西オーストラリア州の砂漠のアボリジナルの割礼、サブインシジョン、火の試練などの通過儀礼など呪文的なミニマルな歌を収録。ディジュリドゥは使われない。
■西砂漠の人々とその音楽
■歌 詞
■SIDE A ライナーの翻訳
■SIDE B ライナーの翻訳
砂漠という厳しい自然環境に生きる、西オーストラリア州の砂漠の民の歌を多数収録しています。もちろんシロアリがいないこの地域では、ディジュリドゥは使われない。この地域の動植物や気候から砂漠に住むアボリジナルの人々の歴史、ドリームタイムと呼ばれる創世期についての彼等の文化や、様々な神聖なる儀式についてのディープなライナーの解説がすばらしい。
民族学者Alice M. Moyleは、アボリジナルの人々の音楽を3つにカテゴライズしているが、ここで紹介されているのは、『Songs from the Northern Territory Vol.5』(CD 1962-63/1997 : AIATSIS)に収録されている内容と近く、ドリーム・タイムと呼ばれる神話の時代から語り継がれて来た「ソング・ライン」あるいは「ドリーミング・トラック」とよばれる歌を収録している。
LPで販売され廃盤になっていた音源を、販売元のSmithsonian Folkways RecordsがオフィシャルCD-R化したものです。このCD-Rには当時のライナーノーツのコピーがついていますが、ここで紹介されているジャケットは付属していません。プラスチック・ケースを定形の紙のハコに納めた状態での販売です。御注意下さい。
割礼、サブインシジョン、火の試練など若者にとっての様々な通過儀礼や、その儀礼を受ける少年達の前で腕の静脈を切って血を流しながら踊る大人のダンスの様子などを現地録音している。
音楽的には、クラップスティックで地面を打つドスドスという音に合せて大人数の男性、もしくは女性が集団で歌っている。抑揚が少なく、一定のリズムで続く、かぎりなく呪文的なミニマルな歌が多い。
下記はライナーの翻訳です。各曲解説にはレビューは追加されていません。
■西砂漠の人々とその音楽
西オーストラリア州の砂漠は世界中でも最も隔絶的で荒れ果てた場所である。淡い緑色をしたSpenifex(和名 : ツキイゲ、砂漠や海岸に生えるイネ科の草)の茂みに覆われた、バラ色の砂丘と砂の平原の広大な区域が何百kmと旅行者の目の前に広がっている。その単調さは、時にWarburton、Rawlinson、Petermann山脈のようなゴツゴツとした岩の山の背で孤立させられてこわされている。水はかなり乏しく、砂漠には常に流れる川や小川は無く、平均年間降雨量は250mm以下で(東京は約1,500mm)、それは毎年毎年かなり変化する。
この激しい環境での孤立のため、この地域のアボリジナルの人々はごく最近まで自分達の伝統的な生活様式を守り続けて来た。段々と定住、もしくは伝統的なアボリジナル居住地とミッション(教会の管理するアボリジナルの居住地)の近くに住むようになってきているのだが、少数の集団がいまだ砂漠で放浪的な生活様式を続けている。アボリジナルの生活状況下では、彼等は完全に狩猟と野生の食べ物の採集によって生活している。主要産物は、幅広い種類の植物と、主にゴアナと呼ばれるトカゲなど、狩猟で得た少量の肉である。数少ない恵まれた場所で、時々エミューやカンガルーを捕まえる事があるが、この地域では大きい獲物の肉が得られることは少ない。10から40人の拡大家族が、ある水源から別の水源へと水と食べ物をもとめて1年の間中移動している。もしある特定の場所で大雨があれば、その土地の野生の食べ物が豊富にとれるかもしれない。つまりそれが150人ほどまで人が集まる機会になりうるのである。その地域の野生の植物と獲物の肉が急激になくなるので、たいていこういった集まりは長く続かない。しかしながら、人々が共にある時には、儀式や集団による歌などの機会がある。世界の他の狩猟採集民族と同じように、砂漠のアボリジナルの人々も豊かな様々な歌と口承伝統文化を持っている。彼等は歩いて長い距離を旅しなければいけないので、自分達の文化の可搬性にその重要性があるのだ。もちろん、知識以上に可搬性に富んだものは無く、苦心して作り上げられたアボリジナルの人々のソング・サイクルは、彼等の伝統的知識の莫大な財産である。
