり方で唄っているのが対照的です。よく考えられた上での音楽的手腕のシンプル化は、KungiungがMullumbukからメインWalakandha WANNGAソングマンの地位を引き継いだ時に取り入れられた重要な刷新であり、幅広い言語グループから数多くのダンサーたちの参加を容易にするように作られたアイデアでもあると、Marettは示している。
おそらくその曲がいまだ広く儀式の場で演じられていなっかったりすれば、ある程度の歌詞の変化というものがあって、それによって歌に意外性がないようになることでダンサーの参加を容易にするということが起こる。ここに録音されているようなKungiungの初期作品の中で黄金時代(1986-1996年)まで残存したものは全くなく、それはMullumbukの曲と似過ぎていたためではないだろうかと思われる。
トラック6
Song i-a : Walakandha No. 8a
karra walakandha kimi-nginanga-wurri kavulh-a
karra walakandha
The walakandha has always sung to me and I can’t stop him
このトラック8aと次のトラック8bと分類してますが、Thomas Kungiungがトラック1の「Walakandha No.8」の歌詞で二つの異なるリズムで演じています。聞くとすぐにテンポとクラップスティックが打ち鳴らすリズム構成の違いに気づくでしょう。この二つの演奏では2行目の歌詞のメロディーはオクターブ下へと下降していきます。これはKungiungの作曲の典型的な特徴です。
トラック7
Song i-b : Walakandha No. 8b
karra walakandha kimi-nginanga-wurri kavulh-a-gu
karra walakandha
This is what the walakandha has always sung to me and I can’t stop him
このバージョンでは、最後に焦点をあてるようにマークされた「-gu」を加えることでわずかに歌詞が変更されている。それによって「そのWalakandhaはいつも唄っていた」という意味から「これがいつもWalakandhaが唄っていたことだ」という意味に転じる。歌詞の瞬間的な加減によってわずかな意味変化を引き起こす同様のことを、Mulukの唄「Wörörö(CD3)」の二行連句の中に見ることができます。
トラック8
Song vi-a : Walakandha No. 9a
Karra walakandha kimi-wurri kavulh-a
karra walakandha
He [a walakandha] has always sung ‘walakandha’ to me
トラック8と9では、Kungiungが二つの異なる音楽設定で「Walakandha No.9」を演じている(二つのバージョンをここでは9aと9bと分類しています)。トラック8のメロディーはKungiung自身の曲「Yendili No.6(トラック10)」と共有した同じものになっています。
トラック9
Song vi-b : Walakandha No. 9b
Karra
Karra walakandha kimi-wurri kavulh-a
karra walakandha
He [a walakandha] has always sung ‘walakandha’ to me
メロディーが違うことを反映してここでの歌詞には訳せない言葉「karra」が先んじて一行加えられています。
トラック10
Song vii : Yendili No.6
karra yendili kimi-wurri kavulh-a [repaeated]
aa
karra yendili kimi-wurri kavulh-a [repeated]
karra walakandha kimi-wurri kavulh-a
karra yendili kimi-wurri kavulh-a [repeated]
aa
He [a walakandha] has always sung ‘Yendili’ to me
He [a walakandha] has always sung ‘Walakandha’ to me
Thomas Kuniungの初期作品の一つで、Stan Mullumbukの確立したモデルをベースにした歌詞になっている。しかし、AABパターンに作り直されており、Bラインは母音がメリスマ(※1.)かMarri Tjavin語(2行目)のどちらかで歌われている。ここではKuniungはStan Mullumbukの「Walakandha No.9a(トラック8)」と同じメロディーを使っている。楽器においてはWalakandha WANGGAを象徴するリズムパターンで叩かれるクラップスティックの音が、Stan Mullumbukが使うリズムパターンに敬意を表して異なる音程で聞くことができます。
※1. メリスマ : 歌詞の1音節にいくつかの音符を当てはめる手法。もしくは、1音節対1音符で作曲されている部分に、2つ以上の音符を移動させるように歌うこと。装飾的な歌唱法という意味では、日本の「こぶし」に似ている。
トラック11
Song vii : Yenmilhi No.2
karra yenmilhi kimi-wurri kavulh-a [repeated]
karra wutjeli kimi-wurri kavulh-a
karra yenmilhi kimi-wurri kavulh-a [repeated]
karra walakandha kimi-wurri kavulh-a
