近代WANGGA史上燦然と綺羅星のように輝く稀代のソングマンBarrtjapの唄を50年代後半から2000年代初頭までクロニクルにコンパイルした全集的アルバム。今なおBelyuenコミュニティで唄われ続けているBarrtjapの至極の名曲集。
■前置き
■Barrtjap's WANGGA
■ライナーの翻訳
アボリジナル音楽が記録して残されたのは、音響機材の歴史と符合していてオープンリールのポータブルレコーダーの開発と共にスタートします。最古の音源は50年代後半からスタートしますが、音源の質と量ともに充実するのは学者のAlice M. Moyleがフィールドレコーディング60年代からです。
このCDはそのAlice M. Moyleの録音したTommy Barrtjap自身の唄からスタートし、彼の晩年の音源、彼の唄を引き継いだ親族たち現代のシンガーたちによる演奏を収録することで、曲ごとにクロニクルにBarrtjapの唄を収録したBarrtjap全集的なアルバムです。
Barrtjapは、彼と「瓜二つの声を持つ」と言われる親族上の父(実父の兄弟)のJimmy Bandakから唄を学び、死後彼の唄を継承し、Bandakのゴーストから夢見の中で唄を授かったという。
葬儀や割礼といったオープンな儀式に採用されていない限り、ソングマンの没後そのソングマンの創った唄(実際は夢の中でゴーストから授かる)は徐々に唄われなくなるのが通例のようですが、Barrtjapの唄はいまだ忘れ去られることなくBelyuenコミュニティで唄い続けられています。
Barrtjapの唄にはそれほどにパワーがあり、唄っている内容がわからないぼくたち外人でもそのメロディーの美しさ、細かいコブシが効いた即興的な歌唱能力の高さに、いつのまにか彼の唄に引き込まれてしまう魔力がある。
ブラジル音楽でいうところのサウダーヂ、江戸文化における粋(イキ)、デンマークの文化のヒュッゲのような、他の文化の言葉には存在せず他の言葉に置き換えることのできないような、ある種の感覚を明確に指し示す言葉がある。
Barrtjapの唄を聞いていると、えもしれない郷愁のようなビジョン的な憧憬が切なさと力強さをもって立ち上がってくる。それが土地との直接的な関係があるアボリジナルの人たちならより強烈なのかもしれません。そして、この感覚がWANGGAダンスソングの水底に通底して脈々と流れているものなのかもしれません。
このCDを聞けば、古くはA.P.Elkinによる1952年のBarrtjapの師Jimmy Bandakの録音から、Barrtjapの唄の継承者Kenny Burrenjuckの1997年まで、半世紀に渡るBarrtjapの唄の音楽的記録の旅をすることができます。
不世出のソングマンBarrtjapの音源を余すことなく聞くことができ、しかもブックレットでは60年代のものと思われるボディペイントを身にまとったBelyuenのソングマン、ディジュリドゥ奏者、ダンサーたちの一座の白黒写真を多数見ることができます。
※1. このディスクは出版元ではCDと表記されていますが実際はCD-Rです。お手元でバックアップを取っておくことをおすすめします。
※2. このCDは8枚組(7セットで1つは2枚組)の「Wangga Complete CD set」の一部です。単体での販売はしていません。
■前置き
WANGGAはオーストラリア北西にあるDaly川の河口の北と南に位置するDaly地域に根ざすパブリックなダンスソングのジャンルの一つです。このCDは生涯50年以上WANGGAを作曲し演奏してきたソングマンたちに焦点をあてたシリーズのうちの一つです。さらなる情報については書籍「For the sake of a song」(Marett, Barwick, and Ford, 2013)をご覧下さい。
唄を与えてくれるゴースト(Barrtjapの母語Batjamalh語で「wunymalang」)が、ソングマンの夢見の中でそのソングマンに歌いかけてくることでWANGGAソングは生まれる。けれど、そこで唄われる言葉はゴーストの言葉であると同時にソングマンの言葉でもある。それはゴーストがソングマンに教え伝えたことをソングマンが聞き手のために唄うことで今に再生させているからだ。このことは、葬儀において生者の世界から死者の世界へと故人の葬送の手助けをするために、ソングマンが二つの世界の間にある空間を作り出す。
このCDではBarrtjapの唄のレパートリーの中から20曲を収録し、Barrtjapの芸術性とその影響を包括的に記録したものです(録音状態と演奏のクオリティを考慮してこれとは別に3曲が選曲から落ちました)。唄を文字起しした原文とその翻訳が、それぞれの曲毎にその文化的背景と共に説明されています。トラック1-9には1968年にAlice MoyleによるBarrtjap自身が演奏している貴重な録音が収録されています。次にMoyleの録音から20年後の1988年のMarettの録音が、他の唄い手による比較的録音(1952年のElkinによる録音、1964年のMaddockの録音、1997年のMarettの録音)と共に散りばめられています。残りのトラックはMarettによる1986年録音、MarettとBarwickによる1997年録音から取られています。さらなる情報と分析は書籍「For the Sake of a Song」の第4章で、また2005年出版の「Songs, Dreamings and Ghosts」ではBarrtjapのレパートリーに関する後半な議論がされています。
■Barrtjap's WANGGA