Ngatatjaraの人々は厳密に言えば部族ではなく、西砂漠の広大な地域全体で話されるPitjantjatjara語という一つの言語を話す集団である。Pitjantjatjara語を話す全てのアボリジナルの人々の歌と神聖な伝統は、その地域を通じてかなり一様である。つまり、西オーストラリアで、最も互いに離れている場所というのはCundeeleeとWarburton山脈(約800kmも離れている)だが、そのそれぞれの場所で行われたそれぞれの録音は、しばしば見分けがつかなかったりする。
個人による何気ない歌はキャンプでしきりに行われるが、この地域のアボリジナルの人々は集団での歌唱を本当に重要な種類の音楽であるとみなしている。この種の歌はたいてい、儀式や儀式の準備などの神聖な行いをする時に歌われる。こういった儀式は一般に「Corroboree(カラバリー:アボリジナルの歌と踊りを指す英語)」と呼ばれ、その言葉はおそらくニュー・サウス・ウェールズ州の現在はすでに絶えてしまった部族の方言から取り入れられたと思われる。砂漠のアボリジナルは儀式とその歌を「Tulku」という言葉で呼び、その儀式の神聖さの程度は様々である。多くの歌(実際ほとんど全ての歌)では完全に片方の性のみが歌うということに制限されているが、例えば「Rain-Making Song」のようないくつかの歌では、男性、女性、もしくは子供達によって歌われる。高い神聖性を持つ歌では、仮に異性の人がその歌を聞くかその踊りを見たら、厳しい罰則がある。例えば、神聖な歌を歌っている男性達は、その儀式の間中に聖なる踊り場の近くをぶらつく女性を見れば、殺すと言って脅かすことがあり、アボリジナルの男女は細心の注意を払って互いの神聖なる儀式を避けるのである。
この地域のアボリジナルの人々は、ドリームタイムと呼ばれる創世期の人々「Wati Tjukurpa」の通った、たくさんの道「Yiwara」の交差点が砂漠にあると考えている。民族学者達は、このドリーム・タイムの人々がトーテム(全てのもの [動植物、自然現象、祖先など] には精霊が宿り、それらはそれぞれのクランに属すという考え方で、そのクランの人々は自分達のトーテムを神聖視している)的な存在であると述べている。それらトーテムには、カンガルー、オポッサム、ゴアナ、フクロネコ、ディンゴ、ハリモグラ、モロクトカゲ、ミミナガバンディクート、コウモリ、カーペット・スネイク、オーストラリアオオノガン、ワシ、エミュー、そしてその他の「Wanampi(Water Snake)」、「Yula(ペニス)」、「Wati Kutjara(二人の男性)」のように特別なものなど、その地域の自然生物がそれに含まれる。ドリームタイムでは、こういった神々が創造的行為を行い、それぞれの冒険をしながら、砂漠のあちこちを旅していた。それぞれ何かが起こった場所で、ドリームタイムの神は活発に風景の中にある、ある特徴を変えたり、創ったりし、もしくは自分自身をその土地の目印になるものに姿を変えた。つまりドリームタイムのそれぞれの道は、小池、峡谷、山脈、山の頂き、もしくは他の人の目をひく特徴のシリーズによって目印が付けられている。こういった活動は過去に起こったことだが、現在に継続的に影響していると考えられており、多くのアボリジナルの儀式はその影響を維持することに関わって行われている。アボリジナルの人々は、(たいてい経済的重要性の一因として)儀式に関係しているその特定の種が実るであろう、もしくは旬の時期に豊富に育つであろうということ願って、正確に演奏し、踊るのである。民族学者達は、そういった儀式を「Increase Ceremonies(「実りを願う儀式」、「(特定種の)増殖を祈る儀式」とでも訳されるのだろう)」と呼んでいる。
