ヤス(カラキ ヤスオ)|在豪イダキ奏者
ブラブラ日記 -前書き-

【きっかけ】

生きてると何が起こるかわからないとはよく言ったもので、僕の場合ディジュリドゥに出会ってしまったことが人生に大きな変化をもたらしたことは、いまや疑う余地もない。

Nicky Jorrock / Kenbi Master

偉大なKenbi奏者 Nicky Jorrokその人 ディジュリドゥ奏者としても人間としても尊敬できる人だった。
(Copy right 2004 Nicky Jorrock)

自分はオーストラリアに行くのかもしれない・・・。

漠然と思い始めたのが3年程前。それからいくつかの出会いを通じて話は一気に現実味を帯びてきた。

そして『Rak Badjararr』というCDとNicky Jorrok(Djarug)という人の音に出会ったことが僕に最終的な決断をさせた。

「この人に会いたい・・」

そして2004年4月、愛用の黒いブルースのイダキとバックパックを抱えて雨季が明けたばかりのダーウィンの土を踏んだ。空港を出たとたん、むわっとした熱帯の空気が体にまとわりついてきた・・。

Bruce Yidaki


【さまざまな出会い】

僕は今回のオーストラリア滞在中、ダーウィンから300km程離れた町キャサリンとダーウィンを拠点に、西はWadeye(Port keats)から東はYirrkala、そして南はNgukurrまで各地のコミュニティを訪れる幸運に恵まれた。そして各地域でさまざまな人たちやコミュニティの現状に出会った。

アルコールにおぼれ、争いやもめごとに囲まれながら日々生活する都会の人、そんな環境でも自分たちの伝統や法、そして誇りを忘れず、自分たちの子供や孫の世代について熱く語る人。若い世代にあきらめにも似た喪失感を抱きながらも伝統を伝えていこうと努力する長老たちと、白人文化や都会での生活に強く惹かれコミュニティを去る若者たち。

少しずつ、だが確実に失われつつあるディジュリドゥの知識や伝統文化とそれをなんとか残したいと考えるノンアボリジナルの人たち。

Henry & Mitchin

Belyuenのソングマン、ヘンリーと、僕が出会った唯一のオージー・トラッドマニア、ミチン。彼との出会いは僕にとってとても大切なものになった(Copy right 2004 Henry Jorrock)

どちらが正しいわけでもなく、どちらが間違っているわけでもない。たださまざまな問題を内包しながら世界は変わり続けている。


【ブラブラ日記】

Earth Tubeからブラブラ日記の話を最初にもらった時、いったい何を書けばいいのか想像もつかなかった。人類学者でも民族学者でも、言語学者でもフィールド・ワーカーでもなく、ただ単にディジュリドゥに惹かれオーストラリアまで来てしまった人間。それなら、見たままに感じたままに書いてみようと僕は決めた。

ディジュリドゥを中心に出会ったアボリジナルの人たちや各国の仲間たち。彼らとのちょっとした会話のやり取りや、意識せず生じるふとした瞬間の風景。生活や文化の違いから生まれる日常的で些細な出来事。実際に訪れたコミュニティの現状やフェスティバルのリポート。

できるだけそのまま、なにも手を加えずにブラブラと。


【最後に】

My dear Didjeridu Headz

Wadeye(Port Keats)でガイドをしてくれたリチャードと一緒に旅した仲間たち

今回の旅で特に大切だったのは、純粋にディジュリドゥに惹かれ、そのバックグラウンドであるアボリジナルの文化や伝統をリスペクトし、それぞれの方法で関わろうとしていた多くの仲間たちに出会えたこと。どんなにつらい時でも忘れないポジティブな思考と笑顔を持ち、体には生きる力が溢れ、目は深く濃く輝いていた。

そしてなによりもそんな僕らをおおらかに受け入れてくれた各地域のアボリジナルの家族や友人、お世話になった人たちに心から感謝しています。

好きなものに向かって単純に走り続ける人は、ときに考えられないほどのエネルギーを発揮する。その想いは人から人へと伝わっていき、つながり、広がり、力を蓄えていく。そしてそのエネルギーがすべての困難や障害を乗り越えて、いつか彼らのところへ伝わっていく日を楽しみにしている。

出口晴久 2005年4月1日