Tommy Barrtjap(c.1925-1992)はノーザンテリトリー州Cox半島のBelyuenコミュニティに住むWadjiginy語のソングマンです(BarrtjapはBurrenjuck、Barandjak、Barradjapともつづられる)。Barrtjapは、Daly地域とオーストラリアのトップエンド(アーネム・ランド、カカドゥ国立公園をふくむノーザンテリトリー州北部約25万平方キロのエリア)のすみずみにいたるまで知れわたる、儀式的リーダーであり、WANGGAの作曲者でした。若い頃は才能あるフットボール選手でもありました。Barrtjapは儀式や公演のためにDarwinをよく訪れ、Belyuen(以前はDelissavilleとして知られていた)コミュニティの他の出演者たちとともに、Micaビーチ(Talc岬)とのちにMandorahで観光客向けのカラバリー(アボリジナルの唄と踊り)を披露していた。Barrtjapは若い頃に父親の兄弟であるJimmy Bandakに唄う事を学び、Bandakの没後、彼の唄のレパートリーをBarrtjapが引き継ぎ、その後も夢見の中でBandakから唄を受け取り続けました。初期の頃のBelyuenコミュニティでのBandakとBarrtjapの音楽活動は、Ewers、Simpson、Elkinら学者たちによって記述されています(詳細については我々の書籍をご覧ください。BarwickとMarettが1948年と現在のBelyuenの音楽的習慣を比較しています)。
Marettは1986年にBelyuenを訪れた際にはじめてTommy Barrtjapに会いました。彼は背が高く、やや厳格な雰囲気が漂う60代中頃で、Belyuenコミュニティの男性の儀式のリーダーでした。その当時、BarrtjapはDaly地域の古参のWANGGAシンガーでしたが、彼の没後20年以上たった現在でもBarrtjapを敬意を持って思い返し、彼の唄はいまだ好評です。Barrtjapのレパートリーは彼の息子のKenny(1949-2008)よTmothy(b.1953)に受け継がれ、ダーウィン周辺で観光客向けのカラバリーを行うBelyuenのグループ「Kenbi Dancers」のレパートリーの中でもBarrtjapの唄が唄われている。
現在のBelyuenの人々が1949年にA.P. Elkinによって録音された唄を聞いても、その声がJimmy BandakなのかTommy Barrtjapなのか判断がつかず、この二人は「同じ声を持つ」と言われている。Barrtjap自身の母語であるBartjamalhとゴースト「wunymalang」の言語が混ざった彼の唄の歌詞を、我々が文字起しし、翻訳するのにBarrtjapに協力していただきました。
■ライナーの翻訳
1.Ya Bangany-nyung Nga-bindja Yagarra|
2. Yagarra Nga-bindja-ng Nga-mi Ngayi|
3. Bangany-nyung Ngaya|
4. Bangany-nyung Ngaya|
5. Kanga Rinyala Nga-ve Bangany-nyung|
6. Kanga Rinyala Nga-ve Bangany-nyung|
7. Ya[garra] Nga-bindja-ng Nga-mi|
8. Ya[garra] Nga-bindja-ng Nga-mi|
9. Yagarra Bangany Nye-ngwe|
10. Be Bangany-nyaya|
11. Nyere-nyere Lima Kaldja|
12. Nyere-nye Bangany Nyaye|
13. Karra Ngadja-maka Nga-bindja-ng Ngami|
14. Yerre Ka-bindja-maka Ka-mi|
15. Yagarra Ye-yenenaya|
16. Naya Rradja Bangany Nye-ve|
17. Naya Rradja Bangany Nye-ve|
18. Naya Rradja Bangany Nye-ve|
19. Naya Rradja Bangany Nye-ve|
20. Yagarra Nedja Tjine Rak-pe|
21. Ya Rembe Ngaya Lima Ngaya|
22. Yagarra Tjü Balk-nga-me Ngami|
23. Yagarra Tjine Rak-pe|
24. Yagarra Delhi Nya-ngadja-barra-ngarrka|
25. Nga-ngat-pat-pa Mangalimba|
26. Anadadada Bangany-nyaya|
※曲名をクリックするとその曲の解説へ飛びます。
トラック1
Song 1 : Ya Bangany-nyung Nga-bindja Yagarra
ya!
bangany-nyung nag-bindja yagarra
bangany-nyung nag-bindja ngaradj[a]
bangany-nyung nag-bindja yagarra
bangany-nyung nag-bindja ya
ya!
ngaradja bangany nga-bindja
ngaradja bangany nga-bindja
ngaradja bangany nga-bindja
yagarra!
ya di
'Ya!'
I'm singing in order to give you this song, yagara!
I'm singing in order to give you this song, daughter!
I'm singing in order to give you this song, yagara!