karra yenmilhi kimi-wurri kavulh-a [repeated]
karra wutjelli kimi-wurri kavulh-a
He [a walakandha] has always sung ‘Yenmilhi’ to me
He has always sung ‘Wutjelli’ / ‘walakandha’ to me
一つ前のトラック10の歌同様AAB形式を使いながら、最後の行では「Wutjelli(Stan Mullumbukの祖先)」と「walakandha」を変更しており、この初期Kungiungの作曲は変化性を見せている。
■Walakandha WANNGAの黄金期(トラック12-29)
Walakandha WANGGAが全盛だったのは1986年から1996年の10年間で、その時代には活動的なソングマン/作曲者がかなりたくさんいた。そこには、Thomas Kungiung(1934-1993年)、Wagon Dumoo(1926年頃-1990年)、Martin Warrigal Kungiung(1935年頃-1997年)、Les Kundjil(1935-2009年)、そしてPhilip Mullumubuk(1947-2008年)が含まれる。また、Frank Dumoo(Marri Tjavin語)、Ambrose Piarlum(Marri Ngarr語)、John Chula(Matige語)、Edward Nemarluk(Marri Ammu語)、そしてMaurice Ngulkur(Marri Ammu語)、らMarri語の氏族の屈強なダンサーたちがいた。すべて故人である。そして見事なディジュリドゥ奏者たち、中でもJohn Dumoo(1922-1997年)は真っ先にその名が上がる。
この時代の録音として1988年のMarettによるものと、Wadeyeアボリジナル・サウンド・アーカイブに所蔵されている学校教師Michael Enilaneによる1992年の録音(トラック12-23)がある。この時代の初期の録音として、1986年にFrances Kofodよるものがあり、1988年録音の5曲(トラック24-28)が含まれるがあきらかにレパートリーが抜け落ちている。Wadeyeアボリジナル言語記録保管センターで発見された日付と由来のわからない録音(トラック29)があり、歌の主題とスタイルから黄金時代のものだと推測される。
トラック12
Song 1 : Kubuwemi
karra kubuwemi kimi-wurri kavulh [-a] [ repeated]
aa
He [a walakandha] has always sung ‘kubuwemi’ to me
この曲は現在Nadirriアウトステーションが立地する場所「Kubuwemi」についてWagon Dumooが作曲したものです。他の唄同様この曲も、Walakandhaは土地に関わる唄の永遠の源泉であると伝えている。トラック12〜15は1988年にWadeyeで行われた割礼の儀式をMarettにより録音されたものです。儀式は興奮した雰囲気に包まれているのが伝わる。
歌詞はトラック10、11、13と同じ構造を使いながら、我々に語りかける形式を取っている。ここで唄われているバージョンでは、最後の音節が「-a」という接尾語で完結するということを一貫してし忘れている。日常会話においてこういった脱落部分があると、「彼はいつも唄っていた」という意味から「彼はいつも唄う」という意味に変わるのだが、(歌詞の翻訳をする際のアボリジナルの)相談役たちは、この唄には接尾語の「-a」をいつも含めて説明していた。この次のトラック13も接尾語が省略されています。
トラック13
Song 2 : Yendili No.1
karra yendili kimi-wurri kavulh [-a] [repeated]
aa
He [a walakandha] has always sung ‘Yendili’ to me
Wagon Dumooが作曲したこの唄は、あきらかに「Kubuwemi」ソングをモデルにして作られている。Marri Tjavan語の人々にとって重要ないくつかのドリーミングの場所があるイコン的な丘「Yendili」がこの曲のテーマです。
トラック14
Song 3 : Yendili No.2
karta yendili yaendili arrgirrit-ni [repeated]
aa ye-ngin-a
Yendili! Yendili! Look after it!
My dear children/my dear descendants
Maudie Attaying Dumooがこの唄を作曲し、夫のWagon Dumooが唄うために手渡した。妻のAttyingはMarri Tjavin語ではなくMarri Ngarr語なので、歌詞はMarri Ngarr語で書かれている。これはWANGGAソングを女性が作曲した珍しい実例です。
歌詞の言葉は、AttayingとWagonの二人が家を離れたNadirriアウトステーションにいてWadeyeコミュニティにもどる時に、唄の作曲者(Attying)が自分の子供たちに語りかけたものだ、というのがこの唄についてのより一般的な見解になっている。より深い意味においては、歌は生ある子孫たちへの祖霊からの呼びかけであり、自分の末裔たちに先祖代々の土地をしっかり見守ってくれるよう熱心に説き伏せているのです。この歌のメロディーはLes Kundjilによるトラック30、Philip Mullumbukによるトラック32の曲と共有されている。
トラック15
Song 4 : Walakandha No.1
karra walakandha
Walakandha!
