Peter Lister|イダキ奏者/ヨォルング文化研究者
Peter Listerのディジュリドゥ・ページ

2. Top Endの伝統音楽とディジュリドゥ

私は1927年からアボリジナルの人々の歌と踊りCorroboreeを見てきたが、1946年にアーネム・ランドの調査をして、はじめてこの地域の歌の豊かさとその生き生きとしたパワーに気付いたのだった。この時に、ミュージシャンやダンサーがこの地域のアボリジナル文化を見聞きできるように、例えレコードを聞くという間接的な方法であれ、できるだけ早くそれを記録として残したいと決心した。

[A.P. Elkin, 1979(※1.), P285]

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2. Top Endの伝統音楽とディジュリドゥ -目次-
 2-1. ノーザン・テリトリー州Top Endの伝統音楽とディジュリドゥ
 2-2. ディジュリドゥの使われる地域
 2-3. 地域による伝統音楽のスタイル
 2-4. Top Endのソング・タイプ
 2-5. Top Endのディジュリドゥの演奏とスタイルの多様性
 2-6. Top Endの伝統音楽の用語集
 2-7. ディジュリドゥを伴った伝統的なアボリジナル音楽の参考文献

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2-1. ノーザン・テリトリー州Top Endの伝統音楽とディジュリドゥ

ここに紹介されているのは、伝統音楽、特にノーザン・テリトリー州のTop Endと呼ばれる地域の伝統音楽の中で、ディジュリドゥがどう使われるのかについて紹介されています。その内容は決して完璧ではなく、そうあろうともしていません。むしろ、ここに紹介されているのは、この種のデータに対して気付いた事実の推論です。世界中でディジュリドゥに対する関心が深まるにつれて、この楽器の起源とアーネム・ランドの人々が現在と過去にディジュリドゥを演奏するその背景の両方を理解するという事が、我々にとっては非常に大切なことなのだという事を信じています。

Top Endの音楽は豊かで複雑です。Elkin教授が述べているように、あなた方がじっくりと彼等の音楽を聞く時間を持たなければ、その深みと生命力に気付かないだろう。

100年前まで、ディジュリドゥはオーストラリア国内での広がりには限界があった。地図1. は、特に60年代と70年代にオーストラリア全域に渡って伝統的な楽器の調査を行ったAlice Moyle博士の仕事に基づいている。地図上の斜線部は、60-70年代当時にアボリジナルの伝統音楽の一部にディジュリドゥが使われていた地域です。ここには、Groote EylandtやWessel諸島、Crocodile島、Darwinのすぐ北に位置する二つの大きな島「Bathurst島とMelville島(Tiwi)」のようなノーザン・テリトリー州の島々が含まれている。Tiwiの人々の音楽のレパートリーの一部にはディジュリドゥはない(実際、Tiwiはオーストラリア本土とは文化的に異なっている)。

Elkin教授のような初期のアボリジナル研究者達は、「ディジュリドゥは、ノーザン・テリトリー州の北1/3の地域と東キンバリー地域だけで知られている[A.P. Elkin, 1938]」と述べている。現在では世界中で演奏されているが、伝統的な演奏スタイルとその技術はいまだこの地域だけにとどまっている

地図1. ディジュリドゥの伝統的な発祥地
ディジュリドゥの伝統的な発祥地を表した地図

まず第一に、今世紀初頭にアボリジナルの人々が教会管理の居住区へと生活の場所を移動したことによって、ディジュリドゥはその地域の南と東に広がり、様々な度合いで伝統音楽へと組み入れられていった。しかし、実際にそういった新しくディジュリドゥが伝統音楽に組み入れられた地域で使われるディジュリドゥの演奏技術は、伝統的にディジュリドゥが使われている地域とは異なっている。それは特にクイーンズランド州のCape York地域において顕著である。Berndt博士によれば、「Wave HillからBirrindudu(共に西オーストラリア州に近いノーザン・テリトリー州中部のTanami砂漠付近)、そして東キンバリー地域にあるGordon Downsでは、1945年当時、若い男性だけがディジュリドゥを演奏し、年長の男達はそれをただ新しいだけの楽器だとみなしており、ディジュリドゥとは何の関係も持たなかったようだ。1958年、Balgo(Tanami砂漠の西、東キンバリーの南に位置する西オーストラリア州のコミュニティ)ではほとんど見られなかったディジュリドゥが、その2年後には実際非常に人気があった。[R.M. Berndt, 1964(※2.)]」

Garde博士は「Aurukun(クイーンズランド州の西Cape York)では、1985年に結婚で移り住んできたDoomadgee(Carpentaria湾)からの人々によってディジュリドゥが持たらされた[Garde, 1997]」と述べている。Mornington島では、Mornington島生まれで、オーストラリア本土出身の両親に育てられたLarry LanleyとLarry Gavenorによってディジュリドゥが30-40年代に持たらされた(Nancarrow pers. comm. 1999)。Mornington島では伝統音楽の中でディジュリドゥが演奏されることがある。


【注釈】
※1. A.P. Alkin 1979
『The Australian Aborigines(改訂版)』参照
著者A.P. Elkin(1979) 出版Angus & Robertson, Sydney 品番ISBN ISBN 0 207 1 3733 (紙表紙)、ISBN 0 207 1 3863 X (ハードカバー) 初版1938年  >>戻る

※2. R.M. Berndt 1979
『The World of the First Australians』参照
著者R.M. Berndt & C.H. Berndt(1977) 出版Ure Smith 品番ISBN 0 7254 0272 5 初版1964年  >>戻る