I'm singing in order to give you this song, ya!
Ya!
Daughter! I'm singing a song
Yagarra!
Ya di
この唄ではゴースト「wunymalang」の言葉はすべてBatjamalh語で表現されています。3行目では、ゴーストはこの新しい唄を授けるために、ソングマンの夢の中に現れて「わたし(wunymalang)はおまえ(ソングマン)にこの唄を授けるために唄っているんだ、Yagarra!」と言っている。「Yagarra」はBarrtjapの唄によく使われる強い感情を表現する感嘆詞です。それを聞いた生者であるソングマンが「わたし(ソングマン)はこの唄を(儀式、もしくは娯楽として)供じよう、Yagarra!」と同じ言葉で答えている。3行目でゴースト「wunymalang」(あるいはソングマン)はこの話を自分の娘に向けて言っていて、7行目では「娘よ!わたしは唄を唄っている」と再度娘に直接呼びかけている。おそらく、ゴースト「wunymalang」の娘もまたソングマンの夢の中に現れていたのでしょう。そして、確かにBarrtjapの娘たちも多くの演奏の場でダンサーに混じって踊っていた。
ディジュリドゥ(Barrtjapの言語であるBatjamalh語で「kenbi」)の演奏がはじまると、ダンサーたちが「malh」と叫ぶ。それは自分たちが今から踊る大地、生者へ霊感を祈る儀式的なまじないです。唄の終盤では、ディジュリドゥを演奏するときに使われる舌のパターンを模倣した「マウスサウンド」をBarrtjapが唄っています。それぞれの唄の終わりの部分では、こういったマウスサウンドが変化を添えるように繰り返される。
トラック2
Song 2 : Yagarra Nga-bindja-ng Nga-mi Ngayi
yagarra nga-bindja-ng nga-mi
ngayi ngayi yit ngayi [repeated]
yagarra yine ngadja ya di di
Yagarra! I'm singing 'ngayi ngayi yit ngayi'
Yagarra! What am I? Ya di di ...
ここでの歌詞は唄を授けてくれるゴースト「wunymalang」、あるいはソングマンが「ngayi ngayi yit ngayi」と唄い、「わたしは何だ?」という疑問を投げかける。
歌詞は詩句から詩句へ移動しても、違う演奏の場合でもわりに変化がすくない。1980年代にMarettがこの唄を3回録音する機会があり、それを聞くとBarrtjapは20年後もほとんど同じやり方で正確に唄っているのがわかる。「ngayi ngayi yit ngayi」という(意味に関係のない音声的な)言葉のフレーズを何度も繰り返す部分はその例外で、ディジュリドゥのマウスサウンドを言っている。 この唄は中くらいのテンポの5拍子(クラップスティックが5回叩く周期)で演奏される2曲の内の一つです(もう一方の曲がトラック22 Song 16「Yagarra Tjut Balk-nga-me Nga-mi」)。5拍子の曲に典型的な、曲の終わりの部分には「yit ngayi yit ngowe yit ngowe」というマウスサウンドが唄われている。Barrtjapだけが5拍子を使うWANGGAのソングマンです。
トラック3
Song 3 : Bagany-nyung-Ngayai
bagany-nyung ngaya bangany-nyung nga-bindja-ya
bagany-nyung ngaya bangany-nyung nga-bindja-ya
yagarra nga-bindja-ng nga-mi yakerre ye di di
ii
yagarra nga-bindja-ya nye nye nye
yagarra nga-bindja-ya
For a song ngaya, I'm singing in order to give you a song
yagarra! I'm singing yakerre! ye di di
ii
yagarra! I sing 'nye nye nye'
yagarra! I sing
この唄はもっとも広く知られているBarrtjapの唄で、違うソングマンたちによる幾十もの録音がされています。この唄についてはMarettの書籍「Songs, Dreamings, and Ghosts」にて広範に論議されています。
演奏が変わっても歌詞はほとんど変わらずにBarrtjapは唄っていますが、ほとんどの口承文化がそうであるように、唄のバリエーションの余地があります。例えば、演奏によって詩句が二つ、あるいは三つの時がある。歌詞の中の言葉の中のいくつかは、正確な形が変わっている場合がある。周期的に繰り返す歌詞の部分では、何回繰り返すかが決まっていなかったり、シンガーが唄うのをやめる歌詞の場所がまちまちだったりする。このトラックではBarrtjapは6行目の歌詞を切りつめて、その行の途中で唄をやめている。次のトラックではその行全部を唄っています。
トラック4
Song 3 : Bagany-nyung-Ngayai
6行目の歌詞の長さの不一致や、曲の終わりの部分の引き延ばし方をのぞけば、このトラックのバージョンは一つ前のトラック3のバージョンとほとんど同じです。
トラック5
Song 4 : Kanga Rinyala Nga-ve Bangany-nyung
kanga rinyala nga-ve bangany-nyung
ngwe ngwe ngwe ngwe ngwe ngwe ni
kanga rinyala nga-ve bangany-nyung yagarra
Kanda rinyala, I've come for a song
'Ngwe ngwe ngwe ngwe ngwe ngwe ni
Kanga rinyala, I've come for a song, yagarra!