この唄を作ったのが誰なのか誰も思い出すことはできない。他にも同じメロディーを使った「Nadirri(トラック19)」と「Karra(トラック28)」がある。歌詞は限りなくシンプルではあるが、そこでの伝達作用は複雑です。死者から生者への呼びかけであり、生者から死者への呼びかけでもある「walakandha」という言葉には相互的な意味合いがある。「karra walakandha」という呼びかける言葉は、唄のクリエーション時には死者から生者への呼びかけ、儀式で歌われる時には生者から死者への呼びかけという性質をもっている。Allan Marettの2005年の著作「Songs, Dreamings and Ghosts」で説明されているように、ある言葉を相互的に使うことで二種類の存在の間に親密さが成立する。歌が双方向のコミュニケーションを機能させるように。
トラック16
Song 5 : Truwu [Truwu A melody]
karra walakandha purangang kula-vapa-winyanga
truwu nidin-ngin-a walakandha
karra munggum kimelha kula karrivirrilhyi
truwu nidin-ngin-a walakandha
karra walakandha
Walakandha! The waves are crashing on them
Truwu! My dear country! Walakandha!
Munggum! He stands behind a beach hibiscus and peeps out
Truwu! My dear country! Walakandha!
Walakandha!
この曲はThomas Kungiungに作曲されたもっともよく知られた不朽のWalakandha WANGGAレパートリーです。ある特定の亡くなった祖先のWalakandhaに関する曲で、Munggumという20世紀初頭に実在した人物について唄われている(トラック35も同様)。MunggumはTruwuビーチでオオハマボウ(Hibiscus tiliaceus)の花の後ろに立っている。そして、打ちよせる波に身をさらし、命の危機に面しながら相関的な言葉「walakandha」と呼ぶ彼の子孫たちを見つめている。葬儀で唄われる場合、祖先はその亡くなった親族を悼み、唄は残された人たちがさいなまれる痛みに対する祖先からのお悔やみの表現となる。ここでの演奏は1988年6月にNadirriにてとり行われた儀式にてAllan Marettが録音したものです。
「Truwu」の歌詞は三つの異なるメロディーで唄われる。沿岸部に祖先伝来の地があるMarri Tjavin語の人々(Thomas Kungiungも同様)は、Walakandha WANGGAの黄金時代にもっとも多く使われたメロディーである「Truwu Aメロディー」でこの唄を演じる。残り二つのメロディーである「Truwu B」と「Truwu A/B」はトラック17と18に収録されています。
トラック17
Song 5 : Truwu [Truwu B melody]
ここでは「Truwu」はMarri Tjavin語の人々(Les Kundjilなど)が使う「Truwu Bメロディー」で謳われています。彼らの土地は内陸部にあります。あるメロディーラインがある特定の土地とそこにまつわるドリーミングとの関係性を意味するということは特段珍しいことではない。沿岸部付近に住む人々は、自分たちの土地に面した内陸部の人々と密接に関わっているように、彼らが互いに使うメロディーも同様である。
厳密に言えばここでのLes Kundjilの唄は、黄金時代のものではない(1999年6月にWadeyeコミュニティで行われた葬儀の行進の際にAllan Marettによって録音された)。このメロディーはこの時代より前に使われていたのはほぼ確かです。
トラック18
Song 5 : Truwu [Truwu A/B melody]
ここで演じられているTruwuは1992年にEnilaneによって録音され、ソングマンはThomas Kungiung、Les Kundjil、そしてPhilip Mullumbukです。このバージョンのTruwuは「Truwu A/Bメロディー」で唄われており、5音階の「Truwu Aメロディー」(トラック16)と、5音階の「Truwu Bメロディー」(トラック17)を結合させたセットになっている。この二つのメロディーの根底にあるドリア旋法(※2.)で7音階を作り出すために組み合わされている。内陸の人々と沿岸の人々の間には差異があると言うよりも、むしろ共有されているということをこのメロディーは物語っている。
※2. ドリア旋法 : ギリシャのドーリア人にちなんで名付けられたモード(旋法)。教会旋法の一つ。マイナースケールの第VI音を半音上げたモード。ケルト音楽で使用されることが多い。
CD6-2
トラック19
Song 6 : Nadirri
karra walakandha nadirri ka-rri-tik-nginanga-ya
aa nadirri ka-rri-tik-nyinanga-ya
(aa nadirri ka-rri-tik-nyinanga-ya)
Brother walakandha! The tide has gone out at Nadirri and I
couldn’t stop it [ I couldn’t stop him dying]
The tide has gone out at Nadirri and I couldn’t stop it
Marri Tjavin語の人々にとって、潮の満ち引きは誕生・死・再生のサイクルを意味する隠喩です。引き潮は死を象徴し、Walakandhaは自分の子孫のうちのだれかの死について唄う。作者不明のこの唄は1988年にPeppimenartiでMarettが録音したMartin Warrigal Kungiungによるものです。補助的なシンガーとしてWarrigalの「父(実父の兄弟)」であるThomas Kungiungが参加し、ディジュリドゥ奏者はRaphael Thardimでした。唄のメロディーはトラック15と28と同じになっています。
トラック20
Song 7 : Yenmilhi No.1
karra mana ngumbun-nim djeni ngumbun-nim djeni
pelli yidha wandhi yidha yidha yenmilhi
mana titti kuwa ngangga-nim djindja-wurri
ee
Brother! Let’s all go now; let’s all go now / Pelhi is there, there
behind Yenmilhi Hill / Brother, there are clapsticks for all of us / Come with us!