そのような存在は先祖の姿であるとされている。ある共通のトーテムの先祖の血を男筋で引いていると認識するアボリジナルの男性達は、「Patrilineal Goups(父方の家系をたどる血縁関係のグループ : 父系血縁)」を形成している。こうしたトーテム的な父系血縁は、日ごとの家庭問題において比較的重要性を失ってきている。しかし父系血縁は、人とその人が住む土地の間に直接的な血縁関係をもたらすという点において基本的重要性を持っている。つまり、例えばある男が神聖な場所で地面にある岩を「ngayuku mama(お父さん)」と呼ぶのを聞くかもしれない。それはこの父系血縁によって起こっているのだ。一つのトーテム的な父系血縁のメンバーは、土地にある神聖な目印の守護者としての義務を共有している。だから、彼等は伝統的な神話や、ドリームタイムのエピソードを再演する歌と踊りが、適切な若手の人物にきちんと伝えられるのを見届けねばならず、女性やイニシエーション(通過儀礼)を受けていない男性がそういった伝統を学ぶ事が無いようにしなければいけない。女性も同様にそれらのトーテムに属しているが、直接的に父系血縁の儀式に参加はしない。そのかわりに、親類の男性血縁者達が彼女達にかわって儀式を執り行うのである。
「Increase Ceremonies(「実りを願う儀式」、あるいは「増殖を願う儀式」)」に加えて、娯楽のために演じられるトーテムのカンガルーとハリモグラの神聖な儀式もある。そういったダンスでは演じられる動物の模倣が目立ち、特にそれにひいでたダンサーが観客の歓喜を引き起こす。他には、イニシエーション(通過儀礼)の儀式の不可欠な部分で演じられる歌と踊りがある。例えば「Waniki」と呼ばれる聖なるヒモが、今まさに割礼を受けようとしている青年にはじめて見せられる時に歌われる歌、もしくはトーテムのカンガルー・ダンスの前に血を流している間に起こる歌などである。
現在、砂漠のアボリジナルの人々の間でトーテムの儀式について急激に関心が高まっている。これは西洋人との接触による一つの間接的な結果である。たいていの場合、アボリジナルの人々は、アボリジナル居住地やミッション(教会の管理するアボリジナルの居住地)に集まって住んでおり、そこでは食べ物や水の供給が、砂漠にいる時よりもいくぶん規則的で豊富である。そのような場所でともに暮らす人々の数は、砂漠のどの場所をとってもかつての数よりも次第に多くなってきている(Papunyaに600人、Warburton地域に450人、Lavertonに330人、そしてCundeeleeに約250人が住んでいる-60年代当時)。向上した食べ物と水の供給に加えてほぼ一年中共にいるという基盤のおかげで、アボリジナルの人々は思いのままに儀式に従事することができるようになった。さらに加えて、車での移動の有用性により、アボリジナルの人々は、時に大人数で移動し、儀式、特に割礼の儀式のために離れたコミュニティを頻繁に訪れるようになった。しかしながら、トーテムの「Increase Ceremonies」においては着実に衰退がみられる。それは、現在居住地に住むアボリジナルの人々は砂漠にある自分達のトーテムの土地から何100kmと離れ、たとえちょっとした訪問でさえ、そこに帰るのが難しいと知っているからである。また彼等は徐々に西洋的な食べ物に依存するようになっている。つまり、「Increase Ceremonies」を通じて自分達のトーテムの種族を敬うという機会と必要性の両方が廃れかけている。その興味深い伝統が消え去り、忘れ去られるのはそう遠い未来の事でもなさそうだ。
男性シンガー達は、一般的に「太陽と影」という二つの向き合った円をなし、クラン内に限定された婚姻習慣に関する二つの区分に自分達を分けている。Ngatatjaraの人々の大半は、全ての人が6つのカテゴリー、もしくは区分の内の一つに属している。西洋人は、時にそのことを「Skin Group」と呼ぶ。この区分は結婚を調整し、離れたグループが互いに訪問しあう事を可能にするという、きわめて重要な役割を果たしている。 これは「Shorthand Kinship(人不足の親類関係)」のようなもので、儀式に参加し、結婚可能な相手を探す事で離れた所からの訪問者や親類関係にない人を結びつける。「六つの区分」と呼ばれるシステムの作用は、下記に図解されている(実際は6つの名前を持つ4つの区分である)。