「Kanga Rinyala」は、Barrtjapの曲の中でも最もよく演奏された重要な曲の一つです。「kapuk(葬儀)」において、亡くなった人の霊は自分の持ち物が焼かれることで追い払わる。その時にこの曲が演じられることで、亡くなった人の霊はシンガー・ダンサー・葬儀の参列者のはげましを得て、死者の世界へと導かれて行く。Barrtjapの息子Kenny Burrenjuckをふくむさまざまなシンガーたちによるこの曲の演奏が、今まで録音された全資料の中にはたくさんあります(ここではその中から2曲分が収録されています。トラック6を参照)。クラップスティックの叩き方をのぞけば、ほかの演奏においてもこの唄の変化は少ない。
歌詞は唄を与えてくれるゴースト「wunymalang」の言葉を伝えていて、ソングマンに唄を授けるためにやってきたと述べている。歌詞には「ngwe ngwe」と「ni」
といった「ゴーストの言語」がかなり含まれていて、特に「kanga rinyala」という二つの単語で唄がスタートしている点が興味深い。まずそれが他の唄では見られないこの唄だけの特徴であることと、ゴーストの言葉の一つ 「rinyala」は人間の言語(Batjamalh語)と触れ合っているような近い関係性にあるからです。Barrtjapや他の人にこの唄の歌詞について意見を求めた時、これは唄の言葉であって普通に日常会話の中で使われる言葉ではないのだと言って譲らなかった。Lysbeth Fordはゴーストの言語「rinyala」はBarrtjapの母語であるBatjamalh語の言葉「riny-malh(唄ったメロディー)」と似通っていると指摘していた。
この唄は(葬儀などの)非常に厳粛な場の雰囲気に見合う、ゆったりとしたテンポで規則正しく叩くクラップスティックで演奏される。クラップスティックをまったく叩かないことで、まるで時間が止まってしまったかのように重々しい雰囲気が強まるという演奏もある。トラック6の「Kanga Rinyala」はまさにそういった演奏を実践したものでしょう。クラップスティックは、唄の終わりの部分でゆったりとした規則正しいパターンから速い3連へと変わる(ソングマンが唄うディジュリドゥのマウスサウンド「yit ngayi yit ngowe...」とともに)。
トラック6
Song 4 : Kanga Rinyala Nga-ve Bangany-nyung
このバージョンの「Kanga Rinyala」では2つめの詩句の2行目で、同じテンポで手をたたく周りの人の音が聞こえはするが、クラップスティックは叩かずに唄われている。
トラック7
Song 5 : Ya[garra] Nga-bindja-ng Nga-mi
ya[garra]
nga-bindja-ng nga-mi
(yagarra yine nga-ve-me-nüng nga-p-pindja-ng nga-p-pur-ing-djü-nüug)
yagarra nye-bindja-ng nya-mu
yagarra
dawarra wagatj-maka nga-bindja-ng nga-mi ni
yagarra nye-bindja-ng nya-mu
Ya[garra]!
I'm singing
(Yagarra! What have I come to do? I'm going to sing and then go back)
Yagarra! You sing
Yagarra!
I was sitting on the curve of the beach singing 'ni'
Yagarra! You sing
Barrtjapの唄のレパートリーの中でもっとも複雑なこの唄の歌詞は、唄を与えてくれるゴーストとソングマンの間の相互作用についてもっとも露骨に詳細に語っている。例えば最初のメロディーが下がっていく所では、ゴーストが「わたしは今唄っている。何のためにわたしはここへ来たんだい?さぁ唄を唄おう、そして帰ろう」と唄い、そしてソングマンに「さぁきみが唄うんだ」と指示する。2番目の唄のメロディーの下降部分では、ゴーストは「わたしは'ni'と唄いながら浜辺のカーブで座っていた」と唄い、そして再度ソングマンに「さぁきみの番だ」とうながす。
このおそろしくリズムが動き回る唄をBarrtjap自身が唄った音源は2つしかなく、そのどちらも演奏方法にバリエーションがあるので、両方の音源(トラック7と8)をこのCDに収録しました。トラック7の1つめの詩句では、まるでBarrtjapが唄をねじ曲げているかのように歌詞を切りつめています。楽器だけの間奏部分では、とても速い、速い、ゆっくりと動いていく独特な手法が取られています。そうやって、1つめの詩句がそれ以外の部分から隔離されているということになる。そう考えると、歌詞を切り縮めるということは、もしかしたら非常によく考えられた方策なのかもしれません。
トラック8
Song 5 : Ya[garra] Nga-bindja-ng Ngami
このバージョンには導入部の詩句がなく、トラック7で見られるような楽器だけの間奏部分がないが、全体的にトラック7とほとんど同一です。
トラック9
Song 6 : Yagarra Bangany Nye-Ngwe
yagarra
bangany-nye ngwe binya ranga binya guyanaye naye
yagarra
bangany-nye ngwe binya ranga binya guyanaye naye
yagarra da nn
Yagarra!