この曲の作曲者John Dumooは、Moyle氾濫原(洪水の時に河川から氾濫する低地)を横断し、姿を消した。Johnは横になって眠り、そこで唄を聞いた。死者であるWalakandhaは、Pelhiという場所にある儀式を執り行う土地に彼らと一緒にやってくるようJohnをいざなったのだ。このMartin Warrigal Kungiungの演奏は、1988年11月にPeppimenartiでMarettによって録音されました。黄金時代のWalakandha WANGGAとしては珍しく、クラップスティックは終始早いテンポで叩かれている。現在、Wadeyeコミュニティではこの唄の踊り方を知る男達はいない。
トラック21
Song 8 : Mirrwana
karra
karra walakandha mirrwana kavulh-ni verri ngangga-ya
karra
karra walakandha kimi-wurri kavulh
aa
karra walakandha mirrwana kavulh-ni verri ngangga-ya
karra walakandha kimi-wurri kavulh
A [living] walakandha has laid himself down at the foot of a
cycad palm and there is nothing tha you and I can do about it
The [dead] walakandha always sings to me
Martin Warrigal Kungiungによる作曲で、ここでは自身によって唄われています。まず最初にゴーストが発する声から曲は始まります。あるゴーストWalakandhaはソテツ(mirrwana)の木陰に寝転んでる生ある自分の子孫に気づき、彼に唄を授けるチャンスを得る。1オクターブ低い声で唄われている最後の1行の歌詞は、うってかわって歌い手の目線で描かれている。二つの歌詞はいずれもMarri Tjavin語で唄われているのだが、二つの歌詞の言葉は異なっています。この演奏は1988年9月にBatchelorにてMarettが録音しました。
トラック22
Song 9 : Wutjelli No.1
karra
mana wutjeli ka-ni-put-puwa kuwa rtidim nidin-ngin-a
karra walakandha purangang devin kuwa-vapa-winyanga
truwu nidin-ngin-a
(karra walakandha purangang)
Wutjelli is standing with one leg crossed over the other Rtidim!
My dear country! / Walakandha! The lonely waves are
crashing on them / Truwu! My dear country! / Walakandha!
Waves
Wutjelli(トラック3と11でも出てくる)に関するこの曲は、Thomas Kungiungによる作曲です。WutjelliはTruwuビーチの北の突端Rtidimにある見晴らしのいいポイントから、自分の末裔たちを大きな音を立てて打ち付ける波を死者の特徴である数字の4の足のポーズで立って眺めている。「Truwu(トラック16-18)」の曲同様に、ここでの波は命の危機を暗に意味している。この曲は1992年にWadeyeで行われた割礼の儀式でEnilaneによって録音されました。歌い手はThomas KungiungとLes Kundjilなど。Kungiungはしばしばやるように、ときおり2行目の歌詞の頭の部分を1オクターブ低い声で反復している。
トラック23
Song 10 : Walakandha No.2
karra walakandha ngindji kiny warri kurzi
kbuwemi nidin-ngin-a
karra ngatha devin buggy rtadi-nanga kuwa
kubuwemi nidin-ngin-a
A certain walakandha is living there for a whole year,
Kubuwemi! My dear country!
There is a solitary house with a white roof there,
Kubuwemi! My dear country!