この二つの図を比較すれば、二つの区分の互いの世代がわかる。ある男性が自分は「Nganatarka」に区分されると述べた。その言葉で彼の祖父母と孫の世代の位置付け同様に、彼の世代の位置付けがわかる。彼は自分と反対の区分を「Tarputa」であると述べ、「Tarputa」には彼の両親と子供の世代が含まれる。世代の地位、結婚の規則、神聖な儀式の時にその区分に別れて座ることという厳しい相互関係に気付く。したがって、その男性の義父は反対側の区分に座る事になるだろう。この二つの親類の階級の間で普通許されない何か、言葉遊びや冗談などの活発な交換が歌の中でも頻繁に行われている。
トーテムのディンゴとカンガルーのソング・サイクル(二つが混ざりあったドリームタイムの道)の間、少年達がうける割礼の儀式に話をむけながら、それぞれの区分のシンガー達は小さな輪の形になる。それぞれの輪の男達は円の中心に向かいあって座り、それぞれの男達が「Punu(クラップスティック)」を打つ。リズムは地面をスティックでドンドンとたたいて維持される。このドンドンというリズムは、カンガルーが水場から水場へとぴょんぴょんと跳んだ時に、カンガルーの尻尾が地面にあたった音であると言われている。しばらくすると、このドンドンと打つことでスティックの下の地面にくぼみができる。それぞれの歌の輪には、車輪のスポークのように放射状になるくぼみの並びができている。それはトーテムのカンガルーの寝床に似ていると言われている(本当の生きてるカンガルーのの寝床は、彼等の尻尾でできた地面のパターンからすぐに見わけることができる)。リズムをならすスティックや、木製のヤリ投げ器の背を指で弾くといった簡単なパーカッションを除いては、砂漠のアボリジナルの人々は楽器を持たない。
普通、神聖な伝統について話さる事はないが、手短に言えば、ドリームタイムの先祖の旅と、その活動に関するエピソードが歌の中で話される。それはドリームタイムの旅の順に従って、決まった順番で歌われる。たいてい一人か数人の新参者が参加する。そういった儀式の初心者は、隔離され、数多くの苦しい試練の前に、訓練の一部として歌と踊りを教えられる。割礼はそれらの厳しい試練の中でも最も重要な儀式だが、サブインシジョン(肉体、特にペニスに切り込みを入れること)、火の試練、スカーリフィケーション(皮膚を切って傷跡をつけること)、抜歯、鼻の中心の壁に穴をあけるなどその他の儀式も存在する。通常、儀式の新参者は、実際にダンスがはじまるまでブランケットの下に隠されるかもしくは保護される。儀式を見る時でさえもかなり間接的に見なければいけない。ある儀式初心者は顔を手で隠し、指の間から見る、もしくは踊りを目尻でみることがある。
■歌詞について
歌そのものは短く、その内容は高度に要約されており、その歌詞はシンガーが詳細まで完全に熟知している口承伝承の一部であり、ドリームタイムの偉大なる創造的出来事のイメージを思い起こさせるようにつとめている。
ディンゴのソング・サイクル
papa ngarira yingka yingkara
Dingo is lying down sing! is singing
papa yingkantjayi
Dingo was singing(in the dreamtime)
Rabbit-eared Bandicoot(ミミナガバンディクート)のソング・サイクル
ninu ninu ninpungama tjipiyakala
Rabbit-Bandicoot keep pressing (not translated)
ninu ninulu ninpungama
Rabbit-Bandicoot keep pressing