Song-nye ngwe binya ranga binya guyanaye naye
Yagarra!
Song-nye ngwe binya ranga binya guyanaye naye
Yagarra! Da nn
Barrtjapの唄のレパートリーの中でふんだんに使われる「yagarra(感嘆詞)」と「bangany(唄)」という二つの言葉をのぞいて、この唄の残りの言葉はすべてゴーストの言語、つまり、ふつうの人間には理解することができない言葉で書かれています。意味のある内容が歌詞にない場合はいつでも、(唄われている歌詞を)きっちりした文字化することは難しい。この唄が録音されたのはたった一回だけで、現在は唄われなくなっています。
2つめの詩句の最初のメロディーの降下部分の終盤と、曲全体の最後にむかって、ダンサーたちがシンガーのいる場所へと前進してくる脚を踏みならす音をはっきりと聞くことができます。
トラック10
Song 7 : Be Bangany-nyaya
be bangany-nyaya
nga-bindja-aya
bangany bangany-nyaya
nga-bindja-ya-nyaya
bangany-nya
yine nga-ve me-nüug
be bangany-nye-nye
bangany-nye
nga-bindja-nye
bangany-nyaya
ii be bangany-nyaya
nga-bindja-ya-nyaya
bangany-nya
yine nga-ve me-nüng
be bangany-nye-nye
bangany-nye
nga-bindja-ne
bangany-nyaya
Be! Song-nyaya
I sing-aya
Song, song-nyaya
I sing ya-nyaya
Song-nya
What am I going to do?
Be! Song-nye-nye
Song-nye
I sing-nye
Song-nyaya
Ii! Be! Song-nyaya
I sing-ya-nyaya
Song-nya
What am I going to do?
Be Song-nye-nye
Song-nye
I sing-nye
Song-nyaya
Barrtjapはこの曲の最初のパート(1〜5行目)で、「bangany nga-bindja(わたしは唄を唄っている)」というフレーズを分かれた要素に区切って、「-nyaya」と「-aya」という接尾語を使って再結合させることでクリエイティブに切り貼りを遊んで、短く韻を踏む行を生み出している。Song 5の「yine nga-ve-me-nüng(何のためにわたしはここへ来たんだい?)」という歌詞に見られるのと同じように、6行目の歌詞はゴーストが投げかける疑問になっています。前にも使われていた「bangany nga-bindja(わたしは唄を唄っている)」というフレーズに、ここでは韻を踏む接尾語「-nye」がくわえられてゴーストの疑問に答えている。1回のメロディーの下降部分だけで10行すべての歌詞が唄われている。2番目のメロディーの下降部分の歌詞とリズムは1番目の詩句をはしょったバージョンになっています(2-3行目を省略)。Barrtjapはこの複雑な歌詞を2つの詩句の中で等しく表現しています。Barrtjap自身が唄っている録音はたった一つしかありませんが、BelyuenのシンガーRoger Yarrowinが唄うバージョンがあります。
トラック11
Song 8 : Nyere-nyere Lima Kaldja
nyere nyere lima kaldja
lima bangany-ya lima kaldja
[repeated]
Nyere nyere lima kaldja
Lima song-ya lima kaldja
この「lerrii>(ハッピーソング)」はDaly川の河口のちょうど南側にあるBarrtjapの先祖伝来の土地にある赤い崖Bnakulaについての唄だとBarrtjapは述べていた。後に議論されるが、Barrtjapは決して特定の場所の名前を自分の唄で言わずに、むしろ自分とその場所との関係性を綴るのをより好む。この唄の歌詞はBatjamalh語の「bangany(唄)」という言葉をのぞいて、ほとんどすべてがゴーストの言語で書かれています。Battjapは自分の「lerri」ソングを唄う時はつねに最初の方の詩句をとても速いクラップスティックではじめて、後半の詩句の部分では休符のある速いクラップスティックのパターン(xxxo)で叩く。
トラック12
Song 9 : Nyere-nye Bangany Nyaye
nyere nye bangany nyaye
lima rak-pe ngadja ngaye
[repeated]
ii
Nyere nye song nyaye
Lima my eternal country ngaye
Ii
別の「lerri」ソング。Barrtjapは再度自分の先祖代々の土地について「私の永遠の土地」という名前を言わずに触れている。
トラック13
Song 10 : Karra Ngadja-maka Nga-bindja-ng Ngami
yagarra nga mm
karra ngadja-maka nga-bindja-ng nga-mi
nye-bindja-ng nya-mu
Yagarra! Nga mm
I’m singing for myself
You sing
この唄も唄を授けてくれるゴーストの言葉で書かれていて、まず最初に彼は自分自身のために唄を唄っているのだと説明していて、つぎにソングマンにその唄を唄うように促している。
トラック14
Song 11 : Yerre Ka-bindja-maka Ka-mi
Verse 1
yerre
ka-bindja-maka ka-mi
ii
nye-bindja nya-mu-ngarrka nn
Verse 2-3
yerre
nye-bindja nya-mu-ngarrka nn
ii
ka-bindja-maka ka-mi
Yerre
He was singing
Ii
You sing it for me, Nn
Yerre
You sing it for me, Nn
Ii
He was singing
この唄は二つの点において独特で、まず第一に唄を授けてくれるゴーストが、第三の人物、おそらく夢に現れた別のシンガーを引き合いに出しているように思われる。強い鼻音と子音弱化で歌われることで、動詞の1人称形と3人称形の区別が難しくなる(「座る」を意味する「-mi」では、「nga-mi」=「私は座る」、「ka-mi」=「彼は座る」となる)ため、果たして第三者に語りかけているのかは疑問が残る。それでも、我々は詩句1の翻訳文には「私は唄う」よりも「彼は唄う」を採用しています。