Terence DumooとThomas Kungiunが同時に夢の中で授かった曲です。Terence DumooがWadeyeコミュニティから自分の先祖伝来の土地にあるKubuwemiアウトステーションに居を移し、たった一人で丸一年過ごした時のことについて唄われている。唄を授けてくれるゴーストWalakandhaが、Terenceのことを「信頼できるWalakandha」と呼んだ。この曲は1992年にWadeyeで行われた割礼の儀式でEnilaneによって録音されました。この曲の別バージョンがMaurice Ngulkurによって作曲しなおされ、「Ma-yawa Wangga(CD7)」のレパートリーに含まれています。
トラック24
Song 11 : Pumurriyi(two items)
mana walakandha pumurriyi kin-burr-nginanga-ya
ee mana pumurriyi kin-kurr-nginanga-ya [repeated]
Brother walakandha, it [a breaker] hit me at Pumueeiyi ns I
couldn’t stop it
Brother, it hit me at Pumurriyi and I couldn’t stop it
PumurriyiはMarni Ammu語の人々の有名な場所です。Marri Tjavin語の唄の中でPumurriyiについて唄うことで、Marri Ammu語の人々もWalakandha WANGGAのレパートリーに参加しているのだとということを知らせている。歌い手にとって、人が亡くなった時の衝撃は、岩にあたってくだける砕け波に打たれることになぞらえられる。曲の一番最後で不整脈のようにクラップスティックを叩くことで、曲が終わることを伝えるサインになっている。この曲に続く4曲は1986年6月にWadeyeにてFrances Kofodによって録音されました。「Mirrwana(トラック19)」と同じメロディーになっています。
トラック25
Song 12 : Thidha nany(two items)
karra walakandha ambi thidha nany devin
yogi kanji-da-rzan walakandha
karra walakandha
Walakandha, your father is not alone / I am sitting facing him/ Walakandha
ここではある一人のWalakandhaが遺族をなぐさめている。Walakandhaは亡くなったお父さんは孤独ではなく、すでに亡くなった他の親族たちと一緒にいるんだと力説している。この唄はKungiungのTruwu Aメロディーで唄われています。
トラック26
Song 13 : Dhembedi-ndjen
karra walakandha dhembedi-ndjen ngumbu-vup-nim [repeated]
aa
Walakandha, let's all get going now
ある一人のWalakandhaがMartin Marrigal Kungiungにこの唄を授けている最中、生者と死者は今こそ手と手を取り合って(WANGGAソングが儀式で演じることができるようにすることで)唄をこの世にもたらさなければいけないんだと語りかけている。
トラック27
Song 14 : Tjagawala
karra tjagawala wumburli ki-nyi-kurr[-a] [repeated]
angga wakai ki-nyi-ng-kurr[-a]
Tjagawala! A breaker has hit me
Crandson! Dead! It's hit me
Wagon Dumooが亡くなった孫Tjagawala(グンカン鳥という意味)のために作った曲です。「Pumurriyi(トラック24)」の解説でも述べたように、死は砕け波になぞらえられる。「孫よ!死んでしまった!私は打ちのめされるようだ」という最後の歌詞にありありとそれが見て取れる。
トラック28
Song 15 : Karra
作者不明のこの唄の歌詞はシンプルに「karra」という言葉だけが使われ、「Nadirri(トラック19)」と「Walakandha No.1(トラック15)」と同じメロディーで唄われています。「Walakandha No.1」との類似点は、ギリギリまで削りとられた歌詞という点でも似通っている。
トラック29
Song 16: Yendili No.5
yendili yendili yendili yendili
karra karrila karrila yendili
ngatja windjeni ngumunit-nginyanga-ndjen
wudi yendili ngil-dim-mi-nginanga-ndjen
yendili yendili yendili yendili
My child, I have to tell you something bad
I have to close down the spring at Yendili
Frank Dumoo、Wagon Dumoo、Terence Dumoo、Claver Dumoo、そしてJohn Dumooたち、Walakandha WANGGAのすべての重要人物の母親であるHonorata Ngenawurdaの死にまつわる唄です。彼女の霊は息子であるWagon Dumooの夢の中に現れ、自分が死んだためにYendiliにあるドリーミング・ウォーターホールを閉じ、干上がらせなければならないのだと告げる。「Walakandha No.4(トラック34)」の解説にあるように、土地そのものが人の死と呼応しているということがわかる。この録音はWadeye Aboriginal Sound Archive所蔵で、録音日、録音者、どういった場で演奏されたかなどが不明です。
■1996年から2006年までの10年間におけるWalakandha WANGGA(トラック30-37)
シンガーであり作曲家であるThomas Kungiung、Wagon Dumoo、Martin Warrigal Kungiung、ダンサーでありディジュリドゥ奏者であるJohn Dumooは、1990年代中頃から後半までに亡くなるか、儀式を執り行うのをやめてしまった。Walakandha WANGGAの創成期に重要な役割を果たし、黄金期にはその発展に寄与したシンガーであるLes Kundjilは、この時代の最初期には年長のソングマンとして現れたが、すっかり年老い彼のパワーはだんだん衰えていった。
Philip Mullumbukが待望されるまでは弟のStan Mullumbukがもっとも活動的なソングマンになってLes Kundjilをしのぎ、たくさんの複雑で美しい歌を創った。そして彼が亡くなる2008年まで儀式において中心的役割を果たした。今、Thomas Kungiungの息子CharlesはWalakandha WANGGAの流儀におけるリードシンガーとして浮上してきた。2009年には彼が率いた儀式を録音したが、このCDには含まれていない。
トラック30
Song 17 : Yendili No.3
karra yendili yendili karra mana nidin-ngin-a [repeated]
ee karra mana nidin-ngin-a
Yendili! Yendili! Brother! My dear country!