この歌はトーテムのミミナガバンディクートの道にある水場Maturaの一対の神聖な岩について述べられている。小さな石で大きい方の石の上を擦ったり、押し、この歌を歌うことで、この父系血縁の人々はこの種が増えるであろうということを願う。
「Ngintaka(ゴアナ)」のソング・サイクル
mirkalu kampupala ninara
vegetable food kampurarpa fruit sitting
ngampu yalaringu
seed became open
ドリームタイムにKampurarpa(砂漠のレーズンと言われているブッシュ・トマト)が現在そこで見られる山を形作りながら、岩へと身を変えたという「Ngulpir-ngulpir」という場所にある神聖な岩山に関して歌われている。この歌は、この地域特産の食べ物のための「Increase Ceremony」の一つである。
「Wati Kutjara(Two Men)」ソング・サイクル
pata-patara palanya
shaking there(middle distance)
patarakutjungka
drop it in a heap
二人の男がTjantjaraという場所にいる。彼等は洞窟の入り口で草に火をつけ煙をたて、洞窟の天井にぶらさがっているコウモリを窒息させる。そして彼等はたくさんのコウモリを集め、食べる。
pika plyara ngangkarpayngula
pain causes subincision by-and-by
pinyalay-pinyalayanya
(blood) gushes forth
この歌はサブインシジョン(肉体に切り込みを入れること)の傷口が開いている状況を表わしている。
何年もの間、学者達は、アボリジナルの女性達には特殊で入念な神聖な生き方というものがまったく無いと信じてきた。しかしながら最近の研究で、民族学者C.H. Berndtは、女性達が男性を締め出して様々な儀式をすると述べている。女性以外では、乳ばなれしていない子供だけがその儀式に参加することができる。西砂漠では女性は主に3つの神聖な儀式に加わる。Water Snakeだけではなく、様々なヘビとゴアナのある特定種に関連した「Yilpintji」と「Yawalyu」の儀式、オポッサムと様々な鳥達に関する儀式「Tjarata」の3つである。このような歌はしばしば砂漠の広い地域を越えてグループからグループへと伝えられる。またある女性の夢から歌が生まれたり、ときには魔術師であると思われる男性が女性に歌を譲り渡すと言われている。「Dreamer(夢見を行う人とでも訳されようか)」は、ある特定の系統に関連した存在に夢見の中で歌と踊りを指し示される。そういった歌は、歌の所有者の女性からその娘へと受け継がれるか、報酬の代わりに他の女性と取引をされる。しかし、他の人に歌を受け渡しても歌の最初の所有者その人が自分の歌を歌い続けることがある。
男性の神聖な歌の場合では、その歌は簡潔でエピソード的である。下記はその例である。
Yawalyuソング
lawurkula: kulayi yulantji ngayulantji
(plance name) crying I crying
今もう亡くなってしまった女性がこの小池を見つめていた。
その歌の内容は概して神聖な物、場所に関係しており、そして恋の魔法はもちろん、そのソングシリーズに関するトーテム上の存在に関連があり、限られた区分のグループよりもむしろ、単一の限定されないグループによって歌われる。いくつかのダンスでは様々な道具が使われ、例えば、片端をペイントした長く先のとがった棒(あきらかに男根崇拝的な意図で使われる物体)などがある。男達が歌っている場合よりも、ある女性達が積極的に歌と道具の所有権を得、使おうとしているこれらの儀式をみれば、個々のリーダー達が明らかになる。
■SIDE A ライナーの翻訳