第二に、シンガーは詩句2-3では詩句1で2行目の歌詞の順番を逆転させています。これによって「彼はその唄を唄っていた。今度はきみが唄っておくれ。」という意味から「きみが唄っておくれ。彼はその唄を唄っていた。」とぼんやりした意味になっている。3つめの詩句の頭ではバックアップシンガーのLambudju(Bobby Lane)が歌詞を唄っている間に、Barrtjapは高い声で叫んでいる(ゴーストwunyamalangの声を表している)。
トラック15
Song 12 : Yagarra Ye-yeneya
yagarra ye-yenenaya
ye-yeneyene kavemaye
yeneyene yenenaya
yeneyene kavemaye
yeneyene yenenaya
yagarra nye-me-nüng
nye-bindja-ng nya-mu
nganggung-djü
ye-yeneyene yenenaya
yeneyene kavemaye
yeneyene
ii
Yagarra! Ye-yenenaya
Ye-yeneyene kavemaye
Yeneyene yenenaya
Yeneyene kavemaye
Yeneyene yenenaya
Yagarra! You have to do it
Sing for us both(you and me)
right now
Ye-yeneyene yenenaya
Yeneyene kavemaye
Yeneyene
Ii
これもまた別の「lerri」ハッピーソングですが、ほかのハッピーソングとちがって、2番目のメロディーの降下部分にはBatjamalh語が含まれています。唄を授けてくれるゴーストはソングマンに我々二人のために唄を唄いなさいと告げている。
トラック16
Song 13 : Naya Rradja Bangany Nye-ve
naya rradja bangany nye-ve
mayave rradja bangany nye-ve
[three times]
yene bangany nye-ve
yenene didjeremu
lamarenye limarenye
limarenye limarenye
ii
Naya rradja. You go for a song
Mayave rradja. You go for a song
Yene. You go for a song
Yenene didjeremu
Limarenye limarenye
Ii
Marettは自著「Songs, Dreamings, and Ghosts」の中で、ほぼ50年という時をへてもこの唄が安定して変わらずにいることに着目している。その書籍の中で同じ唄の4つの録音について論議されています。もっとも古いのが1952年で最新のものが1997年という音源をここでは年代順に収録しています。このトラックはElkinによる1952年の録音です。Barrtjapのお父さんの兄弟であるJimmy Bandakがソングマンで、アボリジナルの作法ではBarrtjapは「お父さん」と呼ぶ。このトラックの終盤ではダンサーたちが前進してくる音がはっきりと聞こえます。
この「lerri」ハッピーソングはBarjamalh語で「bangany nye-ve(さぁ唄をもらいに行きなさい)」とのべる歌詞を散らしながらゴーストの言語で書かれています。現在でもこの唄は唄い続けられていて、2008年に行われた故Kenny Burrenjuck(Timothyの兄でBarrtjapの長男でMarettの先生)の「kapuk(葬儀)」ではBarrtjapの息子Timothyと一緒にMarettがこの唄を唄いました。
トラック17
Song 13 : Naya Rradja Bangany Nye-ve
Lawrence WurrpanはもともとDelissaville(現在のBelyuen)出身で、のちに結婚してBeswick Creek(現在のBarunga)に引っ越し、その地で1964年にKenny Maddockによって録音されたのがこのトラックです。彼の演奏のテンポは他の人とくらべてかなりゆっくりしています。一番最初の唄の下降部分のメロディーラインはBandukのもの(トラック16)とほとんど変わらないが、2番目の下降部分ではLawrenceはかなり異なるより長いメロディーラインを用いている。この録音では唄われている歌詞の正確な音節を聞き取りにくいが、4-5行目の歌詞はBandakの演奏とは違っているようです。曲の終結部分のディジュリドゥのマウスサウンドのリズムも少し異なっています。けれど、Wurrpenが比較的離れたコミュニティに長く住んでいるということをのぞけば、全体を通してこの二つの演奏はとても似通っています。
トラック18
Song 13 : Naya Rradja Bangany Nye-ve
1988年Marettによる録音。この演奏が他の演奏と違う点は、Barrtjapのたたくクラップスティックが曲の頭の部分でとても速いテンポで、いつもどおりの休符の入った速いテンポ(xxxo)に変わるという所です。この休符の入ったリズムパターンはBandakとWurrpanの演奏全体を通じて使われています。それ以外の点ではBarrtjapの演奏は、曲の終結部分のディジュリドゥのマウスサウンドがほんの少し違っているのをのぞけば、歌詞とメロディーの両方の点においてBandakの演奏と非常に似通っています。
トラック19
Song 13 : Naya Rradja Bangany Nye-ve
Barrtjapの息子Kenny Burrnjuckによるこの生き生きとした演奏は、一つ前のトラック18のBarrtjapの作法を継承しています。「kapuk(儀式的な叫び声)」ではじまって、Batjamalh語と英語の両方で聴衆に一緒に手をたたくようにすすめています。4行目と5行目のスタートが「yene」という音節で始まるかわりに「yagarra」という感嘆詞が使われている点をのぞけば、クラップスティックが繰り返したたくパターンも、歌詞もメロディーもBarrtjapのバージョン(トラック18)とほぼ同じです。
トラック20
Song 14 : Yagarra Nedja Tjine Rak-pe
yagarra nedja tjine rak-pe
yagarra rama rama gama
[three times]
yagarra nedja
ii
Yagarra! Son, where is my
camp/eternal country?