Brother! My dear country!
Les Kundjilによる作曲のこの唄は、多くのWalakandha WANGGAに見られるAAB構造をたどっているが、さまざまな点で変わった所がある。動詞がなく感嘆詞だけで書かれている。メロディーはMaudieDumooの「Yendili No.2(トラック14)」と同じで、歌詞の構成要素のいくつかも共通している。1998年10月にWadeyeコミュニティでMarettによる録音です。
トラック31
Song 18 : Lhambumen
karra lhambumen lhambumen kimi-wurri kavulh [-a] [repeated]
aa
He [a walakandha] has always sung 'Lhambumen' to me
Les Kundjil作曲のこの唄は、祖霊であるWalakandhaは自分たちの土地にまつわる唄の不滅の源泉だと断言している。Wagon Dumooの「Kubuwemi(トラック12)」と「Yendili No.1(トラック13)」でも同様のことが述べられており、メロディーと歌詞の構造も共通している。Moyle氾濫原(洪水の時に河川から氾濫する低地)にある二つの三日月湖(蛇行する河川のカーブの部分でせきとめられてできる湖)のうちの一つがLhambumenで、先祖のWallarooとWedjiwurangがエミューと争って、Yederrから飛び込んだと言われている(Philip Mullubukの唄「Wedjiwurang(トラック38)」を参照)。
トラック32
Song 19 : Yendili No.4
karra yendili yendili ngirrin-ni [repeated]
aa yeri-ngin-a
We all have to walk to Yendili
My dear children / descendants!
この曲を創ったPhilip Mullumbukは他の楽曲とは関連性のない独立した曲だとみなしている一方で、他の人たちはMaudi Dumooの「Yendili No.2(トラック14)」の変形版だと主張しており、あきらかにMaudiの曲をベースにして作曲されている(Les Kundjil作曲の「Yendili No.3(トラック3とトラック30)」とも歌詞の一部とメロディーが共通している)。ここではMullumbuk独自の優雅でしなやかな歌唱を聞くことができます。1992年の割礼の儀式においてEnilaneが録音。
トラック33
Song 20 : Walakandha No.3
karra walakandha-ga kiminy-gimi-vini kunya aven-andja
kan-gu kavulh-wuwu duwarr kubuwemi-gu
karra walakandha kudinggi-yirri kuniny purangang
ngindji ngandjen
kubuwemi nidin-ngin-a
Walakandha! They are saying 'Where has everyone gone?'
As for here, Kubuwemi is deserted
The walakandha are wandering around at a certain other coastal estate
Kubuwemi! My dear country!
