ヤス(カラキ ヤスオ)|在豪イダキ奏者
ブラブラ日記 2 -家族との再会編 1-

【クロス・オーバー】

前回までのあらすじ・・

北東アーネム・ランドで開催されるアボリジナル主催の最大規模のフェスティバルであるGarma Festivalに参加するため、キャサリンの街を出発してから数十時間。延々と続くダートロードの運転には慣れてきた僕達だったが、うだるような暑さと車の中に缶詰にされて過ごす有り余る時間にフラフラになりはじめていた。しかし中央アーネム・ランドを抜け北東に近づくにつれ、風がわずかな海の匂いを含みはじめているのに気がついた。そしてついに延々続くかと思われたダートロードを抜け、舗装された道に入ったのだった。

車内でグッタリ
有り余る時間と暑さが僕達のやる気と体力を容赦なく奪っていった・・。
2日ぶりの舗装路はまるでツルツルの廊下を走っているかのようにスムーズで、その騒音の少なさはちょっとした衝撃だった。考えてみれば日本で普通に生活していたら舗装路を2日間まったく走らないってことはまずない。そういう意味でこれも貴重なアーネム・ランド体験といえるかもしれないな。

舗装路に入ってからすこし走るとキャサリン以来約750kmぶりとなる「T字路」が目の前に現れた。精神的に相当追い詰められていたのだろうか、どこにでもありそうなT字路に「おわ?見てみて!T字路やで?!」と興奮する僕達。

「あれっ?ここのT字路って・・・もしかして・・」

それはなんの変哲もないただのT字路なのだが、僕はその道に見覚えがあった。そして記憶の糸を辿り、その道がどこかとういうことに気付いたとき、その喜びは特別だった。 なぜならその道を左に曲がれば・・・そう、YirrkalaアートセンターやNhulumbuyの街、そしてなによりDjaluファミリーの住むSki Beachへと続く道だったのだ!!道を右に曲がればケアンズやダーウィンから飛行機が飛んでいるGove空港へと続いている。 ついにここまでたどり着いたのだ!!

日本でGORIくんとともに企てたオーストラリア大陸縦断、そしてアーネム・ランド横断の旅。事前の計画、そして準備は万全を期していた。でも心のどこかに「無謀なんじゃないのか?」と不安に思う気持ちがあったのは確かだ。何度もその声に負けそうになりながら、そのつど自分を奮い立たせてきた。

そしていま目の前の見覚えのある風景が、心の中で思い描いていたイメージとクロスオーバーしていき、輪郭をはっきりと輝かせはじめていた。そして心に浮かんできたのは、東京公演のあと、「またすぐに会いに行くから!」と約束したとき、口元を上げてニヤッと笑いながら「Manymak!」と呟いたDjaluの笑顔だった。 早く彼らに会いたいという溢れる気持ちを抑えながら、僕達はそのT字路を左に曲がった。

その道をしばらく走ると、急にさっきまでのブッシュやダートロードが嘘のような大きな街が見えてくる。Yirrkalaでの鉱石の採掘が始まってから白人の労働者が多く移住し、発展した街Nhulumbuyだ。

Nhulumbuy在住の多数の人々がこの採掘場で働いており、彼らのためにスーパーや銀行、郵便局、学校、図書館、酒場など、必要なものは全て揃えられている。この街のおかげでYirrkalaでの滞在中は日常生活で不便を感じることはほとんどない。

その規模はノーザン・テリトリーでダーウィンの次に大きな町、キャサリンと比べてみても遜色ないぐらいだ。しかしこの街と採掘場がYirrkala周辺に住んでいるアボリジナルの人々に与えた影響は計り知れず、いまだに複雑な問題を抱え続けている。詳しい内容はリサーチャーの1人である林くんの下記のレポートを参照してください

きれいになったGOVE空港
こちらは最近建てかえられたGOVE空港。これだけ見てもとてもアーネム・ランドにいるとは思えない!

 >>林 靖典「ゴーブ裁判‐アボリジナル土地所有権問題‐」

Nulumbuyの街を抜けると再び一直線に続く道に入る。いままでと違うのは時折ブッシュの隙間に顔を覗かせる青い海。 乾燥しきっていた内陸部を抜けてきた僕達にとって、この海は心に潤いを与えてくれた。

しかしその爽やかな余韻を遮るかのように、巨大なパイプラインが道に平行して走り始めていた。この赤錆に覆われた巨大なパイプが、良くも悪くも僕の知っているYirrkalaの風景なのだ。そしてこのパイプラインを辿っていくと、その先には美しい海とブッシュの中に、まるで古代の遺跡のようにそびえる採掘場がある。そのパイプが道の上を横切っている場所を左に曲がるとその先にDjalu達の住むSki Beachだ!!家族のみんなは元気にしているだろうか・・。