Yagarra! Son!
Ii!
この曲はまた別の「lerri(ハッピーソング)」で、唄を授けてくれるゴーストは直にソングマンに向かって「息子」と話しかけている。Barrtjapが1993年に亡くなる少し前、Marettに「私の場所、はるか遠くにある私の土地」という歌詞なのだと説明していた。そう表現することで、その土地が遠く離れたところにあるということを意味しているのと同時に、その土地が有史以前から彼に連なっているということを意味しているようでした。その土地の名前を聞いたら、4つの地名Djakalda、Barakbana(南Peron島)、Barrabumalh、Djedjekanaを教えてくれました。4つともDaly川付近の彼の先祖伝来の土地です。
2002年にBarrtjapの未亡人Esther Burrenjuckに話を聞いたところ、この唄はBarrtjapの母親のゴーストから授かった唄だという別の解釈だった。母親のゴーストが家族がキャンプしていたMilikに戻ってきた時、みんなDelissaville(Belyuen)コミュニティへと移動してしまっていたので誰もいなくなっていた。
この二つの解釈が出てくるのは「rak」という単語が、「先祖の土地」と「キャンプ」という二つの意味があるという、言葉の曖昧性に基づいています。歌詞が曖昧で不透明であることで、環境が変われば違う解釈にとらえられるようになっている、ということはアボリジナルの唄では珍しいことではない。
トラック21
Song 15 : Ya Rembe Ngaya Lima Ngaya
ya rembe ngaya
lima ngaya rembe ngaya
lima ngaya rembe ngaya
lima ngaya rembe ngaya
lima ngaya rembe ngaya
lima ngaya rembe ng
[twice in verse1]
yagarra yine nga-bindja-ya
yine nga-bindja-ya
yagarra rembe ngaya
lima ngaya rembe ngaya
lima ngaya rembe ngaya
lima ngaya (rembe ng)
Yagarra! What am I singing?
What am I singing?
lima ngaya rembe ngaya
この唄は中くらいのテンポで演奏されています。Barrtjapが演奏する一つ前の「lerri(ハッピーソング)」ではエネルギッシュな速いテンポで演奏されているのに比べて、このバージョンではすこしリラックスしたフィーリングで演奏されています。また、詩句1で最初のメロディーの下降部分が2回繰り返し歌われています。
トラック22
Song 16 : Yagarra Tjüt Balk-nga-me Nga-mi
yagarra nn
yagarra tjüt balk-nga-me nga-mi yagarra nn
yagarra yine nga-ve-me-nüng
nga-p-pindja-ng nga-p-pu-ing-djü
Yagarra!
My foot has swollen up, yagarra! Nn
Yagarra! What am I going to do?