Philip Mullumbuk作曲のこの唄では、Walakandhaの集団(ここでは死者の祖霊)が人の住まなくなったKubuwemi(Wadeyeコミュニティの北東の沿岸にあるNadirriアウトステーションのある土地)を見て、みなはどこへ行ったのかと問いただす。みな(歌詞ではWalakandhaと表現されているがここでは生者の子孫を意味する)は別の沿岸の土地へと行ってしまった、と告げられる。この唄はWagon Dumoo、Les Kundjil、そしてPhilip Mullumbukの三人が、Murrinh-patha語を話すYek Nangu氏族の土地で儀式を執り行うために南に行った時のことをほのめかしている。ここでのPhilip Mullumbukの歌唱は、同じメロディーで唄われることが多いのに、長く手のこんだメロディーで唄われており、彼の執着心が伝わる。次のトラックの唄においてもこのパターンが繰り返されています。
トラック34
Song 20 : Walakandha No.3
karra yeri-ngin-a
ka-rri-yitjip-wandhi-nginanga ka-ni dhenggi-diyerri
nidin-ngin-a
karra yeri meri yigin-ga djindja-wurri
kangi-nginanga yenmungirini na pumut pumut kurzi
My dear children! / They keep appearing in the distance behind me at the mouth of the Moyle River, my dear country
You boys, come here / I've go to stay here at Yenmungirini where the Headache Dreaming it
Wagon Dumooの霊からPhilip Mullumbukに授けられた曲です。Wagon Dumooの霊魂は彼が留まらなければいけないドリーミング「Pumut(頭痛)」の地であるYenmungiriniへと戻って行った。Wagonの霊はMoyle川の河口に自分の子孫たちが集まった時、男の子孫たちだけをかすかに見ることができた。当時、Dumoo家の人々はMullumbukの土地であるNadirriに住んでいた。そこは自分たちの氏族の土地であるPerrederrから少し離れた場所だった。1999年WadeyeにてAllan Marettによる録音。
トラック35
Song 22 : Walakandha No.4
karra walakandha ngindji kimi-nginanga-wurri kavulh na karrivirrilhyi
karra berrida munggumurri kunya-nin-viyi-nginanga-vini-wurri
karra wandhi wandhi kiminy-gimi-vini kunya
karrila yendili kuwa-thet-viyi-ngangga-wurri mana
purangang kavulh nginanga-wurri [mana]
A certain walakandha is always singing to me beside the beach hibiscus and I can't stop him
He says, 'Berrida and Munggumurri are both standing looking at the top of their hill [Yendili] and I can't stop him
They are standing looking behind them [over their shoulder].'
He says, '[The trees and grasses] on the top of Yendili hill are standing upright, brother.
The tide is always coming in on me, [brother]'
この曲ではある一人のWalakandhaが、Berrida(Munggumの息子であるBruno Munggum Berrida)と、この曲の作曲者でPhilip Mullumbukの孫であるMunggumurriの二人の祖霊のWalakandhaについて唄っている。人が亡くなったことに呼応して犬の背中の毛が逆立つように木々と草がさざめくYendiliの丘を見張るように眺めている。歌詞の最後の一行は、生と死は潮の満ち引きのように絶え間なく流転している、ということを主張している。Philip MullumbukのWANGGAソングの中で最も形式的に複雑です。一行目と二行目の歌詞は下降するメロディーで唄われ、三・四行目もそれが繰り返される。胸を差すような最後の一行はここだけのメロディーで唄われている。
トラック36
Song 23 : Walakandha No.5
karra walakandha kakap kimniy-vini kuniny
kurriny-rtadi-warambu-nganan-wurri-ya dhenggi-diyerri djanden-ni
wuuu
yakerre ngumali nidin-ngin-a
The walakandha kept calling out
as they came towards me from high in the inland country to there,
at the Moyle River mouth
'Wuuu!' / Oh Ngumali, my dear country!
Philip Mullumbuk作曲のこの唄では、ある一人のWalakandhaがMoyle川の河口近くの男性たちの儀礼の場所であるNgumaliに立って、Walakandhaの集団(おそらくMarri Tjavin語の今、命ある男性たち)を見つめている。「Wuuu!」と叫んで道行きながら、内陸の高地から北西方向へと戻ってきている。
トラック37
Song 24 : Kinyirr
karra mana kinyirr waaddi kunyininggi-mukurr-vini-ya
karra mana nidin-ngin-a
kinyirr mana nidin-ngin-a
Look out for Kinyirr brother, you should have told those two people to make it clear with the Dreaming.