トーテムであるディンゴとカンガルーのソング・サイクルの歌。No.1-8は、1966年の5〜7月の間にCundeeleeにて割礼の儀式の前に「Malulu(イニシエーションを受ける新参者)」のために成人男性達によって歌われた。No.9-10はこの期間の間に行われたダンスを伴った歌で、No.10では切り込みを入れたペニスの傷を再切開した大人の男性によるダンスを伴った歌である。彼等は太ももに血を飛び散らしながら、一列になって儀式新参者の前でダンスを踊る。No. 11の歌は自分達の体と踊りの道具を装飾したダンサー達によって(腕の静脈を使った)儀式的な流血の間に歌われている。No. 12-13は1967年1月にWarburton Rangesで行われた割礼の儀式を待っている間に、儀式新参者とイニシエーションを受けていない数人の男友達によって歌われている。
Warburton Rangesの女性の神聖な歌。No. 14-17は1966年の8〜10月の間に録音された。これらの歌のいくつかで聞かれるリズミックにカランカランと鳴る音は、即席のパーカッション楽器として使われているキャンプ用の湯沸かしである。
No. 18-19は、Lavertonにて1966年4月に録音された大人の男性達によって歌われている「Wati Kutjara(Two Men)」の歌である。No. 18の歌ではシンガー達が歌う前に注意深く準備練習しているのが聞かれる。
No. 20-21は1966年4月にLavertonにて録音された、成人男性達と子供達によって歌われている「Rainmaking Song(祈雨の歌)」です。これらの歌はトーテムの「Wanampi(Water Snake)」ソング・サイクルで、もっとも弱い意味の部分だけが神聖であるとされている。
No. 22-28は「Tingari」ソング・サイクルの歌で、「Tingari」とは、Warburton Rangesの北へ約240kmの地域を通るドリームタイムの道を持ついくつかのトーテム的存在の一つの種類を示す一般的な言葉である。これらの歌は「火の試練」の準備の時に「Maliki(儀式新参者)」の大人数のグープのために演奏され、1966年10月にWarburtonにて録音された。シンガーの内の数人はNgtatjaraの北の隣人Nyatunyatjaraの男性で、ほとんどの歌は「Tjikari(Carpetsnake)」の活動に関して歌われている。他のものと比べて、これらの儀式では特に鮮やかで複雑なボディ・ペインティングがダンサーと新参者の両方にほどこされる。
■SIDE B ライナーの翻訳
「Tingari」ソング・サイクルの続き(No. 1-3)。
No.4では、Nyatunyatjaraの女性Mankatjiがキャンプで公然と踊っている時に、大声で彼女の不平を歌っている。この種の歌は神聖なものではない。この歌は実際、不正だと思われる事を解決するために、その女性の男性親者を喧嘩に駆り立てるようとした口論である。この場合、Mankatjiは彼女の娘の結婚は時期尚早であると感じていた。この録音のちょうど前に、彼女は穴を掘る棒で自分の娘をたたいて気を失わせ、その娘を自分のキャンプに運んでいた。数人の男達が事件に巻き込まれたある若い男をヤリでおどすまで、彼女は自分の問題を大声で発し続けた。その後、その若者はMankatjiが満足するよう問題を解決してキャンプを出ていった。Warburton Rangesの北にあるブッシュ・キャンプMulyangiriにて1967年1月に録音。
女性の神聖な歌が続いている(No. 5-8) 。Warburton Rangesにて1966年8〜10月に録音。
No. 9-16はトーテムであるカンガルーのソング・サイクルで、Warburton Rangesにて1967年1月に録音された。No. 9はダンスを伴い、No. 10-14はまさに割礼の儀式を受けようとしている新参者のために成人男性達が歌っている。最後の2曲No. 15-16は、カンガルーの姿と動きをまねたダンスを伴う歌で、曲の最後では笑い声を引き起こしている。
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