I’m going to climb up and go now
この唄は「Yagarra Nedja Tjine Rak-pe」(トラック20)のように、二つの解釈ができます。どちらの解釈もJimmy Bandakが自分の息子Jimmy Havelockのために創った曲だということでは一致しています。一つ目の解釈はBarrtjapがMarettに伝えたもので、HavelockがCoburg半島のMurgenellaで働いていた頃にあった出来事に関する唄だと語った。サイプレスパイン(常緑針葉低木)のトゲで足の傷口が感染して、Belyuenに戻るための飛行機に乗る時には「よじ登らなければ」ならなかった。二つ目の解釈はHavelockがBelyuenコミュニティで足を怪我して、診療所に連れて行ってもらうためにトラクターに「よじ登らなければ」ならなかった、というもの。この二つ目の解釈は、Wadjiginyの人々とBelyuenコミュニティとのつながりを強調するKenbi土地所有権請求の頃を思い起こさせる。
最後の2行「yine nga-ve-me-nüng / nga-p-pindja-ng nga-p-pu-ing-djü」
ではトラック7-8(soong5)ですでに翻訳した「何のためにわたしはここへ来たんだい?さぁ唄を唄おう、そして帰ろう」という意味で、唄を授けてくれるゴーストが発した言葉です。「-bindja(-pindja)」という動詞には「唄う」と「よじ登る」の二つの意味があるという点で、第三の解釈もありうるでしょう。
トラック2の「Yagarra Nga-bindja-ng Nga-mi Ngayi」のように、この唄は中くらいのテンポの5拍子(5拍を反復するクラップスティックのパターン)が用いられています。
トラック23
Song 17 : Yagarra Tjine Rak-pe
yagarra tjine rak-pe
karra tjine ka-yewe
karra tjine ka-yewe
karra tjine ka-yewe
yagarra tjidja ka-bindja-ng ka-mi
Yagarra! Where is my eternal country?
Where does it lie?
Yagarra! This [man/wunymalang] is singing
この唄は遠く離れたDaly川の下降付近にあるBarrtjapの先祖伝来の土地に関するもので、その当時のWadjiginyの人々が先祖からの土地とのつながりを失った時に感じた苦痛を表している。
トラック24
Song 18 : Yagarra Delhi Nya-ngadja-barra-ngarrka
ya
yagarra delhi nya-ngadja-barra-ngarrka
nanggang-gulhü kanya-bara-m
kuu yagarra nye-bindja-ng werret bangany ngwe ngwe
yagarra dü
Yagarra! Wait! Come back here to me / Don’t be frightened
Yagarra! Climb up, quick now! Song! Ngwe ngwe / Yagarra! Dü!
Belyuenに近いBynoe港に住んでいるという、強力で危険なドリーミング「Wilha」(ニガカシュウ : ヤムイモ科のヤマイモ属)に関する唄です。その内容はBarrtjapが他の人たちとCox半島の西側にあるIndian島にハンティングに行った時に起こった出来事についての唄だと、BarrtjapがMarettに伝えた。そこでは潮が強く走っていた。Wilhaドリーミングは潮流にのって旅をすると知られていたので、Barrtjap一行は小さな丘を登って、危険がなくなるまでじっと待つった。ある女性の夫(地元ではなくTiwi諸島出身の男性)が島の南端に行くと、彼はそこでWilhaドリーミングが彼を追いかけてくるのを見た気がした。Barrtjapは安全な丘の上に上がってくるように呼びかける。唄の中で聞かれる高い叫び声は、おびえた男に呼びかける声であり、おそらくWilhaドリーミング自身の高い叫び声であるのかもしれません。
トラック25
Song 19 : Nga-ngat-pat-pa Mangalimba
nga-ngat-pat-pa mangalimba
nga-ngat-pat-pa mangalimba
yagarra nye-bindja-ya nye-bindja-ya
yagarra nye-bindja-ya
bangany nye-bindja-ya
yagarra nye-bindja-ya
(nga-ngat-pat-pa)
ii bangany-nye nye-bindja-ya nye-bindja-ya
bangany nye-bindja-ya
Nga-ngat-pat-pa Mangalimba
Yagarra! You sing, you sing / You sing the song / Yagarra! You sing
You sing the son, you sing / You sing the song
1997年にLysbeth Fordが作成したBatjamalh語辞書の出版記念の際に、Belyuenコミュニティにて録音されました。Barrtjap作曲の唄なのですが、彼が唄ったバージョンの録音は存在していません。この音源は息子のKenny Burrenjuckによるもので、Kennyの好きな1曲です。Mangalimbaはある女性の名前。「nga-pat-pa」という言葉は唄のためだけの表現だと言われているが、今まで出会ったことのない歌詞で、「rinyala」(トラック5-6のSong 4)のようだが、Batjamalh語の言葉ではない。
トラック26
Song 22 : Anadadada Bangany-nyaya
anadadada bangany-nyaya nga-bindja-ya
anadadada bangany-nyaya nga-bindja-ya
dengalma dengalma nga-ve
yangarang nga-bindja-ya
ngwe ngwe ngwe
‘Anadadada’ is the song I’m singing
I’m out of breath
Today I’m singing
I’m singing the song
Ngwe ngwe ngwe
この唄を作曲したのはKenny Burrenjuckは夢の中で授かったのではなく、自分で創った。それは自分が住むBelyuenコミュニティからはなれMelville島のMilikapitiに住んでいた、つまり自分の一族のゴーストたちから離れていたからです。彼はBarrtjapの唄の後継者として認められていて、儀式のためやあれこれでBeluenを頻繁にたずねいた。なので彼のあだ名は「Come and go(行って来い)」だった。
Kennyは喘息持ちで、時折唄うのが大変でした。そこでこの唄は息切れについて唄っている。2008年の秋の彼自身の葬式の際には、この唄が何度も歌われました。
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