Brother, my dear country / Kinyirr, brother, my dear country
Philip Mullumbuk作曲のこの唄は、Nadirriアウトステーションにセスナの滑走路を作る工事について唄っている。工事の間中、蛭(ヒル:吸血性の環形動物)のドリーミングの土地Kinyirrがブルドーザーによって傷つけられていた。
■雑録集(トラック38-39)
Walakandha WANGGAのレパートリーとしては幾分末端的ではあるものの、このWANGGA全集の完全を期すために二つの唄を加えることにしました。Philip Mullumbukによる祖霊WallarooとWedjiwurangについての二つの唄は、一般的なWANGGAソングのしきたりに従ってはいない。2007年の論説でFordが議論しているように、これらの唄が本当に少しでもWANGGAなのかどうかについては、やや疑問が残る。
Ambrose Piarlumのカモメのドリーミングについての唄「Tjinmel」においても同様で、亡くなった祖霊の助力をえずに作曲されており、厳密にはWalakandha WANGGAとは言えない。しかしこの全集に収録するのは、Walakandha WANGGAを唄う集団の仲間「thanggurralh」に彼が深く関与しているからです。
トラック38
Song 25 : Wedjiwurang
Chorus : kurzi namadjawalh namadjawalh
awu kany-ngin
wedjiwurang-ga yivi-ndja kurru-kut-a-ga
yi kanbirrin devin-da
ngadja-wurl-da-ni
yimurdigi na-ndjen
kimelh-a-wurri
ngadja-wurl-ni
ku-muyi-ni masri-ndjen ka-ni
yelhi-ndjen kundjiny-vini-ya
nang-ga murjirr-ga viyi
nang-ga ka-rri-birr-a vi-rtadi-gu ka-ni
ngadja-wurl
nang-ga wddjiwurang-ga
kurzi-varrvatj-a
lhambudinbu na-ndjen ka-ni-thung-mi-ya
kuwa-wurl-a yivi-ndja
namadjawalh-dja nang-ga yivi-ndja
ka-ni-wurr-a-gu
Chorus : He lives at Namadjawalh, Namadjawalh
The animal is our totem / It was the Wallaroo that went down there / Alone again, to Kanbirrin over yonder / I'm going back
Then at Yimurdigi / He peeped out [from the bushes] / A black man is coming towards him / I'm going to go back
Then, he kept coming out of the swamp to him [Emu] / The two of them had a stick fight / As for that fellow, Emu, his head [got hit by Wallaroo] / emu grabbed the same stick and hit Wallaroo on the top of the spine / I'm going to go back
As for that fellow, Wallaroo / He was still jumping / At Lhambudinbu he cracked open the ground and made a waterhole / He went back yonder to that place properly called Namadjawalh / the place Namadjawalh over yonder, which is hit true place/ That is where he died
この唄はMarrji Tjavin語の人々にとってトーテム的なドリーミングであるWedjiwurang(Wallaroo)に関するもので、他のWalakandha WANGGAとはかなり違った構造をしている。詩句とコーラスの構造が英語のバラードと似通っている、とFordは特に言及している。祖霊の時代におけるWedjiwurangの活動について語る歌詞を構成する詩句は、「祖霊であるWallarooはNamadjawalhの地に住んでいる」という何度も何度も繰り返すコーラスと互い違いになっている。歌詞の一行一行がたった二つの音だけで作られているフレーズで唄われていてもなお、詩句そのものは他のWalakandha WANGGAと似通っている。「私はまたもどってくる」あるいは「私は帰っている」という唄のフレーズが合図になって、メインシンガーの唄う詩句からコーラスへの移動している。
この唄の珍しい特長としては、Mulukの唄(CD3)でも見られるように、クラップスティックなしで唄いはじめ、かなりそっとクラップスティックをたたき、唄全体を通して段々と大きくして行く、というやり方です。おそらく、Mullumbukは当時コミュニティの中でみなが次々と回し聞きしていたMulukの録音テープからこのテクニックを学んだと思われる。
理想とはほど遠い音質ではありますが、唯一の音源がこの録音だったためこの類いまれなる唄を全集に収録しました。何度となく新たな録音を試みましたが、2008年にMullumbukが急逝し、この音源以外に新たな録音はできませんでした。
トラック39
Song 26 : Tjinmel
karra mm
karra tjinmel devin rtadi-wunbirri ka-rri-wuwu rtadi ka-ni-ya
karra mm
aa rtadi-wunbirri tjinmel devin
karra mm
karra tjinmel devin ka-rri wuwu rtadi ka-ni-ya rtadi-wunbirri
karra mm
kagandja
karra mm
karra mana kagandja rtadi-wunbirri devin ka-rri wuwu
rtadi
karra mm
The solitary seagull kept soaring above Rtadi-wunbirri
Above Rtadi-wunbirri, the solitary seagull
The solitary seagull kept soaring above Rtadi-wunbirri
Here!
Brother, right here above Rtadi-wunbirrihe soars alone
Philip Matigeの土地にあるYederrの海中にある「wudi-pumuniny(淡水の泉)」には、Tjinmel(カモメ)のドリーミングの場所が広がっている。あまり演じられなくなった唄に共通して、歌詞がそれぞれの詩句ごとに違うまとまりになっています。楽器の演奏については黄金時代のWalakandha WANGGAに共通したパターンを踏襲